愛情の道筋
先日、近年のソーシャルゲームは推し活動に具体的なタスクを与えることで成り立っているのではないか、
というオタクの推し対象に対する愛の解放手段についての考察を書きました(#07716 / 2025年01月30日)。
いま、自分がプレイしている『原神』は多方面からそういうタスクを与えられています。
ガチャ(祈願)で引くことは当然、それは初回だけでなく復刻時に「凸を進める」という方向性もあります。
また、凸を進める代わりにモチーフ武器ガチャを引くというのもあります。
直接的にお金はかからないが闇の深いキャラビルドとして「聖遺物」もあります。
推しキャラに対して理想的な聖遺物を用意してあげようと思ったら途方もない時間がかかります。
これら「キャラ凸」「モチーフ武器」「聖遺物」に払った苦労ははすべてそのキャラの強さに集約されていきます。
その他、「伝説任務」「デートイベント」「好感度」「七聖召喚」「専用衣装」「スペシャル料理」といった公式要素のほか、
主要キャラの誕生日にはたいてい二次創作界隈がそのキャラのイラストや漫画などを発表して盛り上がっています。
このように、キャラ愛に対してそれをうまく発散できるような道筋が用意されていることによって、
キャラクターを中心にしたオタク活動は成り立つというわけですね。
それでふと思ったのですが、一次創作に関してはどうなんだろうなと。
一次創作におけるオリキャラはその人にとってかなり神聖な概念であり、強い愛があることは間違いありません。
しかし、その概念と自分を繋ぐ「道筋」が最初から用意されているわけではない。
聖遺物厳選をすればキャラがより強くなるわけでもないし、ガチャで出てくるわけでもありません。
道筋が無いとキャラ愛を発散しようがない。
しかし、もし明確に確立した道筋があればこれほど夢中になれる道も他に無いはずです。
なにしろ自分が生み出した理想のキャラクターなのですから。
結局のところ、自分で生み出したキャラをより愛でるための道筋は自分で見出す必要があるのでしょう。
厨二病の時代、その道筋は「ステータスを決めること」だったように思います。
誕生日を決める、身長を決める、好きな食べ物を決める、象徴的なアクセサリーや服装を決める……。
もっと時代を遡ると「攻撃力」「防御力」といった概念も出てきたかもしれませんが、
そういう戦闘力的なものを引き合いに出すには、戦闘が発生する世界観的なものから作らなければなりません。
なので、キャラクターステータスは先述の誕生日などのように自己完結するステータスが無難だという話になります。
ただ、それだけではいつまで経っても具現化することがありません。
具現化しない以上はそのキャラクターの視覚的な情報は頭の中のイメージでしか存在することができず、
それは歳を取ると無自覚にどんどん変貌していってしまうというリスクがあります。
ゆえに、ある程度拙くても特徴を捉えたイラスト、ないし3DCGとして作る必要はどうしても出てくる。
それがいわば一次創作の「道筋」なのだと思うのですが、
キャラ愛があるはずなのにその努力ができないのはなぜだろうと思うんですよね。
自分のクリエイトスキルが低すぎてあまりにも拙い理想像を見る勇気が無いということなのか……。
2004年に初めてオリキャラを作ったときは、考えるよりも前に描いていたんですけどね。
いつしかそういった純粋さは失われ、そして停滞してしまっていたようです。
これが単に自尊心の問題ならば、歳を取って自尊心が鳴りを潜めたいま改めて動き出してみる価値はあるようにも思います。
拙くても特徴さえ捉えられれば、
お金を払って自分より上手いイラストレーターさんに具現化してもらうこともできるようになります。
より高価なコストがかかりますが、3DGC化も決して不可能ではない。
一次創作も一度世に出てさえしまえば、そこから羽ばたくための「道筋」は近年整備されてきた印象です。
ただし自分の頭の中からイメージを取り出す「最初の一歩」は自分にしかできない作業であり、
そこが最大のネックですね。
こう考えると、やはりキルミーベイベーみたいな絵柄で満足している場合ではないのかもしれない。
それともうひとつ考えたい事柄は、世界観を作るということです。
幼少期の創作はすべてが既存ゲームの二次創作だったため、モチーフ元の世界観に合わせて攻撃力等のステータスがあった。
そこから独立して一次創作として生まれたキャラにそれらのステータスは必要なくなったけれども、
一次創作としてのゲームのような世界を作ったとしたらまた話は変わってきます。
世界観を作ることで自己完結的なステータス以外にもそのキャラに個性を与える余地ができる、
というのは、オリキャラに輪郭を与えるためにも有望な道であるようにも思います。