Chrononglyph

ブログの運営方針

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#7931

超ブログ集中週間

さて、このブログも22年目に突入です。
08月下旬、つまり21年目としてのラストスパートは「超ブログ集中週間」としてブログに注力しました。
それにより、最大で5日分の貯金を生み出すことができました。
つまり5日分のストック記事があるので、最長5日ブログを書かなくても良くなるというわけです。
その結果、ブログ以外の作業がとっても捗る……といったことはまったくありませんでした。
ブログを書きまくる生活が短期的に続いたため、軽いブログ依存になりさらに書きたくなってしまう。
むしろブログ以外の作業はますますできなくなったと感じます。
今日の分はもう書いてある、と言い聞かせても無意味で、1日1本書かなければ気が済みませんでした。
いままで割と追われながら書いていたので気づきませんでしたが、
自分はもうとっくにブログに取り憑かれたモンスターになっていたということです。


とはいえこの状況は、現状ブログ以外の活動が過渡期で相当枯渇しているという現実もあるため、
「ブログを1本書く」というのが確実に行動できるタスクとして無難な選択肢というのもあります。
それ以外はどれもこれも着手しがたい心理的ハードルがそれなりに高いし、そもそも選択肢が多すぎる。
「何かを選ぶ」ということはそれなりに脳のリソースを食うらしく、
だからこそ何も考えずとも昨日の続きで書けるブログに流れやすいというのもあるでしょう。


この解決策をChatGPTくんにちょっと相談したところ、意思決定リソースを極限まで絞るのが良いと返ってきました。
たとえば「コーヒーを飲んだら必ず〇〇をする」というルールを作り、
意思決定しなくてもタスクを始められるようにするという行動経済学的なアプローチ。
「〇〇をする」の中身を極限まで簡略化し、その最初の1歩だけやると決める認知行動療法的アプローチ。
たとえば「小説を書く」というタスクなら、「ノートを開く」を最初のタスクにする。
こうすることによって着手ハードルを極限まで低くして、最初のタスクをトリガーにして後続を誘発させるわけですね。
あとは選択は午前中に行う、とりあえず選択肢を3つに絞る、タスクをこなしたら他人に話す、
といったアプローチが紹介されており、どれもまあまあ有用そうな雰囲気です。


自分は不定期で行動力が完全に枯渇して何もできなくなることがあり、おそらくいまがその時期だと思います。
だいたい年に3〜4回くらい出くわすイメージがある。
抑うつ状態と言い切るほど憂鬱でもないが、明らかに活動が停滞してしまうんですよね。
そしてこれは変に沼るとかなり長期化することがあり、楽観的に構えている余裕はありません。
2024年は上半期がおそらくこれで丸々消費してしまい、気が付いたら下半期に突入していて絶望した覚えがあります。
今後もおそらく出くわすはずなので、明確に解決できる手段を確立したいところではある。
そして、こういうときはブログだけは捗ると。
理由は先述の通り、ブログは何も考えなくても書けるからです。
ブログを書いているから行動力が枯渇しているのか、行動力が枯渇しているからブログを書いてしまうのか……
どちらが先かわかりませんが、とにかく意図的にこの状況から脱出できる手段は欲しい。


すぐに思いつくのが実家帰省です。環境を変えて気分転換するのが良いということですね。
あとは他人と話すこともかなり実効性はありそう。
要は精神的に良いことをするという基本に立ち帰るのが有効だということで、
この場合禁忌とされることはそのまま精神衛生上悪いことだと言えます。昨日と同じような一日を過ごすとか。


22年目のブログは「脱ひとりよがり」をコンセプトにしようと思っています。
つまり自分が読むために書いていけばいいや、ではなく少しでもいいから他者に読まれる工夫をする。
従前から企画している出張記事もそうですが、ブログPR用のSNSアカウントで少し宣伝してみるなど、
3代目中期までやっていたプロモーションを復活させようという目論見です。
そうすることでブログは単に行動力が枯渇した際の依存先ではなくなり、
もう少し有意義なプラットフォームとして機能するようになるんじゃないかと期待しているわけですね。
まあ、コメント機能を解禁するのは相当先になると思いますが。


2023年の非公開運営期間をどん底として、ここ数年安定化に向けて大きく変化した本家ブログですが、
自分にとって価値があるものと胸を張って言えるようなモノに改めて育てていければと思っています。


#7820

いいねボタン復活

このブログのシステム面で年初からの課題だったDockerコンテナ内でビルドできない問題を完全解決し、
さらに同日内で「いいね」ボタンの実装ができました。
もちろん自分にここまでできるスキルがあるわけではなく、ChatGPTの推論特化型モデル「GPT4o3」のおかげです。
o3は最低でも月3,000円課金していないと使えず、課金していたとしても利用回数に制限がある高級モデルです。
無制限で使える「GPT4o」も十分賢いと思っていたのですが、
ことプログラミングなどの推論に関してはo3はさらに突出しているというイメージです。
4oでは一度匙を投げたビルド問題もo3はすんなり解決してくれました。
「いいね」ボタンも、ちゃんとイメージして正確な要件を細かく書いて出してしまえばあとは全部やってくれます。
これまではAIにコードを書いてもらったところでちゃんと動かないことも多いイメージでしたが、
今回は複雑な要件のわりにかなりすんなり実現できました。


ブログに「いいね」ボタンを搭載したのは、ブログを「表の活動」に昇華するための活動の一環です。
このブログは3代目移転(2014年)からはほぼネット上の引きこもりみたいな状態でやってきました。
他者のフィードバックを拒絶し、ただただ自分のだけために書き続ける。
結果、それでもなお続けていけるということが分かってしまったので継続だけが目的ならこれでもいいですが、
このままだとこれ以上の執筆環境は永遠に望めなくなるし、
そもそもフィードバックを拒絶するなら公開運営を続ける意味がありません。
そこでかすかでもいいから読者の存在を感じたいというのが「いいね」ボタン設置の主旨です。
それは少なからず執筆のためのエネルギーになり、ブログをさらに発展させる礎になると思うからです。
いままではブログは裏の活動と割り切って社会から断絶してきましたが、そろそろ逃げるのもやめようかなと。
コメント機能を搭載するのはまだちょっと怖いしブログの趣旨から逸れるので要らないと思っていますが、
「いいね」機能ならむしろブログを表に出す以上は必ず欲しいと思った次第です。


こういうブログに対するポジティブな考えは、近年まではずっと持てずにいました。
それこそ全肯定的なコメントをもらっていた黎明期以来かもしれない。
ではなぜ黎明期以外の期間はポジティブに捉えられなかったのかというと、
それは言うまでもなくブログの運営が不安定だったからです。
つまり、最近ブログに対してポジティブに「人前に出してみてもいいかも」と思えるようになったのは、
21年目にしてやっと運営が安定してきているからと言うこともできます。


19年かけて他者承認がゼロでも継続できる基礎が完成し、そこから1年半でさらに安定してきた感のある本家ブログ。
そろそろ次の20年を目指して新たなレールに乗りたいところです。


#7647

名義分けの方針

このブログはいまのところメインアカウント名義で書いていますが、いずれは名義を変えてしまおうかと思っています。
ここでいうメインアカウント名義とは、2004年から使っているゲーマーとしてのハンドルネームです。
別にそれ自体はブログ訪問者に隠す必要はないのですが、
基本的にゲーマー活動とブログはゲーマー側のネームバリューを維持するために意識的に紐付けないようにしています。
つまりブログというのはある種の「後ろめたい活動」であるという自覚があり、
ゲーマーとしての自分は他媒体でブログについては言及しないというルールがあるわけですね。
まあブログは基本的に言いたいことは全部書く都合上どうしてもトラブルは起こしやすく、
ゲーマーとしての活動と切り分けたのは正解だと思っています。
しかし、そうするとブログの名義をゲーマーの名義とイコールにする必要が無い。


実は、自分はゲーマー以外の主な活動は全部違う名義で活動しています。
例えば仮想通貨関連の活動や同人・VTuber・萌え絵関連の活動はそれぞれ違うハンドルネームです。
それには少なからずゲーマーの自分と関わった人に見つけられたくないという意図もあるわけですが、
そうなると全部一緒くたに取り扱っているこのブログの名義がメインと同じだと、
名義を分けて活動している意味が薄れてしまいます。
正直言って他活動で自分を知っている人にこそ知られてほしくないのがこのブログなので……。
もっとコンテンツのクオリティが上がればこんな卑屈な考えも払拭できるのかもしれませんが、
まだまだ安定運営には遠いいまはヒソヒソと書くという段階を抜けられそうになく、
したがって堂々とメインアカウント名義で運営することにも疑念を生じてしまうというわけです。


来年からは上記2クラスタに加えてゲーム制作と音楽鑑賞でそれぞれ名義を分けようと思っているのですが、
それらは別にブログで言及しない理由がないのでブログにはどれもこれも書いていくと思います。
まあ、本当に名義を分ける必要があるのかどうかはさておき、
そこまでやるならやはりいっそのことブログの名義も変更したい。
ということで来年からは「偽名の偽名」、あるいは完全匿名で書くことになるかもしれません。
それこそ相応しいのは実名だったりするのですが、いまのところその勇気も無いですね。


#7627

個人の憲法を作る

何日か前に「瑠璃野ねも」というVTuberの眠くなるまで民法を読み上げるASMR配信 が話題になりました。
眠くなるまで? まあ長くても3時間くらいだろうなあ……と思ったらまさかの11時間50分!?!?
かわいい声で小難しい内容をひたすら読み上げるというのは自分にはかなり刺さる内容でした。
ASMRは長時間であることに意味があり、
20分そこらで終わってしまう動画は内容が魅力的でもあまりリピートしたくなりません。
この内容で12時間というのは中の人はニーズを「理解」っているとしか……。
このぶっ飛んだ方向性は、単調で面白みのない耳かき配信が跋扈する昨今のASMRに投じられた巨石とも言えるでしょう。
これからはこうした専門特化で工夫を凝らしたハイレベルなASMRがどんどん出てきて、
にわかには参入しにくい文化になっていくのではないでしょうか。……いや、もうなっているかも。
手帳コラージュ、水彩画、ヘアメイクロールプレイなど既知のASMRも思い返せばかなりハイレベルだし。
耳かき配信は最初期によく聴いていましたが、そういえば最近はもう聴かなくなって久しいです。


ところで、こういうものに触れると万年万物にわかな自分は触発されて法律への興味も高まるのですが、
その中で法律を超越した概念として「自然法」あるいは「自然権」なるものがあると知りました。
日本では日本国憲法が最高法規であることは常識として知られており、憲法と矛盾する法律は無効になります。
それと同様に人類普遍の原則を自然法といい、
自然法論とは自然法と国の最高法規が矛盾するようであれば自然法の方を適用すべきというような考え方です
(法学徒のみなさん、間違っていたらごめんなさい)。
これはたとえば戦争の放棄をうたう第9条の是非を巡る議論でも登場します。
憲法は戦争の放棄をうたっているが、他国が一方的に攻めてきた際に自己防衛のために反撃したら違憲になるのか、
いや「正当防衛」は自然権なのだからそれは反撃したとしても違憲ではない……みたいに使われるわけですね。


ここでの「普遍の法則」とは、人類の歴史の中で一貫して正しいとされている道徳的価値観、あるいは理性を言い、
たとえば黄金律(自分がしてもらいたいことを他人にせよ / 自分がされたくないことは他人にするべからず)
などが当てはまります。
現代において黄金律が本当に普遍の価値観なのかという議論はさておき、
こうしたことは時の政府や立法機関というよりは宗教や哲学者によって見出されてきました。
日本は特定の宗教が根付いていない国なので(「宗教文化」はものすごく身近ですが)、
黄金律のような概念の重要性はなかなか実感できないのではないかと思います。
だからこそ市井に蔓延る基本ルールがどんどん複雑化して窮屈さを感じやすくなっているのではないでしょうか。
そこを客観視でき、しかもシンプルで誰にも分かりやすい形で明文化されているのは宗教の便利なところです。


かつて、丸善丸の内本店でたまたま見かけたウィトゲンシュタインの本に触発されて
「ブログに書いた普遍的な価値観を集約できないか」と思いついたことがありました(#06271 / 2021年02月17日)。
20年以上もブログを続けていると個人の価値観もどんどん移り変わっていきますが、
その中でもずっと変わらない「真理」と言っても差し支えないような価値観も少なくありません。
それを集めて集約すれば文字通りに自分にとってのバイブルになるのではないか、という話です。
この計画を実行するのはまだまだ先ですが、今回の件で若干解像度が上がった気がします。
すなわち、ブログの集約結果としての「個人の憲法」を作るという計画。
これを実現するためにも、書いたら終わりではなく過去のアーカイブともきちんと向き合っていきたいところです。


#7287

ブログにおけるカテゴリの不要性

ブログの過去記事全部をMarkdownに変換する作業をしていたのですが、
ツールが配布されていることもあっていくつかのエラーを乗り越えてあっさり実現しました。
昔は楽天ブログからのエクスポートは
1ページずつ手作業でやっていたことを考えるととんでもない時間短縮です。
移行先はObsidianというアプリで、これは配下のmdファイルをそのまま扱えます。
なので同じディレクトリをIDEに読み込ませてそっちでいじればそのままビューワーにも反映され、
さらにはヘッドレスCMSへ投稿するプラグインもあるということなので、
次世代ブログはいまのところこれを起点とするのが有力になりそうです。


IDEで扱えるようになったので、
自作スクリプトでの一括編集や、全ファイル横断検索や一括置換もできるようになりました。
自動タグ付与はChatGPTの仕様上金銭的なハードルが高いのでまだやりませんが、
それ以外の加工、たとえばリンクによる関連付けは少しずつやっていこうと思います。
昔勘違いして覚えていた単語の一括修正などもできるし、やることはいろいろあります。


この整理作業をする上で現時点で考えているのが、「カテゴリの廃止」です。
このブログは伝統的にカテゴリとタグを分けてそれぞれに付与してきました。
タグは話題の中心を示す情報として、
カテゴリはそのタグを文字通りカテゴライズするための情報として。
ただし「独り言」「創作」「その他」など一部のカテゴリは執筆スタイルの違いを表しています。
独り言であればだ・である調で書くといった感じですね。


まずこの時点でカテゴリの役割がカテゴリによって違うという奇妙な状態になっているし、
タグのカテコライズという役割においても、それはもはや1階層で済む話ではなくなっていて、
カテゴリとしての役割を継続するなら必然的にサブカテゴリも必要になってきます。
そして、この「タグのカテゴライズ」という作業を記事作成の都度手作業でやっていけば、
いずれ全体で統率が取れなくなって形骸化していくでしょう。現状がそんな感じですし。


なので、タグ付与自動化を実現するなら必然的にカテゴリも自動付与する必要があるわけです。
そして、そこまでしてカテゴリを付与する必要があるのかという。
まあ、これは自動整理がどの程度の手間で実現できるのか次第でもありますが、
それ自体がブログ復帰の障壁になるくらいなら
カテゴリは廃止してもいいんじゃないかと思っています。
とにかくブログを存続したいなら書く以外の作業は徹底的に削る必要があるので。
その意味では、究極的には記事タイトルも必要無いかもしれません。
日付だけでいいんじゃないか的な。


今回のmd変換で次世代ブログ制作は本格的に動いたといってもいいと思っていますが、
この機会にブログの運営プロセスについてはとにかく根本的なところから見直したいところです。


#7103

非公開運営

当ブログを無期限非公開化とするため、ついにメンテナンスモードをONにしました。
よってこの時点で公開されていなかった当記事以降の記事に関しては、
原則すべて非公開記事として書くことになります。
ただし、だからといって執筆に関するこれまでのルールを変えるわけではなく、
いつか公開するという前提のもとでこれまで通りの文体で書くことにします。
一般公開しないからと言ってプライバシーやモラルの制限を解除したりするようなことはしません。


いままでこれをする勇気が無かったがゆえに
ずーっと負債を抱えているような嫌な感じが頭の隅にこびりついていましたが、
やっと少しはスッキリしました。
この一時閉鎖を持って、このブログは従来スタイルでの運営はもう無理と判断したことになります。
いままで長い間それを認められず、どこかで挽回したいと考えていました。
しかしここまで当日内投稿の習慣が遠ざかってしまってはもう無理でしょう。
日記系ブログとしてはもはや破綻していると言わざるを得ません。


2023年に入ってからブログを維持できなくなった理由は、
主にブログ以外の活動の重要性が増したからです。
具体的にはピクチャレ大会のリニューアルプロジェクトに大きく時間を取られることになった。
じゃあ、そのプロジェクトが終わればブログは復帰するのが妥当なのか、
と言われるとそういうわけでもありません。
『ピクミン4』が発売されたらむしろやることは増えるでしょうし、
今後もプライベートでやりたいプロジェクトは次々に出てくると思います。
それらをブログを理由に中止する理由はありません。あくまでブログ以外の活動が優先です。
復帰するにせよこのまま永遠に非公開運用にするにせよ、
ブログはもう時代遅れという前提はもうそうそう覆らないのではないかと思っています。


ここでいちおう復帰条件も整理しておきます。
いままでの傾向から、ブログ以外の作業が煮詰まってきたりモチベ低下に陥ったりすると、
どうしても当日内に記事を書くことができなくなるという現実があります。
そしてこれは長年解決できなかったことから、意識改革ではおそらく解決できない。
かといって1日1本制を撤廃することはブログの存在意義の否定に等しいので、
それをするくらいなら復帰しない方がいい。
というわけなので、まず復帰までに大量のストック記事を執筆する必要があるのが1点。


もうひとつは、執筆完了から投稿までの手間を最低限にすること。
いままで、記事は書き終わったのに
投稿ボタンを押せなくて投稿が後回しになる事例が多々ありました。
現状、執筆後の作業としては①エディタから全文コピー、②WordPressの投稿欄に貼り付け、
③日時、タグ、カテゴリ等のメタ情報を設定、④投稿ボタンを押す、の4ステップです。
これのどこが煩雑なんだと思われるかもしれませんが、
PCからしかできない、タグを手動でつけるのが面倒といったハードルがあるのは事実です。
できればこれを、「どの端末からもワンボタン」というレベルまで簡素化したい。
特にスマホ対応は必須かと思っています。
これはWordPressではおそらくできないので、違うCMSを使う必要があるでしょう。


まあ、「書く意義」は人生の課題として普遍にあるとしても、
「公開する意義」は随分前から失われていたので、非公開化は妥当だと思っています。
むしろこの方が理にかなっているかもしれない。
公開したとて誰が読んでいるんだっていう話です。
その意味では、ある程度のインプレッションも求めていかないと
公開するモチベは続かないのかもしれない。そのために何が必要なのかもわかっていませんが。
昨今の傾向を見ていると、
真っ当なことを書くより炎上商法まがいのことをした方が読んでくれる人は増えそう。
そこまでして公開する意義を求めていく必要性があるのかは疑問ですが。


復帰するとしたら、目標は言うまでもなく20周年の日がリミットということになります。
あと1年ちょいありますが、ここで挫折したらもう日の目を見ることはないでしょう。
まさか19年目にしてこんなことになるとは思ってもみませんでしたが、
これも時代の流れというやつなのでしょうか。


#7076

最小限から再構築する

このブログはこのままいけば来年の秋に移転すると思います。移転するか20周年の節目に辞めるか。
去年末〜今年の春までは正直もう辞める方向へかなり傾いていました。
「続いているから続ける」という非論理的な理由で続けるのはもう限界だと痛感したからです。
そして大量のブログ下書きを生み出して去年末からはcsvでの一括投稿という手法に切り替え、
WordPressベースの運営はほぼ破綻しているような状況です。


辞めるのではなく移転するという結論に至るには譲れない条件が2つあり、
ひとつは当日分の下書きをローカルで書いておいて後日投稿するという現状のスタイルからの脱却。
これは脱却しないともはやブログという体裁である意味がなくなってしまう。
もうひとつは、WordPressというシステムからの脱却です。
具体的には自分のブログに合ったオーダーメイドなCMS(コンテンツ統合システム)を作ること。
そしてWordPress単独ではなしえない、スマホだけで投稿作業を完結させられるようにすること。
年々スマホ依存が強くなる昨今、スマホから投稿できるかどうかで投稿機会が大きく違うからです。
WordPressだとアプリの制約からどうしてもPC版管理画面ありきになってしまうため、
スマホ完結はあまり現実的ではありません。
まあその問題をプラグインを作るなどして無理やり突破するという手もなくはないものの。


とにかく、WordPress以外の有望なCMSは無いものかと探し歩いている昨今です。
以前、その候補としてPythonベースの何かにしようと思いついたことがありました。
その理由は将来的にAIとの連携をするのにPythonという言語が適しているからなのですが、
よくよく思えばそんなのはAPIで連携すればいい話。
データを保管するバックエンドや画面に表示するフロントエンドがPythonである必要性はなく、
その辺は新ピクチャレ大会と同じ技術を使うのが理にかなっていると思います。
つまりバックエンドはLaravel、フロントエンドはNext.jsを使うということですね。


そういう方向性で探ってみると、昨今はヘッドレスCMSというものがあるそうです。
簡単に言えば公開用のサイトが存在しない、コンテンツ管理だけのCMS。
これを使えばブログの形は好きなようにカスタマイズできるし、
厄介なCMSのコア部分を自分で作る必要が無いので自分の要望にかなり近いです。
あとは投稿をどこまで簡略化できるか。理想はワンタップで投稿完了することですが……。
Ulyssesから投稿できるヘッドレスCMSとしては「Ghost」というOSSプロジェクトがあるみたい。
ただUlyssesに依存しなくても
macOS/iOS標準の共有ボタンとショートカットアプリを使えばわりと柔軟に対応できる気がします。
いずれにしろ、有望なサービスはチラホラあるので要調査かなと。


最近はそれぞれ別名義のTwitterアカウントを並行して運用するようになりましたが、
これによって本家ブログは
共通している「自分」という存在を知ってもらうためのポータルとして運用する意味があるのかなと。
活動分野がひとつだけならわざわざ別所で同じことを発信する意味は薄いですが、
すべての活動をひっくるめたサマリーとして発信するなら、
あるアカウントのフォロワーから見た自分という存在をより知ってもらうためのメディアとして、
それなりに存在価値があるのではないかと思っています。


まあ、そうやってブログに存在価値を見出すのだとしたら、
2つ以上のそれぞれ別名義の活動とブログ、合わせて3つの活動を並行する必要があるのですが。
それがモチベ的にやっていけるのかどうかは微妙なので、
やはりブログはブログ単独での存在理由を追求していきたいところではあります。


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