なぜTwitterは不自由なのか
自分は2018年以降、一貫して「アンチTwitter」の立場を取っています。
とはいえまだまだ世間におけるSNSの主流はTwitterなので使わざるを得ないところがありますが、
自分は少なくともメイン活動に紐づいたアカウントで投稿する内容は意図的にかなり絞り込んでおり、
代わりにDiscordでの活動量を意図的に増やしています。
アンチTwitterであることは何年も前から表明していますが、
そういえばなぜアンチなのか、Twitterの何がダメなのかはあまり具体的に明文化してこなかった気がします。
なので、今更ではありますがここでその思想について軽く整理しておこうと思います。
自分がTwitterを嫌いな理由は、次の1点に集約されます。
すなわち、Twitterにおける自由性は、その個人のネームバリューや道徳観念の強さに逆相関すると考えているからです。
道徳観念とは、ここでは「自分はモラルをちゃんと守りたい」「他人に対して誠実に対応したい」
などという気持ちがしっかりあるということ、またはその程度を指します。
またネームバリューとは、そのハンドルネームに紐づけられた諸活動の実績を指します。
道徳観がしっかりしている人やハンドルネームに紐づけられたキャリアがちゃんとある人は、
Twitterでアンチモラルなことやノンデリカシーな発言はできません。
なぜならそういった発言は道徳観に反したり、個人としての発信力を毀損したりするものだからです。
これは著名人や企業の公式アカウントはもちろん、
ネットで真っ当に活動している多くの個人が当てはまります。
そういう人同士のSNSはとても快適で実りある交流になりうるでしょう。
しかし、実際にはTwitterにはそれに当てはまらない人というのが非常に多く潜んでいます。
つまり真っ当な道徳観を備えておらず、個人としての実績が皆無なため何を発言しても失うものがないような人。
いわゆる「無敵の人」ですね。
彼らは他人に痛みを与えるようなノンデリ発言をしても痛くも痒くもありません。
発言に責任が伴わないので、他者を不快にするようないかにも配慮にかけたような投稿も簡単にできる。
まずここにそれぞれ発言できる内容にかなりの差がある。
「まともな」人ほど、その範囲は狭いと言わざるを得ません。このいびつな不平等性は本当に気持ち悪いと思う。
そして厄介なのは、Twitterはサブアカを簡単に作ることができるため、
その人そのものはまともでも鬱憤を晴らすために「無敵の人なりきりアカウント」を作ることが可能なことです。
企業や有名人に攻撃しているアカウントはこうしたいわゆる裏アカも少なくないのではないでしょうか。
また、Twitterでコミュニティを作ってしまうと、コミュニティに入ってきた人はみんなでフォローします。
ここで新しい人がノンデリだからとフォローしないという行動を取ってしまうと、
コミュニティはその人を共有の仲間としてTLで言及しているときに自分だけ仲間はずれのようになってしまう。
なのでコミュニティが形成されると、しばしばフォロー関係には主体性を超えた一定の束縛が発生します。
ここでも道徳に対して実直な人ほど不自由な思いをし、
ノンデリで空気の読めない病気の人ほど自由にフォローしたりブロックしたりするという不平等性がある。
結果、自分自身は道徳観念やネームバリューに忠実に健全な投稿しかできないのに対して、
タイムラインにはそういったものとは無縁の無敵の人たちがノンデリ発言を繰り返し、
しかも軽々にはそれらをリジェクトできないというような息苦しい空間ができあがることになります。
これは本当にストレスのかかることで、自分が2018年に心療内科に通うようになった原因のひとつでもあり、
2018〜2022年の5年間、コミュニティで迷走し続けた諸悪の根源でもあると思っています。
だから某界隈がボイチャ中心になったことは、自分にとってはものすごい追い風でした。
これら不平等に対する唯一の対応策はミュートで、自分は2022年ごろからミュートをかなり容赦無く活用してきました。
しかし、結局のところ他所ではきわめて良識的な人もTwitterではノンデリな発言をする人など、
単純な線引きで切り分けられる問題ではなく、完全な解決は見ていません。
コミュニティ内にTwitterをある種の心のゴミ箱として運用する人がいなくならないかぎりは、
そのゴミを引き受けるストレスを抱えるリスクというのはゼロにならないんじゃないかと思う次第です。
年の瀬になると「来年からのTwitterの運用は変えるべきか否か」というような思いに至りますが、
基本的にはミュートは遠慮なく、自分の投稿は厳選するという方針は変えないのが妥当かなと思っています。
一方で、サブアカも浄化が進んでほとんど旧メインアカみたいな運用になってきた今年を踏まえると、
旧メインアカのいいね欄は承認を配るための枠として使ってしまってもいいのかなとも思っています。
どういうことかというと、旧メインアカはいわゆるおすすめタイムラインに流れてくるような、
万バズしている本当に有用な投稿のみを厳選して「いいね」するというスタンスだったんですね。
「いいね」の機能をそのためだけに使っているので、
相互フォローしている人の前向きな投稿に「いいね」で反応してあげる、といった使い方はしてきませんでした。
しかし昨今、おすすめタイムラインの内容はサブアカもほぼ同じような健全な内容の万バズ投稿になってきたので、
万バズをいいねするのはサブアカに任せるという運用が可能になりました。
これなら、メインアカの「いいね」機能は相互フォローしている人に承認を配るために使ってもいいのではないかと。
それが他者の活動促進の火種になってくれればと思っています。
これは「利己よりも利他」という2025年に見出した思想を実践する一歩にもなりそう。
もちろん、利他活動が大事だからといってノンデリな人に「いいね」するような不条理な行動はしません。
そこはあくまでも実績主義でいいのかなと考えているし、
そういう差別化をすることで自分の承認行為に箔がつくのかなと考えています。