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#8070

短期計画の実現可能性

今日の出来事週間計画

2023年ごろから自分の中でかなり中心的になっている「無能であることを受け入れる」というスローガンですが、
実はだいぶ前から言葉が持つイメージだけが一人歩きしていて、
当初これを思いついたときの教訓が忘れ去られているのではないかとふと思いました。
というのも、ここ1〜2年の自分は「無能」という言葉について考えるとき、
人生観や年間計画などといったより広いレンジの時間軸で語っているような気がします。
これは「できもしないことを望むのは愚かだ」という考え方がおおむねベースになっていると思われるわけですが、
たとえば年間計画で突拍子もない、自分のスキルをまったく顧みない計画を立てることを戒めるというような、
日々の願望、あるいは妄想をもっと現実的にしよう、というような具合です。


しかしこれを思いついた当初はどちらかというと月間・週間・日間計画についてのことだったような。
昨日やると決めたことを当日になって向き合ってみると、
とてもじゃないができるものではないということに気づく。
そうして立ち上がりと同時に計画が破綻するのでやる気も削がれ、むしろ行動力が落ちる原因になっている。
だから計画は正直ベースで立てなければならない……といった教訓です。


どちらかというと当初は後者の方を深刻に捉えていて、その文脈から発展して前者の考えが立ちあがった、
という感じだったと思います。
そしてこれらは自分にとってどちらも非常に基本的かつ重要なことであるということは疑う余地もありません。


高すぎる理想を意識的に矯正するという活動は、自分のような人間にとっては一種の処世術だと思っています。
「なぜ理想が高くなりすぎるか」については語り始めると長くなりそうですが、
まあ一言で言えば成功体験の少なさ、失敗を必要以上に恐れているなどといったプライドの高さ、
ひいては人生を巣食う強い劣等感に由来するのではないかと思っています。
自分は人並みの成功では他者は認めてくれないだろう、という社会に対する不信、あるいは傲慢が根強くある。
しかし一方でスキルは人並みかそれ以下なので、愚直に高い理想を掲げたところで行き詰まるしかない。
そしてスキルは急に高くならないので、理想を下げざるを得ないという。


週間以下のレンジで現実を見る訓練はここ数年やってきた甲斐もあって、
「一日が始まると同時に計画が破綻する」といったような愚行はさすがに無くなりましたが、
その代償としてスキルを上げる機会に恵まれなくなりました。
計画段階からグッとレベルを下げればタスクは簡単なものばかりになり、
高い理想に対して愚直に努力することがなくなるのは当然の話です。
それもそれで良くない、と気づき直したのが2025年だったと改めて思います。


年単位、人生単位で「これが適切な理想だ」と言える何かにはまだ出会っていないと思っています。
この年齢にしてこの状況は正直心許ないと言わざるを得ないですが、
まあそれも含めて受け入れていくしかないんだろうなと思います。
「無能であることを受け入れる」というのは高すぎる理想を矯正するための言葉ですが、
おそらくそれと対になるように低すぎる目標を高めるための言葉もあると思うんですよね。
2025年までの数年間はネガティブ方向に突き詰めたので、
あわよくばこれからの数年間はポジティブ方向に人生を問いただす時間であってほしいと思っています。



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