Chrononglyph

webサイト運営裏話

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#7515

迷走するイベント案

今月は最近の自分にしては非常にプログラミングのモチベーションが高く、
そのモチベもいい感じに利用して結果に繋げることができたと思うのでその点では良かったと思います。
まあ、最後のひと押しにやや苦戦していて結局この連休も使い切ってしまいそうですが……。


今回のアップデートの反省等々総括は明日に譲るとして、
今日は今回モチベが上がったことで年間目標のひとつだった大型イベントと向き合った所感を書き残します。
ピクチャレ大会では年2回を目標に大型イベントを開催しているのですが、
これに関しては自分の中で長い間迷走のトンネルを走っているような状況です。
ざっくり言うと①イベント自体は2022年から参加者減の傾向にあり無策では大幅減になる可能性が高い、
②移転したことでシステム開発の負荷が高い、③現状に適した新ルールが思い浮かばない、
という3つの問題が絡み合っています。
去年末は③を度外視して既存ルールでやろうとした結果②をクリアできずに開催直前で頓挫し、
今春にはこのうち②③を一挙に解決するような新ルールを思いついたのですが(#07470 / 2024年05月30日)、
まだ明確に①をクリアできていないので小規模イベントを定期開催することで外堀をしっかり埋めよう、
という方針で動いてきました。


実際に小規模イベントの開催で自分自身はピクミン勢と関わる機会がとても増えて楽しいのですが、
新規さんが増えたかと言われると答えはNOです。
これはやはりボイスチャンネルへの参加ハードルが非常に高いことがかなりのネックになっているのではないかと。


加えて、思いついてから3ヶ月経過した新ルール案を改めて見てみると微妙な気がする。
ビギナーと上級者のどちらも楽しめるようなルール設計を心がけたつもりなのでしょうが、
時間が経ってから見るとビギナー視点から見ても上級者視点から見ても微妙で、すごく共倒れ感が……。
これの原案自体は第17回開催後の2021年にはすでに思いついていて幾度となくブラッシュアップしているのですが、
それでもなおダメそうというのはあまりにも難産です。
もう原案自体を捨てて現状に即してゼロベースから考え直した方がいいのかもしれない……。


ここで「現状に即したルール」というのは、どちらかというと古参向けに振り切った設計をすることを意味します。
つまり、上記の①の問題はいっそのこと直近開催のイベントでは諦めるということですね。
「なるべく多くの参加者に参加してほしい」というのは個人的なこだわりみたいな部分もあるので、
そこは諦めて次々回に譲り、直近ではとにかく②③をクリアすることだけに注力するという考え方です。
とにかく2年連続非開催は避けたいので、アップデートが終わったらこの辺もしっかり考えたいところ……。


#7494

ピクチャレ大会と2本のゲーム

2023年のリニューアルでモダンなwebアプリとして生まれ変わり、
まだまだ自分の中でweb制作の中心プロジェクトであり続けるピクチャレ大会。
今年に入ってからDiscordのボイスチャンネルで利用者との交流機会が増えてきたわけですが、
2007年から運営しているということを説明するとほぼ例外なく驚かれます。
しかし実際にはピクチャレ大会は2007年よりさらに前のきっかけがあって生まれたものであり、
その開設前史については近年のブログでもチラッと書いているに留まっているため(#05971 / 2020年04月25日)、
改めてここで言語化を試みたいと思います。


ピクチャレ大会(旧称:ピクミンシリーズチャレンジモード大会)は
対象とするコンテンツこそピクミンシリーズ(特に2004年発売の2作目)ですが、
webサイトとしては自分が2005年に遊んだ2つのゲームの影響を強く受け継いでいるコンテンツであると言えます。


ひとつは『おいでよどうぶつの森』。
発売当時、任天堂の携帯機でインターネットを介して通信できる「Wi-Fi Connection」というサービスが開始され、
本格的にチャットなどの機能を備えているソフトとしては初めてのタイトルです。
自分はこれの前々作を2003年に友達から借りてハマりこみ、
同年にカードeリーダー対応版の『どうぶつの森e+』を買ってかなり夢中になっていたことがあります。
ブログでは再三書いている通り、初代ブログを開設しネット活動を始めるようになったきっかけのタイトルです。
その流れでシリーズ初の携帯機が登場すると発表されたとき、
覚えたてのHTMLをYahoo! Geocitiesに書いて作ったのが『おいでよどうぶつの森同盟』というサイトでした。
当時は何かの連帯を表明する人が集まって名簿を作る同盟サイトというのが同人・サブカル界隈で流行っていて、
これもその流れを汲んだものです。


当時、フレンド機能は文字通りリアル友達と遊ぶことを想定していたため、
フレンドコードをネットに公開することは公式としては推奨していませんでした。
しかしネット掲示板では当然のようにフレンドコードを交換して見知らぬ人同士で遊ぶ遊び方が流行し、
おい森同盟はそのニーズの受け皿として(当時の個人サイトにしては)アクセス数をかなり稼ぎました。
SEOもかなり緩く世界上のサイト数そのものが少なかったのもあり、
ゲームタイトルで検索して8番目くらいに表示されていた記憶があります。


とはいえ当時の自分はゲーマー全盛期でやりたいゲームは次々に移り変わっていく時代だったこともあり、
おい森自体は(かなり持った方ですが)1年以上は持たず、その影響でおい森同盟自体は短命に終わります。
それで次は「自分が一番好きなゲームタイトルで同様のサイトを作りたい」と思い立って2006年に作ったのが、
『ピクミン3開発を望む同盟』という文字通りピクミン2の続編を待望する人が連帯するための交流サイトでした。
ピクチャレ大会は、もともとこのサイトのサイト内コンテンツとして始まったのでした。
当然ピク3同盟が無かったらピクチャレ大会を開設しようとは思わなかったでしょう。


もうひとつは『メテオス』。
星のカービィやスマブラシリーズの生みの親である桜井政博さんがフリーになって初めて作ったゲームであり、
自分にとってはもっともプレイ時間の長いパズルゲームです。
当時、これの「チャレンジモード」のスコアアタックにそれはもうハマっていたのですが、
その要因とも言うべきサイトがニンテンドー特攻隊を運営するMetaLuiさん主催の非公式サイト、
『メテオス・ランキング大会』(現在は閉鎖)でした。
ここで他のプレイヤーと競い合うことが強いモチベーションになっていたわけですね。
2005年03月〜08月くらいまでは本当に狂ったようにメテオスばかりやっていた思い出があります。
2年後に生まれることになるピクチャレ大会は、このサイトを参考にしている部分が多くあります。
サイトタイトルや、いわゆる「総合ランキング」や「ひとことコメント」がその典型例。
どちらもチャレンジモードがありそのステージ総数が30個という共通点もあり、参考にしやすかったのは幸いでした。
また当時、初代ピクミンのチャレンジモードランキングサイトこそあったものの(現在は閉鎖)、
『ピクミン2』をターゲットにしたランキングサイトは存在しなかったのも強い後押しになりました。
ライバルがいたら諦めていたんじゃないかと思います。


これらの下地を踏まえて、2007年04月29日に「せっかくの『ピクミン2』3周年だし何かしたい」
というちょっとしたひらめきから、
「それなら『メテオス・ランキング大会』を参考にしたチャレンジモードのランキングサイトを同盟サイト内に作ろう」
と思い立ち、その日1日で原型となるサイトが完成しました。
これは、おい森とメテオスという2つの伏線が無かったら実現しなかったと断言できます。


ところで『メテオス』は「名作だがバグが多い」とよく評されますがチャレンジモードにも競技としての欠陥があり、
途中から「ポーズ技」というテクニックが横行してランキングが汚染されてしまいました。
このゲームは突き詰めると3マッチできる箇所を素早く見つけるために反射神経を競うゲームになるのですが、
「点火したらポーズし、ポーズ中に次点火できる場所を探す→ポーズを解いた瞬間に点火する」
ということを繰り返せば理論上は無限ピストン可能なステージは全部カンストが可能になります
(そもそも「無限ピストン」自体が制作者の意図に沿った動作なのかも怪しいですが……)。
これを使って上位へ行く人がどんどん増えていったので萎えた思い出が。
まあYouTubeも無い時代に証拠動画を要求するのも土台無理な話で信憑性の確保は難しく、
いま思えば時代を先取りしすぎたサイトだったのかもしれません。
ピクチャレ大会がランキングの公平性と持続性をかなり重視しているのは
そうした先達の反省点にも影響を受けている部分が強く、そのおかげで長期運営できている側面もあると思います。
ポーズ技みたいなものが横行してこれまでの積み重ねが無に帰すようなことを恐れているというわけです。


ピクチャレ大会は、黎明期〜2014年まではそもそも人が少なすぎてサイトとしての価値は皆無でしたが、
2015年になって単独サイトとして独立し
当時のトップランカーを含むコミュニティに受け入れられたことで急速に発展していくことになります。
合計利用者数はやっと最近になってメテオス・ランキング大会を明確に超え、
MetaLuiさんが半年で到達した領域に17年もの歳月がかかってしまいました。
しかしそれだけの年数が経ってもなおランキングが「汚染された」と言えるような状況になっておらず、
なおかつまだWRが「伸び代がある」と言えるような状況であり続けているのは本当に恵まれていると思うとともに、
いかに『ピクミン2』の完成度が高いかを思い知らされます。
記録やノウハウが溜まり上位を取る価値が高くなりつつあるものの、
その可能性は常に開かれており、それでいて一定の公平性・信憑性は保てているのかなと。
ランキングそのものの価値の毀損はまだ一度も起きていない認識です。


2020年秋に某事件で一度だけピンチに陥ったことはありましたが、
そのときも結果的にコミュニティが一致団結してくれたおかげで脅威を退けたという経緯があり、
そういう意味でもランキングそのものの脅威に対する防御力はかなり盤石だと思っています。
これは自分の実力云々よりもコミュニティの健全性がもたらした恩恵です。
それこそがサイト運営においてもっとも重要なファクターであることは改めて言うまでもありません。


しかしまさか、2005年に偶然手にとった2つのゲームソフトがここまで長期の活動の引き金になるとは、
購入当時はもちろんチャレンジモードが本格的に流行り始めた2015年当時ですら想像していませんでした。
ピクチャレ大会が思春期から連綿と続く軌跡によって成り立っているということは、
運営者として以前にゲーマーとして、あるいはwebクリエイターの端くれとして折に触れてしっかり噛み締めたいものです。


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