Chrononglyph

ゲーム一般

#7616

ゲーム会の存続危機

今日の出来事ゲーム一般

今年は年初以来、「改めてソロプレイゲームをやろう!」という機運が高まったかと思えば、
もうゲーマーとしての人生は終わったかもと思ったりするなどゲーム関連のモチベの起伏が非常に激しいのですが、
基本的には圧倒的に後者である時間が長く、
ピクミン以外のゲームプレイ時間は2021年以降の低迷を抜けていません。
そしてこれは少なからず2020年から続く同僚とのゲーム会にも悪影響を及ぼしており、
直近でも結局ゲームに関しては承認欲求ありきという価値観は捨てきれないと考えました(#07605 / 2024年10月12日)。
また、去年末からは画面共有で見るだけという交流の在り方を新規開拓し、
これならモチベ低迷していてもゲーム会の存続はできるだろうと思っていた矢先、
『Detoroit: Human Become』ではプレイしている同僚より先に見るだけの自分が飽きてリタイアするという、
かなり情けない事案も起きてしまいました(#07546 / 2024年08月14日)。


そんな矢先、ともすれば31年ぶりの期待作とも言える『ゼルダの伝説 知恵のかりもの』を迷った末に買い、
当然自分にモチベがあるゲームなら画面共有で遊ぶネタになるということでゲーム会でも遊んでみました。
というか半ばゲーム会のために買ったようなところがあります。
しかし、結局プレイしたのは最初のダンジョンをクリアしたところまで。
それ以降は同僚に続きを見たいと言われても自分の中でどうしても続きをやりたくない心理が強く、
お断りし続けているような状況になっています。


なぜ、ここまで状況が揃っているのにやりたくないと思ってしまうのか?
これは、プレイスキル格差や意欲格差によって少なからず自尊心が傷つけられるからだと思っています。
同僚はいままで関わった人の中でもゲームがかなり上手い方で、
一方でここ数年の自分はもうゲームそのものへの興味を失いかけているくらいなので、当然プレイスキルも及びません。
そうすると画面共有で配信しても、どうしても見ている方の立場が強くなってしまう。
同僚がいわゆる「指示厨」になってしまうわけで、こちらとしてはあんまり面白くないわけです。
結局、条件が揃っていてもプレイする側にある程度の熱意が無いと台無しになってしまうんですね。
こういう場合、むしろ完全ソロプレイで遊ぶ方が有望であるとすら感じます。
思えば年初の『風来のシレン6』もそうした熱意の差が浮き彫りになった結果、モチベが潰えた例でした。


この状況をどうしたら打開できるのか、というのはずっと考えてきたことですが結論は出ていません。
交友関係が長期化してきたことにより、若干自分のメンヘラ気質なところが出てきているのかな……とも思うし、
いままで話してきた感じだとゲームの好み自体はほぼ180度と言っていいほど違うので、
そういう好みの違いをお互いに、あるいは自分が尊重できていないのかもしれません。
いずれにしろ、自分の期待作をゲーム会に持ち寄るというのはもう悪手だと考えています。
むしろ期待していない軽めのタイトルの方がいいのかも?


同僚の『モンスターハンターワールド』も今週で完全クリアとなり、
やることがなくなってしまったので次週以降は様子見ということになってしまいました。
ずーっと週1で継続してこれたのですが、いよいよこのペースでも危うくなってきています。
つくづく、ゲーム会の最初期に『Apex Legends』で盛り上がったのは奇跡だったんだろうなと。
あの頃の勢いをどうにかして取り戻せないものだろうか……。


#7359

ゲーマーに向いていない

今日の出来事ゲーム一般

なんというか、自分という人間を根幹から否定しかねないあることに気づいてしまいました。
「もしかして自分はそもそもゲーマーに向いていないのでは?」という。


ゲームを取り巻く文化は好きで、それはもう後戻りできないところに来ていると思う。
でも、「ゲームをプレイする」という体験が好きなのか……これは近年かなり疑わしいところがある。
最近で言うと『Apex Legends』『風来のシレン6』、
あと最近ちょいちょい復活しようとして結局成果が出ていない『ピクミン4』などなど、
ここ1年のゲームプレイを思い返すと結果が出ていないだけでなく、
イライラしているケースが多いことに気づきました。
実生活、それこそ仕事よりも圧倒的にゲームでイライラする機会の方が多い。
実生活は基本的に「すでにできること」で構成されたルーチンであり
無理に「できないこと」に真正面から立ち向かう必要は無く、
したがって挫折を経験することもあまりありません。


ゲームに関しては少なからず理不尽を強いられることもあり、
またゲームプレイの結果で他者に認められようと思ったらかなり高いハードルを越える必要があります。
かといって他者承認無しだとそれはそれで虚しさを否定できない。
そしてそのハードルを乗り越える途中で生じるストレスに、もう自分の心が耐えられないんですよね。
昨日も知り合いの前で『風来のシレン6』をプレイしていたのですが、
理不尽な死に方をしてかなりイラッとしてしまいました。
継続していたら知り合いからの心証を悪くしかねないと思ったのですぐやめましたが、
「本当は楽しいはずのゲームでなんでこんな気持ちにならないといけないんだろう……」
と思ったのも事実です。
とはいえ、ゲームの面白さとはそういったストレスを乗り越える過程にこそあり、
心に負荷がかかるのを一切排除したところでゲームは楽しめないでしょう。
金銭(ガチャ)、時間(放置系)など別のコストを差し出すならまた話は違いますが。


過去にこのブログで何度も書いている通り、
自分はゲームをプレイする動機を他者承認に強く求めてきたという経緯があります。
これは2016年以降、もはややり込みプレイをしなくなってから特に顕著ですが、
ゲームをするようになった時点で家族という一緒にゲームをする相手がいたという点では、
幼少期の頃からすでに「他人に認めてもらいたいからやる」という動機があった可能性も否定できません。
他者承認関係なくゲームをすることもゼロではないのですが、比率としてはごく小さい。
年に数日あるかどうかといったレベルで、少なくともメインの趣味とは言い難い。


自分は幼少期からずっとゲームに親しんできたので、ゲームがメインの趣味だと思っていました。
しかしその実、もうプレイヤーとしてはとっくに衰えていて、
趣味とは言えないレベルにまでなっていたのではないかと改めて感じました。
他者承認を動機とするゲームプレイを一切排除すると、
2016年以降はほとんどゲームはしていないということになってしまうからです。


とは言えこの考え方は、ストレス耐性が極端に低くなっていて
「ゲームを楽しむ」というレベルにすら達していない、というのが根本要因という前提がありますが、
それ自体を生み出している要因がゲームそのものにあると限らないのがこの問題の難しいところです。
実は仕事など他の何かのせいでストレス耐性が低くなっていてゲームは楽しめないものの、
「ストレス耐性が低い」という要因を取り除けばゲームは心から楽しいと言えるのかもしれない。


まあ、いずれにしろ何も考えずにゲームを楽しめるような状況ではないのは確かです。
もはやゲームも仕事と同じく、心身ともに健康でないと着手は難しいということなのでしょう。
これがそもそも加齢によるものなのか否かについてはなんとも言えないところですが。


#7313

ゲームの原点に立ち返ってみる

今日の出来事ゲーム一般

最近「ゲームはなぜ面白いのか?」ということに対する興味がぼんやりとあります。
従来の自分はゲームは承認欲求を満たすためという動機に囚われていて、
ゲームの本質的な部分を楽しもうという視点が欠落していた面があることは否めません。
それは特に2013〜2019年の実家生活において顕著だったと思います。
当時は誰かに認めてほしいから、その手段としてゲームをしていたわけです。
つまりゲームをすることそのものは目的ではなかったということですね。


そしてそういう動機でゲームをしても往々にして楽しめないし、
ほとんどの場合はすでに有名なストリーマーに負けるため、
凡人が承認欲求目当てでゲームをするのは不毛な作業であるということにようやく気づきました。
しかし、だからと言ってゲームへの興味が尽きたわけではありません。
だからこそ、ここにきてゲームの本質的な面白さにようやく視線を向けられたのだと思います。


そこで7年前に買っておいて読んでいなかった
『ゲームってなんで面白い?』という本をパラパラと読んでみました。
これは2016年ゴールデンウィークに初の東京旅行を決行したときに記念に買った本です。
当時はぼっちでも無難に楽しめるように東京の主な博物館を巡ることを軸に旅行計画を立てました。
その一環で日本科学未来館にも行ったのですが、
その当時たまたま「GAME ON〜ゲームってなんで面白い?〜」という企画展が開催されていました。
これは古典的なレトロゲームから最新のVRまで実機を集めて展示するという趣旨の展示で、
とにかく人気で人がごった返していました。
ゲーム&ウォッチ全種(個人のコレクション)が展示されていて興奮した記憶があります。


本ではゲームの本質に迫る何人かへのインタビュー記事や、
2016年当時までのゲームの歴史の概略が書かれていました。
企画展のタイトルにもなっている「ゲームってなんで面白い?」の答えは
研究機関による研究が進められている難解な問題で決して一概に答えることはできません。
ただ、本に書かれていたインタビュー等によると、それは突き詰めれば非常にアトミックな要素であり、
古典的なレトロゲームから最新のゲームまでその本質は変わらないのではないか、とのことでした。
現代的なゲームはレトロゲームにもある本質的な「何か」を抽出し組み合わせて生まれている側面があり、
ゆえに新しい「何か」が見出されると組み合わせの数が爆発的に増えるのではないか、と。


それに該当するものとしては、
例えば「受け止める」「嵌める」「避ける」「狙う」などといった動詞的な概念です。
『テトリス』はブロックを隙間に「嵌める」ことで楽しさを生んでいるし、
『Pong』はボールを受け止めて跳ね返すことでゲームを成り立たせています。
『スペースインベーダー』はさらに「避ける」「狙う」という要素が加わっています。
また、リスクとリターンの概念もゲーム性を構成しているとされています。
『スペースインベーダー』では、「狙う」ためには敵に撃たれるかもしれないリスクを背負う代わりに、
敵を排除できるというリターンを得ようとする駆け引きが存在します。
こういう概念は広義のゲーム、つまりコンピューターゲーム以外の遊びにも通じる概念です。
デジタルゲームはそういった要素を複合的に組み合わせて作られているということなのでしょう。


日本のゲームはどちらかというとキャラクターに重きを置き、
「妄想する余地を残している」という点に特徴があるという意見も印象深かったです。
欧米産のゲームは現実をゲームに落とし込む「シミュレーション」寄りであるのに対して、
日本のゲームはあくまで空想を落とし込んでいるところに特徴があるのだと。
言われてみればドラクエなどのJRPGや『ねこあつめ』のようなゲームが売れるのは日本特有の現象です。
それは絵巻物や漫画など、空想で補完する文化が古来からある日本ならではなのかもしれません。


ゲームといえば承認欲求や競争原理のいわばツールとして見なされかねない昨今ですが、
いわゆる芸術品のひとつとして、原点に立ち返って楽しんでみるのも面白いのかなと改めて思いました。
GAME ONのような企画展がまたあったらぜひ行ってみたいところです。


#7146

ゲーム性とは何か

今日の出来事ゲーム一般

ゲーム性という言葉は当たり前のように使われていますが、その解釈は千差万別です。
一般的には「ゲームを面白くする要素」であると自分は解釈していますが、
どういうときに面白さを感じるかは人それぞれであり、一概に説明することはできません。
特に、複数のジャンルにまたがるゲーム性を定義するのは困難だと思います。


これについては、個人的にいくつかのジャンルを思い浮かべた上で、
これこそがゲームの面白さの根源なのではないかと思う要素としてひとつだけ心当たりがあります。
それは一言で言うならば「ルール破壊」です。
ゲーム全体で普遍的とされるルール(常識)を破る存在があってもゲームが成り立つような場合、
それはゲーム性をとても豊かにすると思います。
例えば『大乱闘スマッシュブラザーズ』シリーズは、
相手キャラクターに攻撃を仕掛けることで場外に吹っ飛ばしたら勝ちというルールのゲームです。
しかし最新作で登場する「勇者」のとある技は、当てれば場外でなくてもダウンを取れます。
同じ桜井作品の『メテオス』は、ブロックを揃えて点火させて塊を持ち上げ、
連鎖によって推進力を積み上げることによって場外へ打ち上げるパズルゲームです。
ところが、「ヘブンズドア」のステージではブロックを揃えた瞬間に場外へ飛んでいくため、
まったく違うゲームへと変貌しています。
桜井さんはこういうルール破壊が好きなイメージがあります。


2009年にリリースされたDSiウェアのパズルゲーム『Somnium』は、
ブロックを動かしてボールの色とブロックの色を揃えるというのが基本ルールです。
ブロックは上下左右に動かすことができるけれども、ボールは動かすことができません。
しかしステージを進めていくと「動かせないブロック」「ボールを移動させるブロック」
「特定の色を持たないボール」等の型破りな要素が次々に登場してきます。
基本ルールは変わらないのに、序盤と終盤ではあたかもまったく違うゲームのようになっています。


2018年にTCGの元祖『Magic: the Gathering』がマイブームになったとき、
《世界のるつぼ》というカードがすごく好きでした。
これは場に出ているだけで墓地に置かれた土地をあたかも手札にあるかのように扱えるカードです。
これにより、土地カードの再利用のみならず、手札をコストとする効果は使い放題になり、
アイデア次第でいくらでも強力なコンボを生み出す基盤になります。
シンプルかつ応用の効くルール破壊カードとして非常に優秀なデザインだと思います。


同じくMTGには《血染めの月》というカードもあり、こちらもかなり好きです。
これも「基本でない土地は山である。」というシンプルな効果文ですが、内容はめちゃくちゃです。
MTGでは特殊な効果を持たない、1色だけのマナを生み出す土地カードを基本土地と呼びます。
一方、なんらかの特殊効果を持つ土地カードは「基本でない土地」という分類になります。
当然、基本でない土地には強力なカードが多いので採用する人も多いわけです。
《血染めの月》は場にあるだけでそれらを全部基本土地の《山》に変化させることで
基本でない土地に依存しているデッキはあらゆる効果を失い赤マナしか出せなくなるため、
赤以外をテーマとするデッキではこれ1枚であらゆる戦略が崩壊してしまいます。
なにしろマナ基盤を奪われたらどんな強力なクリーチャーを持っていても場に出せないのですから。
要はこれ1枚の存在が基本でない土地に対する超強力なメタとして機能しているわけです。


ルール破壊要素は面白いですが、それをデザインするのは非常に難しいと思います。
紫ピクミンのように単なるバランスブレイカーになってしまったら
ただただ他の要素の価値が落ちるだけだからです。
ルールを逸脱しているが、根幹からぶっ壊すわけではないという絶妙な配分が必要。
《血染めの月》はかなり根幹から破壊しているように見えますが、
禁止カード指定されていないということはバランスは取れているのでしょう
(そもそも破壊耐性が無いエンチャントなので除去カード1枚で対策できる)。
カードゲームはコストの概念が明確なので幾分か逸脱したデザインもしやすい印象がありますが、
それ以外のジャンルのゲームで適切なルール破壊要素を出すのはなかなか難しいと思います。
ただ個人的にはそれこそがゲームの面白さ、
ひいては優れたゲーム性を構成する要素だと思っています。