満たされない活動
2003年夏、『どうぶつの森e+』の公式コミュニティである
「あいことば交換広場」から実質的にスタートした自分のネット上の活動。
今年の夏でついに20周年を迎えるわけですが、いまだに足がついていない感じがします。
メインブログであるここは「ただ続けているだけ」でそれ以上でもそれ以下でもないし、
TwitterもYouTubeも発信者として成功しているとは言い難い。
自分のネット活動遍歴を省みると、「発信者」としての活動は2014年くらいで諦めた感があります。
2015年以降はピクチャレ大会を作ることに注力するようになりました。
まあそれはそれで正しい選択をしたと思っているので今後も続けない理由はありません。
でも、それだけで満たされるとはかぎらないし、
事実満たされていないからこそ他の界隈に少しずつ首を突っ込んでいるのでしょう。
では、自分はどうやったらネット活動を通じて「満たされる」のでしょうか。
それに対するもっとも無粋な答えは承認欲求を満たすことでしょう。
結局自分は承認欲求に不満を抱えているからネット活動をしているのであって、
要するに他人から認められる機会が与えられれば満たされるはず。
でも、それは過去もそうだったように「一時的な何か」ではダメで、
継続的にする活動に対してポジティブなレスポンスをもらう必要があります。
それは結構ハードルが高い。
ニコニコ動画全盛期に黒歴史をいくつも生み出してそれを得ようとしましたが、
結局それで満たされたとは言い難いし、何よりコスパの悪さが半端ないです。
そういう黒歴史の時代を振り返ると、そもそも自分は生産者に向いていないのかもしれない。
ネットで承認欲求を満たそうとすることの不毛さも、過去何度もブログに書いてきた通りです。
なので近年は一次発信者になるのではなく、
他の発信者の「推し」になる、という方向性でも模索するようになりました。
あっちもこっちも首を突っ込んでいるのはその過渡期だからなのかもしれません。
ただ、これが過渡期なのだとしたらちょっと長すぎるような気もします。
自分の気性的に「推し」を見つけるのは困難である可能性もある。
なぜなら幼少期からそういうことをしてこなかったからです。
好きなアイドルとかもいなかったし、そもそもテレビを見なかったし。
唯一ゲームの世界に夢中になることはあったので、
ゲームプレイヤーになるというアプローチはアリかもしれませんが、
プレイヤーになる以上は大抵他者との競争になることを考えるとこれも微妙のような。
そもそもそれがネット活動の代替として十分なのかも怪しいです。
思春期を含む20年間をネットに依存しておいて、今更2002年以前の世界に戻れるはずもなく。
まあいずれにしろピクチャレ大会を主軸とする方針を変える予定はなく、
これはこれで頑張るつもりです。
ただ、これはあくまでも裏方の活動ということもあってこれだけで満足できないのも事実。
有体に言えばもっと注目されたいのでしょう、自分は。