あえて何もしない
今年からの新たらしい試みとして、作業モチベが上がってきたとしても連日はやらず、
「あえて何もしない日」を設定するようにしてみました。
これにはいくつかの狙いがあります。
まず、作業モチベが上がってタスクを解決すると、往々にしてタスクは減るのではなく増えます。
作業が進展することによって新たにやりたいこと、やらねばならないことが発生するということですね。
そうすると基本的には収拾がつかないわけです。
新しいタスクが発生してモチベも相応にあると連日やることになるのですが、
それが本当にキリのない無限マラソンの始まりなんですね。だから、いつか不本意なタイミングで息切れする。
一度息切れすると、持続していたモチベを取り戻すにはまたそれなりの時間がかかってしまいます。
であればほどよくモチベが続いている段階で適度に休息することによって、
少なくとも不本意な息切れを回避しようというのが今回の狙いのひとつです。
また、これは他にやるべき作業をないがしろにしてしまうことを避ける効果もあると思っています。
2023年のブログ存続危機の主な原因は、
ピクチャレ大会移転プロジェクトの本格化によって単純に「それどころではなかった」からでした。
もちろん、ある意味そのおかげで移転プロジェクトは成功したわけで、
あのレベルのことをしたいなら本来ブログは並行して存続できないということなのかもしれません。
まあそれはそれとして、ある程度のめり込みすぎると他の作業が文字通りに「できなく」なります。
それで問題ないような状況ならいいのですが、そうでないなら大問題に発展しかねません。
そこで意図的にブレーキを踏むことで他活動に支障を出さないようにしようというわけですね。
もちろん、重要な局面で一時的にある作業の比率を高めることは問題無いと思っています。
あとは、「あえて何もしない」と決めることでかえってそれをやりたくなるという、
天邪鬼な性格を利用しようという意図も若干あります。
この作業は今日はやらなくていい、と決めると意外と時間が多く余っていることに気付かされます。
すると、時間が余っているので「ちょっとだけやろうかな……」という気になってくる。
ブレーキを踏むことでむしろモチベーション的には持続しやすいのはこういう心理があるからかもしれません。
ちなみに、「やらなければならないができていない」という状態では時間的余裕は感じられません。
行動はできていないものの、心がそのタスクに占領されているので
「向き合っている時間」ではあるからなのでしょうか。
その場合、体感時間は短く、作業時間も短いのに精神的にそれに費やした時間だけはとても長く感じられます。
当然、精神的苦労に見合う成果は得られません。
やらないとスッパリ決めるのは、時間的余裕を感じられるという1点だけですでに良い効能があると思います。
中途半端に保留しているのは不完全燃焼のようなもので、スタミナだけ奪われるというわけですね。
もちろん、これは今日やらないことに対する妥当性を担保するためにも、
昨日ある程度進めた、先週はかなり頑張ったというような事実ベースの根拠が必要になってきます。
「昨日は何もやらなかったけど、今日も何もやらなくていい」はただのサボりでしかありません。
まあ、いろいろ書きましたが要するに1日単位のメリハリをしっかりしようという話ですね。
それを支えるためにも、週間計画だけは毎日やらなければなりません。
何はともあれ、去年前半のように前半期は年間計画のすべてが何も動き出せなかった……
などというような体たらくにだけはならないようにしたいところです。
今年は元日から動いているので、少なくとも去年の自分よりはかなり優位なはず。