散漫な興味関心
近年の自分は、概ね数日〜数週間単位で興味関心がコロコロと変わっていき、
その興味関心の移り変わりの速さに対して半ば振り回されているという感覚があります。
それは基本的には制御できない暴れ馬のようなもので、馬の行く先々に合わせて自分の方針も変えざるを得ない。
しかし、いずれも結果が出る前に次の場所へ行ってしまうので実績がまるで積み上がっていかないという。
この悩みに対して、現時点の自分は3つの異なる「途中回答」を持っています。
- 「暴れ馬」の正体は無秩序なネットサーフィングにあるのではないか
- 「結果」の程度は問われておらず、小さな結果を出すだけでも振り回されている感は軽減できるのではないか
- 興味関心を抱く自分を俯瞰する習慣を作ればさらに振り回されている感は軽減できるのではないか
①についてはまあそうだろうなと思うんですが、しかし如何ともしがたいというのもあり。
近年のネットとの接し方は能動的な検索よりもキュレーションが圧倒的に多くなっていて、
要するにAIが話題を選んでくるわけですね。つまりこの仮説が正しいなら自分はAIに振り回されていることになる。
情報収集を「狭く深く」することでこれを避けることができ、
ある意味『原神』はそれを実践できているおかげで長続きしているとも言えます。
情報量が広く深い界隈ほど長続きしやすく、たまーにポケモン本編に立ち戻りたくなるのもその影響かなと思っています。
キュレーションメディアに触れる必要もないくらい単一の話題が充実していればいいのですが、
現状だと『原神』とてさすがにそこまでのレベルではない……
というか、どんな話題にも奥深さはあるもののある程度の深さまで来ると満足してしまう自分がいます。
1人で表面上の情報を食うだけでは限界があるということなのでしょう。
②の小さな結果さえ出せばいいのにという考えは、最近の行動力に関する課題でもあります。
最近の悪い癖として、興味関心のとっかかりだけをブログに書くものの結果的に何もしないということがあります。
逆に言えば、「ブログに書く」という小さな行動でも散漫な興味関心は消化できるということです。
あとは誰でもいいので他人に話すだけでも結構消化できることが多い。
どちらもできないと消化不良に陥ります。
2020年ごろは「小さな行動によって消化する」というムーブとは真逆のことをよくしていて、
興味関心の初動の強さに比例してかなり大きめの企画をすぐに発案したりしていました。
発案したらそのままタスクリストにスライドし、
やりたくて思いついたものが延期に次ぐ延期で義務に変わり、義務感に苛まれるまでがセットでした。
〇〇が好きなら専用の参加型特設サイトを作ってみようとか。そういう企画は例外なくすべて頓挫しています。
これは最悪の例で、せめて散漫な興味関心をブログ等で消化している昨今の方がマシなのかもしれない。
ただ、可能ならブログ以外の形での「成果」を期待したいところです。
そういうものがないので一向に前に進んでいるという実感がありません。ブログは「進んで当たり前」ですし。
最近は2020年の反省もあって比較的現実的な企画を思いつくようになってきたのですが、
それを実際に着手するために「あと一歩」の踏ん切りがつかないことが多く、どうしたものかと思っています。
この一歩が前に出ないのは計画実現率の低さから来る自己不信、承認欲求を発散する相手がいない等、
いろいろな要因が絡み合っていると思われ、一朝一夕では解決できなさそうです。
③の俯瞰する習慣が大事というのも、まあおおむねその通りかなと思っています。
「興味関心がある=何かやらねば」と短絡的に考えること自体がそもそも軽率である可能性があり、
もちろん「何もしていない=興味がない」ということでもありません。
その辺は実績と意欲とを安易に結びつけないように気をつけたいところです。
そこそこ強い興味がありニーズやスキル感の問題もクリアできそうなら躊躇なく何かをするべきでしょうが、
「何かをしたい」という衝動は、興味関心の強さにかこつけた単なる誇大妄想に過ぎないパターンも往々にしてあります。
できないことを妄想しても時間の無駄なので、そこはちゃんと現実的に考えたいところではある。
昨今の情報収集の在り方は必ずしも主体的でない場合があり、
主体的でないなら「振り回されている」と感じるのも無理はないのかなとは思います。
とはいえこれでは延々と消化不良感の否めない日々が続いてしまうので、
もう少し主体性を取り戻す方向で情報収集から行動までのプロセスを見直せたらとは思っています。