福本作品における正義
カイジシリーズで有名な福本伸行さんの比較的古い作品に『銀と金』(1992〜1996年)という漫画があります。
何も持たない素寒貧の青年である森田が裏社会の帝王である「銀王」に声をかけられたことをきっかけに、
詐欺とギャンブルの渦巻く裏社会へと身を投じていくという話。
「任侠漫画の金字塔」「福本作品の最高傑作」と良い評判をたびたび耳にしますが、
自分は普通にカイジの方が面白いと思っています。まあ、カイジの原点みたいな作品ですね。
銀王が表社会の大物を操って億というカネを手に入れるところまではまだ読めるのですが、
銀王といったん別れてほぼ素寒貧に戻った森田が画商を騙すところは
あまりにもご都合主義というか、敵がほぼ傀儡で森田側のやりたいことに都合良く動きすぎていて結構キツいです。
この辺はちょっと悪い意味でのラノベ臭さを感じる。
まあそれはさておき、この作品には作者の価値観が強く反映されたセリフが散りばめられており、
個人的にその価値観にはとても興味を持ちました。
森田は「銀王」と関わったときの縁を利用してメガバンクの頭取から時価7億の絵画を盗み、
画商に「本物と贋作を並べ、選んだ方を5千万円で買ってもらう」というゲームを提案。
ただし「絵画とは別の何か」をもし気に入れば3億5千万円で買ってほしいことを追加の条件とし、
画商は本物は絶対見分けられるし、仮に4億円出したとしても時価7億の絵画が手に入るなら安いと承諾します。
そして森田は素人の絵描きを買収して贋作を描いてもらい、
また作戦の途中で出会った川田という同じようなチンピラに本物そっくりの贋作を仕入れてもらいます。
マンションの一角にこれに本物を加えた3作品を並べ、画商と待ち合わせることに。
一方、万が一にも4億円を失えない画商は先に現場へ忍び込んで本物にマークをつけ、
絵描きも買収して本物の位置を教えるように指示します。
ところがいざ本番になると現場は暗くて絵画の比較は困難。しかもうち1作品は布がかかっていて視認不可能に。
そして森田は「画商は絵画から5メートル離れてなければならず、
もし近づきたいなら1センチ100万円支払えば近づいてもよい」という追加ルールを説明します。
「ただ見比べるだけなら我々があまりにも不利」と正当化する森田に対して、
「後から聞いてもいない条件が出てくるようでは話にならない」と勝負から降りようとする画商。
はたから見ればどう考えても画商の方に理があると思うのですが、
しかし森田の煽りに乗る流れでなんやかんやで追加ルールをそのまま承諾する流れになり、
なんやかんやで画商は3億5千万円分の距離(と光源)を課金して負けます。
そして半ば強奪気味に4億円を奪い去るわけですが、興味深いのはここから。
その後、森田と一緒に行動していた川田との間に考え方の違いがあることが2回描写されます。
まず画商のその後の処遇について。最初に森田と川田が再会した際、
川田は「実はあの後画商に5千万円を5日1割複利で貸してやった」と吐露します。
この暴利ならわずか3ヶ月であいつの全財産は俺のもの……とほくそ笑む川田に対して、
「刺されるぞ貴様!」と激昂する森田。いやいやあなたも4億円奪っている当事者ですけど。
また川田は食品メーカーに毒を混入させた(?)ことで株の空売りで大儲けするわけですが、
森田はそれを知るや怒りに任せて川田をぶん殴ります。
しかし川田はなぜお前が正しく俺だけが悪いと決めつけられるのか、と反論します。
「正しさとはすなわち都合だ。それを振りかざすやつはそいつの都合を声高に主張しているだけだ」
と、食中毒による犠牲が出たかもしれないそのやり方を正当化します。
他人の痛みは知ったこっちゃない、世の中実利(カネ)がすべてだというのは
カイジシリーズで兵藤会長も言っていたことに通じます。
このことから、森田は他人に一方的に実害を与えるようなやり方は道義的に許されないが、
例外として相手がルール違反をしている場合はこちらはどんな手段で相手から実利を奪ってもよい、
という価値観があると考えることができます。
これは地下チンチロ編や17歩編でも同じようなことが言えるでしょう。
そして歴代主人公たちはいつも、身の丈を超えたカネの前で完全な実利主義になりきれずに悩んでいる。
信頼関係のように、実利をも越えたものがこの世の中にはあるのではなかろうか……と。
カイジはその悩みの中で何度も煮湯を飲まされていますが、
信頼関係において最後の拠り所だった45組に裏切られることで完全な実利主義者として覚醒したように見えます。
(17歩編以降は読んでいないのでその後どうなったのかは分かりませんが……)
食品メーカーに毒を混入させるのはアウトで、画商を騙して4億円ゲットするのはセーフ……
みたいな線引きは現実では立法府のお仕事であり、つまるところ政治参加によって社会が決めることです。
「やむをえない場合は人殺しもOK!」なんていうルールにしたら生活どころではなくなってしまうので、
そういうものを法律によって縛ることで社会を成り立たせているわけですね。
あくまで「社会が決めること」であるというのがポイントです。
つまり、現実でも個人が他人の正しさに対して云々する権利は無い。他人事であればなおさらそうです。
まあ立法が間に合わないケースもあり当然一概には言えませんが。
現代社会においてチンピラみたいな生き方はもうかなり時代遅れだと言わざるを得ないし、
現実には実利を目指す詐欺でクチに糊して生きていけるほど世の中甘くない……
というのが大衆の共通認識だと思います。
一方でSNSで失言やスキャンダルを完膚なきまで追い詰めて無益の正義に酔っている人は大勢いて、
それが森田の考えにも通じる、いわゆる「現代のチンピラ」なのではないかと思う今日この頃です。
作中で銀王が言っていたセリフは彼らの多くに刺さるのではないでしょうか。
善悪や道徳は無能な人間の最後のよりどころ
(福本伸行『銀と金』3巻)
善悪って何? 道徳は何のためにあるんだっけ?
社会における個人の在り方を根本から問い直す鋭い言葉だと思います。
ここでいう「無能な人間」は実利主義の視点から言っているので否定的に聞こえますが、
現代の価値観だとやや違った印象を受けます。
何が「正しい」のかどうかはわかりませんが、福本作品を起点に正義について考えるのは結構面白そう。