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#7845

結婚という名の契約

今日の出来事結婚観

昨日の元同僚とのゲーム会で、元同僚のうち一番年上の1人が結婚していることが判明しました。
これでいつものメンバー5人のうち、既婚者は2人目となります。
自分が一番年下で、順当に上から順に既婚者になり始めたなという印象。


結婚観については自分の中でいまだ確固たる結論が出ていませんが、
社会的責任等々を除いて考えれば「独身の方が楽」というのはほぼ間違いないだろうと考えています。
ただし楽であるというのは、幸福になれることと同義ではありません。
つまり結婚する・しないは幸福になれる・なれないと直接的に関係があるわけではない。
ただ、これまで既婚者の話を聞いているとどうしてもリスクとリターンが見合っているように思えないんですよね。
合理主義的な考え方では、「結婚する方が良い」という結論に持っていくのは極めて難しいのではないでしょうか。


上京以後、何度か既婚者(男性)から結婚についての話を聞いたことがありますが、
みんな口々に「独身よりも辛くなった」ということを強調しているように思います。
嫁に財布を管理されるようになってしまった、かといって嫁は働かないので家計が辛い、
結婚式と新婚旅行だけで数百万円の貯金が飛んだ、等々、経済的な悩みを聞くケースが多いです。
「結婚して良かった! 幸せ!」というオーラを既婚者からこれっぽっちも感じないのは、
恋愛結婚ではないからなのでしょうか。
2023年にお世話になった現場の上司とは一度だけ飲み会で一緒になる機会があったのですが、
どうやらバツイチで結婚に関しては「後悔しかない」と断言していました。
仮に次に女を作るとしてもせいぜい事実婚までで、絶対に籍は入れたくないと。


なんというか、こういう話を聞いて結婚に対して抱くイメージはやはり「契約」なんですよね。
基本的には男が女を養うという契約。もっと嫌なことを言えば、お金さえ出せばできる契約とも言える。
養うに値するお相手さえいれば、このアシンメトリーな契約でも男性側にも納得感は生まれうるのでしょう。
しかし結婚相手を「養うに値するかどうか」という物差しで見るのは
人生のパートナーを選ぶという意味では適切ではないように思います。
生活を共にする以上、相手の欠点も知り尽くした上で相互扶助できる関係性は必須ではなかろうかと。
アシンメトリーな契約でもどちらかが「この人がいないともう生きていけない」と思うなら結婚しても良いと思いますが、
それはあくまでも恋愛の延長、かつ理想論でしかないんだろうなとは思います。
結局、30代になってしまってから結婚を恋愛観や理想論ありきで語るのは無理があるので、
これをもっと実生活に即した現実的なレベルに落とし込む必要があるでしょう。
その意味での「現実的なレベル」が、実は部外者から見ると「契約」に過ぎない味気ないものに見えるのかも。
経済的負担を強いられているだけでまるでメリットが無さそうに見えるけれども、
内実としては本人の社会的責任がステップアップすることなど、さまざまな変化があるのでしょう。


終生まで考えたときに「人生を並走するパートナー」は結局必要であるということを否定できないなら、
現実的なレベルで「契約」してしまうことにも意味はあるのかもしれません。
だからこそ昭和時代はお見合いという文化が成立していたわけです。
しかし実際には、結婚したとして並走してくれるとも限らないというのもまた現実です。
この趣旨なら、たとえどんなに妥協したとしても、
「並走する」という価値観を共にする相手でないならその人と結婚する意味はありません。
自分の倫理観では結婚という契約自体に「人生を並走すること」が含まれているように思うのですが、
既婚者の知り合いを見ていると、それもまた単純な話ではないように思っています。
こういうことは新婚の人を見ていても分からないのでしょうね。
10年、20年と経ってどう感じるものなのか。


そういう点では、娘の結婚を見届けた元同僚で年上の女性が「結婚は人生の墓場というのは嘘じゃない」
と言っていた話が重くのしかかってきます(#07663 / 2024年12月09日)。
結婚も子育ても試練の連続だと。結局結婚がゴールではないんですよね。むしろそこが茨の道の始まりでもある。
では、その「試練」が自分の人生に与える意味はなんなのだろうかという話になるわけです。
それは直感的には単なる損得勘定では語れないような気はする。
たとえば「子どもができる」ということが試練に対するインセンティブとして語っても仕方がないということです。
自己都合だけで言えばリスクとリターンが釣り合っていないことは明らかで、
ここでも冒頭に書いた合理主義では語れないというところに突き当たってしまいます。
しかしそれは「一人の自己都合」だから行き詰まるのであって、独身風情には前向きな答えは出せないのでしょう。
「二人の都合」では結論は変わるかもしれない。
ただ、「二人の都合」が世間体や親族の勧めだとしたらいかにも主体性を欠いていて浅はかだと思うわけで、
そこに何らかの確固たる理由を求めるのは必須かなと思っています。


いまのところ、自分が唯一考えている結婚のメリットは
お互いが道を踏み外さないためのプレッシャーになるというものです(#07376 / 2024年02月26日)。
誰かの伴侶であるという自覚が、自分の生活をより高いレベルに押し上げるのではないかという期待があるわけですね。
独身一人暮らしでは怠惰に勝つのはかなり難しいが、結婚生活はそれを打開する手段になりうる。
自分が結婚に前向きな気持ちを抱くとしたらそういう理屈か、
あとは庇護欲を満たしたいという気持ちくらいしかありません。


とにかく、結婚観についてはそうそう簡単に結論が出ないような気がします。
このまま考え続けていたら完全に婚期を逃すでしょう。
個人としての生き方をどうするか、という問題にも直結するという意味では非常に大きなテーマなのでしょうが、
果たしてどう決断するべきなのか……。



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