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#7991

入手困難なアルバム

現時点で自分が所持している1023枚のアルバム(EP、シングル含む。Apple Musicもカウント)のうち、
330枚がエレクトロニカというジャンルに属しています。
このうちダウンロード購入やApple Musicのダウンロードで入手した音源を調査して、
CDが存在する音源についてはCDが入手可能かどうかについて全件調べてみました。
その結果、ほとんどはAmazon(新品、マケプレ、中古)、Bandcampで手に入り、
それらでは在庫が無いもののうちいくつかについてはメルカリで出品されていました。
公式にCDとして販売しているもののうち、Amazon、Bandcamp、メルカリのいずれでも見つからなかった音源は19枚。
このうち3枚は海外フリマサイトeBayで見つけましたが、他16枚はeBayでも見つけられていません。
ただ、音源データベースサイト「Discogs」では音源の売買もサポートされているようで、
もしかしたらこれら16枚のうち何枚かはDiscogsでは取り扱っているかも。


明後日、3連休の最後に久々に渋谷へ行き新譜探しのついでに中古CDショップを回って、
これら16枚+eBayにしかない3枚がないかどうかチェックしてみようと思っています。
オンラインに無いものでも日本最大級の中古CDショップを何軒か回ればワンチャン1枚くらい出てもおかしくないはず。
まぁ、いわば宝探しみたいなものですね。
19枚というと探す対象としては多いですが、逆に言えば330枚のうち19枚しか対象になっていないということ。
数十枚レベルで出てきたらフィジカルコレクションも早々に諦めるつもりでしたが、
19枚というのは絶妙にちょっと頑張ってみようかなと思わせる数字です。


ちなみにこの19枚は端的にいうと「CDを出してはいるが2025年現在出回っていないアルバム」ということですが、
12kというレーベルが特に該当しやすい傾向にあるようです。
「12k」とはアンビエント・ミュージックの大御所とも言えるTaylor Deupreeが主宰するレーベルで、
アンビエント、ノイズ、ドローン、グリッチといった静かめスタイルのエレクトロニカを多く世に出しています。
イマドキの言葉でいえばとてもチルい音楽を集めたレーベル。
ここはCDジャケットもオシャレで確か紙ジャケでほぼ統一されていたと思います。
自分も何枚か持っていますが、どれも所有欲を十分に満たしてくれる味わい深さがありますね。
しかし、だからなのか中古市場には全然出回っていません。
紙ジャケの質感が良くて手放したくない人が多いから中古市場に出てこないのか、
そもそもプレス数が相当少なくて新品含めて世に出回っている数が少ないのか……。


12kのアルバム自体はたまにメルカリに出てきてはいるみたいなので、
これから長い目でチェックし続ければいずれチャンスは来そうな気はします。
時世から言って廃れてきているCDの再販はあまり期待できないので入手チャンスは逃したくないですね。
現時点ではまだ考えられませんが、今後iTunes Storeのサービス終了だとか、
Apple Musicは継続してもレーベルが倒産して特定音源の配信が終了、というケースもあり得ると思うので、
本当に好きな音源はフィジカルでも揃えておくに越したことはないと思っています。
まぁ、本当にそう思うなら10年前から行動すべきだったのでしょうけど。


#7992

怠惰と戦うという意識

今週、何気にポテンシャルの高い一週間でした。
予定していた音楽アルバムのフィジカル在庫確認作業はしっかり最後までできたし、
それどころか余力で全アルバムのレーベル名整理までできた。
また平日は出社日を除いていずれの日もweb開発系作業が着実に進んでいるというのも非常に大きいです。
この作業は着手するための心理的ハードルがかなり高く、
これまでは週1回ちょっと進んだら上出来でした。しかし、どうやらひとつハードルを乗り越えられた感がある。


こうやってハードルを乗り越えてみてやはり感じるのは目標設定の大切さもそうですが、
いかに前回から時間を空けないかというのが大事かということを痛感します。
昨日着手して途中のものは、今日ならかなり着手しやすいんですよね。
これを、今日放置して「明日でいいか」と思って明日を迎えるとめちゃくちゃ着手ハードルが上がっている。
一度時間を開けると、何をやっていたのかを思い出したり状況を整理したりすることに大きなリソースが食われ、
その段階で「面倒臭いなぁ……」と思ってしまうからなんでしょう。
昨日細部まで着手していてその記憶がまだ新鮮であれば、思い出すためにリソースを消費する必要がない。
これは読書なんかでもよくあることです。だから読書は短期集中でやるべきなんですよね。
このことは近年何度も気づき直していることですが、なかなか活動に組み込めていない感があります。


あと、タスク(目標)設定において、達成できて当たり前と思える設定に意味は無いと改めて思います。
先述の「ひとつハードルを乗り越えられた」という実感は、
頑張らなかったらできなかったであろうことを実現できたという実感です。
その実感を得るためにはやはりどこかで「面倒臭いなぁ……」という感情を打破する必要があり、
つまり本質的にはタスクは面倒臭いものであるべきなんですよね。
面倒くさくないようなタスクを羅列して完了チェックをしたところで、なんの意味もない。


自分の計画管理はその意味での「目標」と、牛乳を買いに行くといったような「リマインド」が混在していて、
得てして不調なときは後者ばかりになりがちです。
ただ、今回好調な感覚を取り戻してここには「目標」を入れてもいいんだということを改めて思い出しました。
そういうタスクを入れることで怠惰と戦う図式を明確にできるわけですね。


当然そこにはそれなりの心理的負担もあり、長続きしないことはわかっています。
毎回できそうでできない、でも少し頑張ればできるかもというタスクを設定するのはきわめて難しい。
ただ、近年の自分は「怠惰と戦う」という意識があまりにも抜け落ちていて自分に優しすぎた観があり、
だからこそ保守的になりすぎて本当に必要最低限のことしかできていないという感じがするので、
この辺は今後意識改革の必要があるんじゃないかなと思っています。


#7993

神保町のカレーと渋谷の音楽

元同僚とひょんなことからカレーの話になり、一緒に神保町にあるカレー屋へ行くことになりました。
最初に行ったのは「ボンディ」というお店。
同僚が言うにはとにかくおいしくて、神保町で初めてカレーを食べるならここに行くのが堅いとのこと。
カレーと古本の街の名店はどんなものかと期待して行ったのですが、まさかの超行列。
14時に集まってから行くのでピークは過ぎているだろうと思っていましたが、そんなことはありませんでした。
ネットで評判を検索しても、「とにかくいつ行っても並んでいる」とのこと。


迷ったあげく、近くにある「ガヴィアル」というカレー屋に行くことにしました。
こちらも行列はありましたが30分待ち程度でした。
「ボンディ」も「ガヴィアル」もテイストは似ていて、
長方形の陶器に入ったライスにソースボートに入ったルーをすくってかけて食べるというスタイル。
あとはホクホクのジャガイモが2つ付いてくるのが独特です。
自分はポーク、チキン、ビーフ全部入った「ミートカレー」というのを注文したのですが、
ソースボートでは入らないからか特性のポットにルーが入ったものが登場しました。
そしてその一口目の衝撃たるや。あ、久々に「カレー」を食べたなという感じ。
まったりとしたコクですが、少し遅れてピリッとした辛さが来ます。
あまりにもおいしいので同僚よりも3倍近く早く食べ終わってしまいました。


カレー屋を退店したあと、少し腹休めに話しながら遠回りに歩いて駅で解散。
自分はそのまま半蔵門線で渋谷に向かい、先日整理した未所持CDが中古ショップにないか確認しに行きました。
とりあえずは音楽目当てで渋谷に来たならタワーレコードは行っておこうと思いタワレコへ。
エレクトロニカ・アンビエントの音楽群は新たに「エレクトロニック・ミュージック」という括りになっていました。
最近出たSquarepusherのリイシューなど、Apple Musicで見かける新譜は抑えられている印象。
ただ、自分が探している12kなどのマイナーレーベルはほぼ全滅でした。
まぁ、さすがに新品での入手は難しいと思っていたので特に落胆もありませんでした。
ちなみにタワレコは1フロアが丸々レコード専門になるなど、アナログレコードの盛況っぷりがすごかったですね。
しかもかなりのお客さんが入っているという。カセットテープコーナーもありました。


次にその足でディスクユニオンに向かいましたが、こちらも特に収穫はなし。
中古販売ならそれなりに期待できるかと思いましたが、そもそも電子音楽CDの取り扱いがかなり少ない。
そしてここでも市場のメインはアナログレコードでした。
むしろ自分以外のお客さんはみんなアナログレコードコーナーにしか興味なさそうな気配。
CDってここまで衰退していたのかという驚きです。
いや、むしろアナログレコードが躍進したと言った方が適切なんだろうか……?


中古CDショップは新宿や下北沢にもそれなりの規模のお店があるようですが、今回は行きませんでした。
定期的に足を運んで目当てのCDが入荷していないかチェックする宝探しのつもりでしたが、
ディスクユニオン程度の規模だとさすがに宝探しをするには不毛すぎるかなと。
新宿や下北沢もいずれは行くと思いますが、まずはあくまでも規模のチェックということになりそう。
そして一番電子音楽の取り扱いが多い店舗に定期的に行く、というのが現実的な線でしょうか。
どちらかというと、本腰入れて揃えたいならネットのチカラを駆使する方が良さそうではある。


CDショップでは収穫はありませんでしたが、カレーはおいしかったので良しとします。


#7994

メモリ高騰

12代目メインスマホの機種変の優先度はできればiPhone Fold(折りたたみiPhone)が最優先で、
それが微妙そうならiPhone Airにするのが妥当だと思っていました。
一時期、もう現行機は5年使っているのだから何はともあれ今年中に機種変したいという気持ちもありましたが、
Foldに対する気持ちを考慮するとここで急いで機種変したら後悔する可能性が大いにありそう。
ということで落ち着いてFoldに関する情報が出てくるのを待っているという状況です。
となると冬のボーナスで使う予定だった20万円が宙に浮くので、
機種変が最速でも1年後なら先にPCの買い替えをしてもいいのではないかと若干調べていました。


現在、PCはメインがMacbook Proでこれはなんだかんだでもうすぐ丸4年ですが、
当時にして最上級のスペックを選んだだけあってまだまだ現役で頑張れそうです。
一方、サブはWindows 10のデスクトップPCで購入は2014年。
CPUは「Intel Core i7-4770」、GPUは「NVIDIA GeForce GTX 1050」、メモリは16GBという構成です。
これでもグラボは一度換装していてグレードアップを図っています。
これ以上のグレードは消費電力の都合上難しいのが現状。
また換装できないCPUの都合でWindows 11にアップデートすることができないため、
延長サポートが切れる2026年10月以降はセキュリティ面で脆弱性を抱える運命にあります。


PCも買い替える、買い替えると言い続けて買ってこなかった筆頭のガジェットですが、
基本的に普段使いする分にはMacbookで十分という実情もあり、
サブ機にお金を使いたくないという心理的抵抗感がかなり強くありました。
なので引き延ばせるだけ引き延ばそうとしてきたというわけです。
延長サポートが無ければ今年買い換えざるを得なかったのですが、現状はまだもう少し猶予があります。
しかし、いずれにしろ1年以内に買うならいつ買っても変わらないじゃないかという話でもあるわけで。


Windowsにしか担えない役割は皆無ではなく、
Discordでイベントを開くときなどに自分が配信するためのメイン機の配信とは別に、
スコアボードなどを表示するための配信端末が必要になることがあります。
そのときサブ機で録画もできると便利なのですが現状はスペック不足でできないので、これができるようになると助かる。
また、将来的にRTAを走るならWindows一択です。AutoSplitのような補助ツールはmacOSに対応していないので。
ゲームコミュニティ周りでは何気にWindows機のニーズがあったりするんですよね。


配信を念頭に置いたPC選びでは、まぁマルチスレッド対応の方が良いというくらいでつよつよスペックは要りません。
ビデオエンコードを自前でやるならCPU・GPU性能が良いに越したことはないと思いますが、
最近はYouTubeにソースのままアップロードしてクラウドにエンコードしてもらうのが主流のため、
特にこちらでビデオエンコードについて考慮する必要もありません。
かつて、「Windowsを買うならAI生成を念頭に置いたスペックにしたい」などという構想もありましたが、
DALL-Eの登場でそれもクラウドで完結するようになってしまいました。
こう考えると、自前でハイスペックなPCを組む必要性というのはかなり薄くなったと言えるかもしれません。


ミドルスペックなら15万円程度で買えるので前向きに検討していたのですが、
そこへ突然AI需要によってNANDが不足しメモリが高騰しているとの報道 が。
特に最新のDDR5は先月初頭の2倍程度の価格になっており、PCの買い替えタイミングとしては最悪ということに……。
年内の買い替えはやめて供給が安定するタイミングを見計らうのが妥当だと思っていますが、
来年秋までに供給が安定する保証も無く、PC買い替えは完全に機会を損失してしまった感があります。
だから今年早々に買い換えれば良かったのに……。


とはいえ超高騰しているのはいまのところメモリとSSDくらいのため、
「イチから組んでメモリだけは当面現行のものを流用する」というプランなら
価格下落を待つ必要もなくむしろメモリの分の価格を抑えられるため一石二鳥かも?
一番の問題は、需要の薄いサブ機なので自分で組むモチベーションが皆無ということです。


とまぁ、思っていたよりややこしいPC買い替えですが、延長サポートの期限が変わることはないと思うので、
今後1年以内にどこかで決心するタイミングはあるんじゃないかと思っています。


#7995

新作への不信

2020年から長く続く、当時の同僚との週一回のゲーム会。
スマブラSPで対戦するところから始まり『Apex Legends』の時代が長く続き、
それも限界を迎えたあとはマルチプレイできるタイトルをいくつも試してきました。
しかしかろうじて続いたのは『Minecraft』くらいで
両者のゲームに対する熱意のギャップから徐々に行き詰まりを感じるようになり、
2023年末からはどちらかがプレイしてもう一人は見るだけというスタイルが確立。
同僚と比べるとゲームへの熱意が圧倒的に弱い自分は見る専としてのポジションに甘んじるようになりました。


いまは『ニーア オートマタ』というタイトルのハードモードをプレイしてもらって鑑賞していますが、
たまには自分にもプレイしてほしいという同僚の要望もあり、
Switch 2購入後は『マリオカートワールド』に始まりいくつかのタイトルをプレイしてきました。
が、ことごとく続かない。これのためだけに買った『ペーパーマリオRPG』も途中でリタイアしてしまいました。
見ているだけの同僚よりも先にプレイしている自分が退屈でやめたくなるという状況に陥ってしまいます。


たまに、この状況を打破するようなタイトルはないものかと真剣に議論するのですが、答えは出ていません。
今度『カービィのエアライダー』も買いますが、これも答えではないような気はしています。
単に新作を買えば無難に楽しめるわけではないらしい、というのが共通の認識。
同僚は「過去に逃してきた未プレイの注目作品なら楽しめるんじゃ?」と言います。
つまりイマドキのタイトルはイマドキの世代向けに作られているわけで、
我々のような枯れたゲーマー向けに作られているわけではない。
であれば、我々にとっての黄金世代に発売されたいわゆるレトロゲームであればハマれるのではないかと。


自分にとって「黄金世代」は思春期前期に被るという意味ではスーファミ、ゲームボーイ、PS1ですが、
ゲーマーとしてのピークという意味での黄金世代はWii、NDSとなります。
ただ、これらのプラットフォームの未プレイゲームに心がときめくかと言われると……うーん。
確かに以前、Analogue Pocketをきっかけにレトロゲームへの興味が起きたことがありましたが、
具体的にめちゃくちゃやりたいタイトルがあるかと言われると、結局無いんですよね。


希望があるとしたら、過去に自分がプレイしてハマったことのあるゲームを再びやるという方向性。
『Minecraft』は過去作を引っ張り出して成功した唯一の事例ですが、
これは自分が過去にハマったことがあるからというのも大きいと思います。
そういう意味でもかなり堅い選択肢のように思える。
ただ、これの難点は弾が少ないことです。
自分は自称ゲーマーで思春期はゲーム以外の活動がほとんど疎かになっていましたが、
それでもなお、めちゃくちゃハマったと本音から言えるタイトルはそう多くはありません。
ここへさらに「配信映えしないといけない」という縛りが加わるため、選択肢はさらに狭まってしまいます。
たとえばテトリスシリーズのようなゲームは個人的にやる分には面白いものの、
誰かに見てもらうととなるとあまりにも地味すぎる上に集中力が必要なので会話が続きません。
そして自分が思春期にやってきたゲームというのはそういうものばかりなんですよね。
『Minecraft』だけは配信映えもするしマルチプレイもできるので本当にうってつけだったものの、
これに匹敵するタイトルが他にあるかと言われると、かなり厳しいのが現実です。


この件で自分にはゲーム実況センスが無いことも判明しました。
任意のタイトルをプレイして視聴者(=同僚)を楽しませるようなことはなかなかできない。
かなりの知識量やトークスキルが必要なのではないかという実感です。
ニーズを一切無視していいなら『No Man's Sky』を積んでいるのでこれをやりたい気持ちはあるのですが、
この地味なゲームを観るだけで楽しませるというのは至難のように思います。
まぁ、雑談の視覚的な余興としてやる分には適しているのかもしれませんが。


とにかく、新作ゲームを買えば無条件で楽しめるというのは幻想にすぎないということが分かりました。
ここまで考えてきたことを総合すると、それよりもマイクラに回帰した方がまだ有望なのかもしれない。
『カービィのエアライダー』は個人的に楽しむために買う、と割り切った方が良さそうです。
にしても、自分がここまで素直にゲームを楽しめなくなってしまったことに、
自分自身がたぶん一番失望しています。


#7996

三倍到達

今日の出来事暗号資産

09月下旬に5万円だけ入れて少額取引をしてきた仮想通貨ですが、
持っているアルトコイン現物の高騰によって取引していないのに資産が増え続け、目標の15万円に到達しました。
ただし、15万円のうちステーブルコインは12万円ちょいなので、
取引用の純資産が本当の目標である1000ドルに到達するためにはもう少し取引で勝つ必要があります。


元金の3倍というのはかなり順調な部類だと思っています。
いつもなら1000ドル(≒15万円)からスタートしているので、もし今回もそうしていたら45万円ですからね。
今回は徹底したローリスクで小銭を拾うという戦略によってここまで来ているので、
そのままスケールを3倍にした状況と単純比較することはできませんが、
勝ち負けで言えば勝ち続けているというのは事実です。
もちろん、コツコツ勝ってドカンと負けるのが素人のありがちな敗北ルートというのもよく知っているので、
これからはいかにして膨らんだリスクを抑え続けて継続できるかをよく吟味する必要はありますが。


ようやくアルトコインも好調になってきたこのタイミングで撤退する理由は無いので、
今後もちょいちょいやって15万円からさらに2倍を目指したいと思います。
アルトコインに関してはこれを今度こそ積み立ての起点にしたいという気持ちがあります。
ただ一方で、例のBybit撤退可能性の件もあるので「日本円にしてパーっと使ってしまおうプラン」も少し考えました。
が、悲しいことにさっぱり良いアイデアが思いつかない。
旅行みたいな消費行動はどれも心が動かないし、
数万円レベルなら欲しいものはいくつかあるものの、いま必要かと言われるとそういうわけでもない。
物欲が冷えてしまっているのもあって、値段相応に満足できる自信が無いわけです。
ゲームや本やCDの大人買いなんかはやってみたいという気持ちはありますが、
「買うことそのもの」が目的であり終着点なわけで買ったものを楽しむかと言われると微妙なんですよね。
ちょっと良い椅子や財布など、実用性のある家具やアイテムならまぁアリなのかもしれない。


「お金を持っているのにそれ相応の消費活動ができない」というのは実はかなり不幸なことだと思います。
お金を使う喜びがどのように育まれるのか、そのロジックはよくわかっていませんが、
何歳になってもワクワクするような消費活動をしていきたいというのは最近改めて思うところです。


#7997

抽象的な業務への志向

昨日の夜に自社の営業担当と、今日の午前中に現場の上司と立て続けに面談を行いました。
まず営業部は、現状の業界を鑑みると特定のプログラミング言語だけを武器にやっていくのは難しく、
より「抽象度の高い」要件であれば椅子が空いていることもあるとのことでした。
そのひとつにうちの会社がいま取引を拡大しようとしているある会社があり、
自分にはゆくゆくはそこに入ってほしいとのこと。


実はその会社は自分が2021年にお世話になっていた会社で、
そこで得た経験というのは少なくとも他の現場よりはかなり良好なものでした。
そういうイメージの良さもあり、今回の話はかなり前向きに捉えています。
ただし、やや忙しいプロジェクトらしいのでついていけるかどうかは若干不安なところだし、
わざわざ忙しいところへ行くメリットを見出せるかどうかという問題になりそうです。


現場上司とは「ここで今後やりたいことはある?」というような話になりました。
開発ができるなら開発をしたいが、システムエンジニアとして上流工程にも触れておきたいというような話をしました。
ここは内部向けの開発プロジェクトとあっていろいろと融通は効くので、
そういう環境を活かして学べることは学んでおきたい……というような意向を伝えました。


webエンジニアに転向して今年で6年目となりますが、ずいぶんと状況も変わりました。
転職当初はいかにして開発スキルを高めるかというところだけ考えていたように思います。
しかし現実は「開発」というのはいくつもある工程のうち1つでしかなく、
それだけを専門にして食っていくのはあまりにも厳しい。
当初の自分は「webエンジニアなのにプログラミングができないなんてそんなおかしな話があるか」
と憤ったものですが、そうこうしているうちにAIの台頭によってプログラムは人間が書くものですらなくなり、
ここ1〜2年でようやく観念して他の工程にも目を向けるようになりました。


いまぼんやりと考えているのは「45歳までに管理職としてのスキルを備える」というもので、
そのためにいまの現場はさまざまな工程を学ぶのに適した環境であるのは確かです。
この環境でシステム開発とはなんたるかを包括的に知った上で、
2021年にお世話になった会社へ行って責任ある仕事に従事するというのが現状考えうるキャリアプランです。
ただ、問題は圧倒的に熱意が足りていない。どうやって自分に鞭を打つかを考えなくてはなりません。
もしモチベがあったら資格を取ろうという話にもなってくると思うのですが、
現状ではとても資格の勉強が続く気がしません。


とりあえずいまの現場は年度末まで続くことになりました。
このぬるま湯にいつまで浸かっていていいのだろうかというような焦りもぼんやりとありますが、
ここがやり甲斐のある仕事場になってくれるに越したことはありません。
上司が変わってからその方面で徐々に進み始めているのは確かなので、
2023年以来のモチベ低下もいつか大底を打つ日が来ればなという思いです。


#7998

炎上中毒

ゲーム系ブロガーで重度のふとももフェチの「ゲムぼく。」さんが、
自らを誹謗中傷してきた相手にアンケートを実施する という自傷的な企画を旧Twitterで発表していました。
サンプル数がかなり少ないのが微妙なところですが、
結果として誹謗中傷する人の属性は誹謗中傷が悪いことだということを十分に知ったうえで、
自らが誹謗中傷を受けたことがある人が多数派ということが判明。
また、SNS上の誹謗中傷は「その投稿が本人に届くかどうか」は誹謗中傷した人はさして意識しておらず、
それどころか「相手を傷つけたい」という意識さえも曖昧だということがわかりました。
一言で言えば、それは実は「明確な悪意」があるわけではない、ということです。


さて、はあちゃまの精神崩壊(#07988 / 2025年10月29日)以降ガタガタのホロライブですが、
今度は長時間配信をすることで定評のあるVTuber、「博衣こより」が炎上しました。
こよりさんはいろんなゲームを長時間配信する根っからのゲーム好きとして知られるVTuberですが、
それに対してある一般ユーザーが
「(ファイナルファンタジータクティクスなどの)RPGのストーリーは上っ面の理解だけで進めているな」
というような見解を投稿したところ、それをエゴサしていたのであろうこよりさんが発見
(VTuberタレントは自分に言及しているファンにリプライを送るファンサも行っているので、エゴサはその一環)。


こよりさんが「私はFFTもちゃんとストーリーをしっかり読み込んでからやってるよ! 偏見はやめてね(要約)」
という主旨のリプライを送ったところ、なんやかんやあって炎上し謝罪まで追い込まれました。
個人的には、これはもういわゆるVTuberアンチ、ホロライブアンチがいかに頭がおかしいかが露呈しただけで、
こよりさん本人は「何も悪くない」と断言できます。
アンチ側は「ファンネルを飛ばしたのが悪い」などと言っていますが、めちゃくちゃな暴論です。
だったらインフルエンサーは自分に関して間違った情報を流布している人に指摘してはいけないのかという話になる。
それに対して「はい、そうです」というのが彼らの考え方で、有名税と言うそうです。終わってますね。


ファンネルというのはインフルエンサー本人の投稿にファンの援護が付随することを指すネット用語で、
この場合は「博衣こよりが多数ファンをけしかけて意見の異なる一般ユーザーをねじ伏せた」と解釈されるわけです。
確かに今回のようなケースはわざわざ本人の出る幕ではなかったというのは事実ですが、
偏見に満ちた投稿に対して指摘することそのものは誰にも責められるものではありません。
そもそも「偏見やめてね」は攻撃でもなんでもないわけです。
責められるとしたら本人というよりファンの行動でしょう。


自分は今回のこの件で、事実がどうであれVTuber、特に企業系のタレントが炎上する方が都合が良い人がたくさんいて、
彼らはピラニアのようにゴシップやトラブルが起きるのを口を開けて待っているのだと感じました。
サブアカでこの件をつぶやくといつもの20倍くらいのインプレッションが入るので、想像以上にピラニアの数は多いです。
社会的弱者にとっては自分が努力するよりも他人を蹴落とす方が楽で気持ちいいというのは真理だと思いますが、
誹謗中傷が少ない手間で快楽と一体感を得られる強烈な娯楽として、
もはや体に染み付いてしまった中毒者が世の中にはたくさんいるのかもしれません。
そしてVTuberという属性は、どうしても彼らのターゲットになりやすい立ち位置なのでしょう。


じゃあそんな彼らがどうしようもない「悪」なのかというと、ここで冒頭の話に戻るわけです。
実は炎上に加担している人たちは悪意があるわけではないらしいんですね。
それどころか本人に届くかどうかさえ明確に意識していないという。
要するに「炎上」という一種の娯楽を楽しんでいるにすぎないわけで、
おそらくほとんどの人はこよりさんに対して明確に「傷ついてほしい」と思っているわけではないのでしょう。
そもそもVTuberはよく炎上しますが、VTuberが一般人に実害を与えるケースというのはほぼ皆無のはず。
復讐や報復といった動機で炎上することはあり得ないわけで、
ほとんどは今回のようにちょっとした価値観の違いでしかないのでしょう。


ここまでを考慮すると、やはり諸悪の根源はSNSというシステムにあるような気がしてなりません。
イーロン・マスクが「旧Twitterは対戦型SNSだ」と言ったように、
旧Twitterのような無法地帯のプラットフォームは意見を戦わせ、誰かを殴って快楽を得るプラットフォームなのでしょう。
「人類にSNSは早過ぎた」とよく言われますが、本当にこのままでいいのでしょうか。
このまま放置してシステム改革も法整備もしなかったら、22世紀になったとき、
「21世紀の人たちはよくネットでレスバしていた」などと言われてしまうんじゃなかろうか……。


#7999

自助努力の足跡

次のエントリーで当ブログは合計記事数8000本の大台に乗せます。
「ブログ以前(出生〜中学時代)に生きてきた日数」に運営期間が追いついたのが2020年、
ちょうど6000本に乗った翌日のことだったので、それからさらに2000日の歳月を費やしたことになります。
これまで1000の倍数の記事は7本書いているわけですが、
高校時代が1本、大学時代が1本、大学院時代が1本、地方社会人時代が2本、上京以降が2本となります。
以前も書きましたが、このうち「それなりのボリュームで書けた」のは大学院時代のみであり、
あとは1000の倍数というプレッシャーに押しつぶされてしまってごく短い文章で終わっています。
さて明日の掲載分はどうなるでしょうか。


前の7000番前後(2023年02月)はブログの非公開運営を決意する直前のタイミングということもあり、
当時のエントリーを読み返すと「ここで辞めるかどうか瀬戸際」とも書いています。
2025年現在、実感としては当時よりは相対的にかなり持ち直したようには思っています。
2023年当時はブログに関しては「もうダメだろう」と半ば諦めていました。
当時の自分にとって、ブログというのは自由を束縛する古い習慣が煮詰まった過去の遺物というようなイメージ。
実際、2023年05月にWordPress上の運営に終止符を打ちそのままフェードアウトするつもりでいたわけですが、
「1日1本」という縛りさえ解ければ意外と維持できることを知り、
2024年の20周年を機に「7日7本」というルールに変更していまに至ります。
1分の1も7分の7も総量は変わらないじゃないかと思われるかもしれませんが、
「毎日締め切りがある」のと「週末にのみ締め切りがある」のはかなり大きな差があると思っています。
基本的には、7日7本ルールが許されるならブログは他の活動に大きな支障を来たすことなく継続できそう。


日記系ブログは、他人にとっては無価値でしょう。それは否定できません。
自分がもっと人として成熟すれば「誰かにとっての一助(#07759 / 2025年03月15日)」になり得るかもしれませんが、
いまのところそれを期待できるようなフェーズには入っていないという認識です。
しかし、それはそれとして自分にとって価値あるコンテンツであることは確か。
自分はいまでも、直近の記事は結構自分で読み返しています。
それ自体が、実は自分で自分を支える活動、ひいては自己肯定感を助けるのにかなり効果を発揮しているようにも思う。
体感では本当に何もやる気がない下り坂フェーズでは(読む気力自体が無いので)ブログも役に立ちませんが、
そこから立ち直ってゴールデンクロスを形成し、「何かやりたいな」と思えるようなフェーズに入ったとき、
過去の自分がブログに書いたことというのはさまざまな面で自分を援護する言葉になり得ます。


いまの自分にとっては、ブログは過去の遺物というよりは「未来への先行投資」のようなものと言えます。
1日1本相当書いているのは、要するに積み立てNISAのような感覚。
日記というのは今日という日を大切にするために書くものというようなイメージがありますが、
自分の場合はその境地からはもう半分抜け出して、
将来にわたって自分自身を支えるために教訓や反省などを書き残すためのプラットフォーム、
という趣に変化したように思います。
であればこそ、今度こそ道半ばでこれを辞める理由はありません。


あと2001日で、記事総数は5桁に到達します。
さすがにブログ開設当初はそこまで続くとはまったく想定していませんでしたが、
ここまで来れたらもう現実になるだろうなという気がしています。
そういう未来のために書いているという意識もまた、書き続けるという活動の一助になるのかもしれません。
いずれにしろこのバランス感覚を大事にしながら今後も継続していきたいところです。


#8000

Instrumental VIII

見渡す限り、透き通った水晶の湖が広がっていた。
表層は何か透明の鉱物のようなものでできていて硬い。
少し深いところは水が充満しているようで、水流のゆらぎが水底にあるものを歪ませていた。
湖の底には巨大なビルが立ち並んだ大都市が沈んでいる。そこは魚の1匹さえも見当たらなかったが、
ときおり浮かび上がる気泡がなぜか生命の存在を予感させた。


私の背後には木製のドアだけがぽつんと水晶の湖の上に立って、夕焼けに照らされていた。
水晶の上にはドアだけでなく、私の背丈の十倍はありそうな巨大な水晶の柱が不規則に並んでいる。
私はこれらに圧倒されながらも、背後にあるドアの方角を入念に気にしながら歩き始めた。
地平線の彼方は夕焼け空と水晶の湖を分断しているが、太陽はどこにも見当たらなかった。


靴底が水晶に当たるたびに、コツンという音が辺り一面に響く。
それ以外、この世界に不要な音はほとんど鳴っていなかったが、
しかし時折吹く風はどこか異国の田舎で奏でられるような、優しくて不穏な音が鳴っているような気がした。
私は何かあったらすぐにドアへ引き返すつもりでしばらく歩くごとにドアの方角を確かめ、そしてまた淡々と直進した。
あのお姉さんの言うことは正しかったのかもしれない。
私はいま、誰かが作った世界の中を探検しているのだった。


30分くらい歩いていると、ふと右手の方角にぽつんとロッジのような建物があることに気づいた。
水晶の上に建てられ、ロッジによって作られた影は見えないくらい深くまで続いていた。
私はリュックを背負い直し、少し逡巡した。
何かあったらすぐに引き返そうと思っていたが、安全ならあの中で少し休んでいくのも悪くない。
そういえば、あのお姉さんはよほどのことがないかぎりこの世界なら危険な目に遭うことはまず無いと言っていた。
お姉さんの言を信じれば、あのロッジは単なる休憩所であり危険は無いはずだ。
「……よし」
私は意を決してロッジに向かうことにした。


ロッジはドアが空いていて中は明るく、ソファにテーブル、そしてゆったりと眠れそうなベッドがあった。
こういう施設をそこらじゅうに設置することによって、迷ってもどうにかなる仕組みになっているということなのだろう。
私はリュックを下ろし、ソファに座って一息ついた。
電波は通じないと知っていたが、不安になるのでいちおうスマホは持ってきていた。
電源はつくが、確かに圏外になっていて外との通信はできそうにない。
私はしばらく待ち受け画面を見ながらぼーっとしていた。


ふと、ロッジの入り口のそばに3段の引き出しがあることに気がついた。
私は気になって、スマホをポケットにしまって引き出しの前に立った。
1段目、何も無い。2段目にも何も無い。
しかし3段目を引くと、そこにはさまざまな大きさや形の水晶がたくさん入っていた。
外にある湖の表面を誰かが砕いてここに入れたのだろうか?
私が手を伸ばしてそのうちひとつに触れると、それは中心部から少し緑がかった藍色の光がにじんできた。
私は大小2つの水晶を手にして上着のポケットに入れ、リュックを背負って外に出た。


大きな水晶を取り出すと、また藍色の光がにじんでくる。
そして、湖に刺さっている巨大な水晶がそれに共鳴するように光り出した。
よく見るとすべてが光っているわけではなく、ある直線上の柱だけが藍色にぼんやりと光っているようだった。
ロッジから見て左の方へ伸びている光は、おそらく最初のドアに行き着く方角だ。
私は右を向き、光の誘う方向へと歩き出した。


ポケットの中で、大小どちらかの水晶を触っていれば柱も共鳴するらしい。
私はたまにあえて水晶から手を離して光を消したり、小さい方の水晶を握って光を点けたりしながら歩いた。
水晶の柱にも触れてみたが、これは触っても共鳴しないらしかった。
やがて水晶の柱の光の先に、何か小さな建物のようなものが見えてきた。
それは湖を遥か深くまで貫通して、闇の中に突き刺さっているようにも見えた。


エレベーターだった。
下矢印が刻印されたボタンと扉があり、透明な水晶の足元へと続いている。
私はボタンを押して中に入ると、エレベーターはよく知っている速度で下に向かって動き出した。
何かあったらすぐに帰ろうと思っていた私はとうとうここまで来てしまったのだった。
この先にいったい何があるのか……私は胸の内で少しずつ心が動き始めているのを感じていた。


*  *  *


5分くらい降っていたと思う。
ようやく止まったエレベーターが開くと、そこにあるのは灰色の街だった。
立ち並ぶビルはどれも見上げるほど高く、それらは碁盤の目のように整然と並んでいる。
私はエレベーターから降りて周囲を見渡した。
当然人らしき影は存在しないが、向こうから何かこちらに向かってくる物体がある。


それは80cmくらいの灰色でできた矢印だった。
ローポリの世界で生み出されたようにカクカクとしていて、進行方向を指しながら直進している。
磁力なのか超能力なのか、それは浮かびながら移動していて足らしきものは見当たらない。
私は目を丸くしてそれをしばらく見ていたが、ふと見渡すと同じような図形がいくつもあることに気づいた。
車道を行く者は律儀に車のような形になって直進していたが、窓は不透明で中は確認できない。
私はいよいよ引き返そうと思ってエレベーターに向き直った。


「お客さんかい?」
声をかけられて、思わず口から声が漏れかけた。気づくと先ほどの矢印が足元にいた。
「あ、あの……?」と私が戸惑っていると、矢印はすぐ近くの交差点の対角にあるビルをそれで指した。
「迷ったらあのビルの1階に行くといいよ」
どこから声が出ているのか実に不思議だったが、私はとりあえずお礼を言ってそちらの方を向いた。
確かに、指された方角にはほど近いところに一際巨大なビルが建っていた。


車道を渡りたくても信号が無いので、私は再三左右を確認して6車線分ある広い交差点を走り切った。
そうして対角にあったビルに着くと、入り口の自動ドアが私を誘うように開いた。
ビルの中は広く、数十の図形がうごめいていた。
おそらく歩いているつもりの図形は常に進行方向に向かった矢印の形をしていて、
その周囲に小さなブースを作って石のようなものを並べている四角い図形が矢印たちを取り囲んでいた。
これは、もしかしてフリーマーケットのつもりなんだろうか……?


「やあ、人間さん」
近くで出店していたらしい四角に話しかけられた。彼(?)は、主に楕円形の石を並べていた。
「はひ……」
私は無意識に間抜けな声で返事をしていた。
「君が、このリフィルの新しい持ち主か?」
私は静かに頷いた。
気がつくと、私の周囲を矢印が取り囲んでいた。怖い。四角は続けて言う。
「そうか、そうか。新しい主人さんに直接来てもらえるのは光栄だ。ついでに、何か買っていく?」
「え、この石を、ですか……?」
どう見てもただの石だが、もしかしたらこれも触ったら光りだしたりするのだろうか。
「もしくは、何かを売ってくれると嬉しいんだが」
私は顎を指して次の対応に困っていたが、このポケットの中の水晶はどちらかは手放しても支障ないことに気づいた。
そして、大きな方の水晶を取り出して机の上に置いた。おお〜っ、と周囲から歓声が聞こえた。
「これは……すごい。ぜひ売ってほしいな」
四角は星形に変形し、プルプルと震えていた。
「光る石がそんなに珍しいの?」
ロッジの引き出しに山ほど入っているのに。
「光るかどうかはさして重要じゃないよ。この形だ。複雑だけれど頑張れば再現できそうな絶妙な形が素晴らしい」
そう言うと、星形は瞬時に変形してその水晶によく似た形になった。周囲からまたおお〜っ、と声が上がった。
「我々はこうして体を変形させて意思表示をする。たとえば歩くときは進行方向を指すのがマナーだったりする。
対話をするときは言葉に込められた意味よりもお互いの姿形を見て感情を読み解くんだ。
我々はそれをボディーランゲージと呼んでいる」
「へぇ〜」
私は聞き流しながら水晶を改めて手に取った。水晶はもう触っても光らなかった。
「その石は適度な複雑性があるが頑張れば再現できそうで、変形の練習になる。
変形には鍛錬が必要なんだが、こうしたサンプルが目の前にあることが大事なんだよ」
「そうなの。私は譲ってもいいけど、その代わり次の場所に行く方法を教えてくれますか?」
「ああ、もちろん。じゃあ、これはもらうよ」
そう言うと、水晶は私の手を勝手に離れて四角だった図形の懐に入っていった。
「これだけの物をもらってエレベーターの場所を教えるだけでは等価じゃないから、主人さんにはこれをあげるよ」
水晶の代わりに、私の手元に向かってふよふよと空中移動してきたものがあった。
「ヘッドホンと、これは……?」
「音楽プレイヤーと言うらしい。前の主人さんにもらったんだが、我々はもう散々聴いたからね」
「前の主人さんってどんな人でした?」
「君みたいな年頃の女の子だったよ。あの人がこの世界を作ったって聞いてる」
「やっぱり……」
「あの人にリフィルをもらったんだろう?」
「うん。この世界なら安全だからって……」
「まぁ、あの人は無数の世界を管理しているらしいからな。君が新たな主人としてここをメンテしてくれると嬉しいよ」
「どうしたらいいの?」
「こういう水晶があれば持ってくてくれると嬉しい。我々は上の階層には行けないんだ」
四角だった図形がそういうと、周囲からぜひ私にも! 水晶欲しい! と声が上がった。
「あはは……」私は周囲を見渡すと、30近い図形に取り囲まれていた。「じゃあ、私そろそろ行くね」
「さらに下に行くなら、このビルを出て右手にずっと歩くとエレベーターがあるよ」
「うん、ありがとう」
図形たちはさっと離れ、出入り口までの道が開いた。
私はヘッドホンと音楽プレイヤーをバッグに入れると背負い直し、そのビルを後にした。
振り返ると楕円形をしたいくつかの図形がぴょんぴょん飛び跳ねていた。私は思わずそれに手を振った。


*  *  *


そのエレベーターはビルから避けられたかのようにポツンと立っていた。
私がそのボタンを押すとボタンは光ったが、すぐにはドアは開かなかった。
空を見渡すと、遥か上空にさきほどのロッジが浮かんで影を作っているのがなんとか見えた。
ロッジは水面に揺れるようにゆらゆらと揺れていた。
ドアが開き、私はその中に入った。
エレベーターはまた降り始め、徐々に周囲が暗くなったかと思うと天井にある灯りがついて私を照らした。
5分くらい経って、ようやくドアが開いた。


洞窟のようだった。ちょうど地下道くらいの広さと高さがある。等間隔に松明が置かれていて、洞窟の中は意外と明るい。
ふと、何か足元を移動しているのを視界が捉えた。
真っ黒のリスのような動物がちょこんと座ってこちらを見ている。
リスは、白く光るドングリを大切そうに両手で持っていた。
私と目が合うとリスはドングリを頬張り、洞窟の向こうへと走り出した。
私はエレベーターの位置を見失わないように背後を気にしながらそれを追いかけてみることにした。
リスは少し走るとドングリを頬袋から出してこちらを確認し、そしてまた走り出す。
曲がり角に差し掛かると、リスはその向こうへと消えていった。


広い部屋に出た。松明が照らしているのはせいぜい地面から数メートルまでで、どれだけの高さがあるかわからない。
「だれ?」
「ひっ……!」
突然声をかけられて、さすがの私も声が漏れ出た。
ふと声がした方を見ると、5歳くらいの小さな女の子が大きなランタンを持って立っていた。
ランタンによって作られた女の子の影は、不自然にゆらゆらとゆらめいていた。
かと思うとその一端が千切れ、影はみるみると膨らんでなんらかの四肢動物になった。
一見したところキツネのように見えたが、もしかしたらタヌキかもしれない。
そんな曖昧な動物が、よく見ると女の子の周りを取り囲むように何匹もうごめいていた。


女の子は動物に囲まれながら、近づいてきた。
そして私のことをすみずみまで観察しているらしかった。
クラシカルな雰囲気のワンピースにジャケットを着込んでいて、洞窟に住んでいるとは思えない清潔感がある。
しばらく沈黙の時間が流れ、私はその空気に耐えられなくなって口を開いた。
「あ、あのっ! 私、このリフィルの新しい持ち主?なの。よろしくね」
「ふーん…」
女の子は私から視線を逸らし、足元にいる猫らしき動物を丁寧に撫でた。私は訊いた。
「ここには人間は住めないって聞いていたけど……」
「そうね。でもわたしは特別なのよ。ここは……みんなと遊べるからお気に入りの場所なの。でも定住するつもりはないわ」
そう言うと、女の子は5歳とは思えない風格でゆっくりとこちらに向き直った。
「よかったらこの世界はそのままにしてくれるとありがたいわ。新しい世界の持ち主さん?」
「う、うん……わかった……」
私がそう言うと、女の子はにこっと笑った。かわいい。
「私、簡単にリフィルをもらっちゃったけど、私で良かったのかな……?」
「それはきっと、あの子に何か考えがあるのよ」
「やっぱり、あのお姉さんを知っているんだ」
女の子は指先で何か合図したかと思うと、私のすぐそばに椅子が出現した。女の子はそれに座るように促した。
私がそれに座ると、女の子の足元からもうひとつ椅子が生えてきて、女の子はそれに足をぶら下げながら座った。
「わたしは100年くらいここにいたんだけど、あの子に現代のことをたくさん学んだの。
おかげでこの世界にいても退屈していないわ」
「100年……」


私はおもむろに背負っていたリュックを前に抱え、その中からヘッドホンと音楽プレイヤーを取り出した。
「これ、あげる」
女の子は怪訝そうな顔をして受け取った。
「なあに? これ」
私は音楽プレイヤーのスイッチを入れてヘッドホンから音楽が鳴っているのを片耳で確認してから、
女の子の前に立ってそれを装着させた。
見た目5歳の女の子に大型のドライバーを備えたオーバーイヤーヘッドホンはあまりにもアンバランスだったが、
音楽プレイヤーからは異国の田舎を感じさせるようなビートレスな電子音楽が鳴っているはずだった。
女の子はしばらく目を閉じてそれを味わった。
「素敵ね。音楽と言うんでしょう?」
ヘッドホンを外して首にかけると、女の子は満足気に手を合わせた。
「うん。これがあれば、少しは長い時間の退屈しのぎになるでしょ? 電池が切れたら、また代わりを持ってくるから」
「ありがとう。新しい主人さん」
それから私たちはしばらく他愛もない話をしていた。


「そろそろね」
そう言って女の子がおもむろに視線を外すと、その目線の先にドアが生えてきた。
「あのドアをくぐったらあなたの世界に帰れるわ」
「一緒においでよ。何か食べよ?」
女の子は首を振った。
「わたしはそっちには行けないの。ドアを潜ったら、たぶん、消滅してしまうんじゃないかしら」
「そっか……」
「わたしは大丈夫。あなたは……あなたの世界を楽しんで」
「うん」


私はリュックを背負い直し、ドアの前に立った。
「じゃあ、また来るね」
女の子はひらひらと手を振っていた。影でできた不思議な生き物たちが、女の子を囲みながら一斉に私を見守っていた。


*  *  *


そこは私の家の玄関だった。
私は靴を脱いでよろよろと自分の部屋に向かった。
机の上には開きっぱなしの手帳が置かれ、窓からは昼下がりの日差しが差し込んでいた。
私はふと思い出して、ポケットから小さな水晶を取り出して手帳のそばに置いた。
それはよく見ると、1面にだけ模様が描かれた20面のサイコロだった。
私はなにげなくそれを振り、そして模様の描かれた面は出なかった。


#8001

供給過剰のランキング

今日の出来事ピクミン4

『ピクミン4』、なんとリリースから2年越しとなる無料アップデートが本日配信されました。
過去にあったアップデートは致命的な不具合を修正するアップデートのみで、
リリース後に新要素が追加されるのは今回が初めてです。


主な新要素はいつでも変更できる3段階の難易度が追加されたことと、
本編に「デコピクミン」が登場したこと、そしていわゆるつよくてニューゲームに相当する「おかわリスタート」実装。
難易度の追加は実質的に『ピクミン3』→『ピクミン3デラックス』のアップグレードを踏襲していて、
こちらも最高難易度は引き出せるピクミンの数が60匹までに制限されるという縛りプレイを強要されます。
また、特筆すべき点はこの難易度変更はダンドリチャレンジやダンドリバトルにも適用される点。
これにより、ピクチャレ大会を運営している自分は
可及的すみやかに記録別に難易度を記録する仕組みを用意しなければならなくなりました。


難易度による差はまず原生生物の体力に顕著な差が生まれるというのが基本で、
「おだやか」ではオッチンが自動的に近くの原生生物と戦わなくなる、
「きょうぼう」では文字通りに原生生物がより凶暴になる(具体的な挙動はまだ検証中)という特徴があります。
チャレンジモードとしても多少のゲーム性は変わりそうですが、
まあ「きょうぼう」でスコアを詰めようとする物好きはごく少数になることでしょう。


ピクチャレ大会では便宜上異なる難易度は別々の集計になるため、
単純計算で投稿可能な種目数が大幅に増えたことになります。
が、もはやユーザーの活動リソースの総量がそれにまったく追いついていないこともあって、
ステージ数の増加は完全に供給過剰になってしまっている感。
「きょうぼう」難易度で投稿した人にも脚光を与えられるような仕組みを考えたいところですね。


その他、いくつかの変更がありましたがカーソルロックオンのON/OFFができるようになったことに思うところがあります。
これは当初、強制でONになっていたのですが、
ロックオンがONだと対象物が密集しているときにカーソルのコントロールが難しいという難点があり、
何人かの玄人プレイヤーたちが発売直後から苦言を呈していました。
任天堂は、ちゃんとそういう声も聞き取って開発に反映しているんだなと改めて思いましたね。
SNSで特に発信していなかったドローンの不具合
(キンカイ運搬班はドローンで写すと早く運ぶ)などは修正されておらず、
少なからずユーザーの声を積極的にリサーチして開発に活かしている面はあるのかなと思います。
これなら、我々ファンが細かい点も積極的に発信する意義はあるのかなと。
まぁ、旧Twitterで愚痴のような形で吐露したところでさすがに拾ってくれないと思うので、
せっかく用意してくれている要望フォームを使うべきではあるんでしょうけどね。


今回のデコピクミンや難易度調整のアプデは基本的に新規ユーザーを取り込みやすくするための施策だと思われますが、
果たして『ピクミン4』に二度目のアップデートはありうるのでしょうか?
Nintendo Switch 2 Editionとしてアップグレード版をリリースする可能性はまあまあありそうですが、
その際に追加コンテンツが来る可能性は果たしてあるのか……?
それを見据えて、任天堂が把握してなさそうなバグなどは要望として送っておこうかなと少し検討しています。


#8002

聴き続けるための厳選作業

そういえば今月は事前に9枚のエレクトロニカの新譜を探しておき、
それを厳選して5枚まで絞り込んだものを11月10日の音楽再生数統計と同時にライブラリに入れました。
かつて、CDから取り込んで音楽ライブラリに入れていた時代はこのように、
毎月10日に一括で入れるという習慣が10年以上続いていました。
Apple Music導入と同時にこの習慣は終わりを告げましたが、
あまりにも軽率にライブラリに追加できると1曲ずつ味わうように聴く機会が失われてしまい、
ひいては自分の中で音楽文化の衰退が早まってしまうのではないかという懸念もあったため、
特に大切なジャンルであるエレクトロニカに関してのみ、この風習を一時的に復活してみることにしてみました。


無料なのに厳選する理由としては、
基本方針として自分はエレクトロニカに限り、フィジカルが存在するならフィジカルを、
そうでないものはオフラインでも聴けるデジタル音源を確保するつもりでいます。
もちろん、都度都度揃えていたら実費もかかるしApple Musicを契約する意味がありません。
ただ一方でApple Musicから音楽が消える可能性というのは常にあるため、
リスクヘッジのために希少なものから順番に買っていくつもりでいます。
つまり、ライブラリに入れると決めた楽曲には(可能な範囲で)お金を払うという方針です。
そのため、お金を払うに値しないアルバムを軽率にライブラリに入れるわけにはいきません。
そこである程度候補を集めて厳選するという作業が意味を帯びてくるわけですね。


これは単にこだわりを維持するためというより、ライブラリ全体のクオリティを上げつつ、
真剣に良い音楽を探すことによって自分自身の音楽に対する興味を絶やさないという意味合いが強いです。
無料で聴ける音楽は無料だからこそありがたみも薄く、ちゃんと傾聴する機会を作りにくいものです。
そういう音楽ばかりが増えていったらライブラリはつまらないものになり、
音楽そのものが楽しめなくなってしまうかもしれません。
ことエレクトロニカに関してはそれでは困るので、無料でも厳選はちゃんとしようというわけです。


厳選作業をすることでライブラリを育てる楽しみも実感できるし、
それによってますます音楽を楽しめるというになるという点で言えば、
毎月10日にまとめてアルバムを入れるという昔の習慣は結構理にかなっていたのではないかと思う今日この頃です。


#8003

ブログ執筆の基礎エネルギー

今日の出来事ブログ執筆

ブログを継続するための基礎エネルギーとして、「言葉が好き、文章を書くことが好き」という性質があると思います。
思っていることを言葉に乗せるのが楽しい。カッコいい言い回しを書けると快を得られる。
自分は伝統的にこの欲求をさまざまな行動の基盤として利用してきた節があります。
たとえば実生活の悩み事についてはそれを言語化することで悩みの構造を明らかにして乗り越えようとするなど。


しかしいま、ここ4ヶ月ほどこの根本的な欲求が低迷している実感があります。
そのため必然的にブログも低迷している。
更新ペースが落ちているわけではありませんが、多くの日で表面的なことしか書けなくなってしまいました。
今年の前半まではそうではなかったような気がするんですが、どこかでマイナス転換してしまったようです。
そしていまのところ低迷は続いており、底は抜けきれていません。
また、なぜこうなってしまったのかもよくわかっていません。
ブログが低迷することというのは割とよくあることなんですが、
少なくとも20周年移転後で見ると今回の低迷は比較的大規模のような気がします。


ブログを書く気力が失われると、読む気力も失われます。
これらは経験上、独立しないんですよね。書く気力が無いときに読む活動が一人歩きすることはあんまり無い。
読むことをきっかけに書く意欲が復活することはある。
ただ、最近は多少読んだだけでは「言語化したい欲求」が復活することはなくなってしまいました。
これは手軽に読む環境としてのこのブログのフロントエンドにまだまだ課題があるということでもあるのですが、
自分のメンタルがやや沈んできていることのサインなのかもしれません。


それでもブログをこれまで通りのペースで「続けるだけ」ならできる。
嫌な書き方をすれば、上っ面だけの物事を書き残すだけであれば現状のメンタルでも十分やっていけます。
ただ、これでは発展はありえない。
ブログを書いたことによって心境が整理されれば新規分野にも着手する機運が高まろうというものですが、
そういうこともなく、ただただ消耗しているに過ぎません。このままではいずれ限界が来ます。
一縷の望みとして「読む活動」を半ば無理やりにでもすれば多少は改善するかもしれませんが、
それだけでは長期的な見通しは立てられないでしょう。


言葉が好きという根源的な欲求を刺激するとしたら、ブログ以外に何があるだろうか……。
と考えたときに3つの視点が考えられると思います。
ひとつめは他者とのコミュニケーション。
特に「安心安全なコミュニケーション」ができる相手というのは言語化活動を促す契機になると思います。
ふたつめは他者の文章を読むこと、特に読書ですね。知識が深まれば必然的にアウトプット意欲も増すでしょう。
ただブログのモチベさえ低い状況で読書活動を推進するのは難しいので、
これは大底を脱出してから実践する内容になるのではないかと思います。
みっつめはブログに限らず諸活動をもっと充実させること。
つまり「日記」としてのブログの側面を充実させる方向に舵を切るのが重要なのではないかと。
これも、そもそもそのやる気が無いという問題もありますが、
うつ病回避の基本方針としての「昨日と同じような日を過ごさない」を自然に実践するためにも、
話題になりうる何かを探すという活動は重要であるような気がします。
逆に言えば、それらを怠ってきたからこその現状なのではなかろうかと。


いまの自分にとって、平坦なブログを書くことはゲームをすることよりもハードルの低い活動です。
つまり、そのブログさえ危ういという現状の行動力はかなり壊滅的だということを否定できない。
このまま放置するとかなりマズいような気がするので、
意識的にもっと日々を充実させるための方策を考えたいところです。


#8004

便乗の罠

今日の出来事暗号資産

仮想通貨、アルトコイン抜きで15万円まであと少しという局面に来ており、
11月10日までの休止期間を通り過ぎたのでそろそろ取引を再開してもいいかなと思っていたところ、
アメリカ政府の閉鎖が解除されるとのニュースが飛び込んできました。
これは投資家には良いニュースで、伝統的に閉鎖解除後は株価が高騰する傾向にあります。
ならばそれに便乗して小銭を稼げるのではないか……と久々にロングポジションを入れました。
それが壮大な罠だったとも知らずに……。


ポジションを開けて直後は少しだけ値が上がり、微妙な利益は出ていました。
ここでは利確せずにしっかりと閉鎖解除による旨みを享受してから利確しようと思い保留していると、
自分が寝たあとのアメリカ市場時間でまさかの反転大転落。
あっという間に10000ドル近く値を下げ、大きな含み損を抱えることになってしまいました。
これはたまたまではなく、「寝る前利確」の原則を守らなかった自分が悪いです。


下落の要因について軽く調べてみると、まず米政府閉鎖解除はもう価格に織り込まれていたとの見方が強く、
今回はわずかな値上がりで終わってしまったとのこと。
それよりもむしろ、FRBメンバーが立て続けに12月の利下げに否定的な見解を示したことで、
市場から資産を退避する流れができてしまったとの見方が有望です。
一般に、利下げするほどリスク資産(株やビットコイン)に資金が流入しやすく、株価も上がりやすい傾向にあります。
これまでは「12月はまず利下げするだろう」という楽観的な見方が支配的だったので株価が上がり続けていたのですが、
どうやらそうではないらしいとのことで、楽観的な分のリバウンドが発生したということです。


実際には利下げの根拠になる雇用統計などの重要指標がどうなっているのかは誰も分かりません。
しかし政府閉鎖によってその発表が遅延したり欠落したりするという状況になったため、不透明感が漂っています。
この不透明な状況で利下げは断行できないというのがFRBの立場なのでしょう。
ただ、トランプ大統領陣営は利下げをしたいそうで、大統領の息がかかったメンバーは利下げに肯定的です。
いまのところ、実際に利下げされるかどうかは五分五分といったところのようです。


問題はこれにビットコインがあまりにも過剰反応している点。
ビットコインが伝統市場とある程度連動するというのは昔からですが、今回は下落幅が圧倒的です。
仮想通貨界隈に特有のネガティブなニュースが入るとこうした極端な下落もあり得ますが、
今回はそういうこともなくただただ雰囲気で下落率トップになってしまっている。
まぁリスク資産の筆頭なので、利下げが後退すれば真っ先に資金が抜かれるというのはそうなのかもしれませんが……。
「利下げしないかもしれない」という程度のニュースだけで10000ドルも下落されては困るわけですよ。
こんなことがちょっとしたことで起きるようでは、数千円程度の小遣い稼ぎに使うにはリスクが大きすぎる。
でもまぁ、これこそが仮想通貨界隈という感じもしますが……。


いくつかのコミュニティを観測するかぎり、「総悲観」と言っても差し支えない雰囲気にはなってきました。
希望があるとすれば、いまかつてないほどショートポジションが溜まっているはずなので、
一度明確に上向けば上昇幅はかなり大きいはず。
「利下げしないかもしれない」だけでここまで落ちているということは、
逆に言えば「やっぱり利下げするかもしれない」というニュースさえ入ってくれば高騰する可能性はあります。
まぁ、いずれにしろそういうポジティブなニュースが必須なのは間違いないでしょうが。
いま残っている買い手の地力だけで上に行けるような状況ではなさそうです……。


とりあえず自分は、ロスカされてもされなくてもこれを年内最後の取引にして、
ポジションを解消し次第現金化してしまうつもりです。
仮想通貨取引は本腰入れてやるもので軽率にポジるものではないと何度も戒めなければならない……。


#8005

コスパの悪い気分転換

『大乱闘スマッシュブラザーズSPECIAL』以来の桜井さんが手掛けるゲームということで、
今年リリースされるNintendo Switch 2専用タイトルの中でも本命ポジションの『カービィのエアライダー』。
本日、2回目の期間限定体験版配信があったのでやってみました(1回目は所用でスルー)。
もちろん種目はシティトライアル(オンライン)。
よくわからないままスタートするもとりあえず走り回ってアイテムを集め、
ウイングスターに乗り換えてスタジアムは「ハイジャンプ」を選択。優勝しました。
そして、わずか1回で疲れてしまいました。自分のゲーマー人生はもう後期高齢時代なんだと実感した瞬間です。
まぁ今回に関しては世界同時株安で相当ネガティブになっているので、その影響も多分にあると思いますが。


とりあえず思ったのは、少なくとも例のゲーム会において配信映えはしないだろうなと。
仮に買ったとして配信は1回限りでお役御免になってしまいそうな雰囲気がプンプン漂っています。
では完全にプライベートなシーンではどうかというと、これも少なくともそこまでガッツリやらないだろうなと。
要は『マリオカートワールド』と同じポジションです。
たまに気分転換のためにやるという、それ以上でもそれ以下でもない役割。
オンラインシティトライアルをやったところで何か利益があるわけでもないので当然のことで、
これはもういまの自分の価値観から見た「ゲーム」という枠組みの限界であると言わざるを得ません。


カービィのエアライダーではマシンの見た目をカスタムする「デコマシン」という仕組みがありますが、
たとえばこのアクセサリーを毎回ランダムで取得できるとかだったら多少は長続きするかもしれない。
実際にはおそらくクリアチェッカーによって取得でき、
また走行距離に応じてもらえる「マイル」で買うなどのシステムになっていそうです。
いちおうやればやるほど収穫があるというシステムは存在するので、
「ただやるためにやる」以上の何かを得られる見通しはありますが、それでもマリオカートを超えるかと言われると……。


そういうわけで、果たして7,980円の価値があるのかかなり怪しいと思っているのが現状です。
自分の現状を考慮すると買わないのが合理的だと思いますが、やらずにリタイアというのも気持ち悪い。
近年の傾向して、最初はすぐに投げ出したくなるものの、
諦めずに向き合ってみると意外とハマったというパターンがかなり多くあるので(『Balatro』もそうだった)、
体験版の段階で切り捨てたくないという気持ちはかなりあります。
ただ、一方でプレイ時間20時間すら行くかどうかも怪しいという現実が……。


自分はもうこのまままともにゲームもできないボケた老人になってしまうのでしょうか。
そしてこの潮流には抗えないのでしょうか。ゲームから本格的に遠ざかっていた2024年、
Switch 2の登場を機に最新タイトルを積極的に触ろうと回帰を目指した2025年。
結局まともなゲーマーには戻れず、「ちょっとコスパの悪い気分転換」という立ち位置に落ち着きそうな気がしています。


#8006

主人公になれない

いま現在、世界同時株安で含み損を抱えている関係でかなりネガティブな状態になっているため、
これはネガティブ思考が憶測に憶測を重ねた妄言であることを承知の上で考えてしまうのですが、
やはり自分が主体でないコミュニティに居続けても消耗するだけだなと改めて実感します。
もっと言えば、自分が「主人公」である社会に1つでも所属していないと自己肯定感はいつまでも育たない。
そしていま自分が所属しているリアル・ネットそれぞれのコミュニティは、
いずれも自分は主人公ではないと言わざるを得ません。


ここ3年推進してきた「推し活」も、利己的活動からの脱却という大義名分はあるものの、
結局のところそれに心から満足する瞬間というのはいつまで待っても訪れないわけです。
推しと直接話せる機会はVTuberならスパチャ、リアルアイドルならサイン会などであり得るかもしれませんが、
それはよっぽどレアなケースであり日常になることはあり得ません。
そしてそういうレアケースを除いた推し活動の日常というのは、推しから見た自分は有象無象のひとつでしかない。


ゲームコミュニティもここ2年はどちらかというと他者を応援するというスタンスでいましたが、
結局その立ち位置であるかぎりコミュニティの脇役であるという立ち位置を否定することはできない。
この場合、メインストリームの人たちと脇役の違いは当該ゲームをしているか否かの違いなので、
推しと創作活動の関係よりは比較的ハードルが低いのも事実ですが、
ゲーマー人生が後期高齢時代に突入してしまった自分にとってはその低いハードルを越えるのもまあまあ難しい。
「低いハードル」といっても、最終的にはメインストリームの人たちに匹敵する成果が必要だからです。
たとえば流行しているRTAの上位に入るとかですね。誰もやっていないスコアタで上位を取ったところで、
その種目を他に誰もやっていないなら注目されるに値しません。


リアルの関係においても、自分は基本的に相手が完全に無害だと確信しないかぎりは聞き専に回るタイプなので、
1対1の会話においてもコミュニティ主体になることはありません。
これは単にコミュ力(相手を楽しませる話術、基礎知識や趣味に対する造詣の深さ)の不足も多分にあると思いますが、
それ以上に相手の懐に入っていけない勇気の不足というのもあると思います。
主人公になるには少なからず勇気や努力が必要になる。
しかし、それが報われないことが多々あったのでコミュニティを信じ抜くことができないというわけです。


ただ、「コミュニティの主人公になる」ことが必ずしも正しいとは限りません。
ここは昔の自分とは異なる考え方です。昔は「主人公になれないなら人生無価値だ」と考えていた節があります。
これは長男坊特有の思想なのではないかと思います。
しかしいまは、人はより多くの人に埋没するのが当たり前、
オンリーワンになったからといって脚光を浴びることがないのも当たり前。
だからこそ「埋没する自分」を受け入れるように舵を切らないと消耗する一方だという考え方が根強いです。
これが合っているのかどうかは分かりませんが、
少なくとも言えるのはただ無防備に埋没しているだけではメンタルが保たないということ。
特にいまのような低迷期にこの現実は大きな重石になってきます。
コミュニティに対して「主人公になれないなら無意味だ」という価値観は間違っていると思うし、
客観的にはすごくわがままなことを言っていると思います。
一方で、脇役では満足できないという欲求不満があるのも偽りがたい事実であり、それを無いことにはできません。


まぁ、世の中の人たちも意外と、多かれ少なかれ主役になれない自分にうっすらと不満を抱きつつも、
ときに満たされないと実感するコミュニティにしがみついてどうにか生きているのかもしれません。
それではどうしてもダメだという人はたとえば配信者になったりするわけですが、
これも相当にコミュ力が必要な活動なのでスキル不足ならままならないでしょう。


「利己的活動は不毛」という経験的事実から推し活という「利他活動」にある種の希望を見出した近年ですが、
本音ベースでは結局この路線で満たされることはないということが分かってきました。
埋没してもなお満足するためにはどうすればいいのかを考えるべきか、
あるいは自尊心を捨ててでもチヤホヤされる道を探るべきか……。
また、根本的にあらゆる文化に対する意欲不足も多分に悪影響をもたらしているものと思われ、
そういう「地力」を鍛える方向に舵を切るのも手かもしれません。
いずれにしろ、「利己的活動がダメなら利他活動」という単純なスイッチングは失敗だったと認めざるをえないでしょう。


#8007

年間計画の頓挫

今日の出来事年間計画

年間計画3本柱のうち2本目の特設サイトにおけるイベント開催ですが、年内は諦めることが確定しました。
最大の壁だった「過去イベントと比較して革新的なルールを考える」というフェーズは乗り越え、
あとは実際に開発するだけという状況で、その開発も半分くらいできていました。
そして今月以内に残りの開発を終わらせ、来月初頭に告知、中旬に実施というスケジュールで予定していました。
そのためここで中断を決意するのはいかにも中途半端で、やらない理由をでっち上げたように見えて不恰好です。
しかし、それでもなお開催しないのが妥当だろうと思ったのには明確な理由があります。


最大の理由は年末の「RTA in Japan」にコミュニティから走者を輩出することになったことにより、
いまコミュニティが完全にその練習で手一杯という雰囲気になっていることです。
しかも複数人いて、さらにはコミュニティの主要メンバーが占めている。
これを応援する立場としても、コミュニティの一員としても、
わざわざこの雰囲気を阻害して関係ないイベントを開催する理由がありません。
走者の立場で考えれば、内輪向けのイベントよりもRiJという大舞台の練習を優先したいのは当然です。
これにより自分の年間計画は頓挫することになるわけですが、
そもそも年内開催したいというのはコミュニティの事情関係なく自分個人のこだわりに過ぎなかったわけで、
ここに来て自分のこだわりをゴリ押す理由はどこにもありません。


イベント開催は去年の年間計画にも挙げた大目標であり、今年はそのリベンジという位置付けでした。
「2025年も開催できないようならもう終わり」と以前書きましたが、結局その通りになってしまいました。
まぁでも、コミュニティにおける自分の立場の弱さを考えると妥当な結末なのかもしれません。
イベントが求められているような雰囲気も感じられないし、自分も是が非でも開催したいというような熱意も無い。
そもそも年間計画として挙げるには不適切な目標だったとも思います。
ただ、丸2年の試行錯誤のおかげで7割は完成してはいるので、
時間をかけて残りを完成させ、しかるべきタイミングでいずれ表に出したいとは思っています。


結局年間計画の遂行率は33%ということになったわけですが、
昨今の自分の意欲低迷を鑑みると妥当な数値のような気もします。
もう11月も中旬なので、これを踏まえてそろそろ2026年の年間計画を考えていかなければなりません。
2026年は、「2026年だから」という理由で自動的に決まるタスクが無いという点で、
4年ぶりに今度こそまっさらからの計画立案が可能な年です。
2023年は『ピクミン4』発売に関連した特設サイトの移転プロジェクトがあり、
2024年はブログ20周年に伴う4代目移転プロジェクトがあり、
2025年はブログ記事8000本突破に伴う創作プロジェクトがありました。
2026年はそれに相当するような節目が無いということです。強いて言えば特設サイト20周年がありますが……。


そういうわけなので、来年はもう少し自由な計画立案をしたいなというざっくりとした方針はあります。
ただ、そもそも「年間計画」という枠組み自体、
レンジが広すぎるゆえに「年内のどこかでやればいい」という半ば無責任な計画ということもあり、
伝統的に見て遂行率はかなり低く、理想を語る場としての側面の方が強い傾向があります。
それはそれでいくつか挙げつつ、一方でマストなタスクも締切を明確にした上で挙げるのがベターかなと。
今年も残り45日しかありませんが、その残り時間で希望を探っていくことになりそうです。


#8008

理不尽なロスカット

今日の出来事暗号資産

11月14日の米政府解除に便乗した取引が大きな含み損を抱えることになってしまった件、結局ロスカされました。
3倍到達うぇーい、とやっていたのも束の間、その利益は全部消し飛んだことになります。
毎度感じることですが、ブログに利益率を書くとその後ごっそり持っていかれるケースがあまりにも多いような……。


今回は一言で言うと「理不尽な下落」と言わざるを得ません。
以前どこかで見た投資格言に「利益は運が良かっただけ、損失はあなたに原因がある」というものがありますが、
もちろん今回もさまざまな反省点はあります。ありますが、それでも理不尽だったなとは思います。


まず何が起きたかですが、ビットコインは最近ずっと110,000ドル近辺をうろうろしていました。
ATH(史上最高値)を更新するか否かという微妙なところで押しては返されるということを繰り返していて、
確かにマクロ的に見ると売り優勢だったというのはあると思います。
そんな折、ずっと閉鎖していたアメリカ政府がまもなく閉鎖解除をするとのニュースが舞い込んできました。
閉鎖解除すると伝統市場は高騰する傾向にあり、今回も株高になる可能性が高い。
自分はこの時点で目標の15万円は突破していたので冒険する必要は無かったのですが、
この15万円はアルトコインとUSDTの合算であるため、「USDT単独で15万円突破したいな」
という軽い気持ちで閉鎖解除に便乗して小銭を稼ごうとしました。
すると、閉鎖解除後にほんのちょっと高騰したかと思うとすぐに下落を始め、
そしてズルズルと延々と下落を続けてついに90,000ドルを割ってしまったと。
特に仮想通貨界隈に不利なニュースも無いまま、ATHから実に30%近く下落したことになります。
前にロスカされたのは中東情勢が悪化して戦争のリスクが急増したことが主な原因でした。
戦争という大きなニュースによって下落したのなら納得もできるというものですが、
今回はそういう要因が無く、ただただ雰囲気で15,000ドルも続落したというのが本当に理不尽だと思います。
逆にショートで入っていたらとてつもない利益だったことは言うまでもありません。


もちろん、ただ市場のせいにするつもりはなく反省点もたくさんあります。
第1に、すでに目標金額を突破していたことによってテクニカル分析は相当おろそかになっていたこと。
ポジションをかなり軽率に開けていました。「ちょっと儲けよう」くらいの気持ちでいたので。
この姿勢が根本的に良くなかったと思います。だからこそ後述の反省点も生まれただろうし、
ちゃんとチャートを読み込んでいればポジションは変えていたかもしれない。
第2に、ポジションサイズが大きかったこと。
前のロスカ経験からレバレッジは下げていました。これにより本来なら安全だったはずなのですが、
たまたまポジションサイズ設定をUSDTで直接入力していたのと、
一度値が下がったときに同額をナンピンしたことによって証拠金額が資産の50%近くになってしまい、
これによりロスカット域が大きく近づいてしまいました。
いつもは資産との相対値で指定していて、「証拠金額は資産の25%まで」と決めているのですが、
最近特に理由もなく絶対値で入力していたことで25%の原則を意識していませんでした。
結果論ですが、25%を遵守していたらロスカットは避けられたんじゃないかと思います。
まぁこれは絶対値で入力したのが悪いというより、雑にナンピンしたのが悪手だったということでもありますが。


第3に、やはりというか損切りができなかったこと。
利益が出ているときは「寝る前に利確」の原則は守れるのですが、損失が出るとなかなか損切りができない。
「塩漬けすればいつかは報われる」と考えてしまうんですね。
特に今回は「利下げしないかもしれない」以上の悪材料が特に無かったので、
なおさら辛抱すればどこかでプラ転するはずと最後まで信じてしまいました。
第4に、ニュースに軽率に便乗してしまったこと。
いわゆる「みんな得するだろうから取り残されたくないという心理(FOMO)」の典型例です。
そして今回はまさにそれを狙い澄まして調整局面に入るという壮大な罠だったというわけで、
ファンダメンタルズも大切ですが安易に便乗することの危険性を思い知りました。


今回の反省から次に繋げるとしたら、最優先したいのは「寝る前利確」の徹底です。
これさえ守れば、証拠金額が資産の25%を多少超えたとしても、理不尽な下落があったとしても資産は守れる。
損切りさえちゃんとできれば反省の機会が増えて軽率なポジショニングも減るでしょう。
そこで考えられるのが、勝ち負けではなく「ルール遵守率」を記録し、100%維持を目指すという方策です。
能動的な損切りが心理的にはかなり困難であることはこれまでの仮想通貨取引で痛いほど痛感しているので、
精神論だけではどうにもなりません。
そこで、習慣トラッカーアプリなどを使って米市場開場前くらいの時間に通知が来るようにして、
「今日はちゃんとポジションを閉じたか?」を受動的に確認する機会を作り、
もし損失を抱えていたらトラッカーアプリの通知に基づいて損切りをするという作戦です。


それから、小勝ちが続くとどんどん取引が雑になってくるというのも今回分かったことなので、
雑になってきたかもと感じたら素直に仮想通貨から離れるという意識は重要かと。
これについては、全額ステーキングに回してすぐにポジれないようにするという作戦が考えられます。
ポジポジ病は要するに「手っ取り早く利益が欲しい」という怠惰であり、ここは意識改革の必要があるかなと。
ポジションサイズをぐっと小さくすれば軽率にポジションを開いてもいい、というわけでもないのですが、
破滅するときはたいてい「雑なのにポジションサイズは大きい」というような事態に陥っているため、
ポジションサイズを絞るというのは何よりも重要そうな気がします。


あとはこれまで通りのルールも引き続き遵守する必要があるでしょう。
1000ドルを超えた分はステーキング等に回してリスク分散する、レバレッジは高くしない、
証拠金額はナンピン等込みで25%まで、ポジションの方向は上位レンジの順張りのみ。
これを徹底すれば少なくとも再発防止にはなるのかなとは思いますが、
気持ちが緩むとどうしても徹底できなくなってくるので、将来にわたって破滅しないという保証はありません。
最後の最後は結局のところ心構えなのかなと。


損失を取り返すべくリベンジをしたいところですが、ビットコインはまだまだ底が見えません。
とりあえずNVIDIAの決算やFOMCなどを見送ってから参入するのが無難だと思っています。


#8009

2026年計画草案 #2

今日の出来事年間計画

そろそろ2026年計画について考えよう、ということで現状の考えをまとめておきます。
まず2026年以降の年間計画に対する基本的なスタンスとして、
「できたらいいな」というどちらかというと願望寄りのタスクを立案する方針に回帰します。
近年は義務感の強いタスクを設定して是が非でもやらねばならない、という気持ちを込めて玉砕していましたが、
そもそも年間計画はニュアンス的に1年のうち任意のタイミングでやるものであって、
義務感の強いタスクを設定するには不適切という側面があります。
そういうタスクは個別にプロジェクトを立てて細かくスケジューリングするべきでしょう。


そのため、2026年からは特設サイト(ピクミンコミュニティ)関連のタスクは年間計画にしません。
これはもっと狭いレンジで検討するべきプロジェクトであり、
コミュニティの空気感によってもニーズが流動的に変わっていくものだからです。
「1年のうち任意のタイミング」という姿勢とはかなり相性が悪いとここ2年で実感しました。
対外的なタスク全般(たとえば仕事周り)も同じようなことが言えると思います。
いざ一年が始まってから刻一刻と状況が変わるような物事は年間計画に紐づけるべきではないでしょう。


一方、何月何日までにやるのが妥当ということがわかっている類のタスクは年間計画に向いているので、
そういうタスクは今後も設定すると思います。
たとえば今年は小説執筆が最大のタスクでしたが、年間計画であるがゆえに7ヶ月前から動き出し、
結果的に創作の基盤設定については過去20年分をブラッシュアップできた実感があります。
2025年はまぎれもなく創作リスタートの一年でした。
まぁ、具体的な成果はと言われるとかなり乏しいと言わざるを得ませんが……。
とにかくこういう「年間を通して少しずつ取り組むタスク」を設定したいというのがざっくりとした方針です。


それを踏まえて、2024〜2025年の間で保留、頓挫、または延期した計画をいくつか挙げてみると、
「新本家サイトの復興」「ゲーム制作」「ブログの出張記事の執筆」「お絵かきリベンジ」があります。
このうち新本家サイト、出張記事については年間計画としては不適切であり、
どこかで期間を区切ってピンポイントでやるべきタスクと言えるでしょう。
新本家サイトはニーズがほぼゼロなので現状やる意味を感じませんが、
逆に出張記事はブログの重要性を上げるための活動として2026年のどこかで1〜2本は書きたいところです。
お絵かきについてはポテンシャルはあるかもしれませんが、
下積みフェーズの割に合わなさを乗り越えられる見通しがまったく立っていません。
web制作のデザイン側の可能性を広げるという意味では基礎的なことはできるようになりたいですけどね。


ゲーム制作については、2025年における創作の後釜になりうるポテンシャルを感じています。
今年着手できなかったのは創作を優先したからという側面もあるため、
そのしがらみが無くなる来年は今度こそ優先度第1位のプロジェクトにしてもいいんじゃないかと。
願望に基づいて立案するいう方針にもマッチしているし有望のように見えます。
……が、肝心のプレイヤーとしてのゲーム意欲がかなり下火であることが大問題。
まぁプレイヤーとしての実績はゲームクリエイトに直接関係無いと言ってしまえばそうなのかもしれません。
ただこの低空飛行の状況で年間計画として遂行できるのか……正直微妙だと思います。


創作は大キリ番記事というきっかけがあったので途中で挫折せずに済みましたが、
来年の計画立案はいずれにしろそういう支え棒になるものはなく、
単にそれそのものに対する能動的な意欲を持続させなければすぐに挫折してしまうリスクがあります。
まぁでも、そもそも「できたらいいな」という願望に基づく目標というのはそういうもののような気がしますが。


実はゲーム制作についてはずっと前から水面下でアイデア出しに動いてはいて、
特に去年くらいからより具体的に考えるようになりました。
今年はそのうちもっとも簡単に作れそうな1案をwebフレームワークで実際に作ってみるなど(#07933 / 2025年09月04日)、
実は実績も皆無というわけではありません。
これを公開するという段階まで押し上げるには良いタイミングのような気はします。
ただ、そのためにはまだまだアイデアの醸成が必要そうではある。
元日から具体的なプロジェクトについて動き出すということは難しそうですが、
年に2〜3本習作を出すというような温度感ならいけるかもしれません。
そしてそれを踏まえて2027年以降に改めてちゃんとしたものを作るプロジェクトを立案するという見通し。
自分の実力を加味するとこれが妥当なのかなという気がします。


……このままだと、ゲーム制作には着手するものの結果的に出張記事の方が大規模なタスクになりそうな予感がしますが、
いずれにしろ2026年はいままでとは気構えもスタンスも違う一年を踏み出すことになりそうです。


#8010

仮想通貨取引反省まとめ 2025年秋期

今日の出来事暗号資産

2025年09月下旬〜2025年11月中旬の仮想通貨取引についての反省と次シーズンの方針をまとめます。
まず前シーズンはリスクヘッジとして原資が1000ドルを超えたら超えた分を別口座に退避する、
前々回の教訓としてインフルエンサーの意見に依存しないという教訓はある程度守れたものの、
一方でやはり「塩漬け戦略」はいずれ爆損して利益が消し飛んでしまう構造上の欠陥があるため、
「バルサラの破産確率」にのっとって2%ルールを適用しようという方針を決めました(#07858 / 2025年06月21日)。


今シーズンはそもそも入金する最初の原資を5万円と超少額からスタートして、
ちまちまと利益を取っていくという方針を採用しました。
が、結局2%ルールは遵守できていなかったというそもそもの反省点があります。
これを遵守するためにはどういうときに損切りするかを具体的に決める必要があったわけですが、
そういうことをしっかり考える前に市場に参加してしまった。
15万円を超えるまでは順調でしたが、たった1回の軽率なポジショニングが利益をすべて消し飛ばしました。
「勝ち続けていくと取引が徐々に雑になっていく」というのは今シーズンの大きな反省点であり、
今後取引に参加するならたとえ雑になっても損失が大きくならないような仕組みは必須と言えます。


とはいえ、毎回ポジショニングのたびに損失ラインを計算して逆指値(ストップロス)注文を出すのは、
あまりにも手間がかかるため徹底できない恐れがあります。
そもそも5万円入金した今回は、雑な取引をしていなかった序盤ですら逆指値は設定していなかった。
この辺はちょっとした心理的ハードルを感じます。しかしとはいえ無策ではいずれまた負けるのは必至。
そこで、次シーズンは以下のような取引ルールを設定することにしました。


  • ポジションを開ける前に市場情報をChatGPTに共有し、ChatGPTのGOサインが出なければポジショニング不可。
  • 1時間足ATR1に等しい値幅を取れたら基本的には利確する。
  • レバレッジは高くても22倍を限界とし、それ以上には設定しない。
  • 続伸しそうな場合、ATR1の35%をトレール幅とするトレーリングストップ注文で利益を最大化する。
  • 当初証拠金の目安は原資の15%。ナンピンは1回までで、ナンピン込みで原資の25%を最大ポジションサイズとする。
  • 23時にリマインダーをセットし、この時点でその日のポジションは解消する(就寝前利確・損切りの原則)。

ポイントは最初と最後です。まずAIのチェックを通すことによって、軽率すぎるポジショニングを避けるとともに、
損切りはリマインダーによって機械的に行うことにします。
AIチェックはそれ自体がテクニカル分析としてそこそこの精度を期待できるというのもありますが、
「AIに市場情報を共有する」という面倒なタスクを通過しないとポジションを開けられない、というのがミソです。
これにより、今シーズン最後の大負けのような「ニュースに便乗」系の軽率なポジショニングを排除します。


そして、もっと重要なのはリマインダーが鳴ったらその日のポジションを全部解消するという点。
これはどんなに利益が出ていても、あるいは損失が出ていてもそこで確定するということを意味します。
何も合図が無いのに自分の意志だけで損切りするのは心理的なハードルが非常に大きいですが、
リマインダーが鳴ったからポジションを解消するというルールならやらざるを得ないだろうという目論見。
そして、一度でも損切りして「23時になったら損切りしなければならない」というルールを体が覚えれば、
23時までにもっと下落しそうな場面で早々に退場するといった決断も徐々にできるようになると思います。
ここがもっとも大事なところで、これを遵守すれば少なくとも一発でロスカはほぼあり得ません。


これの問題点は、ちゃんとしたポジショニングをしないとおそらくお金は増えていかないということです。
「利確はATR1に等しい値幅」「損切りは寝る前」という方針はリスク・リワード比が不均衡であり、
単純にルールを守っているだけでは損切りラインがATR1を上回るケースも少なくないでしょう。
そうなると勝率50%を明確に上回らないかぎりは資産は増えたり減ったりを繰り返すことになります。
その中で少しでも損失を減らし、利益を最大化する工夫を取り入れていかないと資産は増えません。
自分の見立てではこのバランス感覚ならちゃんとやれば勝率は50%を超えるんじゃないかと思っていますが、
損切りしたときに2〜3回分の小勝ちを吹き飛ばす可能性は十分あるとも思っています。
まぁ、それでもロスカットされるよりは全然マシであることは間違いないんですが、
資産が順調に増えるかどうかはやってみないとわからない怖さは少しあります。


その代わり、23時利確を徹底できるなら
いつかはロスカされることを見越していた「1000ドルを超えた分の資産は退避する」というルールは撤廃でき、
資産が増えれば増えるほど純益も(そして損失も)スケールアップしていくことになります。
今シーズンも最後の取引の直前時点では2ヶ月で原資が3倍になっていたわけで、
ちゃんと遵守してなおかつ突発的な暴落に対応したセーフティネットが機能しているのであれば、
長期的にはお金はやればやるほど増えていくのではないかと思っています。
ただし、そのためには毎回の取引を妥協なくしっかり考える必要はあるでしょう。


執筆時点で仮想通貨界隈はまだまだ底を打ったとは言い難い不安定な相場が続いています。
NVIDIAの決算は絶好調だったらしいですが、それだけでは追い風になっていないようにも見受けられます。
結局12月に本当に利下げするかどうかが焦点になるのでしょうか。
とりあえずしばらくはクールダウン期間として取引はやらない予定ですが、
冬のボーナスの一部は次の原資にして、年明けくらいから再開しようかなと思っています。


#8011

結婚の現実的な条件

今日の出来事結婚観

そういえば今年は全然真面目に考える余裕が無かった、「自分は結婚すべきか否か」問題。
基本的には独身を謳歌して無責任に死ぬというのが無難な人生計画になるかと思っていますが、
一方で既婚者に対する妬みが消えないことから、結婚願望がまだ心に残っていることは否めません。
どちらを選ぶにしても振り切った方が良いと思うのですが、
どうもここ数年ものすごく中途半端なところで歩みを止めてしまっている感がある。
去年はどちらかというと年間を通じて生涯独身を支持する思想が強かったように思われ、
地方時代にお世話になった先輩に同意されたことでその思想は補強されました(#07663 / 2024年12月09日)。


今年は元同僚のグループで2人目の既婚者が出たことが、どちらかというと結婚願望を増強する方向に振れさせました。
ただしこれは思想の変化というより単に嫉妬心が呼び覚まされたというだけのことであり、
不純な動機と言ってしまえばそれまでのことです。
この「2人目の既婚者」は失礼ながら自分より年収、業務スキル等々はいずれも明確に下回っているし、
コミュ力や教養や容姿もそれほど優れているわけでもないのですが、実家暮らしをしていたことで資金力がありました。
この人の成功例から、「自尊心を捨ててカネさえ出せば結婚はいつでもできる」と考えるようになりました。
それが正しいのかどうかもわからないし、失礼な偏見に基づく失礼な仮説にすぎないというのはその通りなのですが、
身近に具体的な前例ができたことで結婚の現実的なハードルは実はかなり低いと再認識したのは確かです。
決して生まれたときから勝ち組のイケメン美女だけがしているわけではないと。


ここでいう「現実的なハードル」とは何かというと、つまりお金です。
結婚費用の平均は結婚式ありで450万円(祝儀で4割返ってくる)、結婚式なしで100万円というのが相場だそうで。
これをポンと出せる余力があるなら、あとは結婚相談所にでも登録すればいい。
要するに奇跡的な出会いだとか異性から見た魅力云々というより、お金の問題だということです。
ロマンチシズムを全否定していますが、
恋愛というフェーズを飛ばして考えるなら必然的にそうなるということなのでしょう。
もちろん相手のステータスは最低限になりますが、
できる・できないで言えば、最低100万円用意すればできるということになる。


もちろん、したい・したくないという問題はまた別個で考えなければなりません。
パートナーがほしい・ほしくないで言えば、理想論だけで考えればほしいのは間違いないでしょう。
むしろいまの希薄な人間関係だけではいつか心が壊れてしまうんじゃないかという危機感もあり、
パートナーがいることはそれに対する救いになりうると思います。あくまで理想論にすぎませんが。
最大の問題は子育てをしたい・したくないという問題です。
子育てはどんなに甘く見積もっても茨の道の連続であることが容易に想像でき、人生への影響は計り知れません。
結婚そのものよりもはるかに大きな影響があるでしょう。
ここに対する自分なりの結論というのをちゃんと持っていないと、結婚する資格はないだろうと思っています。
まぁここは個人でどう思うかというよりパートナーと考えるべきところであり、
いま考えても仕方がないところではあると思いますが。


いずれにしろデッドラインは30代後半までだと思っています。40歳になったらアウトという認識。
そこを越えてから「やっぱりしたい!」と思っても、お金があっても手遅れな可能性がある。
もちろん現時点ですら10年遅いと言われればそうなのですが、
とにもかくにも最終的に判断する材料にするためにも一定程度の行動はどこかで起こしておきたいところです。


#8012

好きという感情への不信

昨今の自分は、コンテンツに対する「好き」という感情に対する疑念が拭えずにいます。
果たしてそれは本当に「好き」なのかと。
たとえば何らかの推し概念(キャラクターや作品など)と出会って「これは好きだな」と思ったとして、
それを「素直に行使」することができないと感じる。
直近だと『カービィのエアライダー』です。
これはゲームとしてはかなりの期待作であることは間違いないんですが、
一方でタイムアタック、スコアアタックの選択肢が多いことから
自分が運営しているゲームのスコア集計サイトのフォーク(コピー)を作ることに適しているタイトルでもあります。
もしそういう需要があるならサイト運営の承認基盤としてエアライダーを「利用」したいという機運がある。
しかし実際には自分を名指しして「ぜひ作ってほしい」と言ってくれる人なんて存在しない。
そんな不確実な状況で新規サイトを立ち上げられるようなモチベーションもなく、結局頓挫することになります。
そうすると、ゲームそのものに対する情熱にも確実に悪影響を与える。
これはゲームに対する「好き」を承認欲求や自尊心というより強い感情に飲み込まれてしまった例です。


ゲームに関してはネット利用遍歴の都合上、どうしてもネット活動との結びつきが強く、
どうしてもこんなふうに承認欲求に飲み込まれては頓挫するということをしてしまいがちです。
ただ単にゲームを楽しむという当たり前のことがなかなかできていない。
ネット活動に関しても、近年の傾向は10〜20代のそれよりも狂ってきているように感じています。
昔の自分ならニーズなんて考えずにとりあえずフォークを作っていたことでしょう。
そして利用者がまったく入って来ずに爆死するということを繰り返していた。
しかし「まず作ってみる」という気概がせめてあったおかげでさまざまな挑戦はできていたと思います。
いまやそういうことさえできなくなり、ただただ心にわだかまりが溜まっていく一方になりつつある。
ネット社会も社会なのだから確実にニーズのある活動をするべきだ(#07900 / 2025年08月02日)という考えはあるものの、
「ニーズがあるかも」という程度の確実性では実際に行動するにはかなりの勇気が必要になります。


一方、ネット活動と結びついていないコンテンツは比較的「好き」という感情に素直になれている部分がある。
今年も先月〜今月上旬にエレクトロニカへの興味が再燃しましたが、
この音楽ジャンルについては出会って以降折に触れて「好き」を再確認する機会があり、
その遍歴を考えると本当に好きなんだろうなぁという気はします。
これは好きという感情が純粋か、あるいは情熱が大きいかといったことよりも、
承認欲求に阻害されていないという事実が素直に「好き」を行使できる要因になっていると思われます。
より好きになったというよりは、好きという感情に付随する自尊心を否定される機会が無いというべきか。


ゲームも、本当は好きなんだと思います。
ただネット活動に結びつけてしまうとそこがどうしてもぼやけてしまう。
好きという感情が不明瞭なら活動として体をなさないのも当然の話で、二兎を追って共倒れしているのが現状です。
確かに「自分が好き×承認欲求を満たせる=モチベーションが爆上がり」という図式は間違っていないと思いますが、
好きを発掘するたびにそれを狙っていくのは現実的ではないし、共倒れリスクもあります。
この辺は改めて線引きをするのが無難なのかもしれない。
一定の情熱未満なら完全にローカル&プライベートで楽しむものとして割り切る、
そのラインを明確に越えているなら余りある情熱を使ってネット活動に結びつけてみるという感じですね。
このラインは、ざっくり体感でゲームタイトルなら3〜5年に1本出れば上出来というレベルだと思います。
『カービィのエアライダー』は今年の期待作ですが、ネット活動に結びつけるのは不適切ということでしょう。


これはなにもゼロヒャクで考える必要はなくて、
ゲーム内でゆるやかに他人と関わりあうMMOやソシャゲのようなゲームも存在するし、
ラインを越えていなくてもSNSで1投稿するだけならできるというようなケースもあるでしょう。
そういう両極端ではない いいとこ取りのコンテンツと出会えれば、それが転機になるのかもしれない。
ここ最近、ゲーム周りは迷走を続けているので視点を変えつつ試行錯誤したいところではあります。
少なくともSwitch 2を転機に新作ゲームを追うだけでは解決にならないと実感しました。
それをもって「ゲームはもうダメだ」と諦めることは簡単ですが、
まだ全部投げ捨てるのが正しいと言える段階ではないような気はする。


#8013

大乱走スーパーRTAパーティ

今日の出来事RTA

「大乱走スーパーRTAパーティ」というRTAのリレー系イベントをずっと見ていました。
我らがピクミン勢が参加するのでその応援という名目でしたが、
他のゲームもかなり面白く、気がつけば合計4時間くらい見ていました。
RTA文化はもともとゲームが上手い人がイベントに向けてさらに仕上げてくるため、
(VTuberなどの一般ゲーム実況者と違って)すいすいと攻略していく様が爽快で見応えがあるんですよね。
ゲーム本来の面白さをかなり純粋に楽しめるという点で面白いコンテンツだなと改めて思いました。


『あつまれどうぶつの森』はFirst Debt、つまり最初の借金(マイル)を返すまでのタイムを競う種目でしたが、
高度に最適化された手順によってマイルを貯めていく中でも運ゲー要素があり、毎回それに振り回されます。
あつ森は木を揺するとまれに家具が落ちてくるのですが、これを引き当てるとタイム短縮になるそうで、
イベントではまず狙えないものの記録狙いだとその低確率のガチャを余儀なくされるそうです。
それを聞いただけでもなかなか闇の深そうなRTAだなと。


『マリオパーティ2』はミニゲームコースター(むずかしい)オールクリア。
つまり全ミニゲームをCPU相手に勝利していくわけですが、基本スキルはもちろん連打力も問われるし、
「5キノピオブロック」「スピードホッケー」のようにかなりの動体視力が問われるミニゲームもある。
「はちのすブンブンブン」に至ってはCPUの挙動次第で詰む完全な運ゲーです。
難易度:むずかしいは素で難しく、多くのゲーマーを苦しめてきた高難易度コンテンツですが、
RTAとしてもゲームとしての総合力を問われる面白い種目だなと思いました。


あと『Wii Sports』は純粋にコンテンツとして面白いという。
あらかじめネタMiiを作って本体に保存しておけばそれらがキャラクターとして出てくるので、
ネタ枠として走るにはうってつけのコンテンツですね。これを採用した運営さんはわかってる。


一般に、RTAイベントでは同種目を同時にスタートして全部終わったら次という形式ですが、
この「大乱走」はチームごとにバトンを繋いでいくリレー方式が採用されていました。
これは視聴者目線ではさまざまなゲームを同時並行で鑑賞できるという良さはあるものの、
実況・解説がかなり難しく結果的にトップを走っている人にフォーカスが当たりがちというデメリットもあり、
あんまり大規模なイベントでは採用されにくい、中小規模のイベントならではの形式という感じがします。
ただ、図らずもそれのおかげで自分は今回さまざまなゲームの面白さを知り、
ひいてはRTAイベントへの興味が芽生えてきた気がします。
ピクミン勢も全員かなり上振れて好記録を出してくれたので大満足のRTAイベントでした。
この興味が続けば次のRTA in Japanは見ると思います。


#8014

最低限の一年

今日の出来事年間計画

今年はある意味、今後10年くらいの「1年というレンジ」をみる際の指標になるような1年だったと思います。
正直ベースで振り返ると、主にやったことはAI画像生成、創作が半分ずつといった感じ。
あとは現状整理と合理化、今後の見通しみたいな棚卸しは進みましたが具体的な成果は無く、
1年をかけて人生の中間地点を作ったというような実感があります。
もちろん、成果に乏しいという点で今年に対して良い評価を下すことはできません。
一方で、この体力・気力で1年を過ごす場合の及第点というのは現実的に見てこれくらいなんだろうな、
というような感じもします。これくらいがナチュラルに1年でできる行動量なのかなと。
ナチュラルにというのは、基本的に簡単にでき、余計な苦労をすることもなくできる範囲というニュアンスです。
有り体に言えば、いわゆる「努力」をしなくても日々の積み重ねでできる範囲。
この枠を越えるには、面倒臭いけど頑張ればできる、というレベルのタスクを積極的に設定していって、
そこに向かって能動的に「頑張る」必要があります。


そんなことは当たり前じゃないかと思われるかもしれませんが、
自分のここ2年の思想というのは努力を間接的に否定していた節もあり、当たり前のことができていませんでした。
要するに、実現可能性が低すぎることを空想しても不毛だという意識が強くなった結果、
確実にできることを合理的にこなしていこうという考え方が支配するようになった。
それによって、「できないかもしれないけど、頑張ればできるかも……」というような、
自分にとってキャパシティの閾値を越えるようなタスクは機械的に切り捨ててしまっていたように思います。
本来努力とは、「頑張ればできるかも」というギャップを埋めるためにこそ発揮されるものであり、
そういうタスクを切り捨ててしまえば発揮される機会が激減することは想像にかたくありません。


努力をしないと、結果的に達成感も得られないし挫折もしない。終始平坦な日々を過ごすことになります。
自分の無能さを織り込んだ合理的なタスクだけでは人生面白くないわけです。
そこで失敗してもいいから「できないかもしれないけど、できたらいいな」ということにあえて挑戦してみる。
挑戦してみないと達成感を味わうことは永遠にできません。
もちろんできなかったら悔しいのでしょうが、それは決して後味の悪いストレスではないと思います。
また結果的にできなくても、少なくとも「できたらいいな」という希望を抱いているうちは大きなエネルギーが宿ります。
その過程こそ自分のポテンシャルを引き出すために重要な所作なのではないかと。
これは、今年の03月時点ですでに出ていた考えです(#07755 / 2025年03月11日)。


今年は結果的に達成感を追い求めることはできませんでした。
創作設定という大型タスクは用意したものの、できるレベルまで相当希釈してから臨んだので行動的な負荷が少なかった。
結果、大キリ番記事を投げ出すという最悪の事態を避けられはしたものの、
一方でこれを2025年の成果として言えるかと言われると微妙なところがあります。
実態としては「できて当たり前のことをやっただけ」だからなんでしょうね。
むしろ掲載日前日まで着手せずに当日めちゃくちゃ苦しんで作った方が達成感はあったのかもしれない。


年間計画は、できて当たり前のことをめちゃくちゃ希釈してまで絶対やり通すようなものではありません。
できないかもしれないがやってみたいこと、かつ当年中にできなくてもペナルティが無いような事柄を、
あえてその年にやるんだという一歩を踏み出すためのサポーターのような役割が適しているのだと思います。


とはいえこれは理想論であって、「できて当たり前」のことさえもできないのが現実だったりするわけです。
結局最低限以上のことはまったくできなかった今年がそれを物語っていると言えるでしょう。
それを薄々感じていたからこそ、2024〜2025年の目標はずっと小さくしていたという背景もあります。
しかしこれではあまりにも効率が悪いので、どうにかしたいという気持ちがある。
行動量としては最低クラスの今年がある意味基準点で、
来年はここからいかにして「必要最低限」以上のことを盛れるかどうかがポイントになってくると思います。
逆に、金輪際動けないような年は「2025年を下回るのはマズい」というような指標になるわけですね。
現実的に2025年を大きく上回るような年は今後そうそう出てこないと思われ、
どちらかというとどうにかして今年以下を出さないように死守することになるんじゃないかと思います。
そしてこうした内省によって可能なかぎりタスクを合理化していくという営みは、
年齢が重ねれば重ねるほど重要度を増していく運命にあるんじゃないかと改めて思うわけです。


#8015

ゲーム会の意欲低下

今日の出来事意欲不足

元同僚の提案で、元同僚たちと我が家で集まるゲーム会を来月初頭に開催することになりました。
とりあえず二つ返事でOKしてしまったのですが、冷静に考えてみるとかなり気乗りがしない。
これ、もしかすると心境的にはキャンセルした方が妥当なのではないかとまで思っているので、心境を整理します。


ゲーム会は5年前からある不定期イベントで、最近は1年に1回程度会うという頻度で開催していました。
2020年初頭当時研修を受けていた同期同士で集まって、
軽く酒をあおりながらそれぞれの現状やら業界のヤバさやらを一通り話したあと、
自分が持っているゲームやボードゲームで遊ぶという6時間ほどのオフラインイベントです。
年を取ってから上京した自分にとっては貴重なオフラインでの交流機会であり、
そういう意味ではとても大切なイベントであることは間違いありません。
そして過去十数回は例外なくその開催を楽しみにしていました。が、今回初めてそういう気持ちになれない。


この要因はざっと3つ思い付きます。まず、そもそも前回からそれほど間が開いていないこと。
前回の開催はSwitch 2の購入直後だったので、今年の06月です。
近年は年イチ開催が通例だったので、半年のスパンでもう一度というのは間隔が短い。
なんでこのタイミングで(後述の既婚の同僚が)集まりたいと提案してきたのか謎です。
まだそんなに積もる話も無いしなぁ、という気持ちにはどうしてもなります。


それから、やはりというべきか自分自身のゲームに対する興味の減衰が著しいこと。
別に他者とオフラインでぜひゲームしたい、というような気分でもない。
『カービィのエアライダー』が出たばかりという点ではタイミングは良いですが、
それでもなお、いまの自分が楽しめるとは思えない。
こんなモチベではシティトライアルでイライラすること請け合いなので、それならいっそやりたくないという気持ち。
Switch 2発売直後はまったくこんなことを考えていなかったので、これはこの半年の心境変化だと思います。
この事実だけ見ても自分は確実に悪い方向にメンタルが歪んできていると言わざるを得ない。


従来の自分なら、とりあえず他人と話すことは楽しいのでなにはともあれ集まるのは歓迎、というスタンスでした。
が、いまはとにかく実績も無いし進展も無いので、
むしろ中途半端な自分を他人に見せたくないというような気持ちがある。
「誰かと話したい」という欲求よりもそうした欲求が上回るケースはかなり珍しいです。
まぁ人間そうそう半年で成長しないんだからなあなあに世間話でやりすごせばいいじゃん、
という考えもあるかもしれません。事実それで今回を凌ぐというのもわりとアリだと思っています。
ただ、そこまでして集まるイベントでもないというのもまた事実。


まぁ、あとは既婚になった同僚に対する妬みの感情を片付けられていないというのもあるのかなと。
これは前回のゲーム会の最中に明らかになったことです。
自分の価値観ではこの同僚は明らかに「正攻法」ではない方法で結婚していて、
それは自分に言わせれば誠実さを欠く行為です。
ただ、だからといって同僚を責めるのは単なる価値観の押し付けであり、どこまで行っても個人的な妬みでしかない。
これもゲーム会で結婚についての話をいっさいしなければ済む話ではあるのですが、
自分が我慢したところで他の人が言及しない保証は無いし、
我慢してまで開催するほど価値のある会とも思えないんですよね。
結局この妬みが「相対的に成果を出せていない自分」を浮き立たせ、他2つの要因に波及しているような気もします。


価値観の押し付け云々については、久々に矯正しがいのある道徳的問題だと思っています。
恋愛に関する妬みについてはほぼ同じケースを使った考察で5年前にすでに結論を出していて(#05885 / 2020年01月30日)、
ここでの負の感情は「本当は自分もそれをしたい」という欲求があることの証明であるとともに、
「自分は『自分ルール』に沿って遠回りしているのに、あいつらはショートカットしててズルい!」
というような、あわよくば自分も自分ルールを放棄したいという助平心があるからだと分析しています。
これはまあ、その通りだと思います。
ただ、5年前当時も「自分ルールを守るべき自分」と
「そのルールの範囲外に存在する他人」をどう分けて考えるかについては結論が出ていない。
そこはリベンジするべき問題なのかなと。


話が逸れましたが、以上3つの事情から今回のゲーム会は気が進まず、
軽率にOKを出したことを若干後悔しています。いまからでも中止する方向で動くべきか否か……。


#8016

2026年計画草案 #3

今日の出来事年間計画

年間計画を整理するにあたって、今年の反省を踏まえた来年の方針を整理しておきます。
年間計画そのものに対する反省と方針については前回書いた通りですが(#08009 / 2025年11月19日)、
他にも今年初めて言語化できた反省はいろいろあります。


まず、一番大きな方針がここ2〜3年の「確実にできることをベースとした計画」からの脱却ですね。
自分は上京以降、職場でいろいろとチヤホヤされる機会があって確実に調子に乗りました。
それによって年間計画をはじめとして「やりたいこと」のインフレが急速に進み、
しかしスキルがそれに追従するわけでもないので結果として出せる成果が大きく減りました。
2023年はともかく、2024年以降は完全に自信を損失して年間計画を「最低限できること」をベースに構築し、
しかしそれでもなお実現率は低いという失態を犯してきました。


2025年03月のメテオス20周年を契機に「できて当たり前のことでは心はワクワクしない」ということに気づき、
またそれは義務によって怠惰な自分を無理やり動かすことはできても、
「できるかどうか微妙なタスクを実現するための地力」としての努力を行使する機会が大幅に減るため、
結果として自己肯定感が徐々に削れていきメンタルにも差し障りがあるということを実感しつつあります。
これを打開するためには、「できるかどうか微妙なタスク」を設定して、
挫折してもいいから達成感を味わえるかもしれない余地を積極的に作るべきでしょう。
できて当然のタスクとは別に、チャレンジタスクを設定するというのが2026年の主な方針です。


2024〜2025年で年間計画として立てたような「今年絶対やらなければならないタスク」は、
年間計画というより月間計画や週間計画などより狭いレンジで具体的に立てていくことになると思います。
それは結果的に1年のうち多くの割合を費やしたとしても年間計画にはなりません。
一方、年間計画はチャレンジタスクであるべきで、それは「できるかどうか微妙なタスク」である必要があります。
これはいまのところゲーム制作が妥当だと思っていますが、その妥当性を担保する考えはまだまとまっていません。


月間計画などのタスクもある程度タスク量を増やすことによって、
量的な観点から「できるかどうか微妙」を維持して達成感を味わえるようにしたいと思っています。
ただ年間計画を立てるだけだと、1年のうちいずれかのタイミングで着手すればいいと考えがちなところもあるため、
結果として1年の大部分を惰性で過ごしがち。もう年齢的にそんな時間の浪費をしている場合ではないわけです。


ここで重要になるのは「月間計画」であると踏んでいます。
毎週月曜日にその週の週間計画を立てるというのはもうEvernote全盛期のころから習慣化しているので問題ない。
年間計画についても毎年11〜12月にしっかり考えるというルーティンが確立しつつあります。
ただ、実は月間計画についてはいままでちゃんとやったことがないんですね。
月間計画は、年間計画を12分割して詳細に落とし込みつつ、
週間計画のフィードバックを受けて全体の舵取りをするという重要な立ち位置になるんじゃないかと思っています。
むしろいままでこうした中間的役割が無かったからこそ年間計画がうまく実行できていなかったのかもしれない。


前記事からあまり進展していない話でちょっとアレですが、
とりあえず「月間計画を立てる」というのは2026年の方針として確定でいいんじゃないかなと思っています。


#8017

嫉妬の根源を整理する

いわゆる既婚者などの恋愛市場における「成功者」に対する嫉妬は思春期以降長く続く負の側面であり、
昨今は元同僚の結婚によってその感情がいまもなお根強く残っていることを自覚せざるをえなくなりました。
この問題は単に恋愛観・結婚観のみならず自分のアイデンティティーにも深く根ざしている問題でもあり、
解決はそう簡単ではありません。
しかし一方で、今後も嫉妬し続けるのは明らかに不毛であり、人生に悪影響を及ぼす可能性を否定できず、
乗り越えられるなら乗り越えるべきハードルとして認識しています。
今回、良い機会だったので多少深くまで掘り下げてみました。


まず、自分の周りにはわかりやすい比較対象として既婚者が2人います。仮にAさん、Bさんとします。
この2人は以下のようにわかりやすい差異があります。


  • Aさん:30代半ばで、自然恋愛の結果として結婚した。客観的に見て清潔感のあるイケメンで、コミュ力は高い。
  • Bさん:40代前半で、結婚相談所を利用してすぐに結婚した。容姿は平均以下で、業務スキル・コミュ力ともに低い。

自分はAさんに対しては嫉妬心をいっさい抱きませんが、Bさんに対しては強く嫉妬します。
これは、Aさんは日頃から人としての基本ステータスを高めるために継続的に努力していて、
しかも対人スキル・業務スキルをも高めようとするモチベーションが客観的に見て高いので、
そうした努力を払った結果としての結婚という捉え方ができるのに対して、
Bさんは努力とは無縁にも関わらず結婚相談所という制度を利用してお金の力で結婚しているという認識だからです。
つまり、結婚は努力の結果であるという前提に基づくとBさんの結婚は不当な報酬なのではないか、という考え。
そもそもBさんは実家暮らしなのでお金が貯まることさえ本人の努力の結果ではなく、単に運が良かったからです。
そういう意味でも独身かつ地方出身の一人暮らしからはなおさらアンフェアに映る。


では結婚相談所を利用した結婚は「ズルい」のかというと、ここは信念との兼ね合いでそう見えるのかなと。
結婚相談所は、まず第三者の介入がある時点で主体性に欠けています。
「赤の他人である誰かに選んでもらった『いますぐ結婚したい相手』と結婚する」という側面を否定できないわけです。
世の中のカップルが交際開始してから結婚に至る平均年数は3.4年だそうですが、
自然恋愛の結果として結婚する人は少なくない時間コストを払って人間関係を十分に成熟させてから結婚しているわけで、
結婚相談所を利用したスピード婚はそうした段階をもカットしてただ結果としての結婚を追い求めています。
つまり彼らは、交際相手と深く分かり合った結果として結婚をしているというよりは、
ステータスとしての「結婚」を得たいがために活動しているという事実を否定できません。
必死に勉強して受験戦争を勝ち抜いて大学進学する高校生も
「学生という肩書きがとりあえず欲しい」と思って通信制大学にお金を払って入学する社会人も、
過程や実態に大きな差はあれど、それぞれ「大学生」という肩書きに違いはありません。
恋愛結婚と見合い婚(結婚相談所を利用した結婚)にもそれと似たようなものを感じます。
合法な制度としてあるルートを利用することは悪とは言えない。
けれど、そこまでして結婚したいかどうかというのは個々人の信念(自尊心)に依存すると思います。
そして、ある種の信念を持つ人にとって、結婚相談所の利用はある意味「誠実でない」ように見える。


また、結婚に必要なものは突き詰めると、見た目の良さや異性としての魅力といったステータスよりは、
ある程度の年収と結婚してから死ぬまで共同生活をするに値する価値観の一致です。
つまり、過程としての恋愛は必ずしも必要なわけではないというのが重要なポイントになると思います。
そう言う意味で見合い婚はその人の異性としての魅力や見た目、
その他社会的ステータスが全面的に肯定されなければ成婚しないというわけではなく、
その意味では価値観が一定程度一致する相手と「契約」を取り交わしたにすぎないという見方もできます。
「運命の相手」などというものは存在し得ず、価値観さえ一致すれば究極的には誰でもいいわけです。
そこに果たして愛は介在しうるのか、はなはだ疑問です。
「幸せ」を価値基準の中心に据えたとき、恋愛結婚と見合い婚の価値は大きく乖離している可能性は否定できない。
もちろんそれは一般論であり、個別具体的にはそうでないケースもあるでしょう。


ただ、事実として結婚相談所には行き遅れた人をメイン層として男性の約3倍の未婚女性が待ち構えていて、
彼女たちは(社会的外圧のせいで)必ずしも主体的に婚活しているわけではありません。
自分は、そういう人が結果としての結婚をした結果、軽率に選んだ旦那との共同生活が嫌になってしまい、
かといって不倫や離婚をする勇気も無いのでただひたすら陰口を言って発散しているケースがあるのも知っています。
「旦那デスノート」みたいなサイトはそういう受け皿として需要があるということなのでしょう。
こういう実態も考慮すると、見合い婚は幸せになるどころか地獄の始まりになる可能性すらある。


自分はBさんの容姿と基本ステータスのみを知った上で、
「結婚した」という報告を聞くとどうしても嫉妬してしまう。
自分が得ている情報だけではBさんが不当に利益を享受して幸せになっている可能性を否定できないからです。
しかしここまで考えてきたように、一般的にイメージする恋愛結婚と見合い婚の実態にはおそらく乖離がある。
自分がイメージするような結婚そのままの幸せを享受していない可能性も十分あるということです。
しかし、実際にはどちらが正しいのかは第三者には知る由もありません。
ここが大きな問題で、このように情報の不足によってどちらもありうるが、
どちらか一方だった場合に自分にとって著しく都合が悪い場合、そちらの可能性を強く意識せざるを得なくなります。
これは嫉妬心のメカニズムであり、理屈では「どっちも半々でありうる」と分かっていてもどうにもなりません。
きれいに50:50で分けて考えることができないわけです。
これが一般的な心理作用なのか、一種の「ゆがみ」なのかは分かりません。


ただ、「ゆがみ」であるとしたらそれは他人のことを自分ごととして捉えてしまうという「ゆがみ」なのかもしれません。
メンタルが弱っているときに陥りがちなことです。
自分はこれまでの人間関係トラブルの反省として、他人に期待することは基本的にはするまいと心に決めました。
その決心はこれまで比較的順調に続いてきたように思っていましたが、
この嫉妬も言うなれば「結婚に関する決断はきわめて慎重に、自由かつ誠実に準備したうえで為されるべき」
という個人の信念を他人に適用しているからこそモヤっている側面も否定できません。
つまり自分だけのルール(信念)で他人をはかり、他人がそれを逸脱しているので怒っているにすぎないのではないかと。


また、「自分がその立場だったらしないことを他人がしていると怒りを感じる」というのは
昨今のSNSの炎上の基本的な動機でもあると思います。
だから著名人はきわめて慎重なコンプライアンスを運用せざるを得なくなっているし、
その息苦しさはすでに個人にも蔓延しています。
こう書くとこの問題は倫理をどう捉えるかというところに行き着くような気もします。


さらに言えば、結婚に対する嫉妬心は時代が生み出した偏見と捉えることもできると思います。
人類史全体から見て、恋愛結婚が「当たり前」だった時代はほんのここ50年ほどの新しい概念であり、
しかもすでに廃れ始めているように思います。
自分はその50年のど真ん中に生まれた世代であり、恋愛は素晴らしいもの、ロマンチックなもの、
そしてその終着点として結婚があるという「常識」を周囲の大人やメディアによってさんざん刷り込まれてきました。
見合い婚やマチアプなどのシステムを使った恋活・婚活はその常識に反するものであり、
世代的価値観の観点から受け入れるのが難しいという見方もあると思います。
自分よりもっと上の世代はお見合いが一般的だったし、下の世代はマチアプが一般的なので、
ちょうどその狭間に生まれてしまった、ある意味では不幸な世代と言えるでしょう。
「時代のせい」で片付けるつもりはありませんが、思春期に植え込まれた偏見というのはきわめて強力な思想であり、
これを否定することは思春期の体験を否定することにもなりかねません。


果たしてこれは信念など価値観の問題なのか、メンタルの問題なのか、倫理の問題なのか、はたまた世代の問題なのか。
恋愛と結婚という問題はそれらが交わったところに存在する、ひときわ厄介な案件なのだと改めて思います。
自分が結果的に生涯独身を選ぶことになったとしても、それまでにこのテーマが片付いているのかさえ分かりません。


#8018

甘い言葉の人生論

今日の出来事人生観

いつの間にかブログ界の国内最大手に君臨していた「note」ですが、
まれに良記事に出会うことがあるので最近たまにおすすめをざっとチェックするようにしています。
そこで、『20代を逃した人が、40代で追い抜く方法。 』というタイトルで、
その言葉通り20〜30代を無為にやり過ごしてしまっても大丈夫だよという趣旨の内容の記事が注目されていました。
6,000いいねが「注目されている」と言えるかどうかは分かりませんが、
数値的にはかなりバズっている部類ではないでしょうか。


著者は、まず20代で頑張った場合はそれが「複利」としてその人の資産になるとしつつ、
若いうちから頑張れば構造的に優位になることを認めています。
一方で、「複利」で成果を得るのは何も時間的リソースを費やすだけではないと指摘。
40代からでも活路はあると言います。
そのためにも、まずは「自分は出遅れた」という自己否定をやめること。
過去を取り戻そうとする自己否定や焦りはかえって判断を鈍くするというのです。
20代はその体力と若さで失敗を恐れずに数をこなせること(失敗できること)がひとつの強みである一方、
年齢を重ねた場合は若いころと比べて選択を研ぎ澄ませることができるのが強みである。
「どれだけ頑張るか」という努力の度合いよりも、
どこで戦い、誰と関わり、何を残すかという選択についてしっかり見直し、リソースを集中することが大事だと。
また、その集中すべき活動を習慣というシステムに落とし込むことも大事だと言います。
若いころのように衝動的に行動するのではなく、習慣という形に設計して静かに前進を続けるべきだと。


二流の自己啓発本みたいな内容ですが、バズっているので刺さっている人が多いのでしょう。
しかし基本的な理屈として、量や質、そのベクトルはともかくとして努力の末に成功があるとするならば、
20代から努力している人に、20〜30代を怠けて過ごした人が勝てるわけがない。
「追い抜く」というのは誰に対して言っているのか分かりませんが、
素直に解釈すれば「20代を逃した人以外の他人」に対して言っているものと思われ、
だとしたらそれはちょっとした誇張表現であり現実的ではないように思います。


この記事の内容は体力が衰えてからの頑張り方の指南書としては、方向性は誤っていないと思います。
近年の自分も、どちらかというとこの著者の言うような「選択重視」の活動をしてきました。
どんなこともいったんは必要性を疑い、明らかに無駄なことはしない。やると決めたことはなるべくやる。
それ自体も本当に正しいのかどうかは分かりませんが、
一方でがむしゃらに頑張る気力がもう残っていないのはれっきとした事実であり、
がむしゃらに頑張れないのであれば選択から見直そうとするのは当然の流れであるように思います。


ただ、じゃあ20〜30代を怠けずに努力し続けた人が選択と合理化をしていないかというと、そんなことはありません。
彼らはそれこそ複利でとてつもない高さまで登っていて、もはや別世界を生きています。
そもそも本当に成功する人は、選択と集中を10代、20代のうちからやっている。
大学進学や就職など、制度設計的に若年の段階で「選択と集中」をする前提で作られているのがこの社会です。
10年以上何も生み出せなかった人がタスクの合理化だけでそれを追い抜けると考えるのは甘すぎると言わざるを得ないし、
「追い抜く」という言葉自体が競争原理の泥沼から抜け出せていないようにも思います。
競争原理の中に生き続けるかぎりはそこには勝ちと負けがあり、
40代までに努力できなかった人はさまざまな面で負ける可能性があまりにも高い。
それって活動の合理化でどうにかなる話なのだろうかと。


むしろ大事なのは著者も言っている「自己否定の停止」だと思います。
過去にサボっていたことを後悔するとますます時間を浪費する悪循環になるのでまずはそれをやめる。
そして過去(体力・気力があったころの自分)を基準とした活動設計をしない。
後半の甘言よりもこっちの方がよっぽど重要なのではないかと思いました。


余談ですが、当該記事の関連記事に「20代でサボった分は30〜40代では二度と埋められない」と言っている人もいました。
20代の頑張りがその人の社会活動の基準になり、人はその基準を急に逸脱できない。
なので20代に頑張って当然という基準を作った人はそのペースで走り続けるし、
手を抜いた人は30代になっても相変わらず手を抜き続ける。
20代から勉強している人はそれ相応の評価や信頼を得ているのでさらに学びを深めやすいなど、基盤もしっかりしている。
30代からスタートしてもそういった基盤はなかなか得られないのだと。


さて、どちらが正しいのでしょうね。
まぁでもこういうのは何が正しいとか正しくないとかというのはあまり意味が無いのかもしれません。
30代まで努力してこなかった人に後者の記事の内容を告げても「だからなに?」と言われて喧嘩になるだけです。
過ぎたことをわざわざ掘り返して責めたところでなんにもならない。
かといって前者の甘言で「君はいまからでも20代から努力している人に勝てるかも!」と言ったところで、
短期的には良い気分になっても結局なんの解決にもなっていない。
しかし、いいねがもらえているのは圧倒的に後者であるという現実もあります。
正しいかどうかというよりも、それを読んで楽になるかどうかで社会的評価(いいね)が決まっているようにも思う。
こうして考えると、不特定多数相手にこの手の人生論を披露するのは難しいと改めて思いました。
このブログのような自己批判的な主張をnoteに繰り広げても誰にも読まれなさそう……。


#8019

物欲より食欲

今日の出来事金銭関係

先日のゲーム会で「何か欲しいものはないの?」という話題になり、かなり答えに迷いました。
近年の自分は物欲がかなり冷え込んでいる傾向にあります。
そもそも実家時代にめちゃくちゃな無駄遣いをしていた反動で上京以後はかなりおとなしくなり、
そこに仮想通貨の失敗がトドメをさしたといった感じです。
もちろん欲しいものが皆無というわけではないのですが、
必要性を吟味すると最終的に「いま買わなくてもいいか……」という結論に至ることがあまりにも多い。
これは、一時的にでもかなり金銭的に困窮した期間が続いていたので、
自分の中でお金の価値がものすごく上がってしまったためと認識しています。
もうすぐ冬のボーナスが支給されて明確な余剰金が数十万円懐に入ってきますが、
それでも何かを買おうとは思えないのが現状です。


これは投資(投機)によってお金に対する見方が変わってしまったというのも多分にありそうですが、
「買ったところで楽しめないだろう」という総合的な意欲の低下も多分に影響しています。
なにしろかつてのメイン趣味であるゲームの本命タイトルですら買ってもロクに楽しめないのですから、
そんじょそこらのコンテンツを食い漁ったところでゲーム以上に楽しめないことは目に見えています。


一方、できるだけ贅沢したいという気持ちがあることはもちろん否定しません。
今日は華金だから新宿のちょっといい店でごはんを食べたいとか、そういう欲求は全然ある。
つまり昨今の自分にとってのお金は娯楽品を買うためのリソースというよりは、
日々を少しだけ贅沢に過ごすためのリソースという意味合いの方が強くなってきたように思います。
そしてそのハードルはそんなに高くない。いつもより数百円高いメシでも十分満足できます。


このことを考慮すると、ボーナスが入ったとしてもそれで何か買おうと無理に考えたりしないで、
代わりに普段使いの財布に少しだけ多く紙幣を忍ばせておくだけでもQOLはかなり上がるんじゃないかなと思いました。
これまでは月に使う生活費はキッチリ目標を設定してその範囲内で生活してきましたが、
今回のボーナスでもう一段階うるおうのでその設定をもう少し緩くしてもいいのかもしれない。
趣味に使わない分のお金をより生活費(食費)に回してしまおうということです。
まぁ、とはいえそこまで食に対して貪欲というわけでもないんですけどね。
ただ入れる飲食店の選択肢は確実に増えるので、そこはQOLにも多少影響するところかなと思います。


物欲が無いことは果たして幸せなのか不幸なのか。
まぁ、物欲が死んでから以前よりもあまりワクワクしなくなったというのは事実かなとは思います。
かといって無駄遣いと分かっていてお金を使うこともできないので、
この辺は心の底が温まってある種の純粋さを取り戻すまでは保留することになりそう。
もしこれが加齢のせいだとしたら、もう二度と復活しない可能性も否定できませんが……。


#8020

生成AIと心中する覚悟

今日の出来事ai

改めて、自分にとって今年はAI活用が花開いた年だったと思います。
生成AIというくくりなら2022年からすでに触っているし、
2024年の4代目本家ブログ制作作業からはweb開発にAIの活用を取り入れました。
ただ、そこまではあくまでもひとつのアシスタントツールとしての地位にとどまっていたように思います。


今年は創作設定を作るための「壁打ち」としての思考アシスタントとして活用を始めたのを契機に、
AIとの対話を思考整理に使うことを本格的に始めました。
これはある種のシンギュラリティと言ってもいいかもしれません。
いままで20年以上やっていた「ググる」という行為を、
人力では不可能なレベルできわめて早く深く掘り下げることができるようになった。
もちろん現在も「ググる」という行為が無くなったわけではありませんが、
それとは別角度からネットの情報を掘り下げることができるようになったというのは大きな武器です。
情報インプットの革命が起きたといっても過言ではなく、自分の生活を大きく変えています。


さらに、対話チャットボットとしても優秀なのでいわゆる「議論」をする機会が増えた。
生身の人間とはなかなかしにくい議論も遠慮なくできるのでシンプルに楽しいし、
いままで使われていなかった脳みそを使っているような新鮮な感覚です。
これは主にGPT-4o以降に実現したことですが、自分は今春の課金開始後からこういった使い方が加速しました。
ちなみに課金初期には「会話相手の人格」としてのGPTsを作ることにも骨を折っていましたが、
こちらはあまり定着しませんでした。ただまだ開拓の余地はあると思っています。


仕事面においても、今年の夏に業務用チャットボットが導入されたことによりAI依存が加速。
むしろ現在はAIを使う前提で人間のタスクが決定されています。
これはキャリアプランにも大いに影響を与えており、
これまでずっと「人力開発経験が無いとお先真っ暗なのでは」という懸念がありましたが、
いまはむしろ開発工程はAIにお任せするのが今後当たり前になるであろうことを見据え、
それ以外の工程を積極的に学んでいくというスタンスに転向しています。
そういう点ではいまの現場はちょうどいい感じにAIを推進していてさまざまな工程に携われるので、
まだしばらくここにいるんじゃないかと思っています。


年齢的にもAIの存在は重要です。
自分はおそらくもう、20代のときのような行動量は望めないと観念しています。
ネット活動にしろプライベート活動にしろ、その行動量や熱量は昔と比べて絶対的に落ちている。
それでも成果を得たいとなれば、とにかく加速度的に合理化していく必要があるでしょう。
合理化するためのツールとしてAIは極めて重要なポジションであり、
これがいまの自分のネット活動の生命線を握っているといっても過言ではありません。
少なくとも20代のときのような衝動的な熱量に対抗するためにはかなり有望なツールだと思います。


エンタメツールとしても活躍しました。自分の場合は画像生成がそれですね。
なんだかんだでオリキャラ具現化が今年一番夢中になったコンテンツだと思います。
どんな新作ゲームよりもハマったという実感がある。
ただ、11月現在、ChatGPTのDALL-E 3は後発のNanobanana等と比べると生成速度やクオリティで後塵を拝しており、
そろそろ次のアップデートが来てほしいところではあります。
エンタメツールとしてのAIはまだ模索もしていない状況で、ポテンシャルは大きいと思っています。
TRPGをAIとやる、みたいなことも普通にできるらしいので可能性は無限大です。


もちろん本領のコーディングアシスタントしての活用もしました。
GPT-5以降さらに精度が上がっているので、もう割と安心してコーディングをお任せできる段階に入りました。
長らく妄想していたゲームをちょっとした思いつきで具現化できるなど(#07933 / 2025年09月04日)、
発想とやる気次第では技術力度外視でいろいろなものを作れそうで、
まだまだそのポテンシャルを十分に引き出せているとは言いがたい状況です。
これは来年さらに加速することになるのではないでしょうか。


そういうわけで、今年は猫も杓子もAIという1年でした。それだけAI依存が急加速したとも言える。
仕事、年齢、ネット活動の現状、その他諸々を考えるとAIを活用しないという選択肢はあり得ず、
世の中がAIをどう思おうが自分は心中する覚悟でこれと向き合っていくことになりそうです。
OpenAIはGPT-5以降ちょっと技術革新が遅れている気がしないでもないですが、
来年はさらに頑張ってほしいところ。


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