Chrononglyph

結婚観

#8017

嫉妬の根源を整理する

いわゆる既婚者などの恋愛市場における「成功者」に対する嫉妬は思春期以降長く続く負の側面であり、
昨今は元同僚の結婚によってその感情がいまもなお根強く残っていることを自覚せざるをえなくなりました。
この問題は単に恋愛観・結婚観のみならず自分のアイデンティティーにも深く根ざしている問題でもあり、
解決はそう簡単ではありません。
しかし一方で、今後も嫉妬し続けるのは明らかに不毛であり、人生に悪影響を及ぼす可能性を否定できず、
乗り越えられるなら乗り越えるべきハードルとして認識しています。
今回、良い機会だったので多少深くまで掘り下げてみました。


まず、自分の周りにはわかりやすい比較対象として既婚者が2人います。仮にAさん、Bさんとします。
この2人は以下のようにわかりやすい差異があります。


  • Aさん:30代半ばで、自然恋愛の結果として結婚した。客観的に見て清潔感のあるイケメンで、コミュ力は高い。
  • Bさん:40代前半で、結婚相談所を利用してすぐに結婚した。容姿は平均以下で、業務スキル・コミュ力ともに低い。

自分はAさんに対しては嫉妬心をいっさい抱きませんが、Bさんに対しては強く嫉妬します。
これは、Aさんは日頃から人としての基本ステータスを高めるために継続的に努力していて、
しかも対人スキル・業務スキルをも高めようとするモチベーションが客観的に見て高いので、
そうした努力を払った結果としての結婚という捉え方ができるのに対して、
Bさんは努力とは無縁にも関わらず結婚相談所という制度を利用してお金の力で結婚しているという認識だからです。
つまり、結婚は努力の結果であるという前提に基づくとBさんの結婚は不当な報酬なのではないか、という考え。
そもそもBさんは実家暮らしなのでお金が貯まることさえ本人の努力の結果ではなく、単に運が良かったからです。
そういう意味でも独身かつ地方出身の一人暮らしからはなおさらアンフェアに映る。


では結婚相談所を利用した結婚は「ズルい」のかというと、ここは信念との兼ね合いでそう見えるのかなと。
結婚相談所は、まず第三者の介入がある時点で主体性に欠けています。
「赤の他人である誰かに選んでもらった『いますぐ結婚したい相手』と結婚する」という側面を否定できないわけです。
世の中のカップルが交際開始してから結婚に至る平均年数は3.4年だそうですが、
自然恋愛の結果として結婚する人は少なくない時間コストを払って人間関係を十分に成熟させてから結婚しているわけで、
結婚相談所を利用したスピード婚はそうした段階をもカットしてただ結果としての結婚を追い求めています。
つまり彼らは、交際相手と深く分かり合った結果として結婚をしているというよりは、
ステータスとしての「結婚」を得たいがために活動しているという事実を否定できません。
必死に勉強して受験戦争を勝ち抜いて大学進学する高校生も
「学生という肩書きがとりあえず欲しい」と思って通信制大学にお金を払って入学する社会人も、
過程や実態に大きな差はあれど、それぞれ「大学生」という肩書きに違いはありません。
恋愛結婚と見合い婚(結婚相談所を利用した結婚)にもそれと似たようなものを感じます。
合法な制度としてあるルートを利用することは悪とは言えない。
けれど、そこまでして結婚したいかどうかというのは個々人の信念(自尊心)に依存すると思います。
そして、ある種の信念を持つ人にとって、結婚相談所の利用はある意味「誠実でない」ように見える。


また、結婚に必要なものは突き詰めると、見た目の良さや異性としての魅力といったステータスよりは、
ある程度の年収と結婚してから死ぬまで共同生活をするに値する価値観の一致です。
つまり、過程としての恋愛は必ずしも必要なわけではないというのが重要なポイントになると思います。
そう言う意味で見合い婚はその人の異性としての魅力や見た目、
その他社会的ステータスが全面的に肯定されなければ成婚しないというわけではなく、
その意味では価値観が一定程度一致する相手と「契約」を取り交わしたにすぎないという見方もできます。
「運命の相手」などというものは存在し得ず、価値観さえ一致すれば究極的には誰でもいいわけです。
そこに果たして愛は介在しうるのか、はなはだ疑問です。
「幸せ」を価値基準の中心に据えたとき、恋愛結婚と見合い婚の価値は大きく乖離している可能性は否定できない。
もちろんそれは一般論であり、個別具体的にはそうでないケースもあるでしょう。


ただ、事実として結婚相談所には行き遅れた人をメイン層として男性の約3倍の未婚女性が待ち構えていて、
彼女たちは(社会的外圧のせいで)必ずしも主体的に婚活しているわけではありません。
自分は、そういう人が結果としての結婚をした結果、軽率に選んだ旦那との共同生活が嫌になってしまい、
かといって不倫や離婚をする勇気も無いのでただひたすら陰口を言って発散しているケースがあるのも知っています。
「旦那デスノート」みたいなサイトはそういう受け皿として需要があるということなのでしょう。
こういう実態も考慮すると、見合い婚は幸せになるどころか地獄の始まりになる可能性すらある。


自分はBさんの容姿と基本ステータスのみを知った上で、
「結婚した」という報告を聞くとどうしても嫉妬してしまう。
自分が得ている情報だけではBさんが不当に利益を享受して幸せになっている可能性を否定できないからです。
しかしここまで考えてきたように、一般的にイメージする恋愛結婚と見合い婚の実態にはおそらく乖離がある。
自分がイメージするような結婚そのままの幸せを享受していない可能性も十分あるということです。
しかし、実際にはどちらが正しいのかは第三者には知る由もありません。
ここが大きな問題で、このように情報の不足によってどちらもありうるが、
どちらか一方だった場合に自分にとって著しく都合が悪い場合、そちらの可能性を強く意識せざるを得なくなります。
これは嫉妬心のメカニズムであり、理屈では「どっちも半々でありうる」と分かっていてもどうにもなりません。
きれいに50:50で分けて考えることができないわけです。
これが一般的な心理作用なのか、一種の「ゆがみ」なのかは分かりません。


ただ、「ゆがみ」であるとしたらそれは他人のことを自分ごととして捉えてしまうという「ゆがみ」なのかもしれません。
メンタルが弱っているときに陥りがちなことです。
自分はこれまでの人間関係トラブルの反省として、他人に期待することは基本的にはするまいと心に決めました。
その決心はこれまで比較的順調に続いてきたように思っていましたが、
この嫉妬も言うなれば「結婚に関する決断はきわめて慎重に、自由かつ誠実に準備したうえで為されるべき」
という個人の信念を他人に適用しているからこそモヤっている側面も否定できません。
つまり自分だけのルール(信念)で他人をはかり、他人がそれを逸脱しているので怒っているにすぎないのではないかと。


また、「自分がその立場だったらしないことを他人がしていると怒りを感じる」というのは
昨今のSNSの炎上の基本的な動機でもあると思います。
だから著名人はきわめて慎重なコンプライアンスを運用せざるを得なくなっているし、
その息苦しさはすでに個人にも蔓延しています。
こう書くとこの問題は倫理をどう捉えるかというところに行き着くような気もします。


さらに言えば、結婚に対する嫉妬心は時代が生み出した偏見と捉えることもできると思います。
人類史全体から見て、恋愛結婚が「当たり前」だった時代はほんのここ50年ほどの新しい概念であり、
しかもすでに廃れ始めているように思います。
自分はその50年のど真ん中に生まれた世代であり、恋愛は素晴らしいもの、ロマンチックなもの、
そしてその終着点として結婚があるという「常識」を周囲の大人やメディアによってさんざん刷り込まれてきました。
見合い婚やマチアプなどのシステムを使った恋活・婚活はその常識に反するものであり、
世代的価値観の観点から受け入れるのが難しいという見方もあると思います。
自分よりもっと上の世代はお見合いが一般的だったし、下の世代はマチアプが一般的なので、
ちょうどその狭間に生まれてしまった、ある意味では不幸な世代と言えるでしょう。
「時代のせい」で片付けるつもりはありませんが、思春期に植え込まれた偏見というのはきわめて強力な思想であり、
これを否定することは思春期の体験を否定することにもなりかねません。


果たしてこれは信念など価値観の問題なのか、メンタルの問題なのか、倫理の問題なのか、はたまた世代の問題なのか。
恋愛と結婚という問題はそれらが交わったところに存在する、ひときわ厄介な案件なのだと改めて思います。
自分が結果的に生涯独身を選ぶことになったとしても、それまでにこのテーマが片付いているのかさえ分かりません。


#8011

結婚の現実的な条件

今日の出来事結婚観

そういえば今年は全然真面目に考える余裕が無かった、「自分は結婚すべきか否か」問題。
基本的には独身を謳歌して無責任に死ぬというのが無難な人生計画になるかと思っていますが、
一方で既婚者に対する妬みが消えないことから、結婚願望がまだ心に残っていることは否めません。
どちらを選ぶにしても振り切った方が良いと思うのですが、
どうもここ数年ものすごく中途半端なところで歩みを止めてしまっている感がある。
去年はどちらかというと年間を通じて生涯独身を支持する思想が強かったように思われ、
地方時代にお世話になった先輩に同意されたことでその思想は補強されました(#07663 / 2024年12月09日)。


今年は元同僚のグループで2人目の既婚者が出たことが、どちらかというと結婚願望を増強する方向に振れさせました。
ただしこれは思想の変化というより単に嫉妬心が呼び覚まされたというだけのことであり、
不純な動機と言ってしまえばそれまでのことです。
この「2人目の既婚者」は失礼ながら自分より年収、業務スキル等々はいずれも明確に下回っているし、
コミュ力や教養や容姿もそれほど優れているわけでもないのですが、実家暮らしをしていたことで資金力がありました。
この人の成功例から、「自尊心を捨ててカネさえ出せば結婚はいつでもできる」と考えるようになりました。
それが正しいのかどうかもわからないし、失礼な偏見に基づく失礼な仮説にすぎないというのはその通りなのですが、
身近に具体的な前例ができたことで結婚の現実的なハードルは実はかなり低いと再認識したのは確かです。
決して生まれたときから勝ち組のイケメン美女だけがしているわけではないと。


ここでいう「現実的なハードル」とは何かというと、つまりお金です。
結婚費用の平均は結婚式ありで450万円(祝儀で4割返ってくる)、結婚式なしで100万円というのが相場だそうで。
これをポンと出せる余力があるなら、あとは結婚相談所にでも登録すればいい。
要するに奇跡的な出会いだとか異性から見た魅力云々というより、お金の問題だということです。
ロマンチシズムを全否定していますが、
恋愛というフェーズを飛ばして考えるなら必然的にそうなるということなのでしょう。
もちろん相手のステータスは最低限になりますが、
できる・できないで言えば、最低100万円用意すればできるということになる。


もちろん、したい・したくないという問題はまた別個で考えなければなりません。
パートナーがほしい・ほしくないで言えば、理想論だけで考えればほしいのは間違いないでしょう。
むしろいまの希薄な人間関係だけではいつか心が壊れてしまうんじゃないかという危機感もあり、
パートナーがいることはそれに対する救いになりうると思います。あくまで理想論にすぎませんが。
最大の問題は子育てをしたい・したくないという問題です。
子育てはどんなに甘く見積もっても茨の道の連続であることが容易に想像でき、人生への影響は計り知れません。
結婚そのものよりもはるかに大きな影響があるでしょう。
ここに対する自分なりの結論というのをちゃんと持っていないと、結婚する資格はないだろうと思っています。
まぁここは個人でどう思うかというよりパートナーと考えるべきところであり、
いま考えても仕方がないところではあると思いますが。


いずれにしろデッドラインは30代後半までだと思っています。40歳になったらアウトという認識。
そこを越えてから「やっぱりしたい!」と思っても、お金があっても手遅れな可能性がある。
もちろん現時点ですら10年遅いと言われればそうなのですが、
とにもかくにも最終的に判断する材料にするためにも一定程度の行動はどこかで起こしておきたいところです。


#7845

結婚という名の契約

今日の出来事結婚観

昨日の元同僚とのゲーム会で、元同僚のうち一番年上の1人が結婚していることが判明しました。
これでいつものメンバー5人のうち、既婚者は2人目となります。
自分が一番年下で、順当に上から順に既婚者になり始めたなという印象。


結婚観については自分の中でいまだ確固たる結論が出ていませんが、
社会的責任等々を除いて考えれば「独身の方が楽」というのはほぼ間違いないだろうと考えています。
ただし楽であるというのは、幸福になれることと同義ではありません。
つまり結婚する・しないは幸福になれる・なれないと直接的に関係があるわけではない。
ただ、これまで既婚者の話を聞いているとどうしてもリスクとリターンが見合っているように思えないんですよね。
合理主義的な考え方では、「結婚する方が良い」という結論に持っていくのは極めて難しいのではないでしょうか。


上京以後、何度か既婚者(男性)から結婚についての話を聞いたことがありますが、
みんな口々に「独身よりも辛くなった」ということを強調しているように思います。
嫁に財布を管理されるようになってしまった、かといって嫁は働かないので家計が辛い、
結婚式と新婚旅行だけで数百万円の貯金が飛んだ、等々、経済的な悩みを聞くケースが多いです。
「結婚して良かった! 幸せ!」というオーラを既婚者からこれっぽっちも感じないのは、
恋愛結婚ではないからなのでしょうか。
2023年にお世話になった現場の上司とは一度だけ飲み会で一緒になる機会があったのですが、
どうやらバツイチで結婚に関しては「後悔しかない」と断言していました。
仮に次に女を作るとしてもせいぜい事実婚までで、絶対に籍は入れたくないと。


なんというか、こういう話を聞いて結婚に対して抱くイメージはやはり「契約」なんですよね。
基本的には男が女を養うという契約。もっと嫌なことを言えば、お金さえ出せばできる契約とも言える。
養うに値するお相手さえいれば、このアシンメトリーな契約でも男性側にも納得感は生まれうるのでしょう。
しかし結婚相手を「養うに値するかどうか」という物差しで見るのは
人生のパートナーを選ぶという意味では適切ではないように思います。
生活を共にする以上、相手の欠点も知り尽くした上で相互扶助できる関係性は必須ではなかろうかと。
アシンメトリーな契約でもどちらかが「この人がいないともう生きていけない」と思うなら結婚しても良いと思いますが、
それはあくまでも恋愛の延長、かつ理想論でしかないんだろうなとは思います。
結局、30代になってしまってから結婚を恋愛観や理想論ありきで語るのは無理があるので、
これをもっと実生活に即した現実的なレベルに落とし込む必要があるでしょう。
その意味での「現実的なレベル」が、実は部外者から見ると「契約」に過ぎない味気ないものに見えるのかも。
経済的負担を強いられているだけでまるでメリットが無さそうに見えるけれども、
内実としては本人の社会的責任がステップアップすることなど、さまざまな変化があるのでしょう。


終生まで考えたときに「人生を並走するパートナー」は結局必要であるということを否定できないなら、
現実的なレベルで「契約」してしまうことにも意味はあるのかもしれません。
だからこそ昭和時代はお見合いという文化が成立していたわけです。
しかし実際には、結婚したとして並走してくれるとも限らないというのもまた現実です。
この趣旨なら、たとえどんなに妥協したとしても、
「並走する」という価値観を共にする相手でないならその人と結婚する意味はありません。
自分の倫理観では結婚という契約自体に「人生を並走すること」が含まれているように思うのですが、
既婚者の知り合いを見ていると、それもまた単純な話ではないように思っています。
こういうことは新婚の人を見ていても分からないのでしょうね。
10年、20年と経ってどう感じるものなのか。


そういう点では、娘の結婚を見届けた元同僚で年上の女性が「結婚は人生の墓場というのは嘘じゃない」
と言っていた話が重くのしかかってきます(#07663 / 2024年12月09日)。
結婚も子育ても試練の連続だと。結局結婚がゴールではないんですよね。むしろそこが茨の道の始まりでもある。
では、その「試練」が自分の人生に与える意味はなんなのだろうかという話になるわけです。
それは直感的には単なる損得勘定では語れないような気はする。
たとえば「子どもができる」ということが試練に対するインセンティブとして語っても仕方がないということです。
自己都合だけで言えばリスクとリターンが釣り合っていないことは明らかで、
ここでも冒頭に書いた合理主義では語れないというところに突き当たってしまいます。
しかしそれは「一人の自己都合」だから行き詰まるのであって、独身風情には前向きな答えは出せないのでしょう。
「二人の都合」では結論は変わるかもしれない。
ただ、「二人の都合」が世間体や親族の勧めだとしたらいかにも主体性を欠いていて浅はかだと思うわけで、
そこに何らかの確固たる理由を求めるのは必須かなと思っています。


いまのところ、自分が唯一考えている結婚のメリットは
お互いが道を踏み外さないためのプレッシャーになるというものです(#07376 / 2024年02月26日)。
誰かの伴侶であるという自覚が、自分の生活をより高いレベルに押し上げるのではないかという期待があるわけですね。
独身一人暮らしでは怠惰に勝つのはかなり難しいが、結婚生活はそれを打開する手段になりうる。
自分が結婚に前向きな気持ちを抱くとしたらそういう理屈か、
あとは庇護欲を満たしたいという気持ちくらいしかありません。


とにかく、結婚観についてはそうそう簡単に結論が出ないような気がします。
このまま考え続けていたら完全に婚期を逃すでしょう。
個人としての生き方をどうするか、という問題にも直結するという意味では非常に大きなテーマなのでしょうが、
果たしてどう決断するべきなのか……。


#7663

結婚は人生の墓場か

今日の出来事結婚観

社会人実質1年目から4年目までお世話になった人から久々に連絡が来て、少しやり取りをしていました。
この方は自分が社会人デビューした直後にチームメイトになった先輩で、
ひとまわりほど歳上の、人の良い2児の母親です。
当時の会社はドがつくブラック会社で深夜残業は当たり前、
繁忙期は日付を超えることすら当たり前になるような圧倒的な仕事量に加えて、
なぜかそれを長い朝礼や謎の課題などで妨害してくる上層部など、あらゆる理不尽が詰まった職場でした。
仕事のできない人、ミスをした人に対するイジメも横行しており、
それによって精神を崩壊した人は数知れず。女子社員が目の前で泣き叫ぶ様を何度も見てきました。


そんな地獄で自分が本当の意味で壊れずに済んだのはこの先輩がいたおかげだと認識しています。
何事も話しやすく相談にも乗ってくれ、学生時代に圧倒的コミュ障だった自分をほぼ一人前に育ててくれました。
ある意味で社会人としての基礎を作ってくれた人で、本当にその点は感謝しています。


先輩はこの春に初孫が産まれたそうで、それがいまの一番の生きがいだと言っていました。
そこから自然と「あんたは結婚しないの?」と結婚観の話になりました。
そこでブログでも年間通して書いてきた
「もしかしたら独身の方が幸せになれるのかも?」と考えているということを率直に話してみたところ、
意外にも全面的に同意されました。
結婚は人生の墓場というのは嘘じゃない。結婚で幸せになるのって実はかなり難しいんだよと。
「あたしは結婚も子育ても試練だと思ってる笑」と言っていました。
それが真実かはさておき、こういう既婚者の率直な気持ちを聞く機会は滅多にないので非常に考えさせられます。
「結婚は人生の墓場」というのは結婚できない独身が正当化のために使う言葉という印象がありましたが、
軽率に結婚すれば実際に取り返しのつかない「墓場」へと辿り着いてしまうのでしょう。


一方で、「でも恋愛はした方が良いよね」とも言われ、これもおおむね同意見です。
やはりパートナーがいた方が良いというのは事実。
ただ、女子はたいてい結婚願望があるので「恋愛はしたいが結婚はしたくない」というのは無理がある。
自分も昨日は誕生日恒例の寿司屋で豪遊をしてきましたが、
一人でいるとそういうことをすればするほど虚しくなってしまうというのも偽りない気持ちとしてあり、
やはりリアルを真っ当に楽しむためにパートナーは「前提」なんだろうなと改めて思います。
独身というのは抜け道のような生き方なんですよね、結局。
ネットコンテンツがあまりにも充実しすぎていて抜け道の方が王道のように錯覚することはありますが、
なんだかんだで駅前に行けばカップルや親子連れで溢れているわけで。


親族で唯一結婚を催促してきた祖父が今春に亡くなったことによって、
今年は年間を通して生涯独身を積極的に受け入れる方向に一気に舵を切った一年だったと思います。
しかし、本当の本当にそれで良いのかについては、
今回の既婚者のリアルな意見も汲みつつ再度考えてみる価値はありそう。


#7019

自由か束縛か

正月に白山神社で恋愛成就を誓った自分ですが、早くもその意志は揺らいでいます。
この年齢であれば、恋愛の先に結婚があることは意識せざるを得ないわけですが、
果たして自分にとって結婚はメリットがあるのだろうか、
むしろデメリットの方が大きいのではないかという疑念が拭えません。


俗に「結婚は人生の墓場」と言われるように、
特に男性サイドから見て結婚はデメリットの方が多いとする主張は多く見られます。
この言葉は本来「結婚したら人生終わり」みたいなネガティブなニュアンスは無いそうですが、
日本ではもっぱら男性視点のネガティブな結婚観として使われているように思います。
これは、専業主婦が当たり前だった時代の価値観と、
共働きが当たり前の現代の価値観が相互に混ざりあった価値観から、
男性に不利な部分を恣意的に取り出して主張する際の象徴的な言葉なのではないかと考えています。


例えば「家計の管理は旦那の娯楽費を含めて嫁が管理する」という昔の文化。
これを共働きでも適用するようではお先真っ暗というのはわかります。
必死に家族のために働いているのに、自分が自由に使えるお金は月数万円に過ぎなかったり、
あまつさえその範囲内の使い途にケチをつけられたらたまったものではありません。
そうなるとQOLが一気に落ちるので、「墓場」と言われるだけのことはあると思います。
ただ、一方でまだまだ男性優位なこの社会で、
結婚したのに給料から生活費や養育費を出さないというのは不条理です。
この辺はそもそも嫁との綿密な話し合いによって決められるべきで、
安易にお小遣い制に同意してしまうような関係性ならそもそも結婚すべきではないのかなと。


ただ、そうすると今度は家事が問題になるわけです。
旦那が家の生活費を全部支えているわけではないのなら、
当然の成り行きとして家事も分担制にして嫁に全負担が行かないようにするのが筋です。
洗濯物はこう、食事はこう、掃除はこう、とそれぞれでルールを決めて守らなければならない。
でも、それだと男性サイドから見て結婚前と比べて生活が変わるわけではない、
むしろ他人との合意で家事の仕方を決めて従わなければならない分窮屈さがあります。
逆に窮屈さが感じられないほどお互いに干渉しないなら、それはもはや結婚する意味が無い。
ズボラであればあるほど、共働きの結婚生活にはハードルを感じると思います。


「結婚は人生の墓場」と言うほど直ちに結婚がひどいものとは思わないし、
その辺は結婚前にどこまで踏み込んだり踏み込まなかったりするのかにも依ると思いますが、
ただ一方で「ぶっちゃけ独身の方が楽」という事実に気づいちゃったりもするんですよね……。
独身なら誰にも経済的支援をする必要もないし、家事も食事も自分の好きなようにできる。
誰からも文句を言われることはない。
そういった自由を捨ててまで結婚するメリットってなんだろう……。


それでもなお、高齢独身で後悔している人たちは「とにかく結婚はしておけ」と言います。
若いうちは独身に耐えられても、いつかそうでなくなる日が来るから、と。
でも寂しさを埋め合わす方法なら結婚以外にもあるしなぁ。
まあ、高齢独身になるとマンションの契約ができない恐れがあるなど、
社会的信用がかなり落ちるのは避けられませんが、
そのデメリットを埋め合わせるだけために結婚するのは理にかなっていない気がします。


結局のところ、この世における結婚って好きな人がいたらするべきだし、
いなかったらそれを無理に取り繕ってするほどのものではないのでは……?
と現時点では思ってしまうのですが、これからこの考えは覆ることがあるのでしょうか。