誠実さを積み上げる
2023〜2024年の自分の中で支配的だった「無能な自分を受け入れる」という考えは、
2025年を無気力な1年にしてしまったという反省によって事実上破綻したと思っています。
できて当然のことだけをやる人生に意味を見出すのは難しいということですね。
しかし一方で、そういった発想とそこからの実践によって得た「収穫」も確かにあると思っていて、
これに対して自覚的になることはかなり重要なのではないかと思っています。
そもそも自分が上記のような思想に染まったのは、
それ以前は「自分はこうあるべき」という信念が自分の能力を根拠とするものではなかったという事実があり、
そこからの矯正を目指すためにもまずは自分の能力を正直ベースで自覚しようと思ったからでした。
信念が自分の能力を無視したもので構成されていたのは、
ひとえに考え方が自立していなかったから、つまり他人(社会)の価値観で自分の理想を規定していたからだと思います。
たとえばXX歳になったら〇〇するべき、そうでない人はクズだというような考えです。
しかしできないことをできないと卑下したところで、永遠に解決は望めません。
だったら自分は何ができて、何をすべきなのかをゼロベースから考え直すべきなんじゃないか、
というのが「無能な自分を受け入れる」という思想の根底にあります。
しかし、それをただ愚直に実践しても何も生まないのだということは何度も書いてきました。
やはり人は「いまはできないが頑張ればできそう」な目標があってこそ生きる意味を見出せるのではないかと。
この3年、無能な自分と向き合うことそのものは失敗だったかもしれませんが、
一方で確かな収穫もあると感じています。
それは、最低限やるべきことから目を逸らさない習慣が形成されつつあるということ。
2022年以前の自分はそもそもそれができていませんでした。
睡眠の問題が発生した時期における出勤も然り、3代目ブログ末期におけるブログの存続危機問題然り。
小さいところでは交通費精算書の提出や日用品のストック、病院の予約など。
「最低限やらなければならないこと」が目の前にあるとき、
損失を覚悟してでもそこから逃げ出してしまう決定的な意志の弱さというものが昔の自分には確かにあったと思います。
そしてそれはこの3年で確かに改善してきた。
日課としてのブログは、2024年の4代目移転以降下書きを溜めてしまうような事態には一度も陥っていません。
逃げようと思えば逃げられるけれども、逃げたらどうなるかを痛感しているので逃げずに済んでいる。
つまり、この3年は決して無意味だったわけではなく、
誠実さを積み上げてきたという点においては確かに「成果」と言えるところまで来たのかなと思っています。
また、なによりも最低限やるべきことはやるという基盤の上で活動していると、
諸活動が安定的に発展し続けているという実感があり、これは大きな収穫かなと思っています。
2022年以前の自分はメンタルが沈めばすべてを投げ出してしまっていたので積み上がるものはありませんでした。
そういう不合理な行動は確かに減ったかなと思います。
短期的にはまだまだ誠実になりきれていないところはあるかもしれませんが、
長期的には改善していると言い切れる自信がある。これは強みだと思っています。
そういう意味では、無能な自分からゼロベースで再出発した営みそのものは間違っていなかったのかもしれません。
それをそのままタスク管理に適用しなければいいというだけで。