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#8021

形として出すことへの満足感

今日の出来事年間計画

大キリ番記事、3章立てにして各章毎週末に掲載するという目標に基づいて書き、
1週だけとある事情(#08008 / 2025年11月18日)で心理的にそれどころではなかったのでスキップしましたが、
それ以外はいちおう滞りなく書き終えることができました。
昨日をもって連載は終了し、今年の小説執筆プロジェクトは無事に完了したことになります。


11月10日に全部掲載ではなく小出しにする方式に逃げたのは微妙でしたが、それ以外は概ね予定通りかなと。
思えば創作設定の再検討を始めたのが04月だったので、丸8ヶ月かかったことになります。
わずか約6,000文字の作品のために8ヶ月というのはなかなか。
他人が読めるに耐えるクオリティになっているかもわからないし、まだまだ及ばないところは多いと思いますが、
自分が読む分にはそこまでおかしくはないと思っているので、まあ満足です。
なにより、こうして頭の中にしかなかったものが作品というフレームワークに沿って形になっているのは良い。
そこにかなり大きな満足感が付随するのだと改めて実感しました。
頭の中では完成しているのと実際に形として出来上がっているのでは大きな差があるんだなと。
小説に関しては、構想を完成させるところまでに相当の時間を費やし、
実際に生み出すところはそれと比べると全然時間をかけていないわけですが……。


今回は今後書く大キリ番の設定にも耐えられる基盤設定も練ったのでその分時間がかかったところもありますが、
そのおかげもあって次はこれほど多くの時間はかからないと思います。
今作を軸に次はもっと発展的なことをやってみることもできるし、
なにはともあれ作品を世に出すことの重要性が沁みますね。


2026年はいまのところ同じような規模感でゲーム制作にチャレンジしようとしているわけですが、
小説と同じように「構想7ヶ月、制作1ヶ月」というアンバランスな計画でなんとかなるとは思えません。
もう少し構想期間を圧縮して、せめて3ヶ月くらいの制作期間は確保したいところです。
小説は04月から動き出し始めましたが、もう年初すぐから着手する必要があるかもしれない。
いや、それでもなおできる自信はありませんね。
この見通しの立たなさを2025年内にどこまで解消できるかが鍵になってくるんじゃないかと思います。
これはひそかに2024年からずっと考えていることなんですが、なかなか案がまとまらないのが現状です。
小説も完走したいま、どこかでこれについて集中的に考えてみてもいいのかもしれない。


いずれにしろ、小説執筆については最終的に挫折しなくてよかったというところに尽きます。
この小さなステップを次に繋げたいところですが、果たして。


#8022

読書録復活計画

今日の出来事読書

2026年のひとつの目標として、「読書録の明確な復活」があります。
自分は地方時代から知見を広めるために実用書、新書、一部領域の専門書を読むようにしていて、
その際に本の要約と感想をブログ記事(タグ:読書録)としてまとめるようにしています。
この習慣にもっとも勢いがあったのが2020年で、この年は「月1冊=年12冊」を目標に読んでいました。
実感として、読書録12本はかなり負荷が大きかったというのもあり(結局書いたのは10本)、
最後の方は選定する本もなるべく要約するのが楽な自己啓発本を優先していたような記憶があります。
つまり、月1冊は自分のキャパシティを考えるとなかなか難しいという現状がある。


この反動で読書録習慣は停滞してしまい、その後は
2021年=2本、2022年=0本、2023年=1本、2024年=0本、2025年=3本と推移しています。
停滞したことで結果的に、自分の「思考のためのツール」が頭の中で陳腐化してきているのを感じます。
つまり知識がクリティカルシンキングなどに興味があった2020年当時の情報で止まっていて、
それ以降何もアップデートできていないという実感です。これは良くない。
2021年以降も本は上記の読書録本数以上に読んではいますが、ただ読むだけではダメなのでしょう。
自分で要約を作るという作業を経て初めて頭に入る。


ということで、2026年は反動が起きない程度の長期的に持続可能な本数を目標にしています。
ここで重要なポイントは「年〇本」というような目標数値を定めないこと。
まあ今年3本書けているので4本以上は書かないと目標にする意味がないという事情もありますが……。
そもそも「読書録が書きたくなるような本をしっかり探す」という方に力点を置くということです。
具体的には、最悪積読してもいいという名目で月2〜4冊程度まで本を買う習慣を復活させます。
もちろん本を買う前には事前リサーチと厳選作業があり、
買う以前に候補を出す段階では十数冊〜数十冊の本について調べることになる想定です。
そうして厳選して買った本をまずは飛ばし飛ばしでいいから1周目をササっと読み終える。
前書き、各章の結論、最後の結論などを読んでしまい、この本が何を言いたいのかをざっくり掴むわけです。
ここで「読書録を書くに値するかどうか」を判断して、書くに値するなら2周目はその前提でじっくり読む。


ざっくり想定では毎月最初の土日に本を買ってそれらをパラっと読み、
2〜4週目の土日ないしテレワーク日の退勤後時間などにカフェで熟読をするというスケジュール感です。
ただ、2020年に月1冊の読書録が結果的にキツかった事情を考えると、
月単位で綺麗にまとまることは期待しない方がよさそうな予感がします。他のタスクもありますしね。
5年前なのでハッキリと細かいところまで覚えているわけではないのですが、
通読そのものは当たり前ですが1ヶ月もかかりません。しかし要約をしっかり形にしようとすると、
それなりに時間もかかるしモチベーションも高くないといけないという実情があります。
2026年のチャレンジはそこをいかに合理化できるかがポイントになりそう。


ちなみに、これはちょっとズルいかもしれませんが「再読」もアリだと思っています。
つまり、過去に読書録まで書いたことのある本をもう一度読んで読書録を書く。
5年以上経っているなら別アングルから読み解くことができるだろうし、
2020年当時読んだ本の中にはとても重要な本も含まれているので、
当時1回書いたから終わりではもったいない可能性もあるからです。
これは特に自分が関心のある中心テーマに近い本に関しては実際にやるかもしれません。
あと、月2〜4冊買うと書きましたがそもそも家には相当の数の積読本があります。
これらは当時の自分にとって買うに値する何かがあってこそ家に置かれている本で、読む価値がある可能性は十分ある。
新規に買わない代わりにこの中から選定するということもあるかもしれません。
まぁでも、知的好奇心を素直に引き出すには「書店に行って買う」という行為が重要のような気もします。
なので最初のうちは積読本には手を出さずに買いに行こうかなと。


とにかく、1年かけて自分の中にある知的好奇心を復活させるというのがこれの主な目的です。
読書録は目に見える成果ですが、それそのものが目的ではないということですね。
そのためにも、しっかりと本を選ぶというところが重要であることは言うまでもありません。
まずは年始に買う分を今年のうちにしっかり選定していきたいところです。


#8023

達成感不足

今日の出来事年間計画

ここ1ヶ月ほどの自分は、傾向として嫉妬深くなってきているように思います。
これは、他者がさまざまな活動を公開しているのを見ると、
相対的に自分が何も成果を生み出せていないということが浮き彫りになってしまうからだと思います。
もし、自分なりに誇れる成果があればこんな気持ちにはなっていないだろうという半ば確信があります。
思えば、去年末も似たような感情だったように思います。


これは、残念なことに年間計画としての小説執筆が「自分なりに誇れる成果」になっていないということを意味します。
先日「満足感」はあったと書きましたが、「達成感」は無かったと思っています。
成果としての客観的なクオリティ云々というより、
完成までの総努力量が少なすぎて「成功体験」としてカウントされていないような気がする。
これは去年の本家ブログ移転プロジェクトについても同じようなことが言えます。
どちらも伏線となる作業は膨大だったものの、実際に作る工程はごく短期で終わらせたという共通点があり、
なおかつその「作る工程」においてちゃんと苦労しなかったので、報われもしなかったという気持ちがあります。
2023年の特設サイト移転プロジェクトはこうではありませんでした。


本家ブログ移転プロジェクトはともかく、
小説執筆プロジェクトはタスクを最小単位に分けて簡単にできる範囲で粛々とやる、という方針で進めました。
そのため日々やることはかなり希釈されていて苦労した実感は無いのですが、
基盤設定込みで考えると成果としては1日ではまず完成しなかっただろう、という程度のレベルにはなっていると思います。
つまり、決して「失敗」「頓挫」「妥協」したわけではない。
これで満足できないのは2つの理由が考えられます。


まずひとつは「苦労しなかった」という事実。
「面倒臭いけどやらなきゃ……」といったシーンがほぼ皆無だったので、苦労して何かを乗り越えたという実感も無い。
つまり達成感を味わうためにはその前に苦労するというスパイスが不可欠なのであって、
結果としてそこそこの成果物ができたとしても、そういう過程がないと無意味なのではないかと。
そして達成感という実感が無ければ、成果として誇ることができないのは当然のことです。


もうひとつは他者承認を経ていないという事実。
小説関連の通知ポストには多少の「いいね」はつきましたが、他人に読んでもらって感想を聞いたとか、
そんなコミュニケーションはしていません。
その気になれば知人に小説のURLを送って感想をもらうことはできますが、まあやらないでしょう。
しかし、そのせいで自分がやったことが自己満足止まりになっていて
たとえどんなに小さなコミュニティでも「社会に認めてもらった」という証が無い。
これが結局のところ成功体験としてカウントできない理由なのではないかと思うわけです。
つまり自分にとって、他者評価というのはそれだけ重い。
不当に重すぎる気がしますが、これは自己肯定感が低い人間にとっての宿命のような気もします。


大キリ番記事としての創作は慣習を守るのと今後発展的な創作活動をするために必須の活動だったため、
今年は致し方なかったのかもしれませんが、来年同じスタイルで進行する理由はありません。
やはり2026年は「無能主義」的なここ2〜3年の思想からの脱却を目指して、
自分に若干の負荷をかけてでもプラスアルファの成果を求めて努力の伴う活動を思い出し、
なおかつそういった成果を表に出せるような計画の選択をしていくべきだと改めて思いました。
ゲーム制作がそれに相応しいのかどうかについては要検討ですが、
いわゆる年間計画以外にも成功体験を積める活動の候補をいくつか用意しておきたいところです。


#8024

競わないゲームへ行き着く

ひとつの可能性を感じて、とあるゲームを5年半ぶりにまともにプレイしました。
それは『あつまれどうぶつの森』。


コロナ禍真っ只中にリリースされた「どうぶつの森」シリーズの最新作です。
巣ごもり需要が後押ししてリアル空間の代わりに活用するなど社会現象になったおかげで、
国内パッケージ版の売り上げ本数としては『ポケットモンスター 赤・緑』以来となる最高記録更新。
過去作にあった大部分の機能を盛り込んだ集大成的な位置付けで、
『どうぶつの森e+』からの付き合いである自分としても当時かなりの期待作でした。


が、結局できることが多すぎて中長期的な目標をしっかり定めることができず、3ヶ月でフェードアウトしました。
まぁ、おい森当時と違ってコミュニティサイトも作っていないしどこにも所属していないし、
当時周囲にプレイしている人もいなかったので致し方ないのかなと。
ただ、いちおう島の評価★3を達成してとたけけを呼ぶというタスクはクリアしていたようです。
このタスクがこのゲームにおけるエンディングに位置づけられており、まぁ最低限はやっていたんだなという印象。
そこから先は「島クリエイト」が解禁されて島の大改造が可能になるわけですが、
どういう島を作りたいかといったビジョンが明確でなかったこともあって手が出ませんでした。
とはいえ日課の化石掘りはかなり続いていたこともあり、博物館の化石の進捗はかなり良い線まで行ってそう。


5年経ったいま、なぜ「あつ森」なのか。
それは勝ち負けがあるゲームにもう疲れてしまったという年齢的な事情があります。
確かに『マリオカート ワールド』も『カービィのエアライダー』も決して面白くないわけではない。
ただ、勝ち負けがあるとどうしても心理的負荷が大きくて続かないんですよね。
集中力云々というより、1〜2回勝った負けたをするとそこでもう目的を果たしてしまって満足してしまう。
そしてその結果、なにも残らない。これでは虚しいわけです。
そこへ来ると、あつ森というゲームは完全に勝ち負けの要素がありません。
ただただスローライフを自分なりに楽しめばOKというスタンス。そして少し触れば無数のタスクが進んでいく。
この堅実さがいまの自分には必要なのかもなと。


化石掘り、メッセージボトル、たぬき商店や通販の日替わり家具、月替わりの魚や虫など、
このゲームには一日30分でコツコツ続けていける要素が数多くあります。
いまなら、当時は無かったハニワを手にいれるチャンスもある。
そうした日常を過ごしていると出会う突発的なイベントや欲しい家具との出会いなど、
毎日コツコツやっていると訪れるちょっとした変化みたいなものもある。
それは日々にさりげない色を添えるのにちょうどいい塩梅なのではないかと思った次第です。
そしてそれらは、「家具コンプ」というひときわ大きな目標に向かって着実に一歩進む証になっている。
まぁ、家具コンプが現実的ではないのは承知しています。せいぜい虫魚コンプがいいところでしょう。
そこそこハマったおい森ですら家具カタログは7〜8割くらいまでしか行かなかったので、
アレンジ家具も含めるとその10倍はあるであろうあつ森での家具コンプリートはさすがに現実的ではありません。
でも、そうした超長期的目標に向かってコツコツやるのもちょっと憧れる。
それは単なる対戦系のゲームにはない楽しみ方です。


あつ森自体は、少し前からRTAイベント(#08013 / 2025年11月23日)をきっかけに気にはなっていて、
その影響でおすすめアルゴリズムによりあつ森ガチ勢のつぶやきが少しずつ流れるようになっていました。
そして今日、「毎日集めていたメッセージボトルでついにDIYレシピをコンプした!」という主旨のつぶやきが流れてきて、
ああ、こういう地道な活動がいまの自分には合っているのかもなぁ……と思った次第です。


あつ森の救いは、コンプリートを目指すにあたって限定品を追う必要性がほとんどないことです。
たとえばポケポケのカードをコンプしようと思ったらプロモカードは絶対逃せないというプレッシャーがあり、
万が一逃してしまったらその瞬間にコンプ計画は破綻します。
ほとんどのソシャゲではこういった限定アイテム要素があるので、コンプを目指すのは容易ではありません。
少なくとも途中参戦の道は絶たれていると言えます。
その点、あつ森にも期間限定家具は存在しますが、必ず1年ごとにループする仕組みになっています。
コラボ家具等もamiiboを用意すれば常設されるという親切設計。
唯一、干支の限定家具だけは12年周期なのでなかなか現実的ではありませんが、それも絶対不可能とは言えません。
この日を逃したらもう絶対手に入らない、というものが(おそらく)存在しないのは救いになり得ます。
それは、コンプ活動をいつスタートしてもいいということにもなりますからね。
家具ひとつひとつに希少価値は無いので、
最悪限定品があったとしても誰かに触らせてもらえばカタログに登録できるという救済措置もいちおうあります。


また、非公式ですが有志によって家具のコンプ状況を記録するツールも存在するようで、
現在もあつ森をプレイしている人たちはこういうツールも活用してコンプを目指しているようです。
そういう超長期的目標を持ちつつも一日30分まったりタイムを設けるのは、意外とアリかもしれない……?
やっているうちに島クリにも興味を持つかもしれないし、来年早々には大型アップデートもありますしね。
あつ森は配信を流しながらやるなどのながら作業のお供にちょうどいい気はする。
配信の見る専では手持ち無沙汰、あつ森オンリーでは刺激不足。
それらをちょうど相互に補完する関係なのではないかという期待があります。
「とび森」のときはKAC(音ゲーの全国大会)を見ながらひたすらマイデザイン道路を村に貼っていた思い出……。


そういうわけで、思いがけずあつ森に回帰した一日でした。
今日久々にプレイしたことで島の雑草はほとんどなくなりましたが、まだまだ島は殺風景です。
果たして、「しゃくやく島」で久々に目覚めた島民代表は今度こそインフラを整備してくれるのでしょうか。


#8025

言語化できない体調不良

今日の出来事意欲の問題

以前、やる気は存在しないという言説について自分なりの意見を書いたことがありました(#07611 / 2024年10月18日)。
ある人いわく、やる気というのは結果であって「行動を起こす要因」ではない。
つまり、やってみて「もう少しやろうかな……」というエネルギーがやる気であって、
「やる気が出たらやる」という文脈における「やる気」はできない人が造り出した言い訳の方便であると。
自分はそれに対して、「やる気が出たらやる」というのは言外の期待に応えるつもりはないという意思表示で、
要するに主体的にはもともとそれをやりたくないと思っているにすぎないのではないか
(つまり社会的外圧と本人の欲求のズレがあることが本質的な原因なのでは)……という意見を書きました。


一方、「行動を起こす要因」や、逆に「行動を起こさせない要因」というのは確実にあって、
それこそがいわゆるやる気なのではないかとも思います。
特定の人を振り向かせたい、期待に応えたい、注目されたい、追い越したい、思い通りにさせたくない。
こうした対人関係において生まれるエネルギーというのは確実にあり、
やる気(意欲)は他人に与えられるものだ(#05971 / 2020年04月25日)という気づきはだいぶ前からあります。
これは心理学的には外発的動機づけと呼ばれるもので、
根底には承認欲求、所属欲求などといった社会的欲求があります。
外発的動機づけには他にもお金がもらえるから、といった報酬によっても刺激されます。
基本的に仕事は外発的動機づけに基づいた活動というわけですね。


それに対して、他者や報酬とは関係なくそれをやりたいと思うことがあります。
単に自己満足としてやる、興味関心があるからやる、楽しいからやる、といった行動。
その根底には、自分らしさとの関連性、「自分ならそれをできそうだから」という有能感などがありますが、
まあ一般的には「好き」という気持ちに対する率直な行動、と考えるのがしっくりくると思います。


個人的には、これら外発的動機づけと内発的動機づけは、
適切なバランス感覚で行使できる人が社会において成果を生み出せているような印象があります。
外発的動機づけだけでは、他人に見られていないと行動が継続しないのでなかなか成果につながらない。
内発的動機づけが強すぎても、外発的動機づけが伴わなかったらそれを他人に評価される機会を得られない。
自分は外発的動機づけがかなり強い人間であることを自覚しています。
だから「意欲は他人に与えられるもの」という気づきは当時それなりにクリティカルな発想として認識していました。
イメージとしては外発的動機づけはあくまでもメインの動力となる巨大な歯車で、
内発的動機づけはそれをサポートする小さな歯車といった感じです。
この構造を否定できない以上、他者との関係性が自分に与える影響というのは計り知れないし、
自分の人生というのは実は他者との関わり合いによって形成されているといっても過言ではない。


ただ、内発的動機づけのサポートを意識しつつ、外発的動機づけに基づいて行動しようと思っても、
どうもうまく身体が動かないことがあります。
つまり、あるタスクが自分らしさに直結した「興味関心のある好きなこと」の範囲内にあることを確認した上で、
しかもそれをすることによって他人の信認や報酬を得られることが明らかであるにも関わらず行動できない場合。
そこには第3の要因が絡んでいるように思います。
いわば、「なんとなくやる気が出ない」というような状態。


これについてはさまざまな要因があると思いますが、
少なくとも「言語化できない程度の体調不良」が絡んでいるのではないかと見ています。
ハッキリ体調不良と言い切れるほどパフォーマンスが悪いわけではないけれども、
身体のどこかに無意識的に気になるボトルネックがあって、目の前の活動に集中できない。
先延ばしにできるタスクは、頭のどこかでなるべくなら先延ばしにしたいと待ち構えています。
そうした怠惰心と身体の些細な不調が噛み合うと、
それらを否定してでも活動をするためにはそれなりに強い意思が必要になる。
このとき必要な意思決定リソースというのが、本人が思っているよりも多いのではないかと思った次第です。
その活動が自身にとって有用であると思えばこそ、
都度意思決定リソースを消費してやる・やらないを決めなくていいように習慣化することが大事だというわけですね。


冒頭の「やる気が出たらやる」というのは、
「言語化できないが体調が万全ではない気がする」という意味での引っ掛かりがあるというケースもあり得ると思います。
そして、体調が万全でないとできない=先延ばしの誘惑に非常に弱いという状態に対しては、
やる気の有無はともかく「意志が弱い」という批判はできそうです。
冒頭リンク先で自分は「社会的責任やアイデンティティなどを根拠にした『やる気』は存在する」と書いていますが、
そこでいうやる気はどちらかというと「意志力」なのかもしれません。


#8026

待遇に関する焦燥

今日の出来事仕事

あんまり気乗りしないと思っていたゲーム会ですが(#08015 / 2025年11月25日)、
結局キャンセルすることなく当日を迎え、まあ当初危惧していたようなほどつまらない会でもありませんでした。


コンシューマーゲームは予想通りイマイチで、
『カービィのエアライダー』をやってみるもののそのゲームスピードについていけない人多数。
初っ端からすでに楽しんでいる雰囲気を感じられず、3回目には無言プレイになってしまったので打ち切り。
ゲーム会は前の会社の同僚と自分の家に集まって喋ったり遊んだりするオフラインパーティーですが、
実は第1回当時は30代の集まりという名目だったのが、自分以外は全員40代に昇格してしまっています。
自分ですら年齢的な衰えでエアライダーはまあまあ負荷が大きいゲームだと思っているので、
40代でしかも普段ゲームをやらないようなおっさんたちにできるはずもなく……。


じゃあ何をするかということで2年ぶりにボードゲームの『ドミニオン』を取り出したところ、これは好評でした。
自分は逆に〈交易人〉の使い方を誤ってボロ負けしましたが。
今後ゲーム会はもうコンシューマーゲームを完全に卒業して、ボードゲームに専念する方針でいいんじゃないか、
ということを改めて実感した会だったと思います。


元同僚のうち1人が既婚者になったことについては、誰一人ほぼ触れなかったので結果的にセーフでした。
その代わり、別方面から刺されることになったのが年収の件。
自分たちはいわゆるSES(客先常駐型のIT社員)ですが、
元同僚の所属する会社は年2回の昇給があり、その査定基準は本人から所属会社に出す週報という名の日記や、
勤怠、資格などの勉強をしているかどうかといった本人の内面的な誠実さを重視する仕組みになっています。
つまり、本人のスキルそのものはさほど考慮されません。
そしてその甘い昇給システムの代償として、ボーナスがほぼありません。
昇給額については、自分が在籍していたときの自分の昇給額は2万円でしたが、
これは当時相当意識が高かったこともあって会社の要職の人にも「自己研鑽している人」と認識されていたこともあり、
同僚の中では最高額でした。
これが半期ごとにあればそりゃあ調子も乗るわといま改めて思います。


で、オフラインゲーム会以外でも毎週オンラインで話している元同僚(退職済)の当時の昇給額がその半分だったので、
「みんなも半期1万円=年2万円昇給なんだろう」と勝手に思っていました。
それでも、いまの所属会社の定期昇給はせいぜい年1万円なので昇給ペースは2倍です。
このまま自分が定期昇給以外での昇進をしない場合、2030年ごろに追いつかれると試算したこともあります。
が、実際には半期15,000円=年3万円であることが今回発覚しました。
これにより計算し直すと2020年以降12回昇給したことになり、その昇級幅は18万円となります。


元同僚たちは30代後半に未経験の中途採用で入ったプログラミング知識が無いエンジニアで、
いまだにフレームワークとはなんぞやと言っているような人たちです。
要するに業界的には高齢ロースキル人材。
そんな人が6年で18万円も給料が上がっているというのは、世間からしたら納得いかない待遇ではないでしょうか。
世の中、これよりも低待遇で忙しい仕事をしている人は多くいそう、というかかなりの多数派だと思います。


自分としてもこれはモヤるところで、自分は2022年に別の会社にヘッドハンティングされたのち、
そこは蓋を開けるとまあまあブラックだったのと睡眠障害による勤怠不良もあってキャリア形成を断念し、
再転職して2023年にいまの大企業に入社しました。
その待遇は2021年末時点の月給を据え置きつつ5ヶ月分のボーナスが出るという感じだったので、
2022年に足踏みしてしまった分を差し引いても大幅な年収アップが実現して当時は喜んだものでした。
が、昇給ペースは年1回1万円と大きく落ちてしまったのも事実です。
それを加味すると、もしヘッドハンティングされずに残り続けていたら
ボーナスが無くてもいま現在以上の年収になっていた可能性は否定できません。
まぁ、あの転職劇は当時の性格上必然的なものだったと思うのでたらればを考えても意味はありませんが、
結局転職したことで年収レースは同僚にほとんど背後まで追いつかれてしまったのも事実です。


この感情は嫉妬というより「焦燥」の方が近いと思います。
元同僚たちは、世間からしてみればそのスキルや忙しさを鑑みると不当に高い給料をもらっているように思われますが、
自分もいまの現場はかなりホワイトなので仕事にプライベートを食われている実感はほとんどない。
そういう意味では、客観的には元同僚も自分も大差ないのかもしれません。
ただ、昇給ペースが3倍早いという現実を考えると、計算上は今年はギリギリ勝っているものの、
来年にはもう明確に追い越されることになる見込みです。
年齢は向こうの方が3〜4歳上なので年功序列的には順当とは言えなくもないものの、やはり追い越されるのは悔しい。


とはいえ元同僚たちの給料はどこかで「限界」が来ると思っています。
客先常駐型の場合、なにはともあれお客さんからもらう「単価」が上がらないと話になりません。
単価から給料と諸経費(厚生年金、法人税、営業・事務方の人件費などなど)を引いた分が会社の利益になります。
また、そもそも多重請けの場合は仲介業者にマージンを取られる想定です。
それを踏まえ高齢ロースキル人材の単価を60万円程度と考えると、本人の給料原資はせいぜい35〜45万円くらいでしょう。
この会社はボーナスがほぼ無いので給料原資から会社側が支払う厚生年金を引けばいいだけとなると、
最終的には30〜40万円程度が残ることになります。
で、元同僚たちは18万円昇給+採用時給料がおおよそ40万円くらいだと思われるため、
単価が「一般的なロースキル人材に充てられる金額」ならもう上限が見えてきていることになります。
もしこの天井を突き破ったら会社にとっては毎月赤字を垂れ流す「赤字人材」になってしまう。


こうして考えると社内の人柄評価だけで年2回昇給するシステムは近い未来に破綻するでしょう。
社員の誰も彼もが年3万円以上の単価アップができるとは思えない。それはお客さん側の事情ですからね。
もちろん技術力がすべてではないとはいえ、
ロースキル人材に対して毎年3万円単価を上げるような羽振りの良いお客さんばかりとは限りません。
なのでまぁ、楽観的に捉えればここ5年はその早い昇給ペースで猛追されたしこれから追い抜かれそうではあるものの、
10年スパンで見ると彼らはどこかでロースキルであることがキツいボトルネックになって行き詰まるのではないか、
と見ていますが……実際どうなるかはもう5年経ってみないと分かりません。


とにかく自分にできることは、この焦燥エネルギーを仕事のモチベーションに転化して、
自分の給料を少しでも上げられるように行動を起こすことです。
自分だってハイスキル人材とはとても言えないので他人事ではないわけで、
上記のことはそのまま自分にも当てはまります。
文面からは上から目線的に映るかもしれませんが、
焦燥感を感じるということは現実的な地位は大差ないことを意味しています。
元同僚と会うのは自分が停滞しているという劣等感からしんどいと思っていましたが、
だからこそ定期的に会って自分の立ち位置を正直ベースで再確認して、活動のタネにするのも大事なのかもと思いました。
改めて、ライバルがいるというのは大事なことだなと。
こんなことをブログに書かれる相手からしてみればたまったものではないかもしれませんが、
まあ完全匿名だし特定のしようがないので許してください。


#8027

スローライフ再開

今月からちょっとした「癒し」を求めて少しずつ着手している「あつ森」ですが、
数日プレイしたことで徐々にやるべきことが見えてきました。


まず、日課の中でもっとも着手しやすい部類である「化石掘り」。
これはおそらくコンプリートしているものの、ソフト側の不具合でコンプリートフラグが立っていないようです。
そもそも、あつ森は発売当初化石をコンプリートしても特に報酬がありませんでした。
そしておそらく自分はその段階ですでにコンプリートしていたものと思われます。
その後、2021年のアップデート(ver.2.0)でコンプ報酬として「かせきのがくいりポスター」がもらえるように。
これはコンプリートすると島民代表の郵便受けに郵便物として届くというもので、
一度入手することでフータ(博物館館長)に話しかけると5,000ベルで追加購入できるようになります。


確認したところ、確かにカタログに化石全種(73種)登録されている。
それに実際に博物館を見に行っても、欠けている展示はひとつも見当たらない。
確かにコンプリートしていると思うのですが、
バージョンを跨いで間を空けてしまったのでタイミングを逃してしまったのかもしれません。
まぁでも、いずれにしろ化石はもうコンプリートしたものと考えてよさそうです。
毎日の日課で無理に化石を4つ探しに行く必要はなさそう。まぁお金になるので掘ってもいいですが。


ポスターもらえない問題については他にもいくつか検証することがあります。
①「純喫茶ハトの巣」の解禁イベントを進めたあと、②サブキャラを作成したとき、
③来年01月15日に予定されているアプデの適用後、のそれぞれでフラグチェックがあるかもしれません。
これら全部やってダメなら任天堂に問い合わせるしかないのかなと思っています。


その他の日課では、1日1回行けるかっぺいのボートツアーは「はにわのカケラ」を確定入手できるうえ、
レア島に到着した場合はその島ならではの恩恵があるためやらない理由は無さそう。
あと訪問者関連ではつねきちの船が停泊するところが高台の向こう側になっているため、
これは少しずつでも島クリで道を作る意義は大きそうです。
それから今日はうっかり寝過ごしてしまいましたが日曜午前にカブを買えばそのチェックも日課になりそう。
この辺はしばらく毎日やる理由になるかなと。


肝心の家具についてはたぬき商店+たぬきショッピングで陳列される家具を片っ端から買うという日課がありますが、
どうも調べてみると有料DLCの「ハッピーホームパラダイス」をこなす方がはるかに効率的のようです。
しかしハピパラは通貨単位が異なっており、
序盤はどうしてもお金稼ぎのためにDLC側のタスク(島民の別荘をコーディネイトする)をこなしていく必要があり、
若干ハードルは高め(ストーリーを進めるとベルとの交換ができるようになるらしい)。
それでもなお家具カタログを埋めていきたいかどうか、モチベーションを問われています。
愚直にたぬき商店+ショッピングで家具を買い続ける戦略を選ぶにしても、意外とお金がかかります。
高額家具は普通に10万ベル以上の価格で売られているので、金策をしないとお金が減る一方……。
ちなみに再開時点で貯金は160万ベルありましたが、すでに20万ベル溶けました。
もしかしてこのゲームめちゃくちゃお金使う??


ともあれ、やることは無数にあるのですこーしずつ開拓していこうと思っています。
いまのところ長期で継続するビジョンは見えていませんが、まぁもうしばらくは様子見期間ということで。


#8028

37

今日の出来事人生観

人は生まれたときはあまりにも不自由であり、徐々に自由を獲得していく。
寝返りすら自分でできなかった乳幼児は、やがてハイハイを経て自分の足だけで一歩ずつ歩くようになる。
そして自我が自由になると、ときとして親の要求が「自分」の自由に反することもある。
保育園や幼稚園、やがて小学校と階段を上がっていくと、「自分」は社会の一員であるということを体感する。
社会と折り合いをつけていきながら自分の「居場所」を探る活動はこのときすでに始まっていると言える。
そして中学・高校と良くも悪くも閉鎖社会において自分がどのような立ち位置であるかを思い知らされ、
「自分とはこういう人間である」というアイデンティティーとして抱え込むことになる。
そして多くの場合、それを基準としながら大学というモラトリアムを経て社会に羽ばたいていく。


社会は教室と違って、労力と引き換えに自由を与えてくれる。
この意味での自由とは要するに貨幣であり、
それによって私たちは実家を出て居を構え、そこでそれなりの生活をすることはできる。
つまり、社会に帰属して時間的自由を差し出せば、空間的・社会的・金銭的自由が保障されるというのがこの世の仕組みだ。
あとは身体さえ健康であれば、道徳が許す限りさまざまな活動を選ぶことができるはずである。
ただし、与えられた自由を行使した結果のすべてについての責任は負わねばならない。


僕はこの数年をかけて、自由を行使できる基盤を整えてきた。
そしてそれは決して順風満帆ではなかったとはいえ、上京前よりも確かにより自由になったという実感はある。
しかし自由になったからといって、ただちに生活が豊かになったというわけでもない。
自分の本心に対して愚直に「生き甲斐」に打ち込めるようになったわけでもない。
昨今の僕は、その自由の「重さ」に薄々気づき、何かを選択することから逃げ続けていると思う。


できないことをできると信じるのは自分の事実性に対する嘘であり、
自分の本意でない対象に「好きだ」と言うのは自分の本心に対する嘘である。
この6年間は自由を獲得する代わりに嘘に塗れて生きてきたと思う。
だからこそ本心の所在が分からなくなり、やがて世界は灰色に染まり、ワクワクすることが無くなってしまった。
僕は本来社会的には自由であるにも関わらず、
活動対象を思春期からの延長線上にあるものに絞り込んで、その意味ではかなり不自由な活動を継続してきた。
その気になればこれまでの人生になんの脈絡もない活動に手をつけることはできるはずだが、そのための勇気が出ない。
半ばそれを正当化するためにもっともらしいタスクを詰め込み、
それがあるからこそ虚無な人生にはならずに済んできた。しかし、本当にこれでいいのだろうか?


いまの自分が、その自由な社会的基盤と自由意志においてやりたいことを主体的に選択し、
それについて熟慮した計画に向かって邁進する。これこそが生き甲斐であり、生を肯定する根拠になるはずである。
果たして、社会的外圧などに身を任せる人生を当人が本心から肯定的に捉えることはできるのだろうかと思う。
思春期から続く延長線上の活動そのものが悪いと言っているわけではなく、
それそのものを主体的に捉え直し、
「自分はこれをこういう理由でやりたい」と言語化することが重要なのだと思う。


自分の能力的な限界を正直ベースで見つめなおし、それに合わせて目標を是正することは大事な営みである。
そしてそれと同じように、自分が自分の意志でそれをやろうとする覚悟についても考え直してもいいかもしれない。
自分はそれを「やらなければならないからやる」のではなく、実際にはやらない権利も留保しているけれども、
いまの自分がこういう理由でやりたいと思っているからあえてやる、という気持ちを確認するのである。
それをしなかったら諸活動をするにあたって本心の居場所はどこにも無いだろう。
義務感で身体だけを動かしていれば、いずれ心が壊れるのは当然の成り行きだとも思う。


ここ数年の迷走を経て、いまの僕はようやく社会的に自由になれたと思う。
しかしだからこそ、それに付随する選択の責任に怯え、新しい活動を選ぶことから逃げ続けている。
誰かにやれと言われたことをこなすだけで許される人生だったらどんなに楽だっただろうかと思う。
自由を保障されているからこそ、その選択に付随する責任や不安のためにより一層不自由になっているようにも思う。


この「自由に対する不安」という名の壁は、いま30代半ばの僕の前に立ちはだかっている。
壁の前で立ち尽くし見上げるこの感覚は、かつて10代・20代のときにさんざん思い悩んだ、
「大人になるとはどういうことか」という名の壁を前にしたときのことを思い出す。
果たして僕に、胸を張っておっさんだと言えるような日は来るのだろうか。


#8029

資格の勉強復活計画

ジェネラリスト検定(G検定)を受けようかなと思い始めています。
きっかけは先日の元同僚と会って、年収レースでほぼ追いつかれてしまったことが発覚した件(#08026 / 2025年12月06日)。
少しでも何かできることはないかということで考えるのですが、
短期的にはやはり自分も会社に媚を売って社内評価を上げる以外にどうしようもない。
中長期的にはスキルを磨いてより高単価のプロジェクトに入り込むことが重要なのですが、
それはさまざまな事情があって自分だけの努力ではどうにもならないところがあります。


社内評価は主にプロジェクトにどれだけ具体的に貢献しているかと、自己研鑽をしっかりしているかどうか、
そして別枠として資格等の勉強をしているかどうかという3軸によって評定が付けられます。
このうち資格の勉強については割り当てられられている点数が少なく、
これをやらなかったからといって評価が落ちるわけでもないので自分はこれまでスルーしていました。
しかし、一方で自分はいま昇進するかどうか際どい位置にいるんですよね。
もし昇進が認められた場合は基本給が3.5〜4万円近く上がることになり、実質年収はかなり増えることになります。
しかも定期昇給とは別に上がるらしいので、定期昇給も加えると来シーズンの懐はかなり温まることに。
そのためにできることは少しでもやっていきたいわけです。


G検定は生成AIに関する知識を証明する民間資格で、
ITパスポートほど簡単ではないけれど基本情報技術者よりは簡単というような位置付けのボリュームです。
いちおううちの会社でも合格すれば褒賞として一時金が出ます。
とはいえ雀の涙ほどしか出ないので、お金だけを目的にするとあまりにも割りに合いませんが……。
ただ社内評価制度では資格の難易度は問われていないので、
社内評価を上げるという目的においてはこれでも要件は満たしていると言えるでしょう。


また、プロジェクト内でもAIはどんどん推進しているし、
自分のプライベート面でもChatGPTなしでは生きられないくらい活用しています。
仕事・プライベート両面に馴染みのある分野ということで、基本情報などと比べるとかなりとっつきやすい。
経済産業省が関わっているDX推進パスポートという枠組みの1枠という強みもあります。
そういうわけなので、社内評価の底上げ+少しのお金+AI知識の底上げという意味では検討に値するのかなと。
プロジェクト内で提案してみたら「みんなで勉強しよう」みたいな話にもなったので、
同僚上司を巻き込んでやることになる……かもしれません。


あわよくばこれを習慣的な資格勉強の入り口にして、G検定に合格したら次の資格……
というようにどんどん資格をゲットして勉強する習慣を復活させられたらとも思っています。
資格のレベルを上げていけば中長期的目標であるところの高単価プロジェクトに入り込むための武器にもなりますしね。
G検定が一角を担うDX推進パスポートという証明書(?)にはいくつかのレベルがあり、
他にもITパスポートやデータサイエンティスト検定を受けることでレベルが上がるという仕組みになっています。
なので、G検定を受けたらせっかくだからITパスポートも受けよう、という流れにしやすいのはありがたい。
いまさらITパスポートが必要なのかどうかという疑問はさておき……。


読書復活の件(#08022 / 2025年12月02日)もそうですが、2026年はインプット活動復活の年にしたいという機運があります。


#8030

離島ガチャ

実質5年ぶりに復帰したあつ森、気がつけば4時間以上遊んでいました。
別に島クリに着手したわけでもないのにこの勢いはいったい……。


まず、先日問題として取り上げた「化石をコンプリートしたのにポスターがもらえない問題」については、
マリンスーツを購入→海の幸をゲット→博物館に寄贈で無事にフラグが立ってポスターがもらえました。
ネットの情報とこの経験をもとに考えると、
ver.2.0アップデート以降、化石・魚・虫・美術品・海の幸を各1個以上寄贈することによって、


  • 魚・虫・化石・美術品・海の幸をコンプしたらポスターがもらえ、購入できるようになる
  • マスターを探すイベントが発生する

の2件についてフラグが立つということで間違いなさそうです。
ざっとググった感じではこれを正確に書いているサイトが存在しないのでかなり振り回されました。


それから今日なぜ4時間もプレイしたのかというと、「たぬきマイレージ+」にハマったからです。
まずおととい、住民の追い出しフラグを立てることに成功しました。
追い出しフラグは、話したことのある住民(最近話していない住民は除く)のうち、
外出している住民の1人がたまに考え事をしているときに話しかけることによって、
「この島を出て行こうと思う」というような話を振ってきた場合に了承することによって成立します。


追い出しフラグが成立すると翌日その住民は家で引越し準備をするようになり、翌々日に去っていきます。
すると家は売地になり、翌日以降ランダムで新しい住民が引っ越してくるのですが、
新しい住民によって土地が買われる前に「離島」で出会った住民を勧誘することによって、
ある程度までは意図的に住民を選ぶことができます。これがいわゆる離島ガチャ。


離島は1回3,000マイルで行くことができ、(本島に売地がある場合に)ランダムに選ばれた1匹の住民が遊びに来ています。
このとき、何度か話しかけると本島への引っ越しを勧めることができます。
離島ツアーはかっぺいのボートツアーと違って1日の回数制限がないので、マイルがあるかぎり何度でも引き直せる。
そこでマイル稼ぎが重要になるわけですが、「たぬきマイレージ+」はそのための手段のひとつです。


「たぬきマイレージ+」は、木を伐採する、魚を5匹釣るなどのミニタスクを達成するとマイルがもらえ、
タスクは常に5つ残るように無限に補充されます。
タスクは秒で終わるものから「マグロを釣る」といった高難易度のものまでさまざまですが、
一貫して島におけるソロプレイで完結するようになっています。
5つあるので同時並行的に進めることもでき、1つ完了するたびに新しいタスクが出てくるのでキリがない。
結局これを延々とやり続け、今日だけで数万マイル貯めることができました。


……が、肝心の離島ガチャは普通に爆死しました。
自分の島は2020年当時せっかく空きが多かったフェーズで厳選をしなかったのもあり、
9割変なのしかいません。なので少しでもかわいい住民が来たらそれでいいかなと思っていました。
歴代どうぶつの森シリーズでウサギ系によくお世話になったので可能ならウサギがいいかな、くらいの感じ。
ただ実際に離島に行ってみるとまったく知らないどうぶつしか当たらない。
キャラ数は400ちょいだそうなので、知っているキャラのみだと確率的に相当厳しいのは分かっているんですけどね。
10連程度ではまだまだということなのでしょう。


ちなみにお世話になったキャラは、おい森時代が「リリアン」と「ペチカ」。
とび森時代が「チョコ」とすべてウサギ系です。
リリアンは2020年にリアルマネーを使ってamiiboカードで召喚してしまったので、残り2匹をどうにかお迎えしたい。
まぁ……どう考えてもリアルマネーを使ってしまうのが手っ取り早いんですけどね。
amiiboカードによる召喚は事前の追い出しすら必要なく、住民厳選するなら圧倒的に効率が良いです。
まぁここでリアルマネーを使うのは無粋のような気がしなくもないが。
メルカリでシングルカードを買うのはアレとして、パックを買ってみるのはまあアリかもしれない……?
リアルマネーでガチャするか、マイルでガチャするか。


やはり好きな住民がいるとモチベも大きく変わってくると思うので、この辺は前向きに検討しようかなと。
あつ森は年始のアップデートまで持たせるのがひとつの目標ですね。


#8031

ゲームの好みの周波数

今日の出来事ゲーム一般

元同僚と週1で開催しているゲーム会は、また徐々に行き詰まり感を感じるようになってきました。
「マルチプレイで遊ぶ」というスタイルだけで遊んでいたのは2023年秋までで、
2023年冬からはどちらかのプレイを見るというシングルプレイスタイルも導入するようになりました。
しかし2024年末にはそれでもなお行き詰まってしまったので、2025年初頭からしばらくは休止。
2025年夏に『Apex Legends』のマッチメイキングが緩和された(弱い人とも当たるようになった)
ことをきっかけに少し復活して、その後またすぐに猛者としかマッチしなくなったため離脱。
以降はシングルプレイを見るというスタイルで惰性的に継続はしていますが、
このまま何も手を打たないとまた休止期間を生んでしまいそうです。


自分はこのゲーム会で、ゲームの好みが違う人とゲームをすることの難しさを改めて実感しました。
これまで一緒にゲームをやってきた家族などは、ゲームの好みが似通っていたからこそ一緒に楽しめたんだろうなと。
元同僚とは6年目の付き合いですが、だからといって6年でゲームの好みが近づいたわけではありません。
むしろ年数が経てば経つほどその溝の深さを感じざるをえなくなってきている気がします。
自分たちはどちらもゲームならなんでも遊ぶ生粋のゲーマーというわけではなく、
ごく限られた興味のあるタイトルに絞って遊ぶというプレイスタイルなため、とにかく興味が一致しません。
生粋のゲーマーなら一緒に新作タイトルをチェックしてビビッときたタイトルを買えば無難に楽しめるのでしょうが、
残念ながら両者ともそうではないんですね。


自分のゲーム意欲の低迷はブログに何度も書いているとおり、近年もっとも深刻な価値観の変化です。
こうなる前の自分は自称生粋のゲーマーでした。
かなり任天堂系に好みが寄っているとはいえ、他のハードで遊ぶこともやぶさかではないというスタンス。
その価値観で思春期を過ごしてきたので、新作を遊ぶことは「なるべくやっていきたい」という気持ちはあります。
ただ、その気持ち(純粋な意欲というよりは自尊心?)に素直になって新作を買っても、
集中力やプレイスキルが及ばないことが多いので最近はめっきり遊ばなくなってしまいました。
ゲームに対し、浅く広くフォローしたいという気持ちはあれど、熱意がそれに追いついていないという現状です。
なのでタイトルを絞り込まざるをえなくなってきている。


一方、元同僚は一貫して「本当に興味があるものだけやる」という研究者タイプです。
一度ハマれば徹底的にそのゲームをしゃぶりつくす反面、興味が無いゲームは絶対に手をつけない。
となるとお察しの通り、自分とのゲーマーとしての相性は絶望的なんですよね。
自分はいろんなタイトルをほどほどに遊びたい(それ以上は熱意が持たない)というタイプなので、
同僚がハマったタイトルを一緒にプレイしてもその勢いに負けてしまう。
かといってそれ以外のタイトルは同僚は徹底して興味を持とうとしない。


高齢ゲーマーとして合理的なのは同僚のようなタイプだと思うし、
何もかも中途半端な自分が結局のところ諸悪の根源のような気はしています。
ずっとこの状況を打破してくれるような新作を待ち望んでいるのですが、6年経ってもそれに値するタイトルは出てこない。
そうこうしているうちに自分のゲームに対する熱意そのものが消えかけているというのが現状です。


大切なコミュニケーションの相手なのでゲーム会自体はどうにか存続させたいのですが、
何年経っても打開策が出てこないこの現状はまあまあ危機的だと思っています。
もしかしたら、「ゲームの代替」をも視野に入れるフェーズに入ったのかもしれません。


#8032

ゲームジャンルへの心境変化

今日の出来事ゲーム一般

今年のゲーム関連は言うまでもなく「Nintendo Switch 2」に賭けた1年でした。
近年、ゲームそのものが低調な自分にとって、ゲーム関連における「神聖な日」とも言える任天堂ハード発売日。
その絶好の機会をいわば踏み台にして、ゲームを恒常的に遊ぶことを復活させたい。
そんな思惑があった1年でした。
まあ、結果的には少なくとも完全に壊滅的だった去年や2022年よりは大幅に改善しているとは言えるので、
そう言う意味では「大底を打った」と言えるのかもしれません。
ただ、今年は今年で反省点も多かったと思います。


まずNintendo Switch 2関連新規タイトルは『マリオカート ワールド』『ドンキーコング バナンザ』
『ポケモンレジェンズZ-A』『カービィのエアライダー』の4本を買いました。
このうち、前2本はまあまあプレイしたし満足感もあり、買ってよかったなという実感はそれなりにあります。
ただ、後2本については完全に勢いを失ってしまい、「買ってよかった」と言えるレベルには達していません。
いずれも今年のキラータイトルであるにも関わらずです。


これについては、Z-Aやエアライダーが駄作だったなどと言うつもりはなくて、
ただただ自分の加齢による好みの変化によるものだと思っています。
そして、その影響がいよいよ無視できなくなってきたのではないかと。
2025年のゲーム周りの自分の動向を振り返ると、コレクション性が強いゲームにハマりやすくなったと思っています。
反面、反射神経などの身体的スキルを磨くことを目的とするゲームはとことん合わなくなった。
基本的にコミュニティに所属しないかぎり同じゲームだけをずっとプレイすることはないですが、
本当に好きなゲームは一度やめてしまってもまたしばらくすると戻ってくるようになりました。
このプレイスタイルに合致しないゲームはそもそも続きません。
ルールが複雑なゲーム、ストーリー仕立てのゲーム、フィジカルを要求するゲームなどですね。
これらは一度ブランクを生んでしまうと再開するための心理的ハードルがかなり高くなってしまう。
もし、今後この手のゲームをやりたいなら短期集中で頑張ってクリアまでやるべきでしょう。


一方、短期完結型でストーリーなどが無く、ルールもすぐに思い出せてフィジカルをそれほど要求しないゲーム、
かつコレクションや育成の要素が強く「少しでもやること」に意味のあるゲームは昨今の自分に向いていると思います。
今年で言うと『原神』→『Balatro』→『あつまれどうぶつの森』がこの流れを汲んでいて、
Switch 2タイトルの中でも『マリオカート ワールド』はごく短期間にサクッとやるゲームとしては、
昨今の自分に向いている寄りのゲームなのではないかとも思います。


こういった好みの変化を自覚した以上は、もう「任天堂の大型タイトルだから買う」は卒業するのが妥当かなと。
個人的には『カービィのエアライダー』が全然続かなかったのが自分でも意外でした。
これがきっかけで、大型タイトルは絶対的安牌というこれまでの常識はもう通用しないと悟った次第です。
来年以降、どういうタイトルが出てくるかにも寄りますが、
2025年に自覚したゲームの好みの変化、というより「年齢的にできないゲームがある」という自覚は、
今後ゲームを買う際のひとつの基準にもなるんじゃないかと思っています。


#8033

二刀流の配信

今日、ピクミンコミュニティで今年最後の週末系イベントを実施したのですが、
配信環境においていくつかの反省点を見出したのでメモっておきます。


まず、配信はいろいろ試行錯誤していましたがサブPCつまりWindows環境でやるのがベターかなと思っています。
イベントを配信・録画するための端末と、喋ったりゲーム画面を共有するための端末を完全に分けるということですね。
これをする理由として、まず喋る端末と配信する端末が同じ場合、自分の声だけはDiscordのノイキャンを経由できません。
このノイキャンというのがとても優秀で、必要な声以外の音をほぼシャットアウトすることができるんですね。
これを経由しないと自分の声だけ別の場所から収録しているかのような違和感があるのと、
ノイキャンが効かないので救急車などの騒音が近所を通ったときにどうしても配信に入ってしまう。
ちょっとした雑音も入ってしまうので配信中はかなり気を遣う必要があります。
その点、完全に役割を分ければノイズをシャットアウトしつつ、自分の声も平準化できるわけです。
これがまあ最大の理由と言えるでしょう。


あと同一端末でやると、ゲーム画面を画面共有している場合などにOBSの挙動がおかしいことが間々ある。
実は前々回のイベントはMacbook単独で進行も画面共有もOBS録画もやっていたんですが、録画失敗していたんですね。
こうなると取り返しがつかないので今後は可能なかぎり避けていきたいわけです。
となるとサブPCにお任せするのが確実なのかなと。
サブPCは今後お蔵入りも可能性としてありましたが、配信用端末として再出発することになるかもしれません。
Windows 10の延長サポートが切れる来年秋までには買い替えを絶対避けられないサブPCですが、
次に選ぶPCは配信専用端末という基準で考えることになりそうです。
となるとスペックは低くても構わないし、デスクトップPCにする必要性が薄いような……?


イベント終了後にメンバーといろいろ話をしたのですが、
イベント自体はかなりニーズがあることが分かったので今後も運営頑張ろうと思える契機になりました。
ちょうど年の節目なので、来年からの気持ちを新たにする火種にもなったかと思います。


いわゆる「週末イベント」の実施は2023年秋から手探りながらにスタートして2024年に本格化。
2025年春には一部参加者の(敵キャラに対する)罵詈雑言があまりにも不愉快だったため
意図的にイベント開催を見送る時期が続き、秋頃に復活していまに至ります。
これまではずっと常連しか来ない内輪ノリの強い雰囲気でしたが、
今日開催の最後のイベントでは一気に新規参加者が2人も来てくれて、伸びしろも感じています。
なのでまあ、2026年も手を替え品を替えやっていくことになるんじゃないかなと。
罵詈雑言問題(#07767 / 2025年03月23日)は明示的にダメと言わなくても配信することで予防になり、
これで角を立てずに進行できることが分かったので、今後は同じ理由で休止することはないと見ています。
まぁ、それでもなお空気を読まずにアレな発言を繰り返すような人が来そうな場合は、
参加ハードルをグッと上げればいいだけです。本当にゲームが上手い人にそんな人はまず存在しないので。


いずれにしろ、週末イベントは右肩上がりの成長を続けており、2026年もひとつの軸になることは確定的。
ニーズがあるということをしっかり自覚して、運営者としての責任をまっとうしたいところです。


#8034

音質の壁

エレクトロニカを知った翌年の2010年に出会うも、
当時は好きではなかったAphex Twinのアルバム『Selected Ambient Words Volume 2』(以下、SAW II)。
当時の自分はエレクトロニカ(IDM)にAutechre的な奇怪さを求めていましたが、
同時にSquarepusherのドリルンベースのような騒々しさも求めていました。
その交差点に位置するAphex Twinの90年代後期作品が好きでよく聴いていたのは言うまでもないのですが、
しかしSAW IIは同じAphex Twinのアルバムでありながら、
あまりにも求めている路線からズレたところにある音楽として理解できませんでした。


その後、大人になればなるほどアンビエントの良さが耳に沁みるようになり、
SAW IIもいまではアンビエント系の代表格のような存在になっています。
そこで登場した2024年のExdended Edition、いわば30周年記念盤。
実は「買おうかな」とブログで言及しておきながらなんだかんだで1年以上買っていません。
あまりにも絶妙な価格帯や諸条件が重なってしまっていることもあり、かなり悩ましいからです。
後述の件も踏まえると買わないのが正解っぽいんですが、それでもやはり15年の付き合いがあるアルバムだけに気になる。


まず、Extended Editionは尺の都合でこれまでのCDには入っていなかった楽曲が初めて収録されており、
さらにボーナストラックが2曲入っています。つまり事実上3曲追加。
そしてそれ以外の楽曲については、自分はすでに以前リイシューされたときの国内盤を持っています。
Extended Editionは6,600円。3曲でこの金額はさすがに割高と言わざるを得ません。


でも他の楽曲も音質が向上しているなら買う価値あるかも、ということでそれも調べてみました。
実はExtended Editionはリマスタリングされており、既存音源とは聴こえ方が異なる可能性があります。
そして国内盤は「高音質UHQCD仕様」をうたっています。
であれば音質向上は間違いなしなのかと思いきや、
このUHQCDというのは別にCDとしての容量が大きくなったわけではありません。
CDの加工の過程が通常より高品質というだけで、リッピングしてしまえば普通のCDとなんら変わりません。


しかも、よくよく調べてみるとBandcampでダウンロード販売もしていてそちらは24bit音源として売られている。
CDはどうあがいても16bit/44.1kHz以上の音質にはならないので、この時点でDL盤の方が高音質です。
SAW IIのような細かな音の粒を味わうような音源ではこうした違いはかなり重要で、
結局のところ音質を求めるなら円盤を買うよりもDL盤を買うべきということになります。
ちなみにDL盤は15ユーロで、執筆時点のレートでは2,732円です。安い!


そういうわけでCDを買う必要が無いことがわかってしまったわけですが、
それでもコレクター品としてCDはCDで取っておきたい気持ちがなくもないんですよね。
ただ、差分3曲以外のCDは持っているし、リッピングさえしない3曲のために6,600円はさすがに……。
ということで延々迷っているという次第です。
数年前の自分なら迷いなく買っていたと思いますが、
当時の浪費癖を反省した結果としてこんにちの自分があるので、こういうのは軽々にポチれません。


DL盤を購入したエレクトロニカのアルバムはCDも重複購入する……なんて意気込みを以前書きましたが、
こういう問題がわりとよく起きるので実現はなかなか困難かもなぁと改めて思いました。
CDの音質の限界を考慮すると、やはり音楽はデジタルコレクションとして割り切るのが無難なのかも……。


#8035

React2shell脆弱性

運営しているサイトがハッキングの標的になり、ほぼ一日をかけて検証していました。
まず12月09日、Reactというフレームワークに致命的な脆弱性があると発表されました(IPAのニュースリリース )。
自分がwebアプリ開発に使っている「Next.js」はReactのフレームワークであり、これの影響を受けます。
この最初の報道を見かけたときは「週末くらいにバージョンを確認して該当していたらアップデートするか」
というくらいの気持ちでいました。すぐに攻撃が来るとは思わなかったからです。


ところが今朝、VPSをホストしている会社から自動送信メールが。
「あなたのサーバーがCPUを占有しており、他ユーザーに影響が出かねないためシャットダウンしました」と。
ホスティング会社から怒られたのはWP時代を含めると2回目、VPS運用後では初です。
これはもう今回のReact2shell絡みで自分のサイトが標的にされ、攻撃されているとしか思えませんでした。
これを受けて、急遽半日くらいLinuxと格闘していました。


まずtopps auxコマンドでプロセスのCPU使用率を確認したところ、再起動時点では攻撃されてなさそう。
見覚えのないユーザー名やプロセスが稼働しているということもぱっと見では無い。
lastコマンドで直近の成功ログインをチェックしても、自分のIPアドレスしかなく管理者権限で入り込まれた形跡は無い。
ちなみにlastbコマンドでログイン失敗履歴が見れますが、これは恐ろしいほどたくさんありました。
が、これが直接的にCPUを焼いているとは思えません。


crontab -lで現在動いているcron(自動実行スクリプト)に不審なものがないかチェック。
また、journalctlでシステムログを確認するも、こちらも特に怪しいものはなし。
システム内で最近更新されたファイルの一覧を出力してみるも、こちらも不審なものはなし。
ただ、nginxのアクセスログをみると大量のアクセスが試行されていることがわかりました。
おそらくですが、これにfail2banが都度反応したためにfail2banがCPUリソースを食ってしまったのだと思われます。


今回のReact2shell脆弱性に関わっているバージョンはかなり限られていて、
Pages Routerを使っている少し古いアプリは対象外となっています。
自分が運営しているサイトでは、大規模で他人のデータも預かっているピクチャレ大会はPages Routerなので対象外。
しかし2024年開設の4代目本家ブログが比較的新しいApp Routerを使っており、
ちょうどピンポイントで脆弱性のあるバージョンを使っていました。
そのため今回は、ピクチャレ大会ではなくこのブログが標的にされたものと見られます。


ただ、かなり探しても侵入された形跡や不審なファイルなどが見当たらないこと、
もともとサーバーにはWAFやfail2banなどの防御システムが作動していたことなどから、
「アクセス過多によってCPUが焼かれたが、セキュリティは突破されなかった」と結論づけました。
より正確には、セキュリティが突破されなかった証拠は無いが、突破された証拠も見つかってないだけですが。


今回、VPS導入後初めてwebサイトがハッキングされるという事件が起き、いろいろ学びもありました。
まずIPA(情報処理推進機構)がリリースするようなセキュリティニュースはすぐ動かないとダメということですね。
今回も脆弱性のニュースはホスティング会社から怒られる前に知っていたのですが、
「まさか自分のサイトは数日では攻撃されないだろう」という慢心がありました。
実際、ピクチャレ大会の10分の1程度のアクセス数しかないブログが攻撃されたのは驚きですが、
こういう重大な脆弱性は規模関係なく警戒する必要がありそうです。


あとセキュリティリスクに対応するためにはLinuxの知識が絶対不可欠であることも痛感しました。
今回は自前の基礎知識+ChatGPTのアシストで対応しましたが、
自前の基礎知識というのは6年前に読んだ『Linuxの教科書』という本で止まっており、危機感を感じます。
ChatGPTの提案するコマンドを何も理解せずコピペするだけというのはかなりのリスクがあります。
こうなると、インフラ関係もどこかで機会を作ってアップデートする必要はありそう……。
むしろフロントエンドやバックエンドの知識を深めるよりもはるかに大切のような気がします。


#8036

無気力な一年

今日の出来事生活教訓

2025年はこれといってメンタルを削るようなイベントが起こらない平和な1年だったと思います。
これは、人間関係の中でも運要素の強い職場の人間関係がかなり安定しているのが大きいかと。
なんなら、人間関係という点では社会人になって以来いまが一番平和かもしれない。
趣味関係では一度地雷を踏んでしまうというトラブルがありましたが(#07761 / 2025年03月17日)、
少なくとも長期で尾を引くようなこともなく、まあその相手とも大事に至らず持ち直したと言えそうです。
そういうわけで、人間関係については比較的平和な1年だったという評価はおおむね間違ってなさそう。


にもかかわらず、2025年は「無気力化」が一気に深刻になり、
そういう意味では人間関係的な問題を起こしていないのにメンタルのポテンシャルは低かった1年だったと思います。
なんならうつを疑っているくらい、やる気というものが疎遠になってしまった。
これは最近分析しているように、タスクのハードルが低すぎて達成感を実感する機会が皆無なのがまず原因としてありそう。
年間計画としての小説は書き切ったのにいまのところ達成感が無いのがそれを象徴しています。
タスクも細分化すればいいというわけではないということです。
なので、2026年は計画段階でもう少し詰め込んでもいいのかなと思っています。


もうひとつは日常生活のマンネリ化です。
昨日と同じような一日を過ごしてしまうとじわじわとメンタルが削れていくというもの。
これも経験則として分かってはいるけれどなかなか避けがたいことで、
たとえば日々の習慣にしたいことがタスクとしてあればどうしても生活はパターン化していくわけですが、
それに甘んじているとロボットのようなライフスタイルになり心が摩耗していくという。
マンネリ化を避けるべきというメンタル防衛手段は、タスクの習慣化とある種矛盾するところがあるわけですね。


これについては2025年は怠惰に甘んじてかなりワンパターンな生活を過ごしてしまったという反省があります。
これもメンタル悪化に相当影響してそうな気がする。
なので来年からは、意識的に昨日と違う生活を送ることを心がけていきたいところです。
ごはんを食べるのはいつもの最寄駅周辺の店にするのではなく、たまには隣町に行ってみるとかですね。
とにかく物理的にずっと同じ場所で過ごさないというのが大事な気がする。
ずっと家にいて、昨日と違うコンテンツを摂取すれば解決するというものではないということです。
逆に言えば、物理的に違う場所で過ごせるなら似たような活動をしていてもマンネリは避けられている気がする。
昨日は家でブログを書いたから今日はカフェで書こう、というような具合に。


無気力化とマンネリ化は、おそらく一人暮らしの孤独がもたらす病状なのではないかと思っています。
そのため他者との関わり合いを維持する努力が絶対不可欠なのはもちろんですが、
実家帰省というワイルドカードをうまく活用することも視野に入れていきたいところです。
具体的には、今年の実家帰省は年3回でしたが(01月、05月、09月)、
どこかの3連休に有休をうまくくっつけて4回帰省するのもアリかなと。
とはいえ、作業捗りまくりでリフレッシュにもなった前回はそれなりに心構えができていたから成功したのであって、
毎回必ずうまくいくわけではないということは念頭に置く必要がありそうですが。
むしろ生活リズムが乱れて散々な思いをする可能性だってあるわけで。


2025年はいろんな意味で最低基準を作った1年でしたが、


  • 無気力化防止のためにある程度のボリュームの計画を入れること
  • なるべく物理的に昨日と違う場所で過ごしマンネリを防止すること
  • 実家帰省を活用して中期的なリフレッシュに努めること

の3点は2026年の生活面のスローガンにしてもいいのかなと思っています。


#8037

誠実さを積み上げる

今日の出来事信念の問題

2023〜2024年の自分の中で支配的だった「無能な自分を受け入れる」という考えは、
2025年を無気力な1年にしてしまったという反省によって事実上破綻したと思っています。
できて当然のことだけをやる人生に意味を見出すのは難しいということですね。
しかし一方で、そういった発想とそこからの実践によって得た「収穫」も確かにあると思っていて、
これに対して自覚的になることはかなり重要なのではないかと思っています。


そもそも自分が上記のような思想に染まったのは、
それ以前は「自分はこうあるべき」という信念が自分の能力を根拠とするものではなかったという事実があり、
そこからの矯正を目指すためにもまずは自分の能力を正直ベースで自覚しようと思ったからでした。
信念が自分の能力を無視したもので構成されていたのは、
ひとえに考え方が自立していなかったから、つまり他人(社会)の価値観で自分の理想を規定していたからだと思います。
たとえばXX歳になったら〇〇するべき、そうでない人はクズだというような考えです。
しかしできないことをできないと卑下したところで、永遠に解決は望めません。
だったら自分は何ができて、何をすべきなのかをゼロベースから考え直すべきなんじゃないか、
というのが「無能な自分を受け入れる」という思想の根底にあります。
しかし、それをただ愚直に実践しても何も生まないのだということは何度も書いてきました。
やはり人は「いまはできないが頑張ればできそう」な目標があってこそ生きる意味を見出せるのではないかと。


この3年、無能な自分と向き合うことそのものは失敗だったかもしれませんが、
一方で確かな収穫もあると感じています。
それは、最低限やるべきことから目を逸らさない習慣が形成されつつあるということ。
2022年以前の自分はそもそもそれができていませんでした。
睡眠の問題が発生した時期における出勤も然り、3代目ブログ末期におけるブログの存続危機問題然り。
小さいところでは交通費精算書の提出や日用品のストック、病院の予約など。
「最低限やらなければならないこと」が目の前にあるとき、
損失を覚悟してでもそこから逃げ出してしまう決定的な意志の弱さというものが昔の自分には確かにあったと思います。
そしてそれはこの3年で確かに改善してきた。
日課としてのブログは、2024年の4代目移転以降下書きを溜めてしまうような事態には一度も陥っていません。
逃げようと思えば逃げられるけれども、逃げたらどうなるかを痛感しているので逃げずに済んでいる。


つまり、この3年は決して無意味だったわけではなく、
誠実さを積み上げてきたという点においては確かに「成果」と言えるところまで来たのかなと思っています。
また、なによりも最低限やるべきことはやるという基盤の上で活動していると、
諸活動が安定的に発展し続けているという実感があり、これは大きな収穫かなと思っています。
2022年以前の自分はメンタルが沈めばすべてを投げ出してしまっていたので積み上がるものはありませんでした。
そういう不合理な行動は確かに減ったかなと思います。


短期的にはまだまだ誠実になりきれていないところはあるかもしれませんが、
長期的には改善していると言い切れる自信がある。これは強みだと思っています。
そういう意味では、無能な自分からゼロベースで再出発した営みそのものは間違っていなかったのかもしれません。
それをそのままタスク管理に適用しなければいいというだけで。


#8038

泡沫的な興味関心

今日の出来事意欲の問題

2026年に活かしたい教訓に、「自分の興味関心の勢いは約2週間しかもたない」というものがあります。
何か新しいコンテンツを見つけてそれに強い興味を抱いたとしても、
おおむね2週間後にはもう飽きているということです。


少し前の自分なら、これについては「2週間しかもたない飽き性な性格こそが絶対悪」と考えていたことでしょう。
つまり飽き性が根本原因であり、持続的な活動をしたいならそれを矯正するべきだと。
そうしないかぎりすべてが泡沫的で成果が積み上がっていかないという焦りは確かにありました。
しかし現実には、2週間以上もたせるのはまず無理といっていいでしょう。
この壁を明確に越えられているのは内発的動機づけ以外の動機があるか、習慣になっているだけです。
前者なら何らかのコミュニティに所属しているとかで一緒に共有する相手がいる場合、
後者の場合はソシャゲのログボ、あつ森などのように1回のプレイにかかるコストが極小な場合などですね。
ちょっとした思いつきや巡り合わせで始めたコンテンツに対する興味関心を、
外発的動機づけや習慣以外の方法でもたせるのはかなり難しい。
これは自分の内心にあるものですが、もはや意識ではコントロールできないものだからです。
仮想通貨取引は近年巡り合ったものの中では最大のコンテンツですが、
これですら、少なくない金銭という特大のリターンがあるにもかかわらず2週間以上はなかなかもたない。


そこで、発想を転換して自分は2週間で意欲が減衰するということを受け入れて、
2週間以内に完結するような計画を立てる方が合理的なのではないかと最近思い始めています。
2週間経過したらいったん終わりで、しばらくは次の何かに目を向ける。
そして他が一区切りついたところでまた戻ってきて第2ラウンドを始める、といった具合です。


ただ、このスタイルは一部の例外を除いて
アクションゲームなどフィジカル面のスキルが要求されるコンテンツとの相性がよくありません。
覚えておかねばならないことが多い、頭を使うような活動ともやや相性が悪い気がします。
いずれも、活動を続けていくと積み上がっていく肌感覚というものがあり、
その感覚はしばらく活動から離れていると失われてしまうからです。
失われたらまたその感覚を取り戻すところから始める……というのではあまりにも効率が悪い。
そういうコンテンツは今後金輪際触れちゃダメというようなことを言うつもりはありませんが、
なおさら「2週間以内でなんらかの成果を出すこと」が重要になってくると思うんですよね。
興味が湧いたからといってとてもその枠に収まらないコンテンツに手を出して、
なにも成果が出ないまま興味も失せてフェードアウトするというのは端的に言って時間の無駄です。


2週間という枠組みは感覚でしかないのでそこに厳密さは求めないものの、
いずれにしろ何かに興味が湧いたなら2〜3週間程度で目指せるゴールを設定することは重要なのかなと。
そして「そこまでしてやりたいかどうか」を自問して、やりたいと思ったらやり遂げる意志が大事なのだと思います。
こういうことをしていないかぎり、余暇は永遠に有意義に過ごせないのではないかと。
この辺にも2025年の無気力さの原因がありそうな気はしています。


そういう意味では現在やっているあつ森は短中期的な見通しは立っていないので、
いずれフェードアウトするとは思います。これはまあ乗り掛かった船なのでこのままでよしとして、
次に何か興味を持つときは2週間で飽きるという前提のもとで何をするかをしっかり考えたいところ。


#8039

ゲーミングマイクの可能性

今日の出来事pc環境

ふと、HyperXの「QuadCast 2S」というゲーミングマイクが欲しくなっていろいろ調べていました。
Discordによると今年の通話時間はのべ497時間だそうで、
最近はますますボイスチャット依存が高まりつつある自分です。
となると通話環境が良いに越したことはないわけですが、
ディスプレイは2017年に買ったウルトラワイドディスプレイがまだまだ現役で同時配信にも耐えられるし、
キャプチャーボードもスペック的に特に問題ない。
ただ、マイクだけはAppleのEarPodsで妥協していて特にちゃんとしたものは買っていないんですよね。
まぁ、このEarPodsがなかなか高性能で、これでも特に不満は無いといえば無いんですが。


EarPodsではなくいわゆるちゃんとした据え置き型のマイクにする利点として、
話し声がよりクリアになるのはもちろん、ワンタップでミュートできる取り回しの良さや、
ハンズフリーなので離席するときも特に余計な動作も必要なくできるという利点があります。
EarPodsのようなイヤホンマイクは少なくともハンズフリーにはできません。
まぁあと、ゲーミングマイクはLEDライトで彩ってくれるので配信環境に華を添えるという利点もあります。


「QuadCast 2S」はゲーミングマイクとしてはオーバースペックなほど高性能の全部入りマイク。
指向性切り替えによって通常の単一方向だけでなく対話用の二方向、ASMRなどにも向いているステレオ、
周囲全部の音を拾う全方位といった指向性モードを選ぶことができます。
全方位モードはオフ会などで会場の声を一通り拾いたいときに役立ちそう。
音質については完全にオーバースペックで、32bit/192kHzの収録が可能になっています。
これについては、そもそもDiscordがそこまでの高音質に対応していないのであまり意味がありません。
音質はそもそもEarPodsがどのレベルなのかを理解していないのでなんとも言えませんが、
まぁさすがに3万円台のマイクとEarPodsなら比べるまでもないのではないかと思って……
いや、どうだろう。意外とそこまで差がないのかも。


QuadCastシリーズは「無印」「S」「2」「2S」とありますが、
無印はかなり前にリリースされた旧モデルで音質の上限やインターフェイスがやや異なり、
「S」が付くモデルはLEDライトのカスタマイズが可能かどうかの違いとなっています。
いろいろ心境整理したところ、自分がマイクに求めるのは利便性や音質云々よりも
ゲーミングガジェットとしての存在感だと思ったので、そういう意味では「S」は付いた方がいい。
そしてインターフェイスも最新モデルの方がカッコいいので、まあ消去法で2Sかなと。
ただそこからさらに迷いに迷ったあげく、
利便性度外視で突発的に3万円の出費はアレなので次回のタイムセール待ちが妥当という判断に至りました。
2026年も引き続きボイチャ依存が進むなら買ってもいいのかなとは思っています。


にしても、冬のボーナスのおかげか久々に純粋な物欲が湧き上がったなと。
完全に死んでしまったと思われた物欲は、実はまだ全然生きていた……?


#8040

長時間の本探し

今日の出来事読書

ひさびさに立川駅へ行き、①どうぶつの森amiiboカードを買い、
②来年初頭以降読む書籍の選定のために本屋を練り歩き、③コミケのリストバンドを買ってきました。
ここでは主に②を年間計画と絡めて書いていこうと思います。


2026年の基本コンセプトは、2024〜2025年で確立したコミュニティのイベント主催者としての責務を果たすことと、
2019〜2020年に習慣化していた読書録の復活という2本立てです。
そしてこれらはどちらも月単位でミニゴールが設定されていて、それに向かって柔軟に対応するという想定。
年単位でザクっと目標を切るのではなく、もうちょっと細かく切り分けるということですね。


2025年のライフスタイルを維持する場合、これら2大計画を実施する機会はある程度決まってきます。
基本的にイベントは土曜日にのみ実施するので、イベント開催週の土曜日はその準備に割り当てるのが妥当でしょう。
そして非開催週や準備がほとんど要らないイベントの場合は読書に集中するという見立てです。
なお、日曜日はブログを片付けるための日&休息日としてこういったタスクは入れない想定。
平日に関しては、5日のうち出社日2日は基本的に仕事以外のことはできない日と割り切っていて、
残り3日のうち1日は元同僚とのゲーム会で消費するため残りは2日(たいてい火曜日と木曜日)。
この2日の退勤後余暇は読書やイベント準備、あるいは他プロジェクトを進めるための「余白」にする予定です。


当初、読書復活に関しては月初に数冊買ってざっと読んでビビっときた本を通読するという方針でしたが、
少なくとも初回(01月)に関しては2ヶ月分一気に買うつもりでいます。
というのも本を買うこと自体が久々すぎてアンテナに引っかかる本が多すぎるからです。
今日も大型書店をたぶん1時間半は練り歩きましたが、候補が14冊にもなってしまいました。
この中には当然通読できる可能性の低い「重い」本もあれば、
逆にこれくらいはパパッと読めないと困るというような「軽い」本もあります。
その割合をいい感じにしつつ、14冊を7冊くらいに絞っていこうと思っています。


技術本コーナーも久々に見ましたが興味を引く本がちらほら。
この類は所有欲を満たすので読むか否かはさておきとりあえず欲しくなってしまうんですよね。
実用性で言えば、最近canvaを触る機会が増えてきたのでそれ系の本は買ってみてもいいのかもしれない。
先日のセキュリティ攻撃以来、Linux関連の関心も高まっていますが、
そっち系ではすでに持っている本を超えそうなものは見つかりませんでした。


にしても、1冊も買っていないのに候補を見てきただけで謎の充実感があります。
本屋は儲からないと言われて久しいですが、自分みたいな客がいるせいなんじゃないだろうかと思ってしまいます。
本屋って入場料を取ってもいいと思うんですけどね。その代わり立ち読み容認で……
と思ったけど、図書館という競合を考えるとまず無理か。


余談ですが、期待薄だった②のどうぶつの森amiiboカードはなんと本命であるウサギ系のチョコが当たりました。
5パックではかなり厳しいと覚悟していたのでさすがにビビりましたね。
これで我が島のウサギ系は2匹。残りもカードで勧誘するか、それとも離島ガチャを頑張るかは迷いどころです。


#8041

承認欲求の暴走

改めて思うのは、承認欲求「だけ」を求める行動は非合理なところに着地しやすいということです。
承認欲求との適切な付き合い方については悩み続けてなお明瞭な結論が出ていませんが、
少なくともそれは「使い方」を誤ると自分の人生を迷走させかねない恐ろしさがあると思います。


直近でそれを実感したのは『カービィのエアライダー』ですね。
このゲームタイトルは世間的には間違いなく今年最大級の注目作で、
自分も可能ならその波に乗っかりたいと思っていましたが、
その実自分にはもうそんな気力が残っていないということは嫌と言うほどわかっていました。
でも、だからといってせっかくのビッグタイトルの発売日に何もしないのも悔しい。


ということで需要があるなら既存のシステムをフォークしたランキングサイトを作る意志がある、
というような内容の投稿をわざわざ本アカでしたり、
Discordに新規サーバーを作ってDisboardというサーバー検索サイトに登録したりしました。
両方、特に後者については何をやっているんだというレベルの黒歴史で、
発売してすぐにやらなくなったあとのいま思い返せば、本当に何をやっていたんだろうと思います。
いずれも、どう考えても自分みたいな熱量のプレイヤーがやるようなことではありません。
終わってみるとなぜこんな不合理なことをしてしまったんだろうという不思議があります。


これは、例えれば広大な砂漠で喉が渇いているところに1杯の水が見つかったとき、
その道中がどんなに険しくても水に向かって歩くしかないというようなことなのだと思います。
死ぬほど喉が渇いているからこそ、千載一遇のチャンスである水を見捨てる理由はどこにもないわけで。
承認欲求も、あまりにも満たされずに枯渇するとそうならざるをえない。
『カービィのエアライダー』の登場は、自分にとって第二の活動場所になる可能性がありました。
そしてそういう可能性はこうした新規タイトルの発売が契機であることが多いという昔からの固定観念もあります。
その確率は1万分の1かもしれませんが、ゼロより大きいのならやらざるを得ないみたいなところがあるわけです。
しかし客観的にみれば、どう見てもほとんどゼロなのだからそれは合理的な行動には見えない。
一言で言えば非合理というよりは惨めな行動だということなのでしょう。


これをどう反省するべきかということを考えたとき、
単に「ビッグタイトルだから」というだけで食いつくのではなく、
自分自身の熱量やポジションを冷静に考慮した上で少しでも高い確率のルートを選ぶ必要があるのでしょう。
自分のケースで言えば、やはりどんなに新鮮さが失われていても既存コミュニティで頑張る方がまだ可能性がある。
この歳にして完全新規のコミュニティを「作る」ということがそもそも難しいわけです。
新しいコミュニティに所属することさえ難しいんだから当然のこと。
その「合理性」と直感的な興味関心は相反することが間々あり、既存のものはつまらないと思いがちですが、
しかし実際にやってみれば合理的な方が楽しめるかもしれない。
そもそも、たいてい2週間で冷める「直感的な興味関心」は果たして信用できるのかという話です。


この辺は20代以前と30代以上では考え方や立場も違うのかなと思います。
20代以前なら直感に基づいて空手で挑んでも良かったのかもしれないけれども、30代以上はそうはいかない。
やはりどこまでいってももうこれまでのキャリアを無かったことにはできないわけです。
なので自分の興味関心や気持ちがどうであろうと、もう敷かれたレールの上を歩くしかない。
果たして本当にそうなのか、という疑問は散々抱えてきましたが、まあこういうものなんだろうなと思いつつあります。


#8042

保守寄りの活動方針

この時期になると毎年、ピクミンコミュニティにおける「反省会」配信の準備を始めます。
前年と比べて今年はより盛り上がったかどうかを正直ベースで振り返り、
翌年に向けた目標などを設定する場として2023年から実施しており今年は3回目の実施ということになります。
自分にとってこれはピクミン活動の総決算のような位置付けであり、
運営サイドとしてやるべきことをやってこれたかどうかはここで点数がつけられることになります。


今年はcanvaをもっと活用して見栄えのあるプレゼンにしたいという機運があるのですが、
それはそれとしてすでに確実に反省点として挙げざるをえないトピックスとして、
非ボイチャ圏へのリーチが(去年に引き続き)おろそかだったという反省があります。
つまり、さまざまな活動はしてきたけれどもそれらは軒並みボイチャありきの活動だった。
一方、ボイチャというのは入るのに少なからず勇気を必要とするもので、
勇気を出して入るほどでもないエンジョイ勢というのもコミュニティには少数存在していたわけです。
自分はコミュニティ運営者として彼らを2年連続で見捨ててしまっていたという反省があります。


ただ、一方でコミュニティをあくまでもDiscord主体で運営したいというのは7年前から考えていることであり、
TwitterのようなテキストベースのSNSとは決別したいという思いはずっと持ち続けています。
そしてこの2年あまりは、その方針に従って確かに成長してきたという実感があり、
これ自体はそこまでズレたものではないと思っています。
つまり、運営方針そのものはどちらかというと保守寄りでやってきて、それに沿ってうまくいっている実績がある。
オープンなSNSにおける対外的な活動をあえてしないことで、コミュニティの平和を守っているというわけです。
SNSベースでの活動は、ある意味それに反するところがある。
要は変な人を入れたくないということがかなり優先されているわけです。


しかし、だからといってオープンな活動をゼロにしてしまうと将来有望かもしれない新規さんの入る余地がまったくない。
なので多少なり対外的な活動が必要というのは間違いありません。
「ボイチャに入る勇気が無い既存のエンジョイ勢」をカバーすること自体は本質的にはそこまで重要ではないものの、
ボイチャに入らない層全体で見ると将来有望な新人さんも紛れ込んでいるかもしれません。
新しい芽を摘まないためには、結局非ボイチャ圏のフォローは必須なのではないかと思う次第です。
2025年は、年間を通してそれに気づき直す機会が無かったという大きな反省があります。
もしこのことを少しでも意識していたら期間限定ランキング(非ボイチャ圏の代表的なイベント)は絶対開催していた。
そういう期間限定ランキングの位置付けの重要性に気づけなかったのは慢心もあったと思います。


2年間、コミュニティがボイチャを中心とした閉鎖コミュニティになってしまったことで、
コミュニティを見限ってしまった古参のエンジョイ勢も多少はいると思います。
その損失は自分の怠慢を遠因としていて、それについては重々反省する必要がある。
一方で変な人を入れないための保守寄りのポリシーそれ自体はそこまで間違ってはいないと思われるため、
この辺はバランスを取りながら検討していくことになるんじゃないかなと思っています。
少なくとも今年に関してはコミュニティは間違いなくさらに盛り上がったと言えるため、
大局的に見れば間違っていないのは確かなんですよね。


この辺の舵取りはなかなか難しいですが、保守にしろ対外的な活動にしろ、
2026年はもう少しこの界隈にリソースを割きたいと思っています。


#8043

恩恵のない資格

今日の出来事資格

転職によって思ったより給料が上がっていない焦りをきっかけとして、
社内評価の底上げを主な目的としてG(ジェネラリスト)検定を受けようと画策していました(#08029 / 2025年12月09日)。
G検定は人工知能に関する一般知識を問う民間資格で、
一夜漬けで取れるほど簡単ではないが基本情報などと比べると手軽に取れるというレンジの資格です。
うちの会社では資格の勉強をしているだけでその結果の如何に関わらず社内評価にいくらか加点されるため、
それを目的として勉強するのはアリなんじゃないかと思っていました。
というより、それ以外の伸びしろが無いので個人として何かするならもう資格の勉強くらいしかない。
年収レースの焦りから何かをしたいのであれば、これがほとんど唯一の選択肢であるという実情があります。


そこで、G検定を勉強したら本当に社内評価が上がるのかを確認するために、
社内チームリーダーと面談の機会を設けてもらい、その辺をいろいろぶっちゃけて訊くことにしました。
そして結論から言えば、資格の勉強による加点は評価ランクに影響しないであろうとのこと。
資格を勉強するメリットは合格時の報奨金支給のみと割り切った方がよいと言われてしまいました。
が、一方で業界の情勢や自分の個人評価を踏まえると、
次期シーズンは今期より評価は上がるであろうこと、そして昇進間近な自分が昇進する可能性は高いと言われました。
むしろここで昇進しなかったら、いまのぬるま湯のような現場は退場を考えなければなりません。
評価についてはもともと今期が会社の中枢の方針でかなり締め付けていたものの、
あまりにも締め付けが強すぎて各方面から改善要望が来ているので次期は緩めるということらしいです。
そしてそれは資格の勉強の有無とはいっさい関係ありません。


そういうわけで資格を勉強するメリットがごっそり抜け落ちてしまい、どうしようか迷っています。
一時金も本当に大した額ではないので、これだけのために頑張るモチベは出せそうにない。
ただ資格の勉強をするということ自体は現場のリーダーには心証は良いはずだし、
そのへんが昇進するか否かに決定的な影響を与える可能性も否定できません。
自分にとっては評価ランクが1個上がるのと昇進するのとでは実収入が4倍くらい違ってくるので、
昇進の方が大事ではあるんですよね。
ただ、昇進するかどうかというのはとどのつまりお客さんが自分の人件費を上げてくれるかどうかにかかっており、
それは自分が資格の勉強をしていれば上がるというものでもありません。
結局、資格の影響力は「なくはない」程度で最終的には運なのかなと思っています。


こうなるとG検定を取るのはかなり微妙になってくるんですが、
現場ではもう「取りたいと思っている」というニュアンスの話をしてしまったため、
微妙に後戻りしにくいのが現状です。
まあ、サクッと取れるならギリギリ釣り合っているとは思うので
年末年始に公式テキストを買って読んでみるくらいのことはするつもり。
本当に勉強するかどうかはその先で判断することになりそうです。


#8044

なぜTwitterは不自由なのか

今日の出来事twitter

自分は2018年以降、一貫して「アンチTwitter」の立場を取っています。
とはいえまだまだ世間におけるSNSの主流はTwitterなので使わざるを得ないところがありますが、
自分は少なくともメイン活動に紐づいたアカウントで投稿する内容は意図的にかなり絞り込んでおり、
代わりにDiscordでの活動量を意図的に増やしています。
アンチTwitterであることは何年も前から表明していますが、
そういえばなぜアンチなのか、Twitterの何がダメなのかはあまり具体的に明文化してこなかった気がします。
なので、今更ではありますがここでその思想について軽く整理しておこうと思います。


自分がTwitterを嫌いな理由は、次の1点に集約されます。
すなわち、Twitterにおける自由性は、その個人のネームバリューや道徳観念の強さに逆相関すると考えているからです。
道徳観念とは、ここでは「自分はモラルをちゃんと守りたい」「他人に対して誠実に対応したい」
などという気持ちがしっかりあるということ、またはその程度を指します。
またネームバリューとは、そのハンドルネームに紐づけられた諸活動の実績を指します。


道徳観がしっかりしている人やハンドルネームに紐づけられたキャリアがちゃんとある人は、
Twitterでアンチモラルなことやノンデリカシーな発言はできません。
なぜならそういった発言は道徳観に反したり、個人としての発信力を毀損したりするものだからです。
これは著名人や企業の公式アカウントはもちろん、
ネットで真っ当に活動している多くの個人が当てはまります。
そういう人同士のSNSはとても快適で実りある交流になりうるでしょう。


しかし、実際にはTwitterにはそれに当てはまらない人というのが非常に多く潜んでいます。
つまり真っ当な道徳観を備えておらず、個人としての実績が皆無なため何を発言しても失うものがないような人。
いわゆる「無敵の人」ですね。
彼らは他人に痛みを与えるようなノンデリ発言をしても痛くも痒くもありません。
発言に責任が伴わないので、他者を不快にするようないかにも配慮にかけたような投稿も簡単にできる。
まずここにそれぞれ発言できる内容にかなりの差がある。
「まともな」人ほど、その範囲は狭いと言わざるを得ません。このいびつな不平等性は本当に気持ち悪いと思う。
そして厄介なのは、Twitterはサブアカを簡単に作ることができるため、
その人そのものはまともでも鬱憤を晴らすために「無敵の人なりきりアカウント」を作ることが可能なことです。
企業や有名人に攻撃しているアカウントはこうしたいわゆる裏アカも少なくないのではないでしょうか。


また、Twitterでコミュニティを作ってしまうと、コミュニティに入ってきた人はみんなでフォローします。
ここで新しい人がノンデリだからとフォローしないという行動を取ってしまうと、
コミュニティはその人を共有の仲間としてTLで言及しているときに自分だけ仲間はずれのようになってしまう。
なのでコミュニティが形成されると、しばしばフォロー関係には主体性を超えた一定の束縛が発生します。
ここでも道徳に対して実直な人ほど不自由な思いをし、
ノンデリで空気の読めない病気の人ほど自由にフォローしたりブロックしたりするという不平等性がある。
結果、自分自身は道徳観念やネームバリューに忠実に健全な投稿しかできないのに対して、
タイムラインにはそういったものとは無縁の無敵の人たちがノンデリ発言を繰り返し、
しかも軽々にはそれらをリジェクトできないというような息苦しい空間ができあがることになります。
これは本当にストレスのかかることで、自分が2018年に心療内科に通うようになった原因のひとつでもあり、
2018〜2022年の5年間、コミュニティで迷走し続けた諸悪の根源でもあると思っています。
だから某界隈がボイチャ中心になったことは、自分にとってはものすごい追い風でした。


これら不平等に対する唯一の対応策はミュートで、自分は2022年ごろからミュートをかなり容赦無く活用してきました。
しかし、結局のところ他所ではきわめて良識的な人もTwitterではノンデリな発言をする人など、
単純な線引きで切り分けられる問題ではなく、完全な解決は見ていません。
コミュニティ内にTwitterをある種の心のゴミ箱として運用する人がいなくならないかぎりは、
そのゴミを引き受けるストレスを抱えるリスクというのはゼロにならないんじゃないかと思う次第です。


年の瀬になると「来年からのTwitterの運用は変えるべきか否か」というような思いに至りますが、
基本的にはミュートは遠慮なく、自分の投稿は厳選するという方針は変えないのが妥当かなと思っています。
一方で、サブアカも浄化が進んでほとんど旧メインアカみたいな運用になってきた今年を踏まえると、
旧メインアカのいいね欄は承認を配るための枠として使ってしまってもいいのかなとも思っています。
どういうことかというと、旧メインアカはいわゆるおすすめタイムラインに流れてくるような、
万バズしている本当に有用な投稿のみを厳選して「いいね」するというスタンスだったんですね。
「いいね」の機能をそのためだけに使っているので、
相互フォローしている人の前向きな投稿に「いいね」で反応してあげる、といった使い方はしてきませんでした。
しかし昨今、おすすめタイムラインの内容はサブアカもほぼ同じような健全な内容の万バズ投稿になってきたので、
万バズをいいねするのはサブアカに任せるという運用が可能になりました。
これなら、メインアカの「いいね」機能は相互フォローしている人に承認を配るために使ってもいいのではないかと。
それが他者の活動促進の火種になってくれればと思っています。


これは「利己よりも利他」という2025年に見出した思想を実践する一歩にもなりそう。
もちろん、利他活動が大事だからといってノンデリな人に「いいね」するような不条理な行動はしません。
そこはあくまでも実績主義でいいのかなと考えているし、
そういう差別化をすることで自分の承認行為に箔がつくのかなと考えています。


#8045

ゲーム制作のレトロな方向性

今日の出来事ゲーム制作

今年の創作プロジェクトをいちおう無事に終えられたことを受けて立案している、
2026年はゲーム制作デビューしたいな計画。
「やるべきこと」ベースの各種具体的な計画とは別に、
「できるかどうかは分からないが、前々からやりたかったこと」に着手するというコンセプトなのですが、
どんなゲームを、どのような手法で、どこまで作るのかといったロードマップが全然具体的になっていませんでした。
このままでは過去に挫折してきた年と同じようなことになってしまう。
一方、ハードルを下げすぎると今年の創作計画のようにモノはできても達成感を味わえない。


そこで、その気になればあらゆる規模のゲームを作ることが可能な
UnityやGodot、Unreal Engineのような汎用性の高いメジャーなゲームエンジンをあえて選択せず、
ゲームのサイズ感にあえて制約を設けた、いわゆるレトロゲームエンジン(ファンタジーコンソール)に着目しました。
これ自体は今年の夏時点でも検討していたことですが(#07891 / 2025年07月24日)、改めて検討してみることに。
そこでいくつかのレトロゲームエンジンを再度ピックアップして比較した結果、
もっともメジャーな「PICO-8」が妥当だろうという結論に至りました。


PICO-8を選んだ理由としては、ゲームに必要な要素をオールインワンで開発可能であることと、
UIがかわいらしくて好きなこと、コミュニティが活発で面白そうなゲームが多数あること、
あとはメジャーゆえにハードウェアでも対応しているものが多いことなどです。
『Celeste』のおかげでファンタジーコンソールの中では有名な部類というイメージがありますね。
また、昨今は「中華ゲーム機」などと俗称される安価なLinuxゲーム機がAmazonなどで手に入り、
PICO-8はこれにネイティブ対応しているためその気になれば実機で遊ぶことができるのも大きい。
当面はMacbookにコントローラーを繋いでやるつもりですが、
もしハマったら今度こそこれがuConsoleを買う理由になりそう。


作るゲームの構想も意外とすんなり出てきました。
レトロゲームエンジンについてChatGPTと壁打ちしていたら思い出したのが、2015年当時に考案していたとあるミニゲーム。
別にこれといってそこまで斬新なアイデアでもないのですが、
なぜか当時、会社からの帰り道に「けやき公園」付近を左折するところで着想したという情景をいまでも覚えています。
これは直近数年のアイデアと比べるとかなり小規模でレトロゲーム向きのアイデアなので、
11年越しに実現してみるというのはアリかもなと。


とにかく計画にあたり重視したいのは完成させることです。完成させなければ何にもなりません。
そこでまずは最小構成でゲームとして成立させることに集中して、
そこから「肉付け」するようにゲーム性を豊かにさせるという開発手法でやってみようかなと思っています。
今年もゲーム制作はもともと3本柱の1つだったので元日にUnityを触るくらいのことはしましたが、
ゴールまでのビジョンがまったく明確になっていなかったので完全に正月休みだけの暇つぶしで終わってしまいました。
今度はそうならないように、正月休みでプロトタイプを完成させるくらいの勢いでやりたいところ。


ちなみに、並行してPICO-8の面白そうなゲームを漁るのも楽しむ予定です。
ビッグタイトルは熱量不足でなかなかできない自分も、
ファンタジーレトロゲームくらいの規模感ならわりとすんなり着手できそうという期待感もあります。


2026年計画立案当初、「やるべきこと」ベースの計画の方がかなり重めだったので、
2026年はこちらに集中してゲーム制作などのような「やりたかったこと」ベースの計画は立てないことも検討しました。
しかし、ファンタジーコンソールを切り口に検討してみると意外とワクワクしている自分がいることに気づき、
思いの外有望なのかもと思ったりしています。
自分がゲーム制作にまともに挑戦したのはネット黎明期の2003〜2004年ごろに触ったHSPが最初に最後。
2026年は23年越しにそれを更新する年になるのか否か……。


#8046

イベントのためのマスコット

今日の出来事RTA

これ書くと若干顔バレの危険性があるのですが、まあいいや。
今日は現在開催されている「RTA in Japan Winter 2025」でピクミン4のRTAが走られるのに合わせて、
その応援のためのピクミングッズを買うために6年ぶりに渋谷のNintendo Tokyoへ行きました。
RTA in JapanはTwitchで配信されるオンライン向けのイベントですが、
東京都内で実際に走っている会場で観覧することもできるようになっています。
そして伝統的に、走者や関係者がゲームに関連したグッズを持ち寄り、
観覧席でそれを持ってアピールしたり、配信のワイプに写っている走者周りの席に華を添えるといったようなことをします。
自分は今回応援として現地観戦する予定なので、
ピクミン勢と認識してもらえるようにグッズを用意したかったというわけです。
実際、顔も知らない人との初対面になるケースも十分ありうるのでこういうグッズはあった方がいいんですよね。


ちなみに仕事は昨日で納めていて今日は有休です。
平日ならNintendo Tokyoもそこまで混んでいないだろうと思っていたのですが、そんなことはありませんでした。
外国人観光客だらけの店内を探し回ってどうにかピクミングッズを見つけ、購入。
そして渋谷まで来たついでにRTA in Japanの会場も一目見ておくことにしました。会場は飯田橋です。
飯田橋駅東口周辺は地上は車道のみ、2階相当の高さの跨線橋が方々に伸び、3階相当の高さに首都高が走るという、
立川駅のような近未来的な立体構造になっていて、最初はどう行くべきか少し迷いました。
どうにか会場に辿り着き、
とりあえず物販でRTA in Japanのマスコットキャラクターである「RTAちゃん」のぬいぐるみを購入。
そして観覧ベースで『Untitled Goose Game 〜いたずらガチョウがやって来た!〜』の終盤から、
『MOMIBOSU』の最初から最後までを見ていました。
会場は非常に大きなスクリーンにゲーム画面が映し出され、右側最前列では実際に走者が操作していました。
知らないゲームのRTAは集中して見ようとすると疲れますが、
リラックスしてBGMのように見ているとけっこう延々と見れる不思議な魔力があると思います。


今日は元同僚とのゲーム会も控えていたので『MOMIBOSU』の終了と同時に現地を離れ、急いで帰宅。
思えば久々に東京で有休を消化しましたが、
たまには平日休みを取って都心でぶらぶらするのも良い気分転換になるかもと思いました。
今回は明確に目的が決まっていたので「ぶらぶら」とは言いがたいですが。
飯田橋にはまた2日後に行く予定で、そちらが本命ということになります。


#8047

2026年計画草案 #4

今日の出来事年間計画

2026年計画があちこちに散らばってしまっているのでざっくり整理します。


#1については「もはや自分はインセンティブが無いと頑張れない」という前提のもと、
仮想通貨取引など実利を目指せる活動に注力したいというようなことを書いていますが(#07924 / 2025年08月26日)、
これについては現時点ではあまり支持しない考え方になっています。
「実利が無いならやりたくない」は要するに怠慢の正当化でしかないのではないかと。
いまはどちらかというと達成感のためにこそ活動するというような思想が強く、実利の優先度は落ちています。
仮想通貨取引はいくつかシーズンを設けてやりたいと思っているしその準備もできていますが、
これを年間でやる活動の中心に据えるつもりはありません。


#2・#3では「これまでの活動の流れとして2026年にやることに妥当性のあるタスク」はいわゆる年間計画にはせず、
そういうタスクは月間計画に落とし込んでおいて、年間でやりたいことはそうした文脈とは関係ない
「前々からやりたかったこと」を挙げるべきと書きました(#08009 / 2025年11月19日#08016 / 2025年11月26日)。
その候補は当時いくつかありましたが、
いまはゲーム制作、とりわけPICO-8でのクリエイティブ体験という方向性まで決まっています。
また、できて当たり前のことで埋めないように注意すべきということも書きました。
絶対やらなければならないタスクを確実に実現できるように細切れにすることはそれはそれで重要ですが、
一方で達成感を味わうためには「頑張ればできる」という程度に濃いタスクを入れる必要もあるということです。
そして、その締め切りを毎月末に置くことで1年を明確に12分割して、
月ごとに軌道修正しながらタスクをこなしていくことを目指すという方針。


12月に入ってからはいくつか具体的な計画も挙がりました。
まずはここ4年停滞していた読書録の復活(#08022 / 2025年12月02日)。
ただし2020年のような年12冊の読書録執筆はやや負荷が大きいので、
まず気になる本を日頃からウイッシュリストに入れて管理して奇数月の月初に厳選して何冊か買い、
それらを飛ばし飛ばしでもいいので読んだ上で精読したい本を1冊決める。
そしてその1冊についてじっくり最初から最後まで読んで読書録を書く、という方針です。
これについてはまあ妥当だと思っています。知識のアップデートもずいぶんしていないので、
ブログのモチベ、自信、知的好奇心を高める活動という意味でもぜひやっておきたい活動ですね。目標は年6冊。
これ以上負荷を高めるとおそらくブログとの両立が難しく、
あくまでも優先はブログなので2ヶ月に1冊以上の精読はかなり難しいんじゃないかと見ています。


あと、ブログをただ孤独に書き続けるだけのステージから脱却するための施策である「出張記事計画」。
これも知的活動の一環として2026年にやりたいと思っている計画です。
2026年は02月、05月、08月、12月の4回キリ番記事を書く機会があるので、
このうち1〜2回はブログプラットフォーム「note」にも載せることを目標にしています。
通常、キリ番記事はいつも書く一般記事(「今日の出来事」)と比べてより深い内省を目指すものになっていますが、
それをさらにブラッシュアップして他人に読まれても恥ずかしくないレベルまで仕上げるという計画です。
これは突き詰めると無限に労力がかかるので、どこまでで打ち止めにするかを考える必要がありそう。
下手するとこれ1本で今年の年間計画に匹敵しますからね。それでは破綻するのが目に見えています。
最初は単にいつものようなキリ番記事を書いてその転載でもいいと思っていますが、
プラスアルファくらいの熱量は込めたいところ……。


ブログや知的活動以外の活動についてはとにかく迷走を極めている昨今で、
2026年計画についてもやはりなんらかの新規サイトを作りたいという気持ちを捨てることができずにいます。
が、やはりメインであるピクミン関連の盛り上がりを考えると、2026年はこれに注力したい。
単純比較でピクミンと「それ以外」、どちらにリソースを注ぐかで言えば「それ以外」を選ぶのはもう不合理なんですよね。
それはもう今年までのさまざまな迷走で観念しました。
期間限定ランキングは2025年も作れないならもう諦めると以前言及しましたが、
それも含めて一度ゼロベースから考え直して、改めて自分できることで界隈に貢献したいという気持ちです。
コンシューマーゲーム新作は鳴かず飛ばずをこれでもかというほど痛感した1年だったので、
もう軽率に新作に飛びついたりしないで大人しくピクミンに注力したほうがいいのではないかと。
ピクミンシリーズの中にも無限のコンテンツと可能性があるので、必ずビビッと来るものはあるはず。
安易に隣の芝を羨むのではなく、もっと内側に目を向けるということです。


こんなところですね。
ブログ+知的活動は読書の復活を主軸にマンネリ化、ワンパターン化からの脱却を目指す。
そしてその成果としての出張記事の執筆も同時に狙っていくというスタンス。
それ以外の既存活動はここ数年でコミュニティ基盤がより盤石になったピクミンコミュニティに注力する。
その他のゲームへの浮気は自制して、とにかくこの枠の中で自分にできることを突き詰める。
もしかしたら新作ゲームはほとんど買わない1年になるかもしれません。
新しいチャレンジ枠としてはレトロゲーム制作に注力する。
これによって、23年ぶりにゲームを作ったと堂々と言えるようになれたらいいなと思っています。


資格については一時金目当てで受けるかもしれませんが、いまのところ計画からは外しています。
もちろん持続的に勉強する習慣がつくに越したことはありませんが、
それがそう簡単ではないことは自分が一番よくわかっているので。


あと今年基盤整理が進んだ創作については、2026年も水面下で継続できるのが理想だと思っています。
今年と比べて優先度は落ちますが、創作設定を吟味する活動もなかなか楽しいですからね。
オリキャラのプロファイルなんかもまだまだ穴が多いので、やることはたくさんあります。
次の大キリ番記事(2028/08/06付近)をさらなる大作にするためにも、
いまから少しずつ考えて描きたいアイデアを集めておくというのは有望な施策だと思います。


あと2025年は少し生活水準を落としすぎた感があるので、憂鬱感が出ないように生活も工夫したいところです。
この辺も過去記事に散らばっていますが、とにかくマンネリは敵というのがひとつのキーワードになるでしょうか。
仕事・私生活面の方針については元日恒例の「今年の抱負」に任せることにします。


2026年計画はいったんこれで確定として、
あとは走り始めたら月末ごろに見直しをするという想定です。
充実感の面で2024〜2025年を明確に上回り、今年はいろいろやったなと年末に振り返れることがひとつの目標です。
2025年は残念ながらそうではありませんでした。


#8048

RTA in Japan Winter 2025

国内最大級と言われているRTAイベント「RTA in Japan Winter 2025」。
これにピクミンコミュニティのメンバーが一挙4人+解説1人出演するとのことで、現地へ駆けつけました。
自分は決して当事者ではなくいまだちゃんとしたRTAデビューもしていませんが、
いちおう関係者扱いということで最前列の特等席に座らせていただき、
おととい買ったピクミンぬいぐるみを総動員して応援していました。


まず、超満員でした。
ピクミンの直前の『カエルの為に鐘は鳴る』がEST(予定タイム)=2時間のランだったのですが、
これが始まってからじわじわと増え続け、終了間際には後ろの壁で立ち見する人がずらっと並んでいました。
そして『ピクミン4』のラン開始からしばらくして、入場制限がかかったそうです。
1年ぶりの任天堂タイトル+日曜日の真昼間という好条件が重なったおかげでしょうか、
ピクミンのやり込みがここまで注目されていると実感したのは初めてです。
配信ではフィルタがうまく効いていてそれほど大きく感じませんが、
実際には歓声の大きさはかなりのものでした。
走者にあとで聞いたら「歓声がすごすぎてゲーム音がまったく聞こえなかった」と言っていました。
特に余興のダンドリバトルで会場がめちゃくちゃ盛り上がっていました。


ランは4人のレースだったのですが、誰も変なミスをしていない非常に見応えのある展開で、
みんなよくプレッシャーを感じないなと背後から感心していました。
ただ、「大乱走オールスターRTAパーティ」(#08013 / 2025年11月23日)とは対照的に運に見放された展開ではありましたね。
『ピクミン4』のRescue Olimar RTAはゲキカラスプレーが何個出るかが非常に重要になってくるのですが、
みんな大漁だった大乱走と違い、今回はExit IM時点で1個という走者が複数人いたと記憶しています。
ここは通常2個以上ほしいところで、記録狙いなら1個ではリセットするのが通例となっています。
また、最後の運ゲーである金庫(完全な運ゲー)に至っては全員平均以下のタイムでした。
それでもそれなりの好成績で全員ほぼ同じ時間で走り切ったのは、本当にさすがとしか言えません。
自分がこの境地に至るにはあとどれくらいピクミンをプレイすればいいのか。


関係者以外にも一般観客席からピクミングッズを持って応援している人や、
フリーでお絵描きできる会場前のホワイトボードにピクミンのキャラを描いた人なんかもいて、
今回のピクミンを楽しみにしていた人が少なからずいるのは確かです。
改めて、今回のイベントは多くの人に注目される大舞台だったんだなと終わってから実感するに至りました。


ラン終了後、応援者と走者が合流して好きにゲームができるラウンジに移動。
そこでオフラインダンドリバトル(対人戦)をやってみる流れになりました。
ダンドリバトルは自分が主催しているオンライン大会ではストレスがかかりすぎるという問題があり、
こんなのオフでやる機会があったとしても友情破壊ゲームにしかならないだろう、と評されていました。
が、実際に自分もやってみて思ったのは、むしろ対人戦の方が面白いということですね。
まぁ一方的な試合展開になるとアレですが、実力が伯仲していれば普通にゲームとして面白いし盛り上がる。
ちゃんと楽しむならハンデ設定をうまく活用するのが重要かもしれません。


ここからは個人的なアレですが、やはり走者に対する羨望はあります。
RTAという文化に本気で挑んで、こういう晴れ舞台で脚光を浴びているのを側から見るとやはり羨ましいと思う。
自分は裏方としてどんなに頑張ったところで
ゲームは本気でプレイしていないという点ではどこまで裏方としての活動を突き詰めても部外者にしかなれません。
もちろんゲームの腕前、やり込みに懸けられる熱量などを考えると
自分みたいな老害は縁の下の力持ちが妥当なポジションだというのはまあそうなのでしょうが、
それでも、RTAというものに付随する達成感は一度は味わいたいという未練はあります。
そしてその気持ちは、今回現地で走者を間近で見ることでよりいっそう高まりました。


今年は年初に「年内にRTAやりたい」とつぶやいておきながら、結局ロクに結果を出せませんでした。
しかし年初時点ではこういった具体的なきっかけは皆無だったわけで、
RTA in Japanを経て、改めて自分も中小規模のイベント出場を目指してやってみたいと思いつつあります。
縁の下の力持ちだけでなく、縁の上でもチカラをつけていきたいと改めて思いました。
2026年はコンシューマーゲームの活動をピクミンに一点集中するのもアリなのかもしれない……。
いわゆる新作を素直に遊べなくなったことを今年一年でとにかく痛感したので、わりと妥当な着地のようにも思います。


#8049

マンネリに抗う

今年1年経験したことで今後に活かしたい教訓として、
停滞に対して抗う気持ちというのはもっと主体的に持ちたいというものがあります。
要するに、非充実、マンネリといった日々の停滞リスクを安易に受け入れようとしない方がいいということ。
今年はなんだかんだと言い訳をしてそれを多く受け入れてしまったことが、
1年を通じて停滞していたと実感する要因になってしまったのではないかと思っています。


基本的に停滞を受け入れるのは自分が今日という日を損失として計上するだけで済むので簡単です。
それによって誰かに損失を与えるわけでもないし、ただただ自分が評価されないというだけ。
一方、停滞に抗うということは何かとエネルギーを使うし、それによって他者評価に晒されることもある。
有り体に言えば面倒くさいことが少なくありません。


この狭間で迷うような場合というのは往々にして、何を頑張ればよいかという方向性が定まっていないか、
もしくは体調不良に陥っているかのどちらかという認識です。
方向性が定まっていないというのは思慮不足なので考えれば解決する問題ではありますが、
体調不良人によってはなかなかどうしようもない問題であることも多いです。
2022年以前における自分の睡眠の問題もしかり、30代以降の体力的な問題も然り。


なので、「マンネリに抗うのがしんどい」と思ったら身体的な問題を疑うというのはもっと意識してもいいのかも。
手っ取り早い回復方法は、食べたいだけ食べて寝たいだけ寝るというものです。
逆に言えば、睡眠時間を絞ったり食事を変に妥協したりすると、諸活動にもすぐにさまざまな悪影響が出てくる。
そういう意味でも食事や睡眠はあまり妥協しない方がいい、というのは今後の教訓になりそうです。
そしてまた、食事・睡眠面でしっかり自助努力してもなおパフォーマンスが出ないこともあることも知っておくべき。
身体のパフォーマンスは食事と睡眠だけで全部決まるわけではないからです。
自分は該当しないですが、たとえば低気圧だとパフォーマンスが落ちる人もそれなりにいますよね。
そういう身体の繊細さについてはある程度受け入れて、それに寄り添う必要があるのかなと。
食事・睡眠だけ万全にすればパフォーマンスが出るならまだマシなのかもしれません。


ここ10年くらいは、可能性という名の枝葉をひとつひとつ点検していって、
成就しそうにない枝葉を片っ端から剪定していくような、そんな生き方をしてきたと思います。
残った枝葉は少なく、あとはこれに実をつけるために頑張ればいいだけという見通しは立っている。
しかしそれでもなおパフォーマンスが思うように出ないという壁をずっと感じていましたが、
それは木に例えれば栄養を与えることを怠ったこと、
人間で言えば健康というすべての行動基盤を軽視してきたことも一因としてあるような気がしています。


#8050

今年のトレンドまとめ 2025

さて、早くも今年最後の通常エントリーということで恒例の分野別振り返りの時間です。
残された時間が少ないのでサクッと行きたいと思います。


◆ピクミン活動

自分はいわばOB的存在として、サイト管理人としての活動が主と認識しているピクミンやり込み活動。
これについては、前年に引き続き迷走を極めている期間限定ランキング(大規模イベント)の開催を目標にするも、
果たしてこのご時世にイベントは必要なのか、そもそもニーズはあるのかなどとやらない理由をぐちぐちと垂れ、
結局「ルールは完成したが実装は完成しなかった」というところに留まりました。
また、それ以外のサイト更新実績もやったことは明らかに前年度より絶対量が少なく、
総じてサイト運営者としては擁護できないレベルで活動が停滞してしまった1年だったと思います。
一方で「観覧者」としての立ち位置は安定しつつあり、週1〜2回のボイチャ参加も変わらず楽しみにしています。
そちらについてはRTA in Japan現地観戦という行動が実現しており、
去年よりはかなり意欲的だったのではないかと思います。
年末恒例の反省会は去年の2倍のボリュームで視聴者数もDiscordが16人+YouTube9人(重複あり)と非常に多く、
来年何をすべきかというのはかなり具体的にパッケージ化できた手応えを感じています。
これに基づいて、まずは自分自身の活動総量を増やしていきたいところ。
とりあえず2025年の自分については停滞の1年でした。


◆コンシューマーゲーム

Nintendo Switch 2発売という大きな契機によって期待が高まったコンシューマーゲーム。
久しく新タイトルにハマれていない自分も楽しめるタイトルがあるのではと期待し、
実際に『ドンキーコングバナンザ』についてはしっかりクリアまで行きそこそこ楽しめたのではないかと思っています。
まぁ、『スーパーマリオ オデッセイ』には及ばないという現実もありますが。
とにかく今年悪手だったのはコンスタントに新作を買おうとして半ば意欲を無視してビッグタイトルを買ったことですね。
特に『ポケモンレジェンズ Z-A』はなぜ買ってしまったのか本当に理解に苦しむ。
コンスタントに何か買って日常に新しい風を入れる努力は結構なことですが、
その対象範囲が任天堂の新作タイトルのみというのはあまりにも視野が狭すぎると言わざるを得ません。
2026年は反動的にかなり慎重にタイトルを決める年になるんじゃないかと思っています。


◆本家ブログ

まずはなによりも大キリ番記事を2012年以来13年ぶりにまともに取り組めたのは良かったと思います。
これが本当に唯一、近年比で2025年の方が良くできたと本心から言えるところ。
またこれによって自分の創作世界の基盤設定が完成したので、
次回以降の大キリ番記事についてもあまり迷わずに方向性を決定できるのではないかと思っています。
その功績は大きいんじゃないかなと。
あと2024年の課題だったフロントエンドの改善もいちおうできましたが、まだまだ改善の余地はありそう。
今年地味に進展したと思うのはブログ用Twitterアカウントから更新履歴を発信するようになり、
それにたいして「いいね」をもらう機会がそこそこあったということですね。
これを種火にブログ活動もよりオープンなものにしていけたらという思いです。
ブログに関しては今年は全体的に悪くなかったんじゃないかと。


◆スマートフォンゲーム

今年はコンシューマー、スマホひっくるめた年間ベストは『Balatro』です。
この出会いがかなり衝撃的で、久々にすみずみまでやりたいと思ったゲームです。
ただ、楽しみにしていたver.1.1アップデートは年内に実現しなかったので、その辺は2026年にお預けになりそう。
また年初からしばらくは『原神』の勢いがそれなりにありましたが、
これについては長期修練ポイントの枯渇によって完全にやらなくなり、熱も冷めてしまいました。
ちなみにポケポケはいちおう継続しています。


◆仮想通貨

今年の純利益は15万円。
目標としていた30万円は達成できませんでしたが、株を含めると実は達成しています。
いわゆる「ちびちび堅実に稼ぐ」というやり方を追求した1年だったと思いますが、
結局破壊的かつ突発的な暴落に巻き込まれて大負けするということも年内に2回経験し、
トレーダーとしての腕前はまだまだだと思っています。
2回目の損失は特にファンダがあるわけでもないのに大幅に値下がりして損切りさせられる理不尽な展開で、
これを乗り越えるためにはやはりどんなに策を弄しても損切りを前提とした立ち回りは絶対必須なのだと痛感しました。
Bybitは日本人を締め出してしまったので、2026年からはBitgetを主戦場にやっていくつもりです。
取引前にChatGPTにポジションリスクを評価してもらう仕組みを作ってみましたが、
これがうまくいくかどうかはまだ分かりません。


◆AIイラスト

おそらく今年だけのトピックスと思われる、DALL-Eによる画像生成。
今年は結局のところこれにどハマりしました。だからこそゲームが全体的に低調だったというのもある。
AIイラストは特徴を単語で指定する形式のものは2022年には触れていましたが、
そういったローカルでモデルを動かすようなものは少しだけいじって満足していました。
が、DALL-Eのような自然言語で指定してAIがプロンプトを組み立ててくれ、
しかも完成したイラストに対しても自然言語で修正指示ができるAIイラストはオリキャラの具現化に非常に適しており、
今年は10年以上頭の中にしか存在しなかったオリキャラがAIイラストという形でかなり具現化しました。
クリティカルな出来栄えのオリキャラが完成すると震えるほど感動します。
なにしろ自分にとっての理想が詰め込まれた存在ですからね。
DALL-Eについては年末ギリギリのタイミングでメジャーアップデートがあり、
それ以降は忙しすぎてまだいじっていませんが、2026年もオリキャラの試行錯誤は続くんじゃないかと思っています。


◆音楽

2024年はApple Music導入によって音楽にハマった1年でしたが、今年はかなり失速しました。
同じような楽曲ばかり聴いて、掘り下げる努力を全然しなかったという印象。
掘り下げること自体はそんなに難しくないのですが、なぜかワンパターンの泥沼に陥ってしまいましたね……。
1タップで昨日とまるで違う音楽を掘り下げられるようなプレイリストの作成を模索する必要がありそう。
今年の年間ベストはヒバナの『風想船』です。
また、Aphex TwinのSAW IIを軸にエレクトロニカへの興味もやや高めで推移した1年だったと思います。
来年はこの水準をもう少し高められるといいですね。




以上7点でした。
2025年はやるべき最低限はクリアできたものの、なぜか自己評価はとても低いという1年でした。
その内情を分解できるのはまだまだ先になると思いますが、
良くも悪くも30代の基準点のような1年になったんじゃないかと思います。


#8051

振り返った思い出 2025

今年は世界と自分との距離が少し遠かったかのような、もの寂しさを感じることが増えたと思う。
現実の行動はどこか他人行儀で、自分の「本心」が伴わない。
主体的に本心がそれをやりたいからやる、というよりも、それが合理的だからやる。
合理的でさえあれば「本心」に従う必要はない。
そして、どんなに策を弄しても30代から始めて着手する物事よりも、
思春期から続くレール上の活動の方が有望のように思えるし、それを否定することはできない。
それは自分自身の歴史そのものだからだ。


合理的であることを否定できないのは年代的な呪いなのか、それとも個人の呪いなのか。
これについては、いまのところ「どちらも」だと思っている。
やはり人は思春期に好きになったことを軸にして生きていきたい生き物なのだろうと思う。
敷かれたレールは本来思春期の自分が好きで仕方なかったはずの未来であり、
合理的かどうかを抜きにして、レール上を突き進む人生が本来的にも理想であるはずである。
しかしいまの僕はレールを歩むことが本懐であると心から言えない「ゆがみ」があり、
それは年代的な課題というよりは自分個人の課題であるように思う。


その課題とは、要するに自分に嘘をつき続けてきたことなのだと思う。
たとえば他人と話すとき、他人に話したくない欠点や不誠実な歴史など、
自尊心に差し障りのあるような短所は隠したいと思う。そしてそれを達成するためには嘘をつくことがある。
これは他人が介在しない場面でも起こりうる。
そのとき、どうやって隠すのかというと自分の歴史を改竄するのである。
覆い隠したい事実は「無かったことにし」、自尊心がギリギリ許せる形に改竄する。
世界との距離感を感じられるようになったこの実感のなさは、
そうして自己欺瞞を積み重ねてきた結果なのではないかと思う。


「隠したい何か」は、向き合ってもそう簡単には解決できないような社会的責務であることが多い。
そしてそれは、劣等感の主因になっている。
いまだ独身であることも、さまざまな角度からそれを正当化しているもののこの範疇であると思うし、
僕はそれ以外にもブログに書けないような劣等感の原因をいくつも持っている。
もしかしたら、それらと本気で向き合って始めて霧は晴れるのかもしれない。


2026年を迎えるために、ここ数年の伏線を具現化するための準備をたくさんしてきた。
順当にいけば、2026年を楽しく過ごすための種はたくさん花開くことだろう。
しかし一方で、いま改めてイバラの道の先にある「事実」を全身で受け入れ、
棘だらけになってでも自己欺瞞を払拭すべき段階にきているとも思う。
人生はなるべく楽しく過ごすに越したことはない。そのために必要なことはただひとつ、
正直者であることだけだったのかもしれない。


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