ゲームの原点に立ち返ってみる
最近「ゲームはなぜ面白いのか?」ということに対する興味がぼんやりとあります。
従来の自分はゲームは承認欲求を満たすためという動機に囚われていて、
ゲームの本質的な部分を楽しもうという視点が欠落していた面があることは否めません。
それは特に2013〜2019年の実家生活において顕著だったと思います。
当時は誰かに認めてほしいから、その手段としてゲームをしていたわけです。
つまりゲームをすることそのものは目的ではなかったということですね。
そしてそういう動機でゲームをしても往々にして楽しめないし、
ほとんどの場合はすでに有名なストリーマーに負けるため、
凡人が承認欲求目当てでゲームをするのは不毛な作業であるということにようやく気づきました。
しかし、だからと言ってゲームへの興味が尽きたわけではありません。
だからこそ、ここにきてゲームの本質的な面白さにようやく視線を向けられたのだと思います。
そこで7年前に買っておいて読んでいなかった
『ゲームってなんで面白い?』という本をパラパラと読んでみました。
これは2016年ゴールデンウィークに初の東京旅行を決行したときに記念に買った本です。
当時はぼっちでも無難に楽しめるように東京の主な博物館を巡ることを軸に旅行計画を立てました。
その一環で日本科学未来館にも行ったのですが、
その当時たまたま「GAME ON〜ゲームってなんで面白い?〜」という企画展が開催されていました。
これは古典的なレトロゲームから最新のVRまで実機を集めて展示するという趣旨の展示で、
とにかく人気で人がごった返していました。
ゲーム&ウォッチ全種(個人のコレクション)が展示されていて興奮した記憶があります。
本ではゲームの本質に迫る何人かへのインタビュー記事や、
2016年当時までのゲームの歴史の概略が書かれていました。
企画展のタイトルにもなっている「ゲームってなんで面白い?」の答えは
研究機関による研究が進められている難解な問題で決して一概に答えることはできません。
ただ、本に書かれていたインタビュー等によると、それは突き詰めれば非常にアトミックな要素であり、
古典的なレトロゲームから最新のゲームまでその本質は変わらないのではないか、とのことでした。
現代的なゲームはレトロゲームにもある本質的な「何か」を抽出し組み合わせて生まれている側面があり、
ゆえに新しい「何か」が見出されると組み合わせの数が爆発的に増えるのではないか、と。
それに該当するものとしては、
例えば「受け止める」「嵌める」「避ける」「狙う」などといった動詞的な概念です。
『テトリス』はブロックを隙間に「嵌める」ことで楽しさを生んでいるし、
『Pong』はボールを受け止めて跳ね返すことでゲームを成り立たせています。
『スペースインベーダー』はさらに「避ける」「狙う」という要素が加わっています。
また、リスクとリターンの概念もゲーム性を構成しているとされています。
『スペースインベーダー』では、「狙う」ためには敵に撃たれるかもしれないリスクを背負う代わりに、
敵を排除できるというリターンを得ようとする駆け引きが存在します。
こういう概念は広義のゲーム、つまりコンピューターゲーム以外の遊びにも通じる概念です。
デジタルゲームはそういった要素を複合的に組み合わせて作られているということなのでしょう。
日本のゲームはどちらかというとキャラクターに重きを置き、
「妄想する余地を残している」という点に特徴があるという意見も印象深かったです。
欧米産のゲームは現実をゲームに落とし込む「シミュレーション」寄りであるのに対して、
日本のゲームはあくまで空想を落とし込んでいるところに特徴があるのだと。
言われてみればドラクエなどのJRPGや『ねこあつめ』のようなゲームが売れるのは日本特有の現象です。
それは絵巻物や漫画など、空想で補完する文化が古来からある日本ならではなのかもしれません。
ゲームといえば承認欲求や競争原理のいわばツールとして見なされかねない昨今ですが、
いわゆる芸術品のひとつとして、原点に立ち返って楽しんでみるのも面白いのかなと改めて思いました。
GAME ONのような企画展がまたあったらぜひ行ってみたいところです。