Chrononglyph

自制心の問題

#8156

自律の季節

前途多難感が漂っていた仕事(新年度からの新プロジェクト)については、
一番知識量のある前任者が「マニュアル読んどいて」だけで質問してもレスポンスがめちゃくちゃ遅く、
温厚そうな後任者で実質的な自分の直属の上司は新年度からの異動らしく
業務知識についてはキャッチアップがまるで追いついておらず、正直まだまだ頼りにならない。
それならもうマニュアルを聖書として読み尽くすしかないのか、しかしどこから手をつければ……
と困っていたら、マニュアルの書き間違いが原因で前任者と認識齟齬のトラブルなんかも発生。
そこでPMは「マニュアルが間違うのは仕方ないんだから鵜呑みにするな」となぜか前任者を擁護。
その場は引き下がったものの、これはもしかして上京以降で一番真っ黒な会社なのでは?
と内心不安になりました。


が、ここで腐ってしまったらいままでのキャリアやメンタル面の意識改革はなんだったんだということになります。
いまはネガティブな気持ちを抑え込んで前任者から穏便に知識を引き出すことに専念しており、
前任者も思っていたよりコミュ障ではない雰囲気も感じられているのでここが踏ん張りどころなのかも。
結局、会社の人間関係構築って自分から「諦めてしまう」から結果的に当たりが強くなってブラックに感じるわけで、
思い返せば自己責任でリタイアしたところもあったと思います。
今回、それを避けられるかどうかというのはメンタル面の大きな課題になるでしょう。
それはもしかしたら定年まで平社員で終わるか否かの分かれ道かも。


とはいえ心配事といえばそれくらいで、当初最大の懸念だった出勤日の早起きもいまのところ安定しています。
なんなら週4出勤でも支障なく行けると思うし、
出勤した方が結果的に読書もはかどるのでそっちの方がいいのかもとさえ思います。
テレワーク日は結局誰にも見られていないからこそ怠惰を貪ってしまうし、
その怠惰にどっぷり浸かって退勤時間を迎えるとプライベート活動も捗らないことが多いんですよね。
自分を律するためには、むしろ他人の目に積極的に晒される環境に身を投じるべきなのかもしれない。


その点ではゴールデンウィーク計画も若干迷っています。
当初はゴールデンウィークは帰省しないつもりで余り過ぎていた有休を03月に消化し、そこで帰省しました。
当時は新プロジェクトに入ってすぐ有休を取れる保証が無いと思っていたからです。
しかし実際には特に問題なく取れそうだし、むしろ取るならいまのうち感が漂っています。
秋にリリースを控えているので、そこに近づけば近づくほど有休を取るどころではなくなってくるでしょう。
今年のゴールデンウィークは2日有休を取得するだけで9連休にできるので、
そこでまた実家に帰れば『ぽこあポケモン』の続きができるという明確な目的もなくはない。
実家は基本的に車が無いと外に出られない閉鎖空間であり、
しかも他人と同居しているため否応なしに作業が捗る環境でもあります。
自分を律しやすいという意味では、ゴールデンウィークはやっぱり帰省するというのもアリかもしれない……?
ただ、やはり03月に帰ったばかりでそのときはあまり自律できていたとは言い難いので微妙なのは確か。
気分転換が目的なら実家ではなく地方に旅行するというのも少し考えましたが、
作業するという目的なら結局都内のカフェを巡るのが一番無難な気がしています。
カフェでノマドワークは他人の目で自分を律したい人にとってはやはり最強コスパの作業環境なんですよね。


職場の立ち回りにしろプライベート活動にしろ、自分を律するということがテーマになりそうな今日この頃です。


#7896

メンヘラの本質

自分は実家時代末期のメンヘラ期をある程度乗り越え、対人関係の構築については改善しているという実感があります。
なのでメンヘラ当事者の観点を持ちつつも、何が悪かったのかについて反省することができると思っています。
いま思えば上京前後も同じような感覚を持っていましたが、
あの当時は意識を高く持ちつつもまだメンヘラ気質が共存していた過渡期だったと思います。
本当の本当に心のデフラグが進み、安定期に入ったのは一昨年……いや、去年くらいからなのかもしれません。


メンヘラの何が問題で、それを脱出するにはどうすればいいのか。
これに対する自分の回答は、「自意識過剰であること」が問題で、その解決方法は「他人に期待しないこと」です。
つまり、何事も自分の事柄として捉えてしまうのがメンヘラの根源的な原因なのではないかと。
極端に言えば、他人同士の会話を聞いているポジションであってもその会話をあたかも自分の事として解釈しなおし、
自分のプライドに差し障る単語が出てくればその都度落ち込むというようなことをしてしまうわけです。
他者と自分自身の2人の会話においても、
あらゆる話題を常に「自分ならどうか」という物差しでしか理解していない。
だからこそ結婚式に呼ばれることに「加害性」を感じるようなメンヘラが炎上するわけです(#06768 / 2022年06月28日)。
何かにつけて「マウントを取られた」と感じる人(#07229 / 2023年10月02日)もこの一例と言えるでしょう。


これはつまり、自分が好きすぎてまるで自分を神聖で特別なものと勘違いしていることに依ります。
なので「自分を否定できるのは自分だけ。他者にその権利は無い」とまで考えている節がある。
だからこういう人を褒めるとめちゃくちゃ喜ぶ一方で、少しでも否定的なことを言うとすぐにキレる傾向にあります。
そういう過剰なる「自分偏重」を持っていれば他者との軋轢を生んで当たり前で、
メンヘラはそういう点で面倒くさい性格の持ち主であると言うことができます。
まだ自分の殻を破って「他者理解」への一歩を踏み出していない段階というわけです。
だから他者を尊重もしないし、尊敬もしない。
こういう人にとって他者は「自分を評価する人」に過ぎず、
自分を好評価してくれる人は良い人だし、そうでない人は悪い人というような道徳観になります。
そして得てしてこういう人はネガティブなので、「いいねがつかない。みんな私のこと嫌いなんだ」
「AさんとBさんが通話している。私の悪口を言っているんだ」というような思考回路になってしまう。
本当に世界は自分を中心に回っていると信じて疑っていない。


つまり、自分偏重の人は常に他人に自分に良い評価をつけて然るべきだと期待していることになります。
そしてそうでない現象や可能性に対して、ものすごく過敏に反応している。
しかし現実はそう易しくありません。自分を常に好意的に見てくれる人なんて社会全体のうちわずかで、
それ以外の人は見向きもしない。なんなら何もしなくても自分を嫌う人さえいる。
この現実との差異がいわばその人にとっての「認知の歪み」であり、
あまりに期待を損ない過ぎて「もはや他人の評価には期待できない」と思えたとき、殻にヒビが入ります。
「もしかして他人も誰かからの評価を貰いたいだけの、自分と同じような人間に過ぎないのではないか」と。
自分は誰かを評価しないが、自分は誰かから評価されたいと思っているという不合理な現実に気づくわけですね。
もし誰もが自分と同じように考えていたら、誰も評価しない・されない世の中になると。


そこに気づきさえすれば他者を理解しようというモチベーションも生まれうるし、
結果的に過剰な「自分偏重」も抑えられていく。
こうした一連の改善にはその都度の気づき(自省)が重要なわけですが、
とりわけ「他人に期待しない方が合理的」という気づきはいったんは自分の失敗を認める必要があるため、
そこの壁を乗り越えられるかどうかがメンヘラ脱出の鍵になってくるのではないかと思います。
逆に、本当にどうしようもない人はそもそも自意識過剰であることさえ無自覚だったりする。


自分が観測したかぎり、人間関係トラブルは少なからず自意識過剰の人が1枚噛んでいます。
こういう人は何かとトラブルを起こしがちだし、なんならそういうトラブルを好む傾向さえあると思います。
トラブルを経て他者を打ち負かせば自分のやっていることに正当性が生まれるからです。
これはいわゆる「自己肯定感が低い人」との差異でもあると思います。彼らはレスバなんて望んでいない。
自己肯定感が低い人というのは要するにやるべきことができていないのでアイデンティティーが確立していない、
いわゆる「自信」をまだ獲得していないという点でメンヘラに似てネガティブな人ですが、
それ自体は「自意識過剰」とは言えないのでメンヘラそのものではないと思います。
つまり、これらは両立するということですね。
やるべきことをやっていないので自己肯定感が低く、なおかつ自意識過剰なのでメンヘラというのはありうる。
そしてその根本は思春期の家庭環境に行き着くのではないかと予想しています。
ここでコケると、両方それなりの深刻度で人生に立ちはだかる壁になり、
大人になってからメンヘラ面と自信損失面の両方で誰にも頼らずに矯正を図らなくてはならなくなる。


思春期の数年間が人生に及ぼす影響力というのは絶大で、
誰もが少なからずそこで発生した「歪み」を矯正すべく人知れず努力している側面もあるのかもしれません。
ゆえに、これこそ自分ごととして自意識過剰に処理しないよう気をつけたいトピックスです。