対人関係のコスト
旧Twitterで対人関係に関して鋭い意見を述べた1ページ漫画の投稿 がバズっていました。
「そもそも他人というのは存在するだけで負担なのです
会話する、気を遣う、予定を合わせる……
そのコストを上回るメリットがある相手かどうか
人は他人と関わる時 無意識に判断しています
そんな中で「ありのままの自分を受け入れてほしい」というのは
関係維持のコストを相手に押し付けると宣言するのと同じ」『運命など存在しないので』(井原タクヤ、ヤングマガジンKC)
出典元は婚活に関するリアルを描いた漫画とのことです。
言われてみれば確かに、理想の結婚相手というのは会話においてストレスが生じないものだと思いがちです。
「ありのままの自分を受け入れてくれる相手がいい」というのはわりとありがちな要望なのではないでしょうか。
しかしこの言説は、そんなのは幼稚な妄想に過ぎないと切って捨てているわけですね。
ただただ自分にとって都合が良いだけの人間関係など存在し得ないと。
人間関係そのものが本来維持コストのかかるものだというのは同意できるし、
自分も実際にそれぞれのコミュニティでそれなりのコストを支払っているという実感があります。
それなりに信頼関係を築けているという相手でさえも、コストはちゃんと払っていると思います。
そして確かにこの「コスト」がメンタルに重くのしかかってくることもある。
気を遣いすぎて自分の都合を二の次にしたり、どう思われているか気になって病んだりといった感じですね。
かといってこのコストは名目上は自分が好きで支払っているものであり、見返りは求められません。
他者からの反応が薄かったり、自分が尊重されていないと感じると「払い損だ」と感じたりする。
そういうときに、こういう風に悩ませないような相手が現れたらいいのに……とふと思う。
「そのコストを上回るメリットがある相手かどうか」というのはかなり残酷な話で、
それを考える以上は相手にとっての自分についても同様に考えざるを得ません。
客観的に見てコストが重いのにそれをフォローするメリットを持たない人は人間関係の構築が難しくなるし、
逆も然りならそこにはそれなりの格差が存在していることになるでしょう。
確かに周囲を見ていると、「ありのままの自分」をわりと安直に暴露する人もいれば、
明らかにそれを表に出さないように気をつけているんだろうなというような人もいる。
そして、前者の人は周囲に配慮させているという点で明らかにコストを押し付けているのですが、
かといってただちに嫌われているようにも見えない。まぁ、ひそかに疎まれているというのはあるでしょうが。
つまり「『ありのままの自分』を暴露された人にとってのありのままの自分」が暴露されないかぎり、
それを表に出そうが出すまいがコミュニティにおける表向きの状況はあまり変わらないわけです。
そうやって配慮ができる人の良心に依存して自分勝手に振る舞う人というのは少なくありません。
引用元のテーマになっている婚活市場のことはよく知りませんが、
この言説はそういう他者依存的な人が人間関係で豊かになるのは厳しいということを示唆していると思います。
人間関係は長年かけて構築してもたった一言であっさり根元から倒れることもある砂上の楼閣であり、
そのあまりの脆さに気を遣うのに労力がかかるというのは考えてみれば当然です。
人間関係は多い方が偉い、みたいな価値観は平成中期に強くあっていまはやや弱体化した観がありますが、
こうしてみるとそれは明らかに個人のキャパシティに依るものであり、
キャパの小さい人が無理に人間関係を広げても何も良いことはないんだろうなと改めて思います。
いま継続している縁では「ありのままの自分」を軽率に出さないように、
これからも慎重なバランス感覚が求められそうです。