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ブログ執筆

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#8003

ブログ執筆の基礎エネルギー

今日の出来事ブログ執筆

ブログを継続するための基礎エネルギーとして、「言葉が好き、文章を書くことが好き」という性質があると思います。
思っていることを言葉に乗せるのが楽しい。カッコいい言い回しを書けると快を得られる。
自分は伝統的にこの欲求をさまざまな行動の基盤として利用してきた節があります。
たとえば実生活の悩み事についてはそれを言語化することで悩みの構造を明らかにして乗り越えようとするなど。


しかしいま、ここ4ヶ月ほどこの根本的な欲求が低迷している実感があります。
そのため必然的にブログも低迷している。
更新ペースが落ちているわけではありませんが、多くの日で表面的なことしか書けなくなってしまいました。
今年の前半まではそうではなかったような気がするんですが、どこかでマイナス転換してしまったようです。
そしていまのところ低迷は続いており、底は抜けきれていません。
また、なぜこうなってしまったのかもよくわかっていません。
ブログが低迷することというのは割とよくあることなんですが、
少なくとも20周年移転後で見ると今回の低迷は比較的大規模のような気がします。


ブログを書く気力が失われると、読む気力も失われます。
これらは経験上、独立しないんですよね。書く気力が無いときに読む活動が一人歩きすることはあんまり無い。
読むことをきっかけに書く意欲が復活することはある。
ただ、最近は多少読んだだけでは「言語化したい欲求」が復活することはなくなってしまいました。
これは手軽に読む環境としてのこのブログのフロントエンドにまだまだ課題があるということでもあるのですが、
自分のメンタルがやや沈んできていることのサインなのかもしれません。


それでもブログをこれまで通りのペースで「続けるだけ」ならできる。
嫌な書き方をすれば、上っ面だけの物事を書き残すだけであれば現状のメンタルでも十分やっていけます。
ただ、これでは発展はありえない。
ブログを書いたことによって心境が整理されれば新規分野にも着手する機運が高まろうというものですが、
そういうこともなく、ただただ消耗しているに過ぎません。このままではいずれ限界が来ます。
一縷の望みとして「読む活動」を半ば無理やりにでもすれば多少は改善するかもしれませんが、
それだけでは長期的な見通しは立てられないでしょう。


言葉が好きという根源的な欲求を刺激するとしたら、ブログ以外に何があるだろうか……。
と考えたときに3つの視点が考えられると思います。
ひとつめは他者とのコミュニケーション。
特に「安心安全なコミュニケーション」ができる相手というのは言語化活動を促す契機になると思います。
ふたつめは他者の文章を読むこと、特に読書ですね。知識が深まれば必然的にアウトプット意欲も増すでしょう。
ただブログのモチベさえ低い状況で読書活動を推進するのは難しいので、
これは大底を脱出してから実践する内容になるのではないかと思います。
みっつめはブログに限らず諸活動をもっと充実させること。
つまり「日記」としてのブログの側面を充実させる方向に舵を切るのが重要なのではないかと。
これも、そもそもそのやる気が無いという問題もありますが、
うつ病回避の基本方針としての「昨日と同じような日を過ごさない」を自然に実践するためにも、
話題になりうる何かを探すという活動は重要であるような気がします。
逆に言えば、それらを怠ってきたからこその現状なのではなかろうかと。


いまの自分にとって、平坦なブログを書くことはゲームをすることよりもハードルの低い活動です。
つまり、そのブログさえ危ういという現状の行動力はかなり壊滅的だということを否定できない。
このまま放置するとかなりマズいような気がするので、
意識的にもっと日々を充実させるための方策を考えたいところです。


#7729

文章力を試したい

今日の出来事ブログ執筆

エゴサは精神に良くないと知りつつもしてしまうことが体感で年に1〜2回あるのですが、
そこで2020年当時のブログに対して「この人の文章は面白い」と書かれているのを知りました。
これだけでは厳密に好評価と断定はできないため皮肉を込めて言っているのかもしれませんが、
それに続く内容への感想の雰囲気から、おそらく好意的な評価をいただけたのだと解釈しています。
ブログを表に出さなくなり固定読者とのコミュニケーションの機会も閉ざされたいま、
ブログを評価してもらう機会というのは大変貴重です。
もう少し具体的な感想が欲しかったところですが、単純でバカな自分はこれでも結構モチベにプラス効果が働きます。
いまさらですが、WordPress時代は「いいね」の数に結構一喜一憂していました。


これまでの人生で文章そのものを褒められた経験というのはわりとあり、
ブログ黎明期も「長くても読みやすくてすぐ読める」等の評価をもらうことがよくありました。
実際に読みやすさについてはかなり気をつけている部分で、長い運営歴の中で何度も試行錯誤しています。
レトリックや言葉遣いについては近年はあまり意識してこなかった分野ですが、
厨二病全盛期はそれこそポエムを作ってラジオで賞をもらうようなこともあり、
その経験が決定的に「文筆活動が好き」であるという自負をもたらしました。
少なからずブログの長期運営や大学進学にも影響を与えています。


唯一の反例として、大学時代後期当時、新潟県が運営する
(なんでも相談してくださいと標榜していた)Uターン就職支援窓口へ相談メールを送った際、
「あまりにも読みにく過ぎて3回読んでやっと理解した」とボコボコに言われた経験があります。
まぁこれはかなり抜きん出て意地悪そうな職員だったので例外として考えて良さそうなものですが……。
いま読み返してみると大学時代のブログ記事も決して読みやすいとは言えないため、
もしかしたら妥当な評価だったのかもしれません。
いまはさすがに大学時代よりはかなり良くなっているという自負はあります。


実はこの好評価を発見する前から、かねてよりブログの「出張版」を書きたいと思っていました。
ブログはいわばクローズドなプラットフォームであり
積極的に評価を受け付けているとは言い難いですが、
自分の文章をより多くの人に読まれる場所に発表したらどうなるんだろうと。
またボコボコに言われやしないかとやや不安なところもありますが、
いわば「キリ番記事」の上位活動として、本気で随筆を書いて発表する機会も設けたいと思っています。
そのとっかかりとして実は4代目移転と同時に「note」にアカウントを作成しており、
年内に1本の出張記事を書くことを密かな目標にしています。
ブログプラットフォームの「note」が妥当なのか、
「カクヨム」「小説家になろう」のような物書きさんが集まるプラットフォームが良いのかについては検討中ですが、
まぁ初回はよりカジュアルに臨めそうなnoteでいいのかなと。


維持するだけで精一杯だった2023年以前から一転、20周年を機に移転してからブログ運営は比較的安定しており、
言葉選びを少し工夫するくらいの余裕は得られているという実感があります。
ここからさらに一皮剥けるためには、やはり手っ取り早いのは他者の評価。
果たしていまの自分にリスクを承知して一歩踏み込む勇気があるのか否か。
もしそれを乗り越えられたら、さらにもう一段階丁寧な言葉選びができるような気がします。


#7606

憂鬱の沼を潜り抜けて

今日の出来事ブログ執筆

今回、4代目ブログ移転後初のキリ番記事が大きなボトルネックとなった結果(#07604 / 2024年10月11日)、
実質的に消化するまで8日の遅延が発生したわけですが、その間実にわかりやすい形で気分も沈んでいました。
先日、ちょうどTwitterのおすすめタイムラインに
「抑うつ症状とは考え過ぎている状態で、PCで言えばアプリを開き過ぎてCPU使用率が100%になっているようなもの」
という内容の新書からの引用が流れてきて、
あまりにもタイミングが良く、かつ自分に当てはまりしかも説得力のある内容に膝を打ちました。
カテゴリ「独り言」を書くというのは基本的に悩んでこそ書けるため、憂鬱の沼に自ら身を投じるような行為です。
しかも近年はそう簡単に結論が出なくなってしまったため、沼から上がるのが難しくなった気がします。
昔と違ってそれなりに視野が広くなっている上に
自分の中でも価値観が多様になっていて安易に何々が善い・悪いと決めつけられなくなっていることもあり、
それなりに説得力のある結論を出すのは、まあ1日やそこらでは難しいのが現状かと思われます。
というわけで今後キリ番記事のルールを存続させたいなら、どんなに短くても2週間前から書き始めるのは必須かと。
いままでも当然同じようなことは考えてきたのに実践できていないわけですが。
とにかく次回以降は強い意志で実践しないとこれがブログ存続危機再発の要因になりかねない……。


あと今回の件で強く感じたのは、重いテーマであればあるほど「書きたいことしか書けない」ということですね。
「独り言」向けの重めの話題ストックはかなりあるのですが、ひとつずつ検討してみてもどうしても筆が進まない。
重いテーマを書く場合は現状に即していることしか書けないし、
少し前の悩みごとのように当事者意識がそこまで強くない話題はなかなか掘り下げられないというのは教訓です。
またブログの執筆モチベ自体もキリ番記事のタイミングとは関係なく上下するので、
いい感じに山を登ってきたところで「独り言」を書くのがベターかなと思います。
直近で言うと、今年の07月はそれをかなり実感したタイミングでした。いまは下り坂を走っているところです。
いずれにしろ、期日が来たら書くなどという単純な話ではもはやないということを心に刻むべきかと。
これは他のタスクについても言えることなのかもしれませんが。


ある意味ブログ安定化最後の壁でもあるキリ番記事。
そこに実は合理性はなく廃止しても良さそうな習慣であることは前回の記事で確認したばかりですが、
書き切って改めて思うのは、憂鬱の沼を潜ってこそ得られるものも大きいのだろうなということです。
実際、書き切った直後は明らかに心がスッキリしたことを実感しました。
その体験自体は執筆によって心の整理が進むだけでなく達成感を得られるということでもあり、
いずれも日常生活ではなかなか得られない栄養なのではないかと改めて思います。


#7239

ブログ低迷の原因はネタ管理?

今日の出来事ブログ執筆

ここ2ヶ月ほどで80本(≒8万文字)ほどの記事を書いてきて、
4代目ブログを公開運営するために必要な条件が少しずつ見えてきました。
いままで、執筆完了から公開までの手順が面倒くさいからとか、
書ける日と書けない日で波がある以上は1日1本執筆は無理だとか、
ブログの存続維持に対する困難の原因をいくつか見出してきました。
しかし、今回大量に記事を執筆して思ったのは、
それらよりも「ネタのアウトプット」の方がさらに重要なのではないかということです。


いままでは、執筆作業そのものに注目してその課題について考えてきました。
しかし実は、ブログの執筆という作業の前には「ネタを探す」という作業があります。
これは執筆作業の前提となる作業であり、これをせずに執筆作業はできません
(ノンテーマで書くという作業においても、必ず最初に書くネタを決めなければ書けない)。
いままで、ブログを書けないと思い悩んだとき、
執筆そのものに対する意欲低下とかその作業プロセス自体に原因を求めてきたわけですが、
もっとシンプルに「ネタが無いから書けない」のではないかというのが今回の気付きです。
つまり、ネタさえあればなんだかんだで書ける。書けないのはネタ不足というわけ。
考えてみれば当たり前の話です。1日1本長文を書くのは結構なアウトプット量なので、
それ相応にインプットが無ければ書けるはずがない。


そう考えてみると、長年ブログをやってきている癖にネタの管理が杜撰であることに気付きます。
管理が曖昧なのでネタの取りこぼしが度々生じている。
その積み重ねによるネタ不足がブログそのものの存続危機に繋がっているのではないかと。
ブログを運営していると、
これはネタにできるという思いつきや出来事、アイデアなどが日常的に浮かんできます。
しかし、それらは意外なほどすぐに忘れてしまって忘れてしまうともう思い出せないことも多い。
だから昔は「着想メモ」という習慣でアイデアはなんでもかんでも保存する、
ということを試していた時期がありました。しかし、思えば近年はそれもサボりがちでした。
この怠慢に原因を求めることはできそうです。


着想メモはここ10年「Drafts」というアプリに依存してきましたが、
それで本当に良いのかを考え直してみてもいいかもしれません。
このアプリはネタを書き残すという点では最速最小限の手間で実現できるのですが、
せっかく書いたネタを分類するということに関してはあまり考えてきませんでした。
分類もすばやくできるというニーズを満たせるかどうかについては調べてみる必要がありそうです。
直感的には、ブログ以外のアイデアとブログネタを明示的に分けることができれば
現行のシステムでも十分習慣化できる余地がありそうですが……。
結構「これだ!」と思って構築したシステムも1年経つと形骸化してしまったりするので、
いろいろと試行錯誤することになると思います。


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