好奇心依存
いま、自分は安易な理想化を戒めるというスタンスにいると思っています。
何か新しいコンテンツや技術に対して過度に期待しすぎないようにしようと。
なぜなら、その「過度な期待」はほとんどが妄想で構成されていて、
実際に対象物に着手した途端に霧散してしまうことがほとんどだからです。
しかし一方で、そういう心の動きが好奇心を行動に変換していたのではないかと思う節もあります。
最初に大きく上振れる期待感があってこそ新しい何かに興味を持てるのではないかと。
実際、理想化を戒めるという意識が芽生えてからは好奇心が減衰してしまったような気がします。
かつては2週間ごとに興味関心が移り変わるという自覚がありましたが、
ここ数ヶ月はそういうこともなくなって単に時間を持て余すようになってしまった。
これは非常に危険な兆候です。
自分は強い好奇心や発想があってこそさまざまな活動を推進してこれたと思っている側面が強いので、
その根本とも言えるエネルギーが衰退してしまったら何もできなくなってしまうでしょう。
過度な期待は戒められるべきかもしれませんが、
かといって物事に対して「何も期待しない」のも良くないということです。
物事が進展しないと毎日が同じような日々の繰り返しのように感じられ、未来に希望を持てなくなる。
それを防ぐためには少しでも物事を進展させて昨日との差分を作るのが大事なわけですが、
好奇心が衰退してくると必然的に行動力も衰退して、進展を生むのが難しくなるように感じます。
実際、いまは最低評価の01月を終えてゴールド先物のポジションのみ持ち越し、
これさえ解消すればなんでも自由に活動できるというところまではきていますが、
まあポジションのせいもあるものの02月に入ってもなお多方面の活動が停滞してしまっています。
一度停滞すると再開するのにそれなりにエネルギーが要り、
いまはそれを捻出することができない状態に陥ってしまっています。
こういう状態に陥って改めて思うのは、こうなったときの脱出方法をちゃんと確立しておかないと、
もっと歳を取ったときにさらに脱出が難しくなるんじゃないかという懸念です。
これまでの経験から言って、具体的な脱出方法はまず生理的欲求(食事、睡眠など)は過不足なく満たしておき、
なおかつ人間関係と金銭関係の心配事を無くす。
いまは先物取引のポジションを開けていることが金銭関係の心配事に該当するので
これのせいで活動が停滞しているという言い訳は成り立ちますが、
果たして本当にそれだけが原因なんだろうか。
少なくとも言えるのは、自分はその「間の悪さ」によってやりたいこととやっていることが噛み合わないことが多々あり、
それは昔からそうですがいまも大して改善していないということです。
2026年のスタートダッシュを決めるチャンスの時期に仮想通貨に手を出すとか。
そしてその結果ブログを溜め込んでさまざまな活動のモチベーションが冷え込むとか。
この間の悪さについてはまだしっかり言語化できていませんが、
簡単に言うと短期展望に基づいてしか行動できないので長期計画に対して合理的な行動が取れない、
ということだと思っています。
まぁでもそれだけでなく、さまざまな要因が雁字搦めになってそうではありますが。
物事に興味を持ち、活動し、自分の糧にするという「素直な」プロセスを実行できないと、
やはりどこかで行き詰まるのではないかと思っています。
そしてその意味での素直さを実践するためには、物事への期待をほどほどにするというバランス感覚然り、
短期展望だけですべてを判断しない長期目線の判断力然り、
あたかも投資家のようなスキルが必要なのではないかと改めて思うわけです。