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ゲーム一般

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#8032

ゲームジャンルへの心境変化

今日の出来事ゲーム一般

今年のゲーム関連は言うまでもなく「Nintendo Switch 2」に賭けた1年でした。
近年、ゲームそのものが低調な自分にとって、ゲーム関連における「神聖な日」とも言える任天堂ハード発売日。
その絶好の機会をいわば踏み台にして、ゲームを恒常的に遊ぶことを復活させたい。
そんな思惑があった1年でした。
まあ、結果的には少なくとも完全に壊滅的だった去年や2022年よりは大幅に改善しているとは言えるので、
そう言う意味では「大底を打った」と言えるのかもしれません。
ただ、今年は今年で反省点も多かったと思います。


まずNintendo Switch 2関連新規タイトルは『マリオカート ワールド』『ドンキーコング バナンザ』
『ポケモンレジェンズZ-A』『カービィのエアライダー』の4本を買いました。
このうち、前2本はまあまあプレイしたし満足感もあり、買ってよかったなという実感はそれなりにあります。
ただ、後2本については完全に勢いを失ってしまい、「買ってよかった」と言えるレベルには達していません。
いずれも今年のキラータイトルであるにも関わらずです。


これについては、Z-Aやエアライダーが駄作だったなどと言うつもりはなくて、
ただただ自分の加齢による好みの変化によるものだと思っています。
そして、その影響がいよいよ無視できなくなってきたのではないかと。
2025年のゲーム周りの自分の動向を振り返ると、コレクション性が強いゲームにハマりやすくなったと思っています。
反面、反射神経などの身体的スキルを磨くことを目的とするゲームはとことん合わなくなった。
基本的にコミュニティに所属しないかぎり同じゲームだけをずっとプレイすることはないですが、
本当に好きなゲームは一度やめてしまってもまたしばらくすると戻ってくるようになりました。
このプレイスタイルに合致しないゲームはそもそも続きません。
ルールが複雑なゲーム、ストーリー仕立てのゲーム、フィジカルを要求するゲームなどですね。
これらは一度ブランクを生んでしまうと再開するための心理的ハードルがかなり高くなってしまう。
もし、今後この手のゲームをやりたいなら短期集中で頑張ってクリアまでやるべきでしょう。


一方、短期完結型でストーリーなどが無く、ルールもすぐに思い出せてフィジカルをそれほど要求しないゲーム、
かつコレクションや育成の要素が強く「少しでもやること」に意味のあるゲームは昨今の自分に向いていると思います。
今年で言うと『原神』→『Balatro』→『あつまれどうぶつの森』がこの流れを汲んでいて、
Switch 2タイトルの中でも『マリオカート ワールド』はごく短期間にサクッとやるゲームとしては、
昨今の自分に向いている寄りのゲームなのではないかとも思います。


こういった好みの変化を自覚した以上は、もう「任天堂の大型タイトルだから買う」は卒業するのが妥当かなと。
個人的には『カービィのエアライダー』が全然続かなかったのが自分でも意外でした。
これがきっかけで、大型タイトルは絶対的安牌というこれまでの常識はもう通用しないと悟った次第です。
来年以降、どういうタイトルが出てくるかにも寄りますが、
2025年に自覚したゲームの好みの変化、というより「年齢的にできないゲームがある」という自覚は、
今後ゲームを買う際のひとつの基準にもなるんじゃないかと思っています。


#8031

ゲームの好みの周波数

今日の出来事ゲーム一般

元同僚と週1で開催しているゲーム会は、また徐々に行き詰まり感を感じるようになってきました。
「マルチプレイで遊ぶ」というスタイルだけで遊んでいたのは2023年秋までで、
2023年冬からはどちらかのプレイを見るというシングルプレイスタイルも導入するようになりました。
しかし2024年末にはそれでもなお行き詰まってしまったので、2025年初頭からしばらくは休止。
2025年夏に『Apex Legends』のマッチメイキングが緩和された(弱い人とも当たるようになった)
ことをきっかけに少し復活して、その後またすぐに猛者としかマッチしなくなったため離脱。
以降はシングルプレイを見るというスタイルで惰性的に継続はしていますが、
このまま何も手を打たないとまた休止期間を生んでしまいそうです。


自分はこのゲーム会で、ゲームの好みが違う人とゲームをすることの難しさを改めて実感しました。
これまで一緒にゲームをやってきた家族などは、ゲームの好みが似通っていたからこそ一緒に楽しめたんだろうなと。
元同僚とは6年目の付き合いですが、だからといって6年でゲームの好みが近づいたわけではありません。
むしろ年数が経てば経つほどその溝の深さを感じざるをえなくなってきている気がします。
自分たちはどちらもゲームならなんでも遊ぶ生粋のゲーマーというわけではなく、
ごく限られた興味のあるタイトルに絞って遊ぶというプレイスタイルなため、とにかく興味が一致しません。
生粋のゲーマーなら一緒に新作タイトルをチェックしてビビッときたタイトルを買えば無難に楽しめるのでしょうが、
残念ながら両者ともそうではないんですね。


自分のゲーム意欲の低迷はブログに何度も書いているとおり、近年もっとも深刻な価値観の変化です。
こうなる前の自分は自称生粋のゲーマーでした。
かなり任天堂系に好みが寄っているとはいえ、他のハードで遊ぶこともやぶさかではないというスタンス。
その価値観で思春期を過ごしてきたので、新作を遊ぶことは「なるべくやっていきたい」という気持ちはあります。
ただ、その気持ち(純粋な意欲というよりは自尊心?)に素直になって新作を買っても、
集中力やプレイスキルが及ばないことが多いので最近はめっきり遊ばなくなってしまいました。
ゲームに対し、浅く広くフォローしたいという気持ちはあれど、熱意がそれに追いついていないという現状です。
なのでタイトルを絞り込まざるをえなくなってきている。


一方、元同僚は一貫して「本当に興味があるものだけやる」という研究者タイプです。
一度ハマれば徹底的にそのゲームをしゃぶりつくす反面、興味が無いゲームは絶対に手をつけない。
となるとお察しの通り、自分とのゲーマーとしての相性は絶望的なんですよね。
自分はいろんなタイトルをほどほどに遊びたい(それ以上は熱意が持たない)というタイプなので、
同僚がハマったタイトルを一緒にプレイしてもその勢いに負けてしまう。
かといってそれ以外のタイトルは同僚は徹底して興味を持とうとしない。


高齢ゲーマーとして合理的なのは同僚のようなタイプだと思うし、
何もかも中途半端な自分が結局のところ諸悪の根源のような気はしています。
ずっとこの状況を打破してくれるような新作を待ち望んでいるのですが、6年経ってもそれに値するタイトルは出てこない。
そうこうしているうちに自分のゲームに対する熱意そのものが消えかけているというのが現状です。


大切なコミュニケーションの相手なのでゲーム会自体はどうにか存続させたいのですが、
何年経っても打開策が出てこないこの現状はまあまあ危機的だと思っています。
もしかしたら、「ゲームの代替」をも視野に入れるフェーズに入ったのかもしれません。


#7922

五段階評価の国民性

PCゲームプラットフォームのSteamでは、
最近海外ディベロッパーの間で「日本語でリリースすると評価が下がる傾向にある」と言われているそうで、
この風潮が広まれば日本語訳を出してくれなくなるんじゃないかという懸念の声が出ています。
なんでこんなことになっているのかというと、
これは別に「意図的に悪評価を残す日本人が多い」とかではなく単に文化の違いのようです。
日本人の多くは、そうそう簡単に5段階の「5」をつけませんよね。
一般的には、ニュアンスとしてはめちゃくちゃ面白い、他人にも勧めたいと思える神ゲーで「4」。
及第点以上、要するに普通の評価が「3」。イマイチだなと思う場合は「2」以下という感じでしょうか。
安直に「5」をつけるとサクラを疑われると考える人も多いと思います。
学生時代の通知表の影響なのか、文化的背景はわかりません。


しかし海外では違うようです。
良いという評価は「5」、それ以下なら「4」以下というざっくりした評価だそうで。
5段階評価の意味無いじゃん、と言ってしまえばそれまでなのですが、ここで大きな問題が発生します。
海外ユーザーのみなら、ニュアンスとしては及第点以上なら「5」をつけるのに対して、
日本人の場合は同じレベルの評価で「3」以上ということになるため、
日本人を含めるかどうかで平均値が大きく変わってきてしまいます。
ディベロッパーからしてみれば評価はストアにおける露出度、すなわち売り上げに直結するため死活問題。
であれば日本語対応をあえてしないことで評価を高く保つという戦略を採るのも、ありえなくはないと思います。
日本語対応はマルチバイトだし(欧米人にとって)世界一難しい言語ということもあり、
機械翻訳の精度がかなりのレベルの現代でもそれなりに面倒でしょうからね。


5段階評価というもののシステムを考慮すれば、自分は日本人の習慣の方が正しいと思います。
もし良い=「5」、良くない=「4」以下で筋を通したいなら「いいね」と「よくないね」ボタンだけでいいはず。
「良くない」の中に4段階も刻む必要性も分かりません。
我々が正しいのに割を食うというのは理不尽のようにも思います。
今後、これについてSteam運営のValveが動くのか、それともひっそりと日本人が割を食い続けるのか、
どうなるかは分かりませんが後者になるような気がしなくもないです。


正直、個人的にはあと10年くらいでユーザーレビューのあり方はガラッと変わるんじゃないかと思います。
これはかなり性善説に基づいて作られたシステムで、実態に即していないんですよね。
実際にはGoogle mapsの店舗口コミには営業妨害とも言える荒らしが跋扈しているし、
それはAmazonの商品ページやApp Storeのアプリ、Steamのゲームについても同じようなことが言えます。
レビューを書く方は身元を明かさないし責任も取らないのでなんでも書けてしまうわけです。
それこそ憶測に基づく非難や中傷、ごく個人的な感想に過ぎない駄文やクレームなどは世に溢れていて、
それらは少なからずサービス提供側に損失をもたらしています。


しかも都合が悪いことに、このレビューを参考に消費活動をしている人というのが結構な割合で存在する。
モンハンワイルズ騒動の件でも書きましたが、この評価をその商品の絶対的評価とみなす人も少なくないわけです。
それくらい影響力があるなら なおさら責任あるレビューを求められてしかるべきだと思うんですが、
大手プラットフォーマーたちは一向に重い腰を上げません。
まぁ、プライバシーの問題などいろいろと厄介な問題があるんでしょうね。
ただ、完全非匿名でしか投稿できないというのはかなり難しいと思っていますが、
「参考にならない」を一定数押されたらレビュー一覧から消滅して評価にも反映されないようにする、
という程度の施策はもはや必須だと思うんですよね。
それを実装した上で5段階評価は廃止して「良い」「良くない」だけにするというのが無難でしょうか。
特にSteamは「圧倒的に好評」「非常に好評」といった高評価率を主に参照されているわけで、
なおさら文化の違いでブレる5段階評価は不要だと思います。


果たして10年後、5段階評価はまだ生きているのか否か……。
まぁでも、個人的には音楽のマイレートはずっと生きていてくれないと困りますが……。
蛇足ですが、音楽はマイレートの他に「好き」という基準ができてさりげなく両立が実現しているんですよね。
ローカルは5段階、集合知としての評価は2段階という音楽における評価基準がある意味理想的なのかも?


#7920

ノベルゲームのゲーム性

今日の出来事ゲーム一般

1ヶ月ほど前でしょうか、Discordのボイチャでノベルゲームの話になって、
「ノベルゲームはゲームと言っていいのか?」と冗談混じりに突っ込んだら戦争になりかけたので、
大事になる前に引き下がったということがありました。


この問題提起に対する自分の立場は、「ゲームと言えなくないが、『ゲーム性』はきわめて薄い」という考えです。
ゲーム性とは何かということに関してはまだ整理しきれていない部分もあり発展途上なのですが、
少なくとも「なんらかの入力装置があり、その入力によって結果が変わること」は必須条件だと思っています。
たとえばムービーゲームと揶揄されるような、カットインがあまりにも多いRPGがあったとします。
これをゲームたらしめているのはカットイン(動画)以外の戦闘だったり移動だったりするわけで、
動画部分そのものはQTE(動画中にボタンを押す指示がありその成否によって結果が変わるシステム)
が無いかぎりはゲームとは言えないでしょう。
ノベルゲームについても、セリフをAボタンでスクロールして読む部分については、
入力装置は使っているものの「入力によって結果が変わる」という条件を満たしていないのでゲームではありません。


ノベルゲームをかろうじてゲームたらしめているのはゲーム中の選択肢の存在です。
これによってマルチエンディングが用意されており、それをユーザーが選べるのでなんとかゲームが成立している。
もし、ノベルゲームの構成が「シナリオ、選択肢、イラスト」のみだったら、
それはいわゆるゲームブックと同じでありデジタルゲームにする必要さえありません。
そういう意味では「ゲームだが、デジタルゲームである必要性が無い」と批判することはできそう。
「ムービーがあるから本では成立しない」と反論されたところで、そもそもムービー部分はゲームではありません。
要するにノベルゲームは「デジタルゲームプラットフォームに便乗した芸術品」であるわけです。
『スーパーマリオメーカー』における「全自動マリオ」系の作品なんかも同じ括りでしょう。
あれはゲームプラットフォームに作られた『スーパーマリオメーカー』というプラットフォームの中に作られた芸術品です。


結局のところ、ノベルゲームはゲーム性という枠組みでは
本当にギリギリの定義に足をかけているに過ぎない存在、と言わざるを得ません。
ただこれをノベルゲームファンに言ったところで反感を買うだけでしょうから言いませんが。
いや、そもそも本当のノベルゲームファンはこれがいわゆるゲームでないことを十分承知でしょう。
本当のファンなら「ノベルゲームはゲームじゃない」と言われたところで眉ひとつ動かさない気がします。


もちろんこれは、ノベルゲームが面白いかそうでないかとはまったく関係ない話です。
まぁノベルゲームが面白い≒ストーリーが面白いという話ではありそうですが、
個人的にはそういった文脈とはまた違ってノベルゲームらしさに対して「面白そうだな」と思うことはあります。
先日、VTuber宝鐘マリンさんの切り抜き動画を見たのですが、
そこで「『ときめきメモリアル』の爆弾システムは現実の女子社会のリアルを反映している」という話があり、
こういうのはノベルゲーム特有の面白さかもと思いました。
ときメモといえば恋愛ゲームの代表作ですが、すでに好感度が高い女の子のデートを断るなどして期待に沿わないと、
「俺君が〇〇ちゃんに対して冷たくしている」と女子ネットワーク間で情報共有され、
好感度の高い女子が所属しているグループ全体から白い目で見られるということがあるというんですね。
このとき、好感度の高い女子は心傷を負って爆弾マークが点灯し、
それでもなおこちらから改善のために行動しないといずれ爆発して好感度が激減するというイベントが起きると。
この辺は女子のリアルな心理をしっかり反映していて面白いです。


自分もかつて『パワプロクンポケット』シリーズを何作かプレイして、何人かの女の子を攻略しました。
このゲームは野球パートとストーリーパート(筋トレ、バイト、デートなどをする部分)で明確に分かれていて、
サクセスパートはいわゆるノベルゲーム的な構成になっています。
確かに思い返してみれば、女の子の攻略はそれなりに熱中したし達成感もあったし面白かったような気がします。
「告白成功まで行けるかどうか際どい」という状況にこそノベルゲームの面白さがあるのかもしれませんね。
そこに駆け引きがあるのだとしたら、それもまたゲーム性と言えるでしょう。
ノベルゲームは「ボタンの入力による成否」とはまた違う文脈でゲーム性を担保しているゲーム……
と言えなくもないですが、まぁそれはそれなりに出来が良いノベルゲームに限られるんだろうなとも思います。


自分にとってノベルゲームは未開拓の世界ですが、正直ハードルは高いです。
先述の面白さが内包されているよっぽどの名作ならやってみたいけれど、凡作にはまず手が出ないでしょう。
ただ、いわゆるゲーム性の豊かなゲームにちょっと疲れつつあることを自覚している昨今を踏まえると、
もしかしたら中年期以降の救世主にもなりうるのではとも思っています。
まぁ、とはいえ今後はAIに取って代わられる分野でもあると思いますけどね。


#7903

ゲーム意欲の思い出補正

今日の出来事ゲーム一般

今日は『ドンキーコングバナンザ』のストーリー終盤が盛り上がり、たぶんラスボス手前まで行きました。
ちゃんとエンディングを迎えたら総括を書こうと思います。


Nintendo Switch 2最序盤のファーストパーティ大型タイトルは現時点で3つあり、
ロンチの『マリオカートワールド』、07月発売の『ドンキーコングバナンザ』、秋発売の『カービィのエアライダー』と、
どれもが大本命と言えるほど無難に楽しめるライト層向けのビッグタイトルが続いています。
現在3作目であるエアライダーを心待ちにしながら2作目のバナンザを楽しんでいるというフェーズになります。
自分にとってNintendo Switch 2は、最近灯火が消えかけていた自分のゲーマー魂に再点火することを託された、
ゲーマー人生の分岐点となるハードという位置付けでした。
そしていまのところ点火作業はかなり順調のように思えます。
……というより、これくらいのテンションが本来の自分だったのではないかと最近思うようになってきました。
つまり過去の自分のゲームに対する熱意は思い出補正によって過大評価されていて、
本来の自分のゲームに対する熱というのは今現在とさほど変わりないのではないかと。


これは、バナンザ購入後に久々にコンシューマーゲーム購入一覧を整理していて思ったことです。
確かに2022〜2024年は自分のゲーム遍歴の中でも飛び抜けて不遇の年で、
かろうじて『ピクミン4』が面目を守っている以外でヒットタイトルは皆無でした。
これが3年続くとさすがに自分にとってゲームが衰退したと感じるには十分な説得力があります。
ただ、じゃあ上京前社会人時代はどうなのかと言われるとそこまで大きな差があるわけでもないんですよね。
特に2019年なんかは実家にいるにも関わらず、
正直ベースでそれなりにヒットと言えるのは『ポケットモンスター ソード』の1本のみ。
しかもそれ自体も過去作と違ってバトルタワー用パーティを作るまでやり込んだわけでもない。
それ以前も各年でたまたま1〜2本のヒットタイトルに恵まれてはいるものの、
それを除くと大してハマっているわけでもない中小規模もしくはハズレのタイトルが並びます。
これは近年よく書いていた「実家暮らしが終わったからゲームが衰退した」という定説を否定する事実です。
確かに思い返せば2019年時点でゲーム自体の衰退は始まっていたような気がする。
一人暮らし再開で家族という遊び相手がいなくなったからこそ衰退したのだと思っていましたが、違うのかもしれません。


そこへ来ると今年は『マリオカートワールド』をすでに30時間以上遊んでいて、
続く『ドンキーコングバナンザ』も期待通りに面白く、両タイトルは今年のヒットと言っても良いと思っています。
これだけで2019年に匹敵するかそれ以上にゲームをプレイしている実感はあります。
こう考えると、2019〜2024年はちゃんとゲームを探す作業を怠ってきただけで、
別に上京したから自分のゲーム意欲そのものが減衰したわけでもないのではという感じもする。
そして諸々ゲームどころではなかった状況からヒット作に手を伸ばしづらい心理的ハードルができていたところ、
Switch2の当選によってそのハードルがいい感じに壊れてくれたのだと思っています。
もしいまだ本体が手元に無かったら180度違うことを考えていたことでしょう。


マリカワールド→バナンザと非常に良い流れができているので、この勢いは保ちたいところですね。
2022〜2024年はゲーム業界そのものが不作だったわけではないと思うので、
遡れば見逃している大作もたくさんあるはず。
もしエアライダーまで少し待つことになるのなら、この流れに沿って1本遡って買うのもアリかなと思っています。
ファーストパーティ(=任天堂タイトル)ですぐ思い浮かぶ候補としては、
ブレワイ、ファミコン世界大会、『ペーパーマリオRPG』、はじめてゲームプログラミングなどがあります。
ブレワイが少々重いですが、いまならどれも楽しめそう。
こういう気構えが少し前の自分には欠けていたのかもしれないとふと思いました。


いずれにしろ、Switch 2で掴んだ手綱は離さぬよう、1粒ずつしっかり味わって楽しむようにしたいところです。


#7884

着手までのハードル

今日の出来事ゲーム一般

『ドンキーコングバナンザ』発売日ですが着手はせず、
例のゲーム会で元同僚と『PEAK』という協力系ローグライク登山アクションを遊んでいました。
『PEAK』についてまだ語れることは少ないのですが、
とりあえず有望そうではあるので次週もやってみようということにはなりました。
これ自体はまあまあ流行っていてインディーゲームの中ではホットなタイトルみたいです。


『ドンキーコングバナンザ』は最速昨日の深夜からプレイすること自体はできたのですが、
昨夜はゲーム系コミュニティのボイスチャットルームでお茶を濁していたので結局プレイせず。
かといって珍しく仕事はやることがある状態なのでこのタイミングで有休を取って昼間にプレイするのも微妙。
なによりいま、生成AIによる画像生成が自分の中で絶賛大ブームを迎えており、
オデッセイ級のビッグタイトルといえども心理的にゲームが入り込む余地が少ないのは事実です。
果たして、このままバナンザを積まずにクリアすることはできるのか……少し不安になってきました。


一方でゲーム会は先々月末時点では敵がいい感じに弱かった『Apex Legends』が再び暗礁に乗り上げていたため、
まだ本当に有望株かどうか分かりませんが元同僚が『PEAK』というゲームを発掘してくれて助かりました。
思えば去年末ごろはかなりの行き詰まり感がありましたが、
冷静に考えてみれば基本無料ないし安いマルチプレイゲームを探すという基本的な準備を怠っていた感は否めません。
そこにすら気づかないほど自分がもうゲームそのものへの熱が冷めてしまったということなんでしょうか。
まぁ、いちおう探して提案したりもしたんですけどね。
こないだは2022年元日に買ってあった積みゲー『Core Keeper』を提案してみたんですが、
試しに自分がプレイしてみたところイマイチ面白さを理解できないということであっという間にポシャりました。
他にもマルチを念頭に置いた積みゲーは多数ありますが、
もう買ったときの熱意は残っていないのでどれもこれも厳しそうです。
おそらく、どれもこれも上京前ならそれなりに楽しめていたはずのタイトルを厳選してはいるんですけどね。
いかんせんこの数年で自分の方が変わりすぎてしまった感。


そう考えると、引き続きゲーム会の存続については気を抜かないように気をつけたいところです。
ある意味ここがゲーマーとしての生命線なのかもしれない。
つくづく思うんですが、自分がここからゲームにものすごく興味を持てるようになる可能性はあるんだろうか……?
環境的な要因で一時的に下火になっているのか、もう落ちる一方なのか……まだ分かりかねるところです。
前者であって欲しい気はするんですけどね。


#7828

アチーブメント機能の誘惑

今日の出来事ゲーム一般

長年迷走している「マルチプラットフォームのゲームはどのプラットフォームで買うべきか」という問題。
そもそも自分は2002年から購入したゲームをリスト管理していて、
いまのところSteam(PCゲーム)、コンシューマーゲーム、スマホゲームの3カテゴリで分かれています。
近年は特にインディーズゲームの場合、まずSteamでリリースし、
その後しばらくの期間を空けてNintendo Switchにもリリースするというようなケースが見られるようになり、
基本的にはSwitchかスマホ、なるべくならSwitchにゲームを集約したい自分としては、
SteamとSwitchで重複購入してしまうケースがよく発生するようになりました。


リスト管理に関する現時点の結論としては、まずPCゲームとコンシューマーゲームは統合し、
マスターデータにおいて同一タイトルは最初に購入したもののみをカウントするという運用方法が有望です。
そしてマルチプラットフォームの購入優先度は、Switch>Steamというところまでは明確。
Switchに存在しなければSteamで買い、のちにSwitchにリリースされたら躊躇わずに重複購入してしまう。
Switch最大のネックだったスペック問題も来月出るSwitch 2で解決するため、
この本体を自分にとって最大のゲームライブラリにすることに異論は無い……はずでした。


しかしここに来て、SwitchではなくSteamを優先したいケースもないわけではないことに気づいてしまったのです。
それは「実績機能」の存在。一定条件をクリアするとトロフィーがもらえるというアレですね。
実績(=アチーブメント)は基本的にSwitch以外のプラットフォームではOSレベルで搭載されているのですが、
任天堂のゲーム機だけは伝統的にそういった機能はサポートされていません。
それはSwitch 2でも同様のようです。
完全ソロプレイ前提だがやり込みの機運があるようなゲームを購入するような場合、
アチーブメントの存在がそのやり込みの「証」になるという側面があるのは否定しがたく、
これを考慮すると任天堂機以外で買うという選択肢も十分あります。
そもそもこんなのは個人のこだわりによって決めるものなのでこういう具体的な理由が出てきてしまうと困るわけです。
さらに、最近はコンシューマーで出るタイトルはスマホにも出るという傾向がさらにこの問題を複雑にしています。


基本的に自分が「Switch>Steam」という優先度を維持しているのは
ゲーム機に対する着手のしやすさが根拠になっています。
Steamは現状ゲームのためだけにデスクトップPCを起動してコントローラーを接続しないといけないため、
Dockからさっと取り出して始められるSwitchと比べると手軽さの面で圧倒的に劣っています。
その点を重視してSwitchを優先している以上、
手軽さでさらに上を行くスマホにも展開されるとスマホには勝てません。
しかも、スマホ(iPhone)にはGame Centerというアチーブメントシステムがちゃんと備わっています。
結局これが最強のゲーム機ということになってしまうんですよね。
唯一大きな欠点として物理キーが必要な場合にゲームパッドを用意するのが面倒という問題があり、
物理キーありきのゲームならSwitchを優先してもいいと思いますが……。


結局、マルチプラットフォームゲームをどれで買うかという問題はケースバイケースで答えが異なるので、
包括的な方針を決めても意味がないと言ってしまえばそうなのかもしれません。
そもそも絶対的なプレイ時間が減っているいま、こんな瑣末なことを考えてもしょうがない感はある。
いや、むしろゲームと表面的にしか向き合っていないからこそこういう問題が気になるのであって、
ゲームを素直にプレイしていたら本来そこまで気にならない問題なのかもしれません。


#7719

ゲームの楽しみ方と集合知

昨日の続きになりますが、ポケポケで「ダークライEX」さえ来れば強そうなデッキが完成するということで
ここぞとばかりに貯め込んでいた砂時計を使って10連を引き、見事に爆死しました。
そして、それでもデッキを組めるタイプはないものかとカードライブラリを見返す中で、
超タイプの「ヨノワール」が目に留まりました。
ヨノワールは2進化ポケモンで、自分の任意のポケモンからダメージをヨノワールに移し替える特性を持ちます。
ヨノワール自身のHPは130となんとも言えないラインですが、
前線に立つポケモンの場持ちをかなり良くする効果と言えます。


ふと、これを「フシギバナEX」「シェイミ」などの草ポケモンと組み合わせるのはどうかと思いつきました。
フシギバナEXはHP190という現環境でトップクラスの耐久性能を持ち、
しかも4エネわざは自身のHPを30回復するという耐久性能を補助する効果を持っています。
また、シェイミは毎ターン味方全体のHPを回復する特性を持っています。ラフレシアの軽量版ですね。


フシギバナEXを前線に出して、ヨノワールをベンチで待機させておけば1度は受けたダメージを全部請け負える。
フシギバナEX自身の効果やエリカ、きずぐすりなどのサポートカードを駆使しつつ、
シェイミやラフレシアがフシギバナをサポートするついでにヨノワールが請け負ったダメージも徐々に消化する。
ヨノワール自身のダメージをある程度回復すればフシギバナEXは2回目の全回復も狙っていけます。
これにゴツゴツメットなども組み合わせれば、長期戦になればなるほど有利な陣営が完成します。
ヨノワールは特性しか使わないので超エネルギーは必要ありません。


まぁ、実際これが通用するのかは分かりません。
あいにくフシギバナEXは持っていないので試しようがない……ですが、
このエピソードを試しもしないのに書いたのはそれよりも重要なことを思い出したからです。
それは、ゲームに限らず娯楽というものは自分から「見出す」ものだということ。


13年前、芸術というものは好意的な解釈によって色付くもので、
それは自己中心的のようで実は芸術や文化を楽しむうえで重要な要素なのだと書きました(#03040 / 2012年06月12日)。
これはローアーケース(ごく小さな音や可聴域外の音を使った音楽)やジョン・ケージの「4分33秒」など
極端に前衛的な音楽との出会いから見出した価値観ですが、これはゲームにも言えると思います。


いわゆる「企業系Wiki」が跋扈するようになって久しいですが、
ポケポケのように構築(ビルド)が存在するようなゲームの場合、
企業系Wikiなどの集合知には必ず「このデッキテーマの結論構成はこれ!」というようなコンテンツがあります。
格闘ゲームやMOBAなどキャラ性能が異なるゲームなら、性能を格付けした「ティアランク」というものがあります。
しかし、そういうものが存在し、検索すればすぐに出てくるほど近い距離にあるおかげで、
我々現代ゲーマーは試行錯誤する楽しみを忘れているのかもしれません。
最近だとその試行錯誤をインフルエンサーが肩代わりしていることもあり、潮流としては加速していると思います。


試行錯誤した結果、要素と要素の間により良いシナジーを発見すること。
それ自体も本来はゲームの大きな楽しみであったはずです。
しかし昨今はその過程はネットの集合知や有名人が担うようになり、リリースとほぼ同時に結論が出てしまう。
そうすると、結論とされるシナジーを下回る構築をたとえ思いついても「使ってもしょうがないか」となるわけです。
ネットの集合知やガチ勢を上回るシナジーを発見するのもなかなかしんどいので、
よほどの情熱がないかぎりは検索すればいいかとなってしまう。


ポケポケは本来、引いたカードの中だけで試行錯誤することも楽しみのひとつとして意図されているはずです。
しかし結論構成が目の前にある状況では、それを持っているか否かで格差を感じてしまう。
持っていなかったら課金して引くしかない、というのはいかにも思考停止のようですが、
実際にヨノワールを見る前の自分もそういう思考に囚われていました。
ダークライEXを引かなければバトルに参加する価値は無いだろうと。
しかしそれはあまりにもゲームの本質を見失っていると、ある意味ヨノワールが教えてくれました。
まぁ、ヨノワールデッキを作るにしても結局フシギバナEXを引き当てないといけないのですが……。


明らかにティアランクが低いキャラやデッキを使って勝率が悪いのは馬鹿げている。
確かに現代において、それに対して正面から反論するのは難しいのかもしれません。
しかし、そもそもそれは「ゲームを楽しむ」ということからどこか逸れていないかと思うわけです。
ネットの集合知をシャットアウトして、ゲーム内情報のみを頼りに能動的に楽しみを見出すこと。
それこそが本来のゲームの基本的な楽しみ方であり、
昨今ゲーム意欲の減衰を感じる自分に足りていなかった行動なのかもしれません。
ポケポケの今回の新パックについてはもうダークライEXという存在を知ってしまったので如何ともしがたいですが、
次パックからはネタバレを徹底回避する方向で動くのもアリかなと思っています。
『原神』は天井があるのでいいですが、ポケポケはピンポイントで欲しいとなると沼りますからね……(3敗中)。


#7616

ゲーム会の存続危機

今日の出来事ゲーム一般

今年は年初以来、「改めてソロプレイゲームをやろう!」という機運が高まったかと思えば、
もうゲーマーとしての人生は終わったかもと思ったりするなどゲーム関連のモチベの起伏が非常に激しいのですが、
基本的には圧倒的に後者である時間が長く、
ピクミン以外のゲームプレイ時間は2021年以降の低迷を抜けていません。
そしてこれは少なからず2020年から続く同僚とのゲーム会にも悪影響を及ぼしており、
直近でも結局ゲームに関しては承認欲求ありきという価値観は捨てきれないと考えました(#07605 / 2024年10月12日)。
また、去年末からは画面共有で見るだけという交流の在り方を新規開拓し、
これならモチベ低迷していてもゲーム会の存続はできるだろうと思っていた矢先、
『Detoroit: Human Become』ではプレイしている同僚より先に見るだけの自分が飽きてリタイアするという、
かなり情けない事案も起きてしまいました(#07546 / 2024年08月14日)。


そんな矢先、ともすれば31年ぶりの期待作とも言える『ゼルダの伝説 知恵のかりもの』を迷った末に買い、
当然自分にモチベがあるゲームなら画面共有で遊ぶネタになるということでゲーム会でも遊んでみました。
というか半ばゲーム会のために買ったようなところがあります。
しかし、結局プレイしたのは最初のダンジョンをクリアしたところまで。
それ以降は同僚に続きを見たいと言われても自分の中でどうしても続きをやりたくない心理が強く、
お断りし続けているような状況になっています。


なぜ、ここまで状況が揃っているのにやりたくないと思ってしまうのか?
これは、プレイスキル格差や意欲格差によって少なからず自尊心が傷つけられるからだと思っています。
同僚はいままで関わった人の中でもゲームがかなり上手い方で、
一方でここ数年の自分はもうゲームそのものへの興味を失いかけているくらいなので、当然プレイスキルも及びません。
そうすると画面共有で配信しても、どうしても見ている方の立場が強くなってしまう。
同僚がいわゆる「指示厨」になってしまうわけで、こちらとしてはあんまり面白くないわけです。
結局、条件が揃っていてもプレイする側にある程度の熱意が無いと台無しになってしまうんですね。
こういう場合、むしろ完全ソロプレイで遊ぶ方が有望であるとすら感じます。
思えば年初の『風来のシレン6』もそうした熱意の差が浮き彫りになった結果、モチベが潰えた例でした。


この状況をどうしたら打開できるのか、というのはずっと考えてきたことですが結論は出ていません。
交友関係が長期化してきたことにより、若干自分のメンヘラ気質なところが出てきているのかな……とも思うし、
いままで話してきた感じだとゲームの好み自体はほぼ180度と言っていいほど違うので、
そういう好みの違いをお互いに、あるいは自分が尊重できていないのかもしれません。
いずれにしろ、自分の期待作をゲーム会に持ち寄るというのはもう悪手だと考えています。
むしろ期待していない軽めのタイトルの方がいいのかも?


同僚の『モンスターハンターワールド』も今週で完全クリアとなり、
やることがなくなってしまったので次週以降は様子見ということになってしまいました。
ずーっと週1で継続してこれたのですが、いよいよこのペースでも危うくなってきています。
つくづく、ゲーム会の最初期に『Apex Legends』で盛り上がったのは奇跡だったんだろうなと。
あの頃の勢いをどうにかして取り戻せないものだろうか……。


#7359

ゲーマーに向いていない

今日の出来事ゲーム一般

なんというか、自分という人間を根幹から否定しかねないあることに気づいてしまいました。
「もしかして自分はそもそもゲーマーに向いていないのでは?」という。


ゲームを取り巻く文化は好きで、それはもう後戻りできないところに来ていると思う。
でも、「ゲームをプレイする」という体験が好きなのか……これは近年かなり疑わしいところがある。
最近で言うと『Apex Legends』『風来のシレン6』、
あと最近ちょいちょい復活しようとして結局成果が出ていない『ピクミン4』などなど、
ここ1年のゲームプレイを思い返すと結果が出ていないだけでなく、
イライラしているケースが多いことに気づきました。
実生活、それこそ仕事よりも圧倒的にゲームでイライラする機会の方が多い。
実生活は基本的に「すでにできること」で構成されたルーチンであり
無理に「できないこと」に真正面から立ち向かう必要は無く、
したがって挫折を経験することもあまりありません。


ゲームに関しては少なからず理不尽を強いられることもあり、
またゲームプレイの結果で他者に認められようと思ったらかなり高いハードルを越える必要があります。
かといって他者承認無しだとそれはそれで虚しさを否定できない。
そしてそのハードルを乗り越える途中で生じるストレスに、もう自分の心が耐えられないんですよね。
昨日も知り合いの前で『風来のシレン6』をプレイしていたのですが、
理不尽な死に方をしてかなりイラッとしてしまいました。
継続していたら知り合いからの心証を悪くしかねないと思ったのですぐやめましたが、
「本当は楽しいはずのゲームでなんでこんな気持ちにならないといけないんだろう……」
と思ったのも事実です。
とはいえ、ゲームの面白さとはそういったストレスを乗り越える過程にこそあり、
心に負荷がかかるのを一切排除したところでゲームは楽しめないでしょう。
金銭(ガチャ)、時間(放置系)など別のコストを差し出すならまた話は違いますが。


過去にこのブログで何度も書いている通り、
自分はゲームをプレイする動機を他者承認に強く求めてきたという経緯があります。
これは2016年以降、もはややり込みプレイをしなくなってから特に顕著ですが、
ゲームをするようになった時点で家族という一緒にゲームをする相手がいたという点では、
幼少期の頃からすでに「他人に認めてもらいたいからやる」という動機があった可能性も否定できません。
他者承認関係なくゲームをすることもゼロではないのですが、比率としてはごく小さい。
年に数日あるかどうかといったレベルで、少なくともメインの趣味とは言い難い。


自分は幼少期からずっとゲームに親しんできたので、ゲームがメインの趣味だと思っていました。
しかしその実、もうプレイヤーとしてはとっくに衰えていて、
趣味とは言えないレベルにまでなっていたのではないかと改めて感じました。
他者承認を動機とするゲームプレイを一切排除すると、
2016年以降はほとんどゲームはしていないということになってしまうからです。


とは言えこの考え方は、ストレス耐性が極端に低くなっていて
「ゲームを楽しむ」というレベルにすら達していない、というのが根本要因という前提がありますが、
それ自体を生み出している要因がゲームそのものにあると限らないのがこの問題の難しいところです。
実は仕事など他の何かのせいでストレス耐性が低くなっていてゲームは楽しめないものの、
「ストレス耐性が低い」という要因を取り除けばゲームは心から楽しいと言えるのかもしれない。


まあ、いずれにしろ何も考えずにゲームを楽しめるような状況ではないのは確かです。
もはやゲームも仕事と同じく、心身ともに健康でないと着手は難しいということなのでしょう。
これがそもそも加齢によるものなのか否かについてはなんとも言えないところですが。


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