Chrononglyph

倫理観

#7812

結節点としての随筆

このブログで、記事番号が100の倍数のとき(ただし1000の倍数でない場合)に書いている「キリ番記事」。
これは黎明期にポエムやゲームの話などでお茶を濁していた場合を除き、
抽象的な人生の課題などについて、その時々でもっとも興味のあるテーマで随筆を書いています。
学生時代の終わり〜社会人黎明期辺りは例外的に認識論みたいな分野に興味を持ったことがありますが、
基本的にはより実践的な「生き方」についての問題について考えてきたことが多いように思います。


近年は特に、直近の通常記事でも書いている抽象的なことをより包括的に取り扱うことが多いという点で、
直近で自分が考えていることの集大成みたいな側面があります。
そしてキリ番記事で直近のテーマについてある程度出し切った上で、
次の100の倍数に到達するまでにそれをさらに批判的に考え、よりブラッシュアップさせた考えに昇華する。
ブログが複数のテーマによって未来に向かう何本もの「線」だとしたら、
100本に1本のキリ番記事は直近について考えていることをまとめた「結節点」のようなものです。
そしてここ近年は、キリ番記事を中心にひとつの思想が徐々に発展してきました。


2022年の不眠症問題で人生の壁にぶち当たった自分は、
「自分が最低限やるべきだと信じていること(信念)に対して丁寧に対応すれば、
嫉妬に悩んだり、他人を攻撃したりする必要は無くなるのではないか」と考えました(#06931 / 2022年12月08日)。
そして、物事がうまくいかないのはその信念が理想に置き換わっていて不当にハードルが高いためであり、
理想が本当に自分にとって主体的な理想なのか点検する必要があると考えました(#07100 / 2023年05月26日)。
しかしできない理想を徹底排除して「無能を受け入れる」ことを徹底しようとすると、無味乾燥な人生になってしまう。
そこで誇大妄想から逃れることは重要でありつつも、夢は夢で持っても良いのだと納得しました(#07600 / 2024年10月07日)。


ここで、上記リンク先の記事(#7100)で、次のような投げかけがあります。



理想のひとつひとつに対して猜疑の目を向け、
あるいは自分がそれを達成できるのかどうかを慎重に吟味していったとき、
それでもなお残るものはいったい何なのだろうか。



いまの自分がこれに答えるとしたら「道徳」と答えます。
ここで道徳とは、個人の能力とは本質的に関係なく実践できる「人として守るべきルール」を言います。
能力が低かったら遵守できないルールはこの意味での道徳の要件を満たせません。
この「厳格な道徳」とも言うべきルールを明文化できたら、それは人生の指針たりうるのではないかと思うわけです。
最近カントに興味があるのはこの辺の文脈からですね。


最新のキリ番では、22年間の「承認のための活動」が成果を出せず平行線であるという大きな反省から、
利己的活動は不毛であり、利他に徹することでそこから抜け出せるのではないかと考えました(#07800 / 2025年04月25日)。
しかしこの意味での「利己」「利他」は現時点では心構えの違いでしかありません。
表面上は利他に徹したとしても、承認を欲しているからやるのであれば利己的な承認活動と変わらないわけです。
自分が考えていることはこうした視座の違いであっけなく破綻することがあり、
行動方針の基盤みたいなものが欲しいというのは常々思っていました。
「厳格な道徳」はそういう意味での基盤にもなりうるのではないかという期待がいまのところあります。


「道徳」というのはきわめて普遍的なテーマで、個人的な哲学のひとつの終着点のようにも思います。
もしブログが末長く続くなら十数年後の中年期、あるいは遥か先の老年期にも折りに触れて考えそうなテーマです。
そういうときのために2020年代時点の結論は出したいところですね。なかなか難しそうではありますが。
果たしてこれが、100本に1本のキリ番記事よりもさらに大きなレンジの結節点となるかどうか。


#7806

芸術家の定義

今日の出来事倫理観

最近ホロライブ界隈でなにかと話題のクイズメーカーですが、
「さくらみこ」か「GACKT」か「ローランド」の誰が言ったセリフか当てろというクイズを、
さくらみこ本人が取り上げるという配信がありました。
なお後年のための補足ですが、
GACKTは紅白出場経験もある激シブ声のヴィジュアル系シンガーソングライター、
ローランドはホスト界の帝王とも呼ばれる若い実業家で名言集が40万部以上売れています。
どちらもまあトップレベルと言ってもいいほどの強者イケメンと言えるでしょう。
なお、さくらみこはアホ……じゃなかった、えりーとな発言がよく出ると評判のウザかわ系VTuberです。
この3人のうち誰が発言したか当てるという趣旨のクイズなのですが、その中でこんな名言がありました。



人の想像力を借りたままじゃ、芸術家になれない



これ、なにげに昨今のAIアーティストの台頭に一石を投じる非常に深い言葉だと思います。
最近、サブアカ(もう本アカと言ってもいいかもしれない)でフォローしている絵師さんが、
いわゆるなりすましアカウントの被害に遭ったということで声明を出していました。
そのやり口は、AIでその人のイラストを重点的に学習させ(LoRA)、
その人らしい絵柄で生成した新規イラストを量産し、同名の名義のSNSアカウントに掲載するというもの。
自分が観測できる範囲だけでも結構頻繁に起きています。


これは倫理的には明らかにアウトだと思うし、著作権的にも「無許可の二次著作物」とみなすことができます。
基本的にパクりが法的に問題になるのは「元絵を想起できるような模倣が認められるかどうか」なので、
そういう意味でもアウトになりそうです。
しかし、じゃあ手書きなら二次創作がセーフかというとそんなこともないわけです。
イラスト制作において、手描きもアウトなケースは多々ある。
いまでこそコミケは大衆向けのイベントみたいな空気になりましたが、
かつてはポケモンの同人誌が大々的に訴えられるなど、非常にグレーな中でやってきたという側面があります。
そしてそれから法律が緩和しているわけではないので、グレーであることはいまも変わりません。
著作権者が二次創作を許諾しているケースが増えてきているのでその範囲ならセーフと言えますが、
もちろんそうでない作品を扱っているケースも多々あるわけです。
手描き vs. AIイラスト論争はAI側が圧倒的に不利な印象を受けますが、
実は手描きもずっとアウトで、赤信号をみんなで渡っているに過ぎないこともあるということです。
逆に、AIイラストは特定絵師のLoRAを使わないかぎり、オリジナル絵は著作権的にはセーフになりそうです。
ただ、法的にどうこうというより従来絵師がAIイラスト生成をもって「絵師」と名乗って欲しくない心理はわかる。
法律が倫理に追いついていないんですよね。
しかしこの名言を読んだとき、そのモヤモヤがストンと落ちる気がしました。
AIイラスト生成は萌え絵を作るが、「芸術家」ではない。これはかなり説得力があると思います。


しかしこれはAIがどうこうというより、いわゆる萌え絵そのものが芸術でない可能性も示唆していると思います。
くだんの名言は、芸術家になる条件を人の想像力を借りずに完成させると定義しています。
AIイラスト生成がプロンプトと既存絵を組み合わせている作業に過ぎないかぎり芸術家でないのは当たり前として、
手描き絵師もその意味での芸術家に当てはまらないことはよくあるのではないでしょうか。
二次創作は論外として、オリジナルでも多かれ少なかれ、
他人の作品、素材、ポージングなど自分でイチから想像せずに参考にしている部分があるからです。
それは著作権的にセーフティでも「想像力を働かせて作った」とは言えません。
実はフェチを追求しただけの手描きも
本質的には「アーティスト」と言えないケースも多々あるのではないか……と思った次第です。
しかしそもそも追求するしているのは「萌え」であって芸術ではないので、それも間違っていないとは思います。
「萌え」は要するにフェチの権化であり、それが芸術的である必要は必ずしもないということです。


この名言は萌え絵の本質を撃ち抜く鋭い言葉だなと関心しました。
まさかこれをみこちが言ったなんてにわかには信じがたいですが……。