Chrononglyph

計画の立て方

#7436

大義名分しかない危うさ

厄年とも言えるほど不運が続いた2022年、その尻拭いに奔走した2023年を経て、
とりあえずプラスマイナスゼロの地点から1年を始められるという実感とともに始まった2024年。
しかし蓋を開けてみれば歯車の噛み合わないような日々が続き、
2023年と単純に比較するとかなり自堕落な生活を送ってしまっている気がしています。
今月上旬までは投資だけはかなり上手く行っていたのである程度マイナスを帳消しにできていましたが、
イランによるイスラエルへの本土攻撃による全面安に巻き込まれて大損し、
1ヶ月分の利益をまるごと吹っ飛ばしてしまったことでそうも言えなくなってしまいました。
結果的に今年の最初の4ヶ月間は何も生み出せなかったと認めざるを得ないでしょう。


年初の予定では、05月01日からの4ヶ月間は年間計画の第2フェーズに位置付けられ、
この4ヶ月間で4代目ブログの完成を目標としています。
これは「20周年」という大きな節目かつオフライン運営を継続するか否かの節目に当たるタイミングで、
ここをスルーしまうとブログそのものの存在意義が揺るがされることになり、
基本的には予定通りプロジェクトを動かすのが妥当だと思っています。
が、『ピクミン2』20周年に向けて8ヶ月近くの猶予がありながら何も行動できなかった自分が、
果たして残り4ヶ月でそれ以上の規模となるブログ移転を成功させることができるのか……?
去年末に期間限定ランキングを開催できなかった辺りから
自分自身の計画実行力を信用できなくなっているところがあり、非常に危うい状態です。
かといって動かなかったらどうにもならない。


「節目だから」「いままでもやってきたから」等々、それをやる理由を作って先に外堀を埋めてしまうと、
意欲が追いつかなかったときにそれら「やる理由」によって逃げ場を失ってしまい、
八方塞がりになって他の行動もできなくなってしまうということが往々にしてあります。
こういうときの対処法として計画の細分化によって簡単にできることを見出すことで多少前進はできますが、
結局根本的なところで意欲不足である以上はあまり意味はありません。
この4ヶ月間はそんな感じで自分で自分を追い詰めた結果、何も生み出せなかった感があります。
実行するだけの価値を見出すのは大事だし、それがタスクを実行する大義名分になるのは確か。
ただ、それを見出してもなお行動できないというのはいかにも非合理的です。
自分にとって大義名分は動機にならないということなのでしょうか。
確かにいままでのアニバーサリー記念等の計画では散々苦しんだ挙句ロクなものを生み出せておらず、
これまでの活動遍歴はそういう大義名分だけでは行動できないことを示唆しています。
計画に至るまでに必要な行動そのものを「やりたい」と思えないとなかなか厳しいのではないでしょうか。
スタートからゴールまで線を引いただけでは動けないということです。


つまり、このままでは「20周年だから」という名目だけで計画している4代目ブログ制作計画もうまくいかない。
その大義名分以外に何らかの動機が必要であることは明らかですが、
ブログ活動は基本的に終始孤独なので他者承認を得ようとすることもできない。
これはAIで自動タグ機能を付けようとかObsidian連携で投稿の手間を極限まで最小限にしようとか、
そういう開設後にフォーカスした機能面の展望よりもはるかに深刻であるように思います。
大義名分以外に「やりたいと思える何か」を見出せないなら、
このままオフライン運営を継続せざるを得ないかもしれない。


大局的に見て公開運営に戻れた方が良いのは確かなので、
とりあえず予定通りリポジトリは作りますが、その先の見通しはかなり危ういのが現状です。
もう自分自身のケツを叩いて無理やり何かをやるのはかなり前から限界を感じていましたが、
このプロジェクトが破綻したらいよいよネット活動そのものも終わりが近いのかもしれません。


#7307

毎週締め切りを設ける

先日のイベント準備計画の破綻によって、
年の瀬に改めて悩むことになった計画と実現、問題と解決、やる気とその他諸々の問題。
モチベーションについてはいろいろ考えた結果、
「そもそも自制できないモチベーションに依存してタスクを設定していること自体が愚か」
という結論に至りました。
モチベーションを操縦できるようにすればいい、という考え方もあるかもしれませんが、
モチベーションというのはいわば気分であり、気分は外的要因に簡単に左右される、
そしてそれは個々人の精神力というよりもヒトとして当然の性質であるということを考えると、
モチベーションの手綱を握るのはあまり現実的ではないと思っています。
もちろん、ある程度はコントロールすることはできるでしょうが、
それはあくまで自然の流れに対してわずかな補正でしかないわけです。
よって、モチベが特定時期に上昇しることを期待してそのときになったら頑張る、
というような計画の立て方は合理的ではないと言えるでしょう。
夏休みの宿題を最終日にまとめてやるとか。


しかしそれはそれとして、締め切りの問題は別に考えなければなりません。
先日、それに対する仮の答えとしてミニゴールを複数設定するという案を提示しました。
ただ、現時点では具体的にどうすればいいのか目処は立っていません。


モチベーションに依存せずにどうやってやるべきことをこなしていくか、
についてはタスクの最小化である程度解決できるような気がしています。
これは特定時期(モチベの上がりそうな日)だけ猛烈に頑張るという従来スタイルを否定するために、
なんでもない日にも手は動かさなければならない、ということを意味しています。
つまり、当面やるべきことは習慣化するのが望ましい。
ピクチャレ大会の失敗で言うなら、イベント開催直前に開発をスタートするのではなく、
オフシーズンも含めて常日頃からほんの少しでも開発は進めていくのが望ましいというわけです。


ただ、この考え方は習慣化可能なレンジのどこかにタスクを組み入れることを前提としています。
例えば毎日という範囲で習慣を組むなら1日のどこかでそれをする必要があるし、
毎週という範囲であれば1週間のどこかでそれをしなければならないわけです。
このうち「1日」というレンジは自分にとっては結構難しいと思っています。
それは言うまでもなく毎日更新を掲げて運営してきたブログがどんどん負担になっていって、
今年ついに非公開運営となってしまった経験によるものです。
ブログの作業時間は概ね1時間前後ですが、
これまでの経験で毎日「必ず」1時間確保するというのは難しいと思っています。
一方、同じブログで同じ作業時間でも「7日で7時間」ならまあまあ実現できそうなイメージ。
これはいかに毎日の気分によって
それができるかできないかが決定的に左右されるかを物語っていると思います。
ブログに関してはこれ以上細分化するのが難しいため、なかなか厄介な事案ではあります。


とりあえず、この経験則から自分にとっては「毎日やる」という縛りはキツすぎるのかなと。
「毎週やる」ならブログに限らずできそうではあるので、採用するならこのレンジでしょう。
「2週間に一度やる」では頻度的に習慣として根付かない気がする。
開発作業ではバージョン管理システムに作業の更新状況が自動的に記録されていくので、
1週間のうちどこか1回は必ずコミットするといったルールで無理なく運用できそう。
もちろんそれでイベント開催を含む諸問題が全部解決するわけではないし、
現時点では自己満足の域を出ていません。
でも、とにかくモチベ依存という段階から抜け出すには有効なのではないかと思っています。
2024年はまずこれを実践してみるところからですかね。
3大目標をどうするかについても改めて考える必要がありそうですが……。


#7106

社会人黎明期の計画失敗

一昔前(2014〜2019年くらい)の自分がよく陥っていた計画失敗の多くは、
「やるべきとわかっているけれどなんとなく手をつけられない」という心理的ハードルが原因でした。
それは直感的には自分自身の怠慢が原因のように思われるので、
計画失敗はすべて自分が悪い、自分の性格上の欠陥のせいなんだとよくブログに書き殴っていました。
最近はそういう考え方から脱却しつつあるわけですが、
それでもやはり「なんとなく手をつけられない」という状況に出くわすことはあります。
それについて改めて考えてみると、その「なんとなく」の正体は第一印象なのではないかと思います。


つまり、計画した当時に直感した難易度がそのまま着手しづらさになっている説。
「これは厄介だろうな」「実現するのは困難そう」という印象を感じながら、
それでもいつかはやりたいと思って計画するタスクというのはしばしば出てきます。
そして困難なのだろうから基本的に後回しになる。着手したところで出来ない可能性があるからです。
でも、そもそも計画時点の直感的な難易度って経験上当てにならないことの方が多い。
しっかりと計画と向き合って「どうやって実現するか」を調査すると意外と簡単そうだった、
というようなパターンは何度も経験したことがあります。
またそれ自体厄介なタスクでも、可能なレベルまで小分けにすることができたりします。


実現のための具体策を探したり、タスクを小分けにするという作業は、
いわば現実的にそのタスクと向き合う作業です。
やりたい・やりたくないという尺度ではなく、できる・できないという尺度で計らなければなりません。
そのために必要なのが先述の具体策を考えたり小分けにする作業なのですが、
これは「何をやりたいか」というような妄想ではなく、きわめて現実的に考えなければなりません。
そこにこそ心理的ハードルを感じるから、タスクが面倒くさいと感じるのではないでしょうか。
つまり、本質的に着手しづらさを感じているのはいわばタスク評価の部分であって、
タスクそのものではないということです。
それに対して無自覚だから「なんとなく」というぼんやりとした心理的障壁を感じていたのかも。


結局、表面的に困難さを感じていたようなタスクも現実的に評価するところさえ抜けてしまえば、
当初のようなハードルの高さはまったく感じなくなっていたりします。
タスクそのものが簡単になったわけではないにも関わらず。
「第一印象をどのように矯正するか」というのは意外と大事な処世術だと思います。
第一印象で困難そうに見えたけど大切なタスクをずっと保留してきたことでどれだけ損したことか。
夏休みの宿題とか受験とか就活なんかまさにそれだと思います。


#7029

中途半端を武器にする

経験から言って、ある作業に取り掛かる場合、
連続した日に少しずつ取り掛かるのと毎週決まった曜日だけ着手するのとでは
明らかに前者の方が作業効率が良く、また意欲的に取り組むことができる傾向にあります。
心理的には、前日にやったことは翌日も取り組みやすいのでしょう。
ただし、それを日課として定着するためには多くのハードルがあります。
当然ながら、必ずしも毎日同じ作業に時間を割けるとは限らない。特に社会人の平日。
何らかの理由があってある一日だけは作業をできなかったというケースが出てきます。


1日サボると、翌日その作業に取り組むための心理的ハードルは一気に上がります。
ここで、「1日サボってしまったから今日は2日分頑張ろう」などと意気込んでしまうとアウト。
ただでさえハードルが上がっているのに作業量を2倍にしたら、
ますます着手しがたくなってしまいます。
当然、そこでもしまたサボれば3日目はさらに心理的ハードルが上がります。
こうしていわゆる「三日坊主」が完成するわけですね。


なので何らかの理由で間が空いてしまったときは、
復帰初日のタスク量を心理的ハードルの高さに反比例して大きく減らしてやるべきなのです。
でも、これはちゃんと意識していないとなかなかできません。


自分の長年の計画信仰で失敗したなと思うのは、計画の修正をしようとしなかったことです。
つまり、一度タスクとして計画を立てたらその日はそれをやるのが正しい、という理念があった。
特に昔は、当日になって初めて計画がズレていたことに気づいても、
とにかく計画は遂行すべきで、遂行できなければ当日の自分が悪いと考えていました。
しかしこれは大きな誤りです。
そもそも計画というのはズレていることの方が多い。
当日になってそれを軌道修正するというのは、計画実行の上で欠かせないプロセスなわけです。


これは間が空いてしまった翌日に計画を見直す際にも非常に重要な考え方です。
例えばまだサボっていなかった二日前に、「明日はこれをやろう」と思って計画を立てた。
ところが前日はそれをできなかったので、計画は延期されて今日のタスクになったというケース。
このとき、滞りなく作業できていた二日前の自分と、
一日サボってしまって心理的ハードルが立ち塞がる今日の自分とではすでに状況が違うわけです。
にもかかわらず、二日前に設定したタスクをやらないといけない、と考えるのはおかしい。
当日の自分の状況に則してタスクを考え直すべきです。
これができるかできないかで、日課としての作業を継続できるかどうかがずいぶん違うと思います。


この考え方は、例えば夏休みなど長期計画にも応用できるのではないかと思います。
ただ淡々と機械的に計画を組むのではなく、
その日の状況に応じて緩急をつけたスケジュールを組む。
当日になってタスクを増減できるようにある程度余裕を持った長期計画を立てておく。
もちろん「他人」が絡むタスクは日にちを動かせないケースも多いですが、
ことプライベートなタスクにおいては当日に修正できる余地を与えることは重要なのではないかと。