人を傷つけた話
2023年が明けてまもない三が日の2日目にその連絡は突然やってきた。
前日まで祖父母家でいつものように集まったイトコから、
「実を言うとお前の言動にずっと傷つけられてきた。今回の帰省でも深く傷つけられた。
だからもう当面会わないようにしたい。祖父母家にも行かないので、お前が行きたければ一人で行け」
とLINEで申し出があったのだ。僕は顔面蒼白になって、
「まったく身に覚えがないので、どの言葉で傷ついたのか教えてくれないと納得できない」
という旨の内容を返信した。
「ありすぎて具体例は挙げられない。改善も謝罪も期待していないので説明する義理は無い。
仮に説明したところで、お前は善悪の判断がつかないんだから説明するだけ無駄だろう。
本来は無言ブロックで終わるところだが帰省する・しないは双方の自由だから敢えて申し出てやった」
と返信がきた。言葉の節々に相手の怒りを感じるが、これは挑発に乗ったら負けると察した。
経緯はさっぱり分からないが喧嘩を売られているのだと理解した。
「傷ついたワード全て挙げろとは一言も言っていないし、
そもそも『無意識で言っている』『善悪の判断がつけられない』等の決めつけは失礼だ。
また、仮にそれが当てはまっていたとしても説明しない理由になっていない。
とにかくひとつふたつは具体例を挙げてくれないと議論にならない。
第一、近年ずっと自分の言動にあなたが傷ついていたのなら
実家や富士登山に誘ってくれたのはなんだったのか?」
僕は率直な気持ちを返信した。論破して優位に立ちたいという思惑は当然あったが、
30年来の付き合いがある人間関係じゃなかったのか? と言う当惑の気持ちの方が強かった。
しかし口喧嘩の経験値が圧倒的に少ない自分にしては冷静に返せていたと思う。
「富士登山については気まずいと思ったが叔父が勧めるので仕方なく誘ってあげた。
傷ついたワードについては、
(2021年末にイトコが自分に就職相談をした際、現職に対して)『底辺』という発言にもっとも傷ついた。
今回の帰省で言えば『仕事辞めてない?』
(姪の語彙がどんどん増えていると言う話に対して)『そのうち追いつかれるかもね』
といった言動が僕を舐めている、見下していると思った。
いくら親戚とはいえ実害を与えてくるなら今後関わるだけ損だと思ってこの話を切り出した。
というか、ゴネているように見えるけど怒っているのはこちらなのであって、
そちらが納得する・しないは関係ない。納得しなかったらどうするつもりなのか」
最後の1文で、もうこの人には何を言っても無駄なのだと観念した。
ヒステリックに歪んでいる。この人はこんな人間だったのかと深く深く失望した。
最後にブロックされるのを覚悟でこちらの潔白を伝えられるだけ伝えておくことにした。
唯一の物的証拠としてこのやり取りを第三者に公開されたとき、
「いや、これはこの人の主張も正しいよ」と弁護してくれる可能性に期待してのことだ。
「冗談が通じない人だとは思わなかった。その辺は長年の付き合いで理解しているつもりだった。
『姪に追いつかれる』は姪を過剰に褒めるための言うなればボケで、
どう考えても実現不可能な以上冗談なのは明らかだろう?
『仕事を辞めていないか』は率直に心配だから聞いただけだし、
底辺と発言した当時あなたは最低時給クラスの工場勤務だったのだからそれは公然の事実でしかなく、
それが不本意だという理解の上でどう這い上がるかを話し合ったんじゃなかったのか。
結局あなたが傷ついているのは他者の言動よりも劣等感や嫉妬感情があってこそのことなのではないのか。
社会通念上暴言と認められるような言動であればこちらが責められるべきだと思う。
しかしそんなことがあれば他の親戚がとっくに注意しているし、今回はそれに当てはまらない。
そもそも、そこまで思い詰めていたのならなぜ何も言わず年末に来たのか?
せめてこんなタイミングで打ち明けるのではなく来る前に言うべきだろう。
それに富士登山を誘った理由が「叔父が誘えと言ったから」というのはガッカリした。
そんな主体性のカケラもない言い訳を押し通してお気持ち表明されても困る。
これ以降、返信は来ていない。
この件については、僕はいまだに自分に非があったとは考えられない。
強いて言えば不本意に工場勤務を続けているという話に対して
『言うなれば底辺じゃん』と言った覚えがあり
それでプライドを傷つけた可能性はあるという意味では、反省の余地はあるかもしれない。
自分も文字通りの底辺だった2013年にそれを言われたら嫌な気持ちになっていたと思う。
しかし今回は当の本人からそれについての相談を切り出したという前提があり、
それもそこから脱出したい/してほしいという共通認識の上で
転職を後押しするためにした発言だったと認識している。
共有している価値観は30年来の付き合いで当然理解してくれているものだと思っていたが、
そこに認識のズレがあったとしたらどちらが善で悪でと言う以前に至極残念だとしか言えない。
僕は彼の言うとおり善悪の判断がつかず、無意識に人を傷つける悪癖を持っているのだろうか?
もちろん、コミュ障を自覚する以上自分に多少なりその傾向があることは否定しない。
口が滑って余計なことを言ったこともあっただろうし、
それらに対して100%公平なジャッジができているとは到底思えない。
ただ、そういういわゆる失言は当然過去にイトコにもあっただろうし、誰にでもある程度はあるだろう。
真っ当に解釈されることを期待した悪意なき発言も
受け手の解釈次第で「見下している発言」にいくらでも捻じ曲げられる以上、
この議論では発言内容自体にはあまり意味は無い。
自分の捻じ曲がった解釈に基づいて相手に変革を迫るのは一方的な価値観の押し付けでしかなく、
そんな主張をしてきた時点で縁は切ってしまった方が明らかに精神衛生的には良い。
もちろんイトコもそれを薄々分かっているから「改善は期待しない」と言ってきたのだろう。
今回の件はイトコのメンタル的な事情でこれまでのような人間関係を維持していくのが困難になり、
かつ自己理解不足から本人がその原因に気づかず
(あるいはそれを認めてしまうと強い自己否定になるから見て見ぬふりをして)、
理解してくれない他者にすべての原因があるという決めつけでお気持ち表明してきたものと推測する。
そのため、とりあえずこちらから譲歩も謝罪もする必要はないと思っている。
それをしたところで、相手方のプライドをさらに傷つけるだけだからだ。
それにしても僕が衝撃的だったのが、ネガティブな感情で腐敗した人というのは、
こんなにも主観的にしか物事を考えられないのかということだった。人の本性を垣間見た気がする。
そしてそれは、まさに自分がお気持ち表明する側だった
2021年に10年以上交流のあった高校時代のクラスメイトと絶縁した件にも通じるところがある
(発端については#06301 / 2021年03月19日、反省まとめは#06325 / 2021年04月11日)。
あのとき、僕は相手を何も理解してくれない「悪」だと完全に思い込んでいた。
理解してくれないことそのものを善悪の基準にしていた節は否めない。
まさに今回のイトコのように見下されていると感じるのが苦痛で仕方なかったし、
実際に彼との間にはその気持ちの根拠となるような見下されエピソードが数多くあった。
しかし、当時の僕はこのイトコのように捻じ曲がった解釈ばかりしていて、
しかもそれに気づけずにいたのかもしれない。
これは、特に人間関係において「対等」であることを望むとこじれやすい問題であると思う。
仲の良い関係は対等なのが当たり前だという固定観念を持っていても、
人間関係は知識の広さや人生経験の深さ、社会的ステータスなどによって不均等になるのが当たり前だ。
そこには常に暗黙の上下関係のようなものが存在する。完全に対等なことはあまりない。
僕は高校クラスメイトに対して対等でありたいと思っていたが、
実際には社会的ステータスの面で言えばかなり水を空けられていた。
そのギャップが自分に嫉妬心をもたらし、あのトラブルへと発展させていったのではなかろうか。
今回のイトコと自分の関係でも似たようなことが言えると思う。
「自分はこれでいい」と言えるような社会的安定をいまだ得られていないがゆえのすれ違いと言うべきだろうか。
誰もが他者の理解を求めている。自分が認められることを渇望している。
得てして、それが極端に不足すると一方的に「認めない他者」を悪と決めつけてしまう。
その原因はたいてい本人にあるのだが、どういうわけか本人だけはそれに気づかない。
「無意識で」「善悪のつかない」ことを言っていたのは皮肉にもイトコ本人だったようだ。
今回はそれを他人事のように眺められたのは収穫だった。
こうはなるまいと戒めの意味を込めて、本人には申し訳ないが顛末をブログに残させてもらう。
無礼な言動をぶつけられた側として、これくらいの報復は許されるだろう。