Chrononglyph

長期振り返り

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#7968

自信と可能性の必要性

ここ6〜7年の自分の心の動きを再確認します。
近年のあらすじについては何度も書いている気がしますが、心の整理のために再度書きます。ご了承ください。
まず2019年春、意を決して社会人として最初(バイト除く)の会社にしてブラック企業を辞めました。
そして就職先の斡旋と失業保険の受給を目当てにいわゆる職業訓練校に通いました。
2003年からwebに触れていた自分にとって、webプログラミングコースで行われる授業はあまりにも退屈なもの。
講師や周囲からは圧倒的スキルの持ち主と認知されるようになり、早くもここで天狗になっていました。


2019年秋、職業訓練校を卒業して東京のIT企業に就職。
最初の3ヶ月間は研修期間という名目でwebスキルを高める教室の中で過ごし、
そこでもやはり同期や講師にはチヤホヤされ、上京したばかりの高揚感も相まって最高に調子に乗っていました。
しかし同時にコロナ禍が日本に上陸し、肝心の現場への派遣は暗雲が立ち込めるように。
そこでweb開発の現場を紹介しようとしない営業と大舌戦を繰り広げ、最終的に妥協する形で大手町にある現場へ。
ここからしばらくはテレワークになり、チヤホヤされることもなくなり、
むしろ他者との関わりが極端に減っていき、社会人としての自尊心は急速に削られていきました。
2021年になるとテレワーク不可の現場に入って通勤が復活し、
ここでお客さんとの関係をうまく保てたことで社会人としての自尊心はかなり回復したと思います。
昇給が周囲の倍以上だったことも相まって、2021年に関してはまだ順調だったのかなと。


2022年はさらに遠い現場へのプロジェクト変更があり最初は頑張って出勤するのですが、
おそらく起立性調整障害によって押しても引いても朝起きられない、抑うつ状態に突入。
これまでテレワークや近場の出勤が続いたことでなんとなく回避できていましたが、
遠距離通勤によって自分が早起きが絶対できない性質の人間であることが初めて露呈したわけです。
半ば勤怠不良に陥っていたところ、
客先企業から「(仲介があると人件費が高すぎるので)うちの正社員にならないか」とヘッドハンティングの提案があり、
こちらとしては良いことづくめだったので二つ返事で快諾しました。
これによって当面実現できないと思っていた「脱SES」をも実現できたことになり、有頂天に。
……しかしそれで睡眠障害が治ったわけではありません。
勤怠不良はいつしか直属の上司との軋轢を生み、事実上左遷のような形で2022年秋にプロジェクト変更がありました。
そして、その現場はいままさに炎上しているところでした。
ペーペーの自分が活躍できる見込みもないし、遠距離通勤も継続できそうにない。
配置換えから2ヶ月ほどの様子見期間を経て社長に辞めることを伝え、転職活動が始まりました。


転職活動の結果、これまでの中小企業と違って上場企業に入ることができ、心機一転のスタートを切ったのは2023年初頭。
この頃には職業訓練校から最初の研修までの間にあった意識の高さはすでに消えかけていました。
存続危機に陥ったブログでも「無能を受け入れる」という考えが生活のスローガンのようになり、
無根拠な理想は捨て、自分が絶対確実にできることを基盤とした活動を模索するようになっていきました。
「無能を受け入れる」という思想についての考えは去年の秋〈#07600 / 2024年10月07日〉に結論を出したつもりでしたが、
だからといって大きな進展はまだ実感できていません。
転職以降、待遇や職場環境はより盤石になりましたが、
ワクワクすることが圧倒的に減り灰色の世界で生きているような実感があります。
「自分が絶対確実にできることを基盤とした活動」は有り体に言えば退屈なので、それ以外の何かが必要なのは明白です。


それは利他主義的な活動なのか、社会的責任なのか、あるいは実利なのか。
シンプルに「他人からチヤホヤされること」が自分にとっては必要なのか。
それで調子に乗ってできないことばかりを思い描き何もしていないようでは本末転倒ですが、
少なくとも行動エネルギーが完全に枯渇してしまうよりは良い。
チヤホヤしてくれる人に過度に依存せずに自力で2021年以前に戻るにはどうしたらいいんだろうか?


直感的には、それは「自分の能力に対する信頼」、要するに自信と、
「自分が活動しているこの世界には可能性がまだまだある」という社会への信仰が必要だと思っています。
2019〜2021年の意識高い時代は、
2018年以前に独学で培ったweb技術を社会にお披露目できたのでたまたまそれらが両立していた。
自分の仕事に対する挫折経験は主に睡眠のせいであって技術に対する挫折ではないため、
「自分はweb技術を持っている」という自負はまだかろうじて折れていないような気がしています。
ただ、世界に対する可能性を感じられるかと言われるとそれは分からない。


ゲーム制作やイラスト制作に希望を見出したくなることもあります。
こっちの世界は可能性がまだまだあると思うし、そこに対する羨望もある。ワクワクできる下地はあるわけです。
ただ、肝心の自分自身の能力が無い。最初はノースキルで一歩踏み出さないといけないわけです。
その一歩踏みだす勇気はChatGPTによってかなりアシストしてくれる世の中になりましたが、
それでもなお、既存の実績を捨ててそちらに行く勇気を持てていないのが現状です。
こう考えると自分は本当にいま趣味の転換点にさしかかっているんだなと。


実家帰省後、なぜか燃え尽きてしまって虚無の毎日を過ごしていましたが、
この2025年が重要な立ち位置の1年であることを改めて再確認しました。
この転換点を下手にやり過ごしてしまうと、今後の人生は悲惨なものになりそうな予感がしています。
まずは今年計画したweb制作プロジェクトと創作プロジェクトをやる。
その上で、web制作活動を続けるのか他の何かにシフトするのかをじっくり考える。
いずれにしろ、手を動かさないと始まるものも始まらなないのでそろそろ再起を図りたいところ。


#7883

2025年の分水嶺

これは本来年末の総括で書くべきことですが、年末まで取っておくと忘れてしまいそうなので書きます。
というのも、今年は「創作の年」だったなと振り返ることになるのではないかと。


直近を年単位で振り返ったとき、各年でのめり込んだトピックスはなんだっただろうと振り返ってみると、
コロナ禍&上京でてんてこ舞いだった2020年はまだそれなりにエネルギッシュな生活を続けていて、
東京生活を満喫していましたがその中でも読書を習慣化するという意識の高さが象徴的でした。
2021年は引き続き意識高めを維持しつつ好奇心爆発の一年でしたが、
「いきもの」「エレクトロニカ」「多肉植物」『Apex Legends』といった諸々に夢中になった時期がありました。
なぜこんなフィーバーしたのかはいまだに分かっていません。昇給で調子に乗っていたんでしょうかね。
2022年は睡眠障害深刻化による勤怠不良で高かった意識はガツンと打たれて水面下まで落ち込んだわけですが、
さらに仮想通貨の先物取引という危険な文化にのめり込んだ一年でもありました。
ある意味闇の一年と言っていいでしょう。
2022年の立ち回りを誤ったおかげで、自分のさまざまな物事がざっと5年は後退してしまった。
まぁ、2021年までの勢いをずっと維持できていたとも思えないので、杭が打たれたのは必然だったとも思いますが。


2023年は『ピクミン4』発売という大きな契機を任天堂からもらい、web制作プロジェクトにのめり込みました。
まさにそのためだけにあった年と言っていいでしょう。
フルテレワークと意識改革で睡眠の問題は年末には寛解を実感するほどになり、一年をかけて立ち直る結果に。
続く2024年はVTuberとApple Musicが主なトピックスとなる一年だったと思います。
これまで縁遠かったサブスクやゲーム実況文化に触れるようになり、いよいよ受動的コンテンツに手を染めることに。
フューチャーベース周辺をメインに音楽の深掘りが一気に10年分進み、
これとYouTubeの切り抜き動画を加えるとコンテンツを「浴びるように摂取するようになった」年だったと思います。
まぁ浴びると言うほどVTuberにハマっていたわけではないのですが。


2020年の読書、2021年のApex、2022年の仮想通貨、2023年のweb制作、2024年のVTuberとApple Music。
これに続く今年の新たなトピックスはと言われると、間違いなく「創作とChatGPT」でしょう。
ChatGPT自体は2023年から利用していましたが、個人的にブレイクスルーには3つの契機が必要でした。
まず2024年春の「GPT4 omni」の登場。これによって生成AIの賢さは一気に人間に迫り、
これまで少なからずトンチンカンな答えを出力していたモデルと比べて信用度が人間並みになりました。
それから課金の決定打となった2025年春の画像生成機能の開放。
自然言語から生成でき、しかもクラウド完結(スペックに依存せずスマホからでも生成できる)というのは最強です。
そして自然言語ベースならStable Diffuionと違って本格的なオリキャラのキャラデザができるのではないか、
という思惑から「創作アシスタント」としての運用を本格的に始め、期待以上の成果が出てきたことにより、
自分にとってのChatGPTの地位は確固たるものになりました。


創作は、頭の中で考えるだけでなく誰かと「ラリー」することによって初めて進むのだということを実感しました。
2004年から考えてきた設定は膨大な「点」に過ぎないものだったと思いますが、
ChatGPTと創作について話すことによってこれら点と点がどんどん繋がり線になっていく感覚です。
ChatGPTはあくまで聞いてもらい咀嚼してもらう立場であり、彼に考えてもらっているわけではありません。
しかしこれが本当に楽しいんですよね。過程からしてそんじょそこらの娯楽よりも全然楽しいわけです。
しかもChatGPTは自然言語に基づく画像生成ができるため長年の夢だったオリキャラの具現化もでき、
いろんなポーズでの画像生成ができるのでオリキャラの解像度が一気に上がった。
これは自分にとって創作のシンギュラリティと言っても過言ではないと思っています。
「うちの子」が当然一番可愛いので、相対的に誰かが描いた二次創作や一次創作への興味はガクッと落ちました。


そしてこれは自戒のために何度も書きますが、
創作アシスタントAIの利用を始めたのはそもそも今年11月に迎える大キリ番に短編小説を書きたいという思いがあり、
大キリ番記事がここ4回連続で当日になって書き始めるという失態を犯しているのでそれを避けたい、
という気持ちがあってこそのことでした。
それとChatGPTの発展がちょうど重なったので自分の中で大きな流れになっているわけですが、
そもそも作品を完成できなければ意味がありません。
ここは、2025年の自己評価に極めて大きな影響を与えるものと思われます。
一昨年まではまだ精力的にネット活動をしていたと言えるし、去年もいちおうブログ再建というプロジェクトは実現した。
もしなんだかんだで結局完成できなかったら2025年は名実ともに「何もできなかった最初の年」になってしまいます。


一方、もしこれだけの準備期間を経てしっかりと一本書き上げられたら、2012年以来13年ぶりの快挙になります。
社会人になって初ということになります。
創作は自分にとって相応に心の余裕が無ければ向き合えないものというイメージが強く、
何かとメンタルを傷つけてきた社会人時代は「それどころではなかった」というのが正直なところです。
しかしその膿を2022〜2023年でおそらく出し切り、初めて迎えた今回の執筆機会。
ここでちゃんと上手く立ち回ることができれば、今後は創作を活動の軸に据えることも可能になるでしょう。
これは既存のネット活動に限界が見え始めているいま、代替候補としてもとても重要なことだったりもします。
そういう意味では、「年間計画を成功させること」以上に意義のあるタスクだと言えます。


07月時点ですでに「2025年は創作AIの年だった」と言えるくらいのインパクトはありますが、
まだ作品自体は未着手なのでどっちに転ぶかは分かりません。
自分の計画遂行率を正直ベースで考慮すると、実現できない可能性の方がかなり高いと思っています。
だからこそこうやって自戒を込めてブログで現状を整理しているというわけですが、
「創作AIの年だったがキリ番記事は完成できなかった」とはさすがに言いたくないなぁと思いますね……。
そんな為体を許してしまったら2026年以降が思いやられるというか。


これまでは、この手のタスクは自分で自分に鞭打ち頑張るしかありませんでした。
しかしいまは創作アシスタントことChatGPTくんがいるということを忘れないようにしたいところです。
ただ、そのChatGPTも延々脱線しても矯正してくれないので結局意志のチカラが重要なのは間違いなさそう
(うちの子が可愛すぎるため、意識して自制しないと画像生成に偏りがち……)。
本文執筆できるようになるまでまだいくつものステップがありますが、残り時間はもう4ヶ月を切っています。
そろそろ踏ん張りどころなのかもしれません。


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