現実逃避手段としての整理作業
いま思えば、大学時代の自分は非生産的なことばかりやろうとしていたように思います。
確かに何か企画を考えてクリエイトしようと頑張っていた時期もないわけではないけれども、
全体からするとそうでない作業の方がかなり多いイメージ。
いまは非合理的なことは最初からやらないというスタイルが定着して久しいので、
逆に大学時代の頃が新鮮に感じられなくもないです。
非合理的な作業、と言い切ってしまうのも語弊があって、必要でやっていると言えばそうです。
有意義といえば有意義なのかもしれない。でも、他にもっと大切なことあるよね、というもの。
その代表例が整理やどうでもいいリストを作るような作業です。
PCの中身を再編成しようとか、ブログの文字数統計を作ろうとか。
現在その中で唯一続いている「音楽再生数統計」も大学時代初期に生まれた定期タスクです。
とにかく当時の自分は、何かを整理し、一覧化することに余念がありませんでした。
なぜか?
そうしたかったからというのもまあ間違いではないでしょうが、
いまの自分に言わせれば、それは「本当に重要なタスクからの逃避手段」だったと思います。
当時の自分にとって就活と卒業論文、あるいは社会経験としてのアルバイトは最重要課題でした。
それと比べれば整理作業や一覧化作業というのは優先度に天と地ほどの差があります。
さらに、その中間にはよりクリエイティブなタスクが待ち受けていましたが、
これらが大学時代に対して芽が出なかったのも結局整理系作業を優先していたのが一因です。
当時の自分もさすがに、整理系作業より就活の方が大事であることはわかっていたはず。
それを十分承知してはいるけれども、就活やその他諸々はどうしても勇気が出ないからやりたくない。
これは精神的に弱かったというのも当然ありますが、
睡眠障害によって常に意識が朦朧として「まともに物事を考える」ということ自体が難しかったため、
そもそも重要課題に取り組められるような状況では無かったというのもあります。
これは大学時代最大の障壁と言っても過言ではないのですが、なかなか理解され難いところでしょう。
とはいえ「何もしない」ではいかにも逃げているようだから、
せめてそのどん底の最底辺に陥らないために自己満足作業に打ち込んでいたのではないかと。
自分は肩書き上は引きこもりニートになったことはありませんが、
大学時代の精神はほとんどそれに近い状態に陥っていたのではないかと思います。
以前、大学なんて行く意味が無かった高卒後すぐ就職していればもっと良いキャリアを作れたのに、
などと後悔する記事を書きましたが、
ぶっちゃけ高卒の段階の精神で社会に無理やり出たところで、
普通に引きこもっていたのではないかと思います。
そういう意味では、
高い学費を払って大学に行ったのは無限に続く無職の泥沼を回避するだけの価値はあったのかも。
嫌なことから逃げ続けている状態というのは、自分がそれと向き合うまで終わることがありません。
大学時代は4年というリミットがあったから、いつか向き合わざるを得なかっただけマシでしょう。
高卒後に就活するという名目で実家暮らしを始めたらそれは実質無期限なわけで、
自分自身に覚悟が芽生えなければ何年でも何十年でも同じように逃げ続ける毎日が続いてしまう。
「無職とは夏休み最後の日を一生繰り返すようなもの」とはよく言ったものです。
いまでこそ上京して自活している自分ですが、
大学時代の自分のクズっぷりを鑑みると結構紙一重だったんじゃないかと改めて思います。
ちなみに就活については結局4年で結果が出ずに大学院に持ち越し、
そこで今度は修士論文という新たな課題に精神を破壊されて延長2年もフイにしてしまい、
実は卒業直後の04月はまさに上述の泥沼にまさに片足突っ込んだところでした。
あのまま何も無かったら「院卒ニート」というクズの中のクズが生まれていたことでしょう。
そこからどうにか抜け出したのは2013年04月17日にNintendo Directが放送され、
そこで『ピクミン3』の発売日が明らかにされたからです。
07月13日発売なのでいまからでも働かないとWii U本体を調達する資金を用意できなかったんです。
ただそれだけの理由ですが、そうやってリミットを与えてくれたおかげでいまの自分があります。
こう考えると自分の人生はピクミンに助けられてばかりだなと。