承認欲求の戦場
なにかきっかけがあったわけでも無いのですが、久々にTwitterのタイムラインを見ました。
まあ、強いて理由を挙げれば最近はもう掲示板も廃れて SNSの代替としての役割を果たさなくなってきたこと、
Twitterにおける諸々の黒歴史が年月とともに風化してきたことくらいでしょうか。
そしてタイムラインを見てみて、実に平和なやりとりが交わされていることに少し感動しました。
正直に申し上げると、自分はTwitterという媒体そのものに良いイメージを持っていませんでした。
なぜなら、1投稿につき140文字までという文字数制限があったり(現在は撤廃)、
相手の発言を見てもいいし見なくてもいいし返信してもしなくてもいいというような
根本的にゆるい繋がりによってコミュニケーションが成り立っていたり、
いいね、RTといった可視化されたステータスがあるために承認欲求を爆発させる人が多かったりと、
「建設的なコミュニケーション」を行うにはあまりにも向いていないと思ったからです。
もっとぶっちゃけて言えば、承認欲求不満だからこそやるSNSというイメージがあった。
実際にかまって系ハッシュタグを連発しているような人は承認欲求不満なのでしょう。
それの何が悪いのかというと、要はマウント合戦になるんですよね。
こんなことができた、すごいだろう褒めろ。というような投稿で溢れかえってしまう。
他人の業績を素直に賞賛できる心の余裕があれば、
それは素晴らしいコンテンツが溢れかえる素晴らしいプラットフォームなのかもしれません。
しかし、そういった素晴らしい何某かと比べて相対的に自分が何も成し遂げられていないと、
すべてが嫉妬に染まり、タイムラインにいることがツラくなってきます。
2019年以前の自分は少なからずそういうところがありました。
決して当時から何もやっていないというわけではありません。
他者と比べて見劣りするかもしれないものの、
誰かに認めてもらおうと足掻いていたこともありました。
しかし、そもそも「自分で自分のやったことを肯定する」というマインドを持っていないので、
自分が何を成し遂げようとも、それは自慢するに値しないと感じてしまっていたわけです。
要するに、SNSの病は自己肯定感の問題に帰結するのかなと。
2019年は匿名系SNS、2020年以降は匿名掲示板を主な住処にしていました。
そういう場所はクズが多いので、自己肯定感が低い自分でも居づらさを感じないからです。
ただ一方でそれがあまりにも生産性に欠けることは薄々感じていました。
やはり誰かにモチベーションを貰ってこそできることが増えていくというのは
上京前時代からのネット活動でも痛感してきましたが、匿名コミュニティではそれは望めない。
となると、どこかで踏ん切りをつけて「この程度の自分」をまずは自分が受け入れて、
それを成果として発表する場所を持つことが大切なのではないかと改めて思います。
昔はTwitterはマウント合戦だらけで本当にうんざりしたし、
ことピクミン界隈に限れば実際にマウンティングに溢れていたという事実はありますが、
さすがに中心世代が大人になってきたこともあってその辺も落ち着いてきた感があります。
承認欲求不満の人がかつての自分みたいに限界を感じて淘汰されただけなのかもしれませんが。
ともあれ、Twitterと一度決別してから4年、
自分もそろそろ改めてTwitterという媒体と向き合ってもいいのかもしれないと思いました。