理想化と脱価値化
正月休みにプラットフォームアプリを買い、
リポジトリを作って少しだけプログラミングしたPICO-8のゲーム制作ですが、
実家帰省終了後の不調に飲み込まれる形で早くも頭の隅から消えてしまいました。
このケースがまさしく典型的な例なのですが、
自分はある有望なツール、特にクリエイティブ分野に関する魅力的なツールを発見するとすぐには着手せず、
しばらく「これでどんなものを作りたいか」というようなことを妄想する期間があります。
そしてキリの良いタイミングで実際に着手すると一気に熱意が引いていき、
結局実績らしい実績は何ひとつ作れないというようなことがとてもよくあります。
概してUIが優れているものに多い傾向にあり、かつてはDAWなんかも対象にしていました。
が、もちろん作曲などやったこともありません。
これは心理学的には「理想化」「脱価値化」と言うそうです。
ある人や物などの概念に対して、過剰に良い点ばかり取り上げて価値を不当に釣り上げるのが理想化。
その概念のちょっとした欠点を目にするなど欠点を知るやいなや、理想化の反動で無価値になるのが脱価値化。
後者については最近の若者文化では恋愛的な文脈で「蛙化現象」とも言います。
理想化→脱価値化という流れは普遍的な心理であり、これ自体完全に逆らうのは困難かと思います。
一方、こうした価値観の乱高下は典型的な白黒思考、
要するに「0か100か」でしか考えられない未熟さを否定することができません。
そういう極端なものの捉え方はいい加減に卒業したいところではあります。
日常レベルでは白黒思考もずいぶんと緩和してきているように思われ、
たとえば2019年時点の自分を思い返すかぎりでは当時よりはマシになっているという実感はありますが、
こういう期待値の高いものについてはまだなかなか「ほどほどの価値」を認められずにいます。
こうなってしまう原因として、そもそも理想的なものを作る妄想をしているときが一番楽しい、
という低スキルならではの悲しい現実があります。
つまりPICO-8で自分が得たいのは本質的にはゲーム制作体験というよりは、
万能な自分が理想的なゲームを作る妄想の補助的な何かなのではないかと思うわけです。
このスキルが低い故に現実を見れない、という課題はAIによって解決したかのように思っていたし、
だからこそこの歳にしてゲームを作りたいと思ったという経緯もありますが、
実際にはバイブコーディング(AIとの対話によってのみコードを書く手法)との親和性が思ったより悪かったのもあり、
それによって萎えてしまったというのもあります。
この辺は、本当にバイブコーディングできないのかどうかはまだ検証中で諦めるのは早すぎるし、
復調したらどこかでリベンジしたいところではありますが……。
まぁ、こういう「思っていた開発手法が通用しない」というのも脱価値化につながってしまうのでしょう。
あとは理想化対策で考えられるのは、妄想期間をなるべく短くするということですね。
つまりツールを発見して有望なら、その場で触ってみる。
「ツールを触ることそのもの」を保留する理由は無いし、それはしちゃいけないということです。
昔の自分を思い返してみても、これはひとつの反省として考えられるかなと。
可及的速やかにまずツールの現実を知り、その知識を踏まえてできることを考えるのは良いと思います。
ツールも触らないうちからその概要だけを頼りにあれこれ妄想するのは思い込みもはなはだしい。
理想化と脱価値化はこうしたクリエイティブツールに限らず、人間関係や仕事、
あるいはさまざまなエンタメ作品にも言えるのではないかと思います。
積みゲーも本質的には「理想的なタイトルを知っている自分」を留保したいだけなのではないかと。
こうして考えると、この心理作用は自分の悪癖の根本とも言えるものなのかもしれず、
そういう意味では今後も折を見て掘り下げていく価値があるようにも感じます。