Chrononglyph

法学

#8091

憲法改正の機運

今日の出来事法学

珍しく政治の話です。
高市政権が実施した衆議院議員の解散総選挙によって、衆議院は与党が3分の2以上の議席を占拠することとなりました。
316議席というのは与党としては過去最高だそうです。
正直、ここまで圧勝するとは思いませんでした。野党に準備時間を与えなかったのが大きいのでしょうか。


3分の2の議席をゲットするとかなりの優越性が認められ、
たとえば参議院で否決されても衆議院で3分の2の賛成があればゴリ押し可決することができたりするわけですが、
おそらくいまの世界情勢を踏まえてもっとも注目されているのは憲法改正に関する権限でしょう。
日本の憲法は①衆議院で3分の2以上の賛成、②参議院で3分の2以上の賛成、③国民投票で過半数の賛成、
という3重の壁によってそうそう簡単には改正できないようになっており、
これによって、周知の通り日本国憲法は今年で公布から80年になりますが一度たりとも改正されていません。


しかし今回の選挙によって与党は3分の2議席を獲得しているため、
憲法改正を望むならすでに第1の壁は突破したことになります。
もしも2028年までに実施される次の参議院選挙でも与党が圧勝すれば、残る壁は国民投票のみ。
同じく憲法改正を目指していた安倍政権と比べてもかなり現実的になってきたような雰囲気を感じます。
となると、「本当に憲法改正は必要なのか?」ということを国ぐるみで議論するようなフェーズがいずれ到来するでしょう。
そのとき、世の中がどんな風になるのかは想像つきません。
国民投票の一票の重みは選挙とは段違いなわけで、そこかしこで(特にネットで)さまざまな議論が交わされるのでしょう。
あるいは愚民を先導(扇動)すると言わんばかりに政治活動が盛んになるんだろうか。
もし国民投票まで行く見通しなら、フェイクニュース関連は罰則を強化した方がいいような気はしますけどね。
これだけの大事になるとどんな手を使ってでも賛成(反対)に入れさせたいと考える人は少なくないはず。
まぁでも、改正案がどんなものになるのかによっても議論の毛色は相当変わってくるんじゃないかと思います。
9条だけ手を加えるのか、それともここぞとばかりにがっつり改憲するのか……。


自分は現段階でなぜ改憲が必要なのかについてもしっくり来ていない無知な国民なので、
本当に改憲ムードが高まってきたらそれなりに勉強する必要がありそうです。
もし本当に国民投票の機会があるとしたら、それはまさに時代の節目に当事者として立ち会うということ。
ふだんの選挙と違って心から納得できる方に投票したいものです。


#7627

個人の憲法を作る

何日か前に「瑠璃野ねも」というVTuberの眠くなるまで民法を読み上げるASMR配信 が話題になりました。
眠くなるまで? まあ長くても3時間くらいだろうなあ……と思ったらまさかの11時間50分!?!?
かわいい声で小難しい内容をひたすら読み上げるというのは自分にはかなり刺さる内容でした。
ASMRは長時間であることに意味があり、
20分そこらで終わってしまう動画は内容が魅力的でもあまりリピートしたくなりません。
この内容で12時間というのは中の人はニーズを「理解」っているとしか……。
このぶっ飛んだ方向性は、単調で面白みのない耳かき配信が跋扈する昨今のASMRに投じられた巨石とも言えるでしょう。
これからはこうした専門特化で工夫を凝らしたハイレベルなASMRがどんどん出てきて、
にわかには参入しにくい文化になっていくのではないでしょうか。……いや、もうなっているかも。
手帳コラージュ、水彩画、ヘアメイクロールプレイなど既知のASMRも思い返せばかなりハイレベルだし。
耳かき配信は最初期によく聴いていましたが、そういえば最近はもう聴かなくなって久しいです。


ところで、こういうものに触れると万年万物にわかな自分は触発されて法律への興味も高まるのですが、
その中で法律を超越した概念として「自然法」あるいは「自然権」なるものがあると知りました。
日本では日本国憲法が最高法規であることは常識として知られており、憲法と矛盾する法律は無効になります。
それと同様に人類普遍の原則を自然法といい、
自然法論とは自然法と国の最高法規が矛盾するようであれば自然法の方を適用すべきというような考え方です
(法学徒のみなさん、間違っていたらごめんなさい)。
これはたとえば戦争の放棄をうたう第9条の是非を巡る議論でも登場します。
憲法は戦争の放棄をうたっているが、他国が一方的に攻めてきた際に自己防衛のために反撃したら違憲になるのか、
いや「正当防衛」は自然権なのだからそれは反撃したとしても違憲ではない……みたいに使われるわけですね。


ここでの「普遍の法則」とは、人類の歴史の中で一貫して正しいとされている道徳的価値観、あるいは理性を言い、
たとえば黄金律(自分がしてもらいたいことを他人にせよ / 自分がされたくないことは他人にするべからず)
などが当てはまります。
現代において黄金律が本当に普遍の価値観なのかという議論はさておき、
こうしたことは時の政府や立法機関というよりは宗教や哲学者によって見出されてきました。
日本は特定の宗教が根付いていない国なので(「宗教文化」はものすごく身近ですが)、
黄金律のような概念の重要性はなかなか実感できないのではないかと思います。
だからこそ市井に蔓延る基本ルールがどんどん複雑化して窮屈さを感じやすくなっているのではないでしょうか。
そこを客観視でき、しかもシンプルで誰にも分かりやすい形で明文化されているのは宗教の便利なところです。


かつて、丸善丸の内本店でたまたま見かけたウィトゲンシュタインの本に触発されて
「ブログに書いた普遍的な価値観を集約できないか」と思いついたことがありました(#06271 / 2021年02月17日)。
20年以上もブログを続けていると個人の価値観もどんどん移り変わっていきますが、
その中でもずっと変わらない「真理」と言っても差し支えないような価値観も少なくありません。
それを集めて集約すれば文字通りに自分にとってのバイブルになるのではないか、という話です。
この計画を実行するのはまだまだ先ですが、今回の件で若干解像度が上がった気がします。
すなわち、ブログの集約結果としての「個人の憲法」を作るという計画。
これを実現するためにも、書いたら終わりではなく過去のアーカイブともきちんと向き合っていきたいところです。