Chrononglyph

心理学

前へ1 / 2次へ
#8164

アサーション再び

今日の出来事心理学

もしかしたら、いまの自分にこそ「アサーション」の理解が必要なのではとふと思いました。
アサーションとは認知行動療法(#04865 / 2017年05月01日)でも実践されているコミュニケーション技法のひとつで、
自分も相手も自己表現したいという前提を理解した上で、相手を尊重しつつ適切な自己表現を目指すというもの。
会話の主導権を相手にすべて渡して聴き専に回ってしまうのは「ノン・アサーティブ(非主張的)」、
相手を尊重せずに自己表現するのは「アグレッシブ(攻撃的)」とし、そのどちらも避けることが良いとされています。


アサーションできていない=コミュ障、とぶった切るのはかなり乱暴な言い方になりますが、
そういう意味では自分はかつて、ノン・アサーティブでありアグレッシブでもある深刻なコミュ障だったと自覚しています。
例の長年の付き合いが消えた2件の人間関係トラブルも、
思い返せば一方はノン・アサーティブだったから欲求不満が溜まりすぎて起きたトラブルであり、
もう一方はアグレッシブだったから相手の尊厳に傷をつけてしまい起きたトラブルであると考えることができるからです。
そして諸々の反省を踏まえて、いまようやくアグレッシブなコミュ障傾向はかなり改善してきたと思っています。


一方、ノン・アサーティブな傾向は必ずしも改善していません。
だからこそ欲求不満に陥って「第5のコミュニティに属したい」などという気持ちが湧き上がってくるのだと思います。
既存の人間関係で特にトラブルは起こしていないのにそれを見限って新たな出会いを求めたくなる姿勢は、
客観的に見れば本人に問題があるからそうしているのだという可能性を否定できません。
つまり、ノン・アサーティブなコミュニケーションしかできないから自己主張できていないという不満が静かに溜まっていく。
その欲求は適切な人間関係によって解消できる(他者に解消してもらえる)という期待があればこそ、
「既存の人間関係ではダメなんだろう」という発想に至るわけです。
もしこの原因がノン・アサーティブなコミュニケーションをしている自分にあるのだとしたら、
仮に新しい人間関係を結んだとしても、この問題は解決しない可能性が高いと思われます。


ただし、自分よりさらにノン・アサーティブな傾向にある人と話す機会がある場合はこのかぎりではありません。
自分に会話の主導権を全部くれる人がいるなら、この問題は解決するかもしれない。
しかしそれは、同時に相手方にいま自分が抱いているような欲求不満を押し付けることを意味します。
それでは持続可能な人間関係を構築することはできないので、やはりある程度の自助努力は必要そうではある。
こう考えると、クリティカルに相性の良い「運命の相手」とさえ出会えれば人間関係の問題は一挙に改善する、
などという考えは現実にはありえない、自分が改善する努力を端から放棄した人の妄言なのだと分かります。


とはいえ、ノン・アサーティブを克服するのはそう簡単ではないような気がしています。
アグレッシブ(攻撃的)なコミュニケーションがダメというのは倫理的直感にも通じるので分かりやすいんですが、
ノン・アサーティブ(非主張的)なコミュニケーションがダメというのはそれと同じ文脈で説明できないどころか、
ある意味「道徳的に正しいこと」をいったん否定してみる必要性すらあるのではないかと予感しています。
つまり、聴き専に回るということ自体は、その人なりに相手を尊重している行動でもあるわけで。
ノン・アサーティブがダメと言われると「相手を尊重する〈正しさ〉より自分の欲求を優先しろと?」
とその人の誠実性を否定する話にもなりかねないと思っているのですが、
この辺は専門家の話を聞いてみないと実際どうなのかはわかりません。


実はアサーションに関する本は例の絶縁した知り合いに勧められて買って読んだことがあるのですが、
内容が陳腐に思えたのでメルカリで手放して「無かったことにした」という黒歴史があります。
知り合いが勧める本を否定してみることが、当時の自分なりに「ノン・アサーティブを超える実践」だったのかもしれません。
自己表現の機会に圧倒的な差が生じている人間関係では、
思想の相違や利害などとはまた違う文脈でそういう反抗的な気持ちも起こりうるのでしょう。
しかし6年を経て自尊心も周辺環境も一変したいま、アサーション自体は改めて学ぶ価値のある分野なのかも。
加齢によって膨張しすぎた自尊心をどう切り崩すかという問題も横たわっている昨今、
これがとっかかりになってくれればいいなとも思っています。


#8062

理想化と脱価値化

今日の出来事心理学

正月休みにプラットフォームアプリを買い、
リポジトリを作って少しだけプログラミングしたPICO-8のゲーム制作ですが、
実家帰省終了後の不調に飲み込まれる形で早くも頭の隅から消えてしまいました。
このケースがまさしく典型的な例なのですが、
自分はある有望なツール、特にクリエイティブ分野に関する魅力的なツールを発見するとすぐには着手せず、
しばらく「これでどんなものを作りたいか」というようなことを妄想する期間があります。
そしてキリの良いタイミングで実際に着手すると一気に熱意が引いていき、
結局実績らしい実績は何ひとつ作れないというようなことがとてもよくあります。
概してUIが優れているものに多い傾向にあり、かつてはDAWなんかも対象にしていました。
が、もちろん作曲などやったこともありません。


これは心理学的には「理想化」「脱価値化」と言うそうです。
ある人や物などの概念に対して、過剰に良い点ばかり取り上げて価値を不当に釣り上げるのが理想化。
その概念のちょっとした欠点を目にするなど欠点を知るやいなや、理想化の反動で無価値になるのが脱価値化。
後者については最近の若者文化では恋愛的な文脈で「蛙化現象」とも言います。


理想化→脱価値化という流れは普遍的な心理であり、これ自体完全に逆らうのは困難かと思います。
一方、こうした価値観の乱高下は典型的な白黒思考、
要するに「0か100か」でしか考えられない未熟さを否定することができません。
そういう極端なものの捉え方はいい加減に卒業したいところではあります。
日常レベルでは白黒思考もずいぶんと緩和してきているように思われ、
たとえば2019年時点の自分を思い返すかぎりでは当時よりはマシになっているという実感はありますが、
こういう期待値の高いものについてはまだなかなか「ほどほどの価値」を認められずにいます。


こうなってしまう原因として、そもそも理想的なものを作る妄想をしているときが一番楽しい、
という低スキルならではの悲しい現実があります。
つまりPICO-8で自分が得たいのは本質的にはゲーム制作体験というよりは、
万能な自分が理想的なゲームを作る妄想の補助的な何かなのではないかと思うわけです。
このスキルが低い故に現実を見れない、という課題はAIによって解決したかのように思っていたし、
だからこそこの歳にしてゲームを作りたいと思ったという経緯もありますが、
実際にはバイブコーディング(AIとの対話によってのみコードを書く手法)との親和性が思ったより悪かったのもあり、
それによって萎えてしまったというのもあります。
この辺は、本当にバイブコーディングできないのかどうかはまだ検証中で諦めるのは早すぎるし、
復調したらどこかでリベンジしたいところではありますが……。
まぁ、こういう「思っていた開発手法が通用しない」というのも脱価値化につながってしまうのでしょう。


あとは理想化対策で考えられるのは、妄想期間をなるべく短くするということですね。
つまりツールを発見して有望なら、その場で触ってみる。
「ツールを触ることそのもの」を保留する理由は無いし、それはしちゃいけないということです。
昔の自分を思い返してみても、これはひとつの反省として考えられるかなと。
可及的速やかにまずツールの現実を知り、その知識を踏まえてできることを考えるのは良いと思います。
ツールも触らないうちからその概要だけを頼りにあれこれ妄想するのは思い込みもはなはだしい。


理想化と脱価値化はこうしたクリエイティブツールに限らず、人間関係や仕事、
あるいはさまざまなエンタメ作品にも言えるのではないかと思います。
積みゲーも本質的には「理想的なタイトルを知っている自分」を留保したいだけなのではないかと。
こうして考えると、この心理作用は自分の悪癖の根本とも言えるものなのかもしれず、
そういう意味では今後も折を見て掘り下げていく価値があるようにも感じます。


#7725

ナルシシズムを自覚する

小塩真司 『「性格が悪い」とはどういうことか ー ダークサイドの心理学』 という本を読んでいます。
最後まで行かなさそうな予感がするので感想を書いてしまいます。


この本に何が書かれているのかについては、タイトルがすべてです。
1990年代以降、心理学会で活発に語られるようになった「ポジティブ心理学」の対極として、
ネガティブな心理学、すなわち悪い性格に関する研究も進められてきました。
本書は「ナルシシズム」「サイコパシー」「マキャベリアニズム」「サディズム」
という4つのダークな性格に焦点を当て、それら性格を有する人がどのような傾向にあるかを淡々と解説します。
「ダークな性格は悪なので克服するために何ができるか」といった話は一切出てこない一方で、
ネット荒らしや出会い系アプリにおける不健全な利用とダークな性格の有意な相関性が示されるなど、
それらが多かれ少なかれ「反社会性」や「非社会性」を有していることが説明されています。
ここで、本書を参考に各ダークな性格についてごく簡単な説明を加えるとこんな感じになります。


  • ナルシシズム:自分自身は特別であると信じ、賞賛や承認に飢え、それが得られないと機能不全に陥る傾向。
  • サディズム:他者に肉体的・精神的苦痛を与えることを厭わず、それを見ると快楽を感じる傾向。
  • マキャベリアリズム:自己の利益のためならば他人を無慈悲に利用しても構わないと考える傾向。
  • サイコパシー:感情反応が冷淡で自己コントロールができず、衝動的な傾向。

断っておきたいのは、これらは「当てはまる」「当てはまらない」の2択ではないということです。
どんな人もある程度は当てはまっているものの、個々人によって程度の違いがあるというだけです。
ただし、日常生活に支障が出るほど極端になると精神病としてみなされるというわけですね。


さて、当ブログの読者ならピンと来たかもしれませんが、自分はナルシシズムの傾向が強いと思っています。
いわゆる「自己愛」が一般的な人と比べてかなり強く、特別でありたいという欲求に抗えません。
だからこそ長年、承認欲求に関する悩みと戦い続けているし、
2022〜2024年にマイブームとなった「無能であることを受け入れるべき」という思想も、
根本にはそもそも自分はナルシズム傾向が強いからという性格的な問題があります。
では、この性格はどこから来ているのでしょうか。
やや他責的な主張になってしまいますが、
自分は思春期前期における社会的な風潮も決して無視できないと思っています。
それを象徴する楽曲として、2002年に一世を風靡した楽曲にSMAPの『世界に一つだけの花』があります。



No.1 にならなくてもいい もともと特別な Only One



あまりにも有名な歌詞なので引用するまでもないのですが、
これに象徴されるように、当時は「みんな違ってみんな良いんだ」というような風潮が強くありました。
単一的な競争原理を否定し、個を大切にする。それ自体は大事なことだと思うし、
実際に昨今の教育現場では体育祭では順位を決めず、期末テストでも順位を出さないようになっているそうです。
まぁそれは競争原理を否定するというよりはただ単に「隠しているだけ」なのですが。
ともあれネットの発達によってニッチな活動が注目される可能性はここ20年でかなり大きくなってきたように感じられ、
表面上は「世界で一つだけの花」がより活躍できるような社会にはなってきていると思います。
一方でいわゆる努力のできない人にとっては地獄のような環境だし、
自分もそういう意味での生きづらさをまったく感じないと言ってしまうと嘘になりますが……。


しかし、このメッセージにはナルシシズム的傾向を正当化する強いチカラも宿っていると思います。
自分も、個性が大事なのだと言われ続けて育った結果、
「自分は特別である」という自覚は正しいものだとずっと思い込んでいました。
結果的にこの歪んだ自己愛性を自覚するまでにものすごい年月がかかってしまいました。
その間に生み出した不完全燃焼の黒歴史は数知れず、嫉妬に溺れたことで失ったものはあまりにも膨大です。
20年間でかなり良い方向へ向かったとはいえ、実社会において競争原理はいまだ根強くあり、
実際には凡人以下なのに「自分は特別だ」と思い込むことは行動力の面からかなり負のファクターとなりえます。


ナルシシズムは誇大妄想に耽溺しやすい傾向があり、妄想と現実の間にはものすごい隔たりがあります。
妄想に入り浸っている間は何も行動しようがないので、当然それは誰も認めてくれない。
なんとか頑張って成果を生んだとしても、それも妄想上の出来栄えとは比べ物にならないほど拙いのが当然です。
この辺はナルシシズムに特有の「行動の壁」があるような気がしてならない。


本書にはダークな性格を持つ人の困難に対する処世術が載っているものかと期待していましたが、
そこまでは書かれていませんでした。
とはいえ、自分がナルシシズム傾向の強い人間だと改めて自覚する契機になったのは良かったと思います。


#7523

心理的不満の非合理性

今日の出来事心理学

これは強く戒めの意味を込めて書きますが、
イライラする、心理的に不満であるような気持ちになるというのは非合理なこともよくあり、
原因をあれやこれや考えること自体がかえって泥沼に陥る要因になることもあるというのは心に刻みたいなと。


何か不足を感じる、イライラする、心にわだかまりを抱えているような状態に陥ると、
ついつい自分が社会的に正しくなかったり、自分のやっていることや状況が自分の主義に反していたり、
あるいは誠実さから離れてしまっているからそうなっているのだと反射的に考えがちです。
しかし、最近改めて思うのは 「イライラ感」は身体の些細な不調に反応して起きていることも多い ということ。
たとえばいつもよりも若干寝不足だとか、そういうちょっとした生理的なリズムの乱れが心を乱すこともある。
そういう可能性を考慮せずに「なぜイライラしてしまうのだろう」と考え始めてしまうと、
当然の成り行きとして直近の行動について反省を始めることになります。
すると自分のこの行動は失敗したかもしれない、
他人は蔑んでいるかもしれないなどという根も葉もないネガティブなことに縋りがち。
原因が皆目分からないよりは、そうやって確証めいたものがあると多少は安心できるからです。


そうして直近の行動にイライラの原因を求めると、
やがて自分が悪いのかそれとも他人や環境が悪いのかなどという二択問題に陥ってしまい、
あっちが悪くないならこっちなのか、いやこっちよりも強いて言えばあっちの方が……
などという無限ループにハマってしまったらもう終わりです。最悪の場合年単位で悩むことになる。
実家社会人時代の自分などはまさにその典型例でした。
当時はものすごく他者批判的な考えに寄ったかと思えば卑屈を極めて鬱になったこともあり
いまと比べるとかなり極端な思想に染まっていたと思いますが、
根底的には生活リズムを正せないという長年の生理的な悩みがあったのだと思います。


何か心の不満を感じて原因を求めないのは難しいですが、
「ヒトも動物である以上、身体と心はリンクしているものなのだ」と知っているだけで、
ある意味多少のストレスは身体のせいにできるので気は楽になります。
まあそれが正しいかどうかはさておき、身体的健康も大事にしたいところ。
よく嫌なことがあったらとりあえず美味しいものたくさん食べて気が済むまで寝ろ、と言われますが、
これは身体的不調に陥っている可能性を飲食と睡眠で洗い流すという意味ではきわめて効果的だと思います。


#7438

MBTI診断受けてみた

今日の出来事心理学

最近若者の間で流行っている(?)、MBTI(マイヤーズ・ブリッグス・タイプ指標)診断を受けてみました。
それによれば自分は「提唱者(INFJ-T)タイプ」だそうです。
世界的に見ればまれですが、日本人に限ればそこまで珍しくもないタイプ。
これは4つの指向性によって決まり、その結果は4文字のアルファベットで判別できるようになっています。


外交 (E) - 内向 (I):Eは交流を好むのに対し、Iは一人でいることを好む。
感覚 (S) - 直感 (N):Sは具体的・現実的な情報を重視し、Nは抽象的なアイデアや隠れた意味を見出す。
思考 (T) - 感情 (F):Tは公平性・論理・客観性を重視し、Fは他人の気持ちや他人との調和を重視する。
判断 (J) - 知覚 (P):Jは計画性・ルール・秩序を重視し、Pは柔軟な対応や自由を重視する。

これによれば自分は内向・直感・感情・判断の傾向が強いというわけですね。
「提唱者タイプ」の解説を読むと、結構的確に自分の性格を表していると思いました。
自分自身の成功よりも他人を支援する利他的行動に人生の意味を見出す傾向にあること、
そしてそれゆえに自分のやったことが他者から批判されると強いショックを受けることが多かったり、
自分自身のケアを怠ってメンタルが崩れやすかったりするなど。
まあおおむね自分の自己分析とも一致しています。


MBTI診断は最近のティーンエイジャーの間ではかなり流行っているようで、
SNSのプロフィール欄にこのアルファベット4文字が書かれていることも多いです。
特に多いのは出生年の下2桁とセットにしているパターンですね。
2004年生まれでINFJなら「04 INFJ」みたいな書き方をしているケース。
MBTIで検索すると「XXXXタイプは性格が悪い」みたいなことを言っているサイトもちらほら見かけますが、
MBTI診断自体は科学的なお墨付きがあるわけではなく、根拠にはなりません。
要は15年くらい前に流行った血液型説明書みたいなものでしょう。
一定の心理テストを経て診断が下される以上、さすがに血液型占いよりは信憑性はありそうですが……。
匿名系SNSで話し相手を探す手がかりには良いのかもしれない。


こういうものが流行ったときに気をつけないといけないのは、タイプ丸ごと偏見の対象にしたり、
そういう言説に耳を貸したりしてはいけないということですね。
「性格の悪いMBTIタイプランキング10選!」
みたいなことを言っているブログやSNSアカウントはシャットアウトすべきだし、
間違っても自分がそういう発信者になってはいけない。
ただ、実際特定タイプの人の悪い面を目の当たりにして偏見が強化されてしまうことはあるだろうし、
16タイプもあるとなると各タイプのサンプル数を稼ぐのは難しいと思われます。
その中で相性の良し悪しを実感することがあれば、相性の悪いタイプの人は避けるようになるかも。
それはリアルやビジネスの場では許されないと思いますが、
ネットで軽い話し相手を探すような場ではMBTIタイプに基づく立ち回りも許される時代なのかなとは思います。
リアルの人間関係ではMBTI診断自体まず出さない話題ですけどね。


前へ1 / 2次へ