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#7864

嫌味のメタ認知

2021年春と2022年冬、立て続けに15年以上の親交があった人と絶縁するという出来事がありました。
当時、自己正当化も含めてさまざまな内省や分析をしていますが、
結局のところ自分の不用意、不必要な発言が起こした人間関係トラブルであるいう側面は否めません。
そういう意味では2022年秋にお局様とバトルしたのも同じような原因のトラブルと言え、
自分は2年で3回も「クチは災いの元」を体現する出来事を発生させてしまっていたことになります。


それぞれのトラブルを内省して行き着いた要因は少しずつ異なり、
高校時代の知り合いの件は成功者に対する嫉妬も少なからずあっただろうし、
親戚の件は誤解やすれ違いもあったでしょう。
お局様の件はテキストチャットでやり取りしていたことも大きな要因であると当時は分析していますが、
それよりも後年の自分が重視したのは「誠実さ」でした。
つまり、自分がやるべきことをちゃんとやっているなら他人に対して攻撃的になる必要性は無いだろうと。
他人に対して攻撃的な言動をしてしまうのは、自分の弱さを隠したいという思惑があるからなのではないか。
その弱さとちゃんと向き合えば、他者との接し方も改善するのではないだろうかと考えました。
そこから2023〜2024年のスローガンとも言える「無能であることを受け入れる」という思想に繋がっていきます。
ただしそれも結局魔法の言葉ではないということは以前指摘した通りです(#07600 / 2024年10月07日)。


2023年以降、重大な人間関係トラブルは起きていないのでこの問題は半ば解決したようなつもりでいました。
しかしその実、残っている人間関係の相手がたまたまスルーしているだけで、
自分側は2021〜2022年当時から何も変わっていないのではないかという疑念が最近頭をもたげてきました。
というのも、直近の自分の言動を思い返したとき、
「相手が確実に嫌がることを十分に理解した上で、あえて相手が不快になるであろう発言をする」
ということを何度もしてしまっていることを自覚したからです。
周りくどい説明をしましたが、要するに嫌味を言うことを制御できていないことに気づいたわけですね。
1回目はそこまで意識していなかったのですが、2回目以降は意識していても口を突いて出てしまっています。
そこで、この調子だと今後もかつてのような大きなトラブルに発展しかねないと危惧するに至りました。


なぜ会話相手が嫌がることを発言してしまうのか、その真意はまだまだ分かりません。
心理学・精神医学的な見地から「治せる」かどうかも、まだ分かりません。
そもそも会話から完全に嫌味を除去するのは難しく、いちいち気にしないのが普通だという意見もあるでしょう。
ただ、気にする人は気にすると思うんですよね。そしてそういうタイプの人と当たると大きなトラブルになりうる。
その可能性がある以上、矯正するに越したことはないのは事実です。


一方でこれの解決が一朝一夕ではいかないであろうことも重々承知しています。
なぜならこれは自分が生まれ持っている性癖のようなものであると半ば自覚しているからです。
余計な一言がクチを突いて出るのは思い返せば幼少期の頃からそうだったし、
これこそが本質的な意味でのコミュニケーション障害なのではないかと考えたこともあります(#07174 / 2023年08月08日)。
大きなトラブルになったのは上京してからですが、
これは上京後の人間関係が比較的クリーンだったので自分のクチの悪さが浮き彫りになっただけだと思っています。
上京前、つまり地方時代は自分だけでなく周りの人間も普通に嫌味を言うことはあったし、
それが普通だと思っていました。
「嫌味を言うことを矯正しよう」と思える時点でそれなりにステップアップしているとも言えるかもしれません。


いまのところ、クチを突いて出る嫌味の共通点は「主観的・論理的・倫理的に正しいこと」であるような気がします。
つまり自分が知っている経緯や事実、経験則などからこれは正しいだろうと思っていることと、
他人が言っていることが対立しているようなケースで発生することが多い。
そうすると「他人は間違っている=自分は論理・倫理的な正しさを指摘できる優位な立場」という図式が成り立ち、
すぐにそのカードを切ってしまうわけですね。
また、その際優位性があるがゆえに多少は相手を不快にしても構わないという暗黙の了解がある気がします。


このとき、主観的に正しいことが事実だとしても相手の立場が間違っているとは限りません。
そもそも相手も自分と同じような「正しさ」を知った上で言っているのかもしれない。
つまり「優位かどうかは分からないのにそれを優位と決めつけている」という問題がまずあります。
それから、優位性を手に入れたらすぐにそのカードを切ってしまうという問題。
これは、自己肯定感が低すぎてふだんあまりにも優位性を持たないので、
こうしたコミュニケーションのちょっとしたことでも使わざるを得ないのではないかという可能性が提示できます。
「これさえやっていれば他は多少否定されても構わない」と言えるアイデンティティーが確立していて心に余裕があったら、
ちょっとした会話内の優位性に対して過敏に反応する必要はないだろうと。


ざっと考えただけでもこれだけの可能性を掘り起こせるので、矯正の余地は全然ありそうです。
他にも、単にストレスが溜まりすぎているという説もあるでしょう。
確かに昨今の自分は近年でもどん底と言ってもいいくらい心に余裕が無く、
それがこの問題を自覚させたのではないかとも考えられます。
蛇足ですが「知識量の優位性」で嫌味を言ってしまうのはさらに低次元だと思っていて、
自分はそのレベルのコミュ障ではない……といまのところ信じています。
まれに知識マウントで無限に嫌味を言ってくる人がいますが、さすがに彼らよりは高次な悩みだと思いたい。
しかし嫌味を言わないのが普通なら、普通の人から見ればどちらも同じようなコミュ障に変わりありません。


あんまり書きたくないですが、この「嫌味癖」は父親もかつて当てはまっていたと思っています。
なので親から受け継いでしまった負の遺伝子である可能性が否定できない。
それは幼少期の子育ての影響で受け継いだのか、文字通りに遺伝子レベルの話なのかは分かりませんが、
いずれにしろかなり根っこに近い問題であり、解決はそう簡単ではない予感がしています。
これからしばらくは自分の発言を客観視して、どういうときに発火するかを観察することになりそう……。



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