Chrononglyph

#8183

愛を実践する方法

今日の出来事結婚観

元同僚とのボイチャで年収の話になったとき、
「実は生涯独身前提なら長期で見るとお金はかなり余る」というような話をしたところ、
本当に生涯独身でいいの? という結婚観の話になり、かなりのぶっちゃけトークが盛り上がりました。
実はこれは2回目で、2年前にも似たような話が盛り上がったことがあります(#07376 / 2024年02月26日)。


当時の記事を読むと、当時はかなり前向きに恋活をしようと考えていたようです。
ブラック企業勤務→上京後不安定期と経て、ようやくそういうことをする余裕が出てきたのだと。
が、結局2024年から一度も街コンなんて行っていないし、重い腰を上げられていないのが現状です。
もう取り返しのつかない年齢に片足突っ込んでいるのに本当に何も動かなくていいのか、
と言われると、確かにここで文字通り何も動かなかったら後々後悔しそうな気はしています。
一方、多少なり動いた結果、異性に幻滅して結果的に生涯独身になるなら、それはそれで良いと思っています。
まぁ、あと今後独身社会になることは目に見えているので、
高齢になってから独身で困ったとき、それをフォローするサービスが流行るんじゃないかと楽観しているのもあります。
高齢で保証人無しでも入居できる賃貸マンションとか、従来よりずっと若い年齢から入れる老人ホームとか。
定年を迎えてから初めて結婚するためのマッチングアプリなんてのも出てくるんじゃなかろうか。


結婚観についての自分の考えは1年前にまとめた時点からほぼ変わっていません(#07845 / 2025年06月08日)。
家庭というのはいわばミニ社会であり、夫婦はお互いにとってお互いが代替不可能な構成員。
そのような「契約」において、相手にとって相応しい自分を求められるというプレッシャーは、
たとえば誰にも見られていないと破滅的に行動できないような人にとっては
人生を矯正するための支えになるでしょう。
ただそれは同時に自由を自ら差し出す行為でもあり、またそもそも相手が期待通りに振る舞うともかぎりません。
そう考えると結婚に関して現時点で何を考えても意味は無いとすら言えるわけです。
独身風情が結婚に関してどんなに立派な考えを持っていても、それは一人の意見にすぎない。
それに相手方の結婚観を止揚して「二人の意見」になって初めて、それは実践に値するスローガンになるのでしょう。
なので、相手がいない段階で「結婚とはこういうものである」と断言するのはダサいと自分は思っています
(こういう信念自体がかなり「面倒くさい」と思われそうなことは承知していますが)。


それはそれとして、自分の信念や倫理観と照合して「結婚とはこういうものであってほしくない」というのは言えそうです。
たとえば既婚というステータスを得たいからとか、世間体が気になるからといった動機で結婚するのは、
結婚後、特に子育てに係る責任の重さを考えると理にかなっていないと思うし、そこに「愛」はあるのか甚だ疑問です。
世の中、そういう体裁だけで自主性皆無で結婚したような例はたくさんあるし、
彼ら彼女らがなんだかんだでうまく行っていることを考えると、結婚を重く捉え過ぎている向きもあるのかもしれません。
しかしこういう考え方は不可逆的なもので、いまさら信念を下げられない現状もあります。
ここは結婚観というより自尊心の問題なのかもしれません。


いま、たまたまエーリッヒ・フロムの『愛するということ』という本を読んでいて、
そこでも世間体ありきの結婚は全否定されていますが、ここで語られているのはもっと根本的な問題です。
まず、フロムは人間は本当の意味で分かり合えることは無いという意味で、人は孤独から逃れられないとします。
だからこそ、他人と「ひとつになりたい」という切実な気持ちがある。それが愛の根源的な欲求なのだと。
現代資本主義社会は、商品のみならず人も社会的な価値で「商品化」され、
その上で行われる自由恋愛ではしばしば「いかに愛されるか」を競う競争が繰り広げられています。
たとえば容姿、体型、年収、趣味の実績、頭の良さなどのステータスが優れている方がモテるといったような感じですね。
現代的な恋愛の文脈では相手を(社会的な価値で)満足させることを重視しますが、
フロムはそれは単に他者依存的なだけで本質的な愛ではないといいます。


フロムは、愛を実践するためには自分を高度に客観視し、
他人のみならず自分自身の成長を願い、配慮し、尊重する必要があるといいます。
他人をただただ神格化し、相対的に自分を卑下するような愛や(神への愛)、
自分が無力でないと成り立たない愛(母の愛)、頑張らなかったら認められない愛(父の愛)は「未熟な愛」とし、
特定の人に依存しない、能動的に「こちらから愛すること」を重視します。
つまり「いかに愛されるか」よりも「いかに愛するか」であり、それは成熟なくして実践は困難なのだと。
しかし現代社会は構造的にその実践が困難なのだという、半ば資本主義批判みたいな本という認識です。
「運命の人」に対して否定的な意見を述べているのは、『幸せになる勇気』(#06043 / 2020年07月06日)とも共通しています。
フロムの愛に対する実践の厳しさは、アドラーの「共同体感覚」に似ているようにも思う。


自分の思春期の恋愛観や異性観は、フロムやアドラーの言う「神への愛」のそれに他ならず、
だからこそ結果的に成就しなかったのは正解だったのかもしれないとさえ思います。
一方、「愛するということには成熟を要する」というフロムの言説は、
個人的には近年ようやく発達してきたコミュニケーション技術周りに通じるような気がしています。
それは相手が好きだからとかそうでないからとか関係なく、
相手と会話する以上は相手を尊重し、その成長・発展を願い、かといって自分自身も無下にしないというバランス感覚。
もしかしたらこれは、結婚にも活かせる基礎スキルなのかもしれません。


とはいえ、「愛する技術」をただ磨けば良いというわけではないというのが難しいところで、
フロムが資本主義社会を批判しようが、現代人である自分たちは資本主義の枠組みからは基本的に逃れられません。
結局、愛の実践をしたいなら資本主義社会の仕組みにある程度沿って自分を「商品化」する必要がありそうです。
要するに現代における「愛」は、ヒトの根源的な欲求としての愛と、社会の仕組みの板挟みにあるということです。
これに対して答えを出すのはそうそう簡単ではないように思われ、少なくとも自分は答えを出せる自信はありません。


いまのところスタンスとしては生涯独身を受け入れると同僚にも言っているしブログでも一貫してその立場ですが、
これは具体的に動いてみて結果的にダメだったときのリスクヘッジみたいな意味合いもあります。
しかしそもそも論として、自分は他人との同居が性格的に合っていないというのもあります。
自分はパーソナルスペースを犯されたくないという気持ちが(おそらく)他人より強く、
だからこそ実家時代は家族とパーソナルスペースの問題でストレスを感じることが多くありました。
まぁ、実家はかなり特殊なケースだと思うので、それを他者全体に適用するのは間違っているかもしれませんが……。
とにかく、一人暮らしが確立して久しいのでいまさら誰かと同居したくないという気持ちは強くあります。
そういう意味でも自分にとって利害関係で見ると結婚はメリットがあまりにも少ないという現実があり、
これは半ばどうしようもないという現実はあります。


それでも「出会ってみないとわからない」以上は行動を起こしてみる価値そのものは変わらないわけですが、
現状合理的な観点からするとあまりにも行動を起こすためのハードルが高いと言わざるをえない状況です。
しかし、せめてこうしたことをぶっちゃけられる相手がいるというのは恵まれていることなのかもしれません。



同じタグを含む記事(結婚観
#8183愛を実践する方法』(2026/05/12
結婚観今日の出来事
#8017嫉妬の根源を整理する』(2025/11/27
価値観の問題結婚観今日の出来事
#8011結婚の現実的な条件』(2025/11/21
結婚観今日の出来事
#7845結婚という名の契約』(2025/06/08
結婚観今日の出来事
#7663結婚は人生の墓場か』(2024/12/09
結婚観今日の出来事
#7019自由か束縛か』(2023/03/06
結婚観文化
前後の記事