中途半端は埋没する
SNSによる中央集権が進んだインターネットを俗にWeb2.0と言いますが、
自分は世代的にはギリギリWeb1.0の住民です。
Web1.0とは、要するに個人でサイトを作って個別で発信しそれが集約されない世界ですね。
まあ自分がネットに触る頃には「ウェブリンク」だの「登録型検索エンジン」だのがあり、
情報を集約しようという動きはすでにありましたが、
いまのように猫も杓子もビックテックのサイトを使うような雰囲気ではありませんでした。
ともあれ自分はWeb1.0でネットを知ったからこそ、
自分でサイトを作って発信したいというモチベーションだけはそれなりにあります。
一方、Web2.0の住民としては出遅れてしまい、半ば手遅れになっている感は否めません。
Web2.0における成功というとTwitterのフォロワー数やYouTubeの登録者数などを指す……
と自分は認識しているのですが、そういう物差しで自分は下の世代に勝てそうにありません。
いちおう古参らしくSNS歴だけは無駄に長いので、
その期間で数字自体はある程度盛っていますが実体が無いのであまり意味はありません。
まあ、フォロワー数なんて無意味、登録者数なんて無意味という意見も分かります。
そこに価値観をとらわれると、あたかも人生がSNSに飲み込まれてしまう怖さがある。
昨今のZ世代による飲食店テロだってそういう価値観に飲み込まれた結果でしょう。
だから、単に数字だけを追いかければいいという問題ではない。
ただ一方で、フォロワーが存在しないプラットフォームでの活動が虚しいのも事実です。
やっぱり、ネット活動をするからには支持してくれる人が欲しい。
そういう存在が無い状態での活動はこのブログみたいに自省くらいしか意味が無いわけです。
ブログは自省にこそ意味があるのでその辺は割り切れますが、
動画やSNSでの活動はやっぱり他者に見てもらってナンボという側面があります。
他者に見てもらうためには、どうしても「自己満足」というレベルに留まっていては芽が出ません。
そのレベルのコンテンツはネット上に無数にあるからです。
もはやWeb1.0の時代と違ってネットユーザーの数は爆発的に増えたので、競争相手も多い。
そんな中でも芽が出ている人を見ていると、
やはりどこかしらユニークな活動に専念している人が多いです。
「あれもこれも浅く広くやります」というコンセプトで成功している例ってあまり見ない気がする。
これはおそらくキュレーションアルゴリズムが関係しているのでしょう。
専門特化したチャンネルやアカウントの方がオススメに表示されやすく、
結果として多くの人の目に留まりコンテンツとして成功しやすい。
浅く広く手を出していると、
アカウントが特定の検索キーワードに引っかからないので必然的に他者の目に留まりにくい。
キュレーション(オススメ表示)はAIによってパーソナライズされていますが、
どのプラットフォームでも一定以上の閲覧数が無いとそもそもキュレーション対象になりません。
なので、現状はコンテンツの成否で言えばえげつない格差が生まれているはずです。
閲覧されるコンテンツは指数関数的に閲覧数が増えていく一方で、
閲覧されないコンテンツはとことん閲覧されない。その成否を分けているのは基本的にはAI。
Web2.0の時代でも「継続は力なり」という格言は通用するようで、
活動するにしても更新頻度の高さはかなり重要になるようです。
AIがキュレーションしてくれるまではひたすら少ない閲覧数で耐え続けなければならないけれど、
一方で投稿を絶やしてしまった意味がないわけで、
そう考えると現代のネット活動というのは非常に我慢強さを求められると言えそうです。
しかも、それに加えてユニークな活動を考える企画力も求められると。
Web1.0が終わる兆しが見えてきたのはYouTubeが登場した2006年ですが、
日本でネット文化がWeb2.0にバージョンアップしたのは2011年の震災後だと思っています。
誰もがTwitterをやるようになり、YouTubeの個人チャンネルが影響力を持つようになり、
Web1.0は淘汰されたと言ってもいいような状況になった。
自分はそれを肌で感じつつも YouTubeチャンネルにピクミンのやり込み動画を上げるなど抵抗を試みましたが、
結局社会人になって忙しくなり、なし崩し的にWeb2.0での成功は諦めるようになりました。
が、12年経ったいまでもたまに未練を感じることがあります。
上京以前のような無茶苦茶な残業も無くなって社会生活も安定してきたいま、
改めてネット上で新しい活動をすることを考えてみてもいいのかもしれない……?
いや、でも毎日動画投稿って冷静に考えれば相当ハードル高いですけどね。
やっぱり現実的ではないかも。