Chrononglyph

#7815

遠い昔の全肯定的承認

一般論として、人は誰かにされたことを他人にもしがちです。
嫌なことを言われた経験のある人は、自分より弱い人に辛辣なことを言いがち。
いじめられた経験のある人は、チャンスさえあればいじめる側に回りやすい習性があります。
社会における「〇〇ハラ」は、いじめられっ子が誰かをいじめるチャンスに巡り合ってこそ起きるのではないでしょうか。
逆に言えば、嫌なことをされたことのない人は他人を憎む方法が分からないので、
その憎しみの連鎖に参加することはできません。


これは負の感情だけでなく、愛や優しさについても似たようなことが言えると思います。
誰かに親切にされたことのある人は、そうでない人よりも誰かに親切にする機会が多いでしょう。
もちろんそれも「チャンス」が巡ってこないと発動することはできません。
親切にされたことのない人はそもそもチャンスが巡ってきてもどう行動すれば良いか分からないのではないでしょうか。
愛についても同様のことが言えます。親に必要十分愛されなかった子どもは、
よほどの奇跡でもないかぎり愛を信じることができないまま一生を終えます。
そういう人は、たとえ「チャンス」があったとしても誰かを心から愛することはできないでしょう。


このブログの7801〜7900番のテーマは「愛」になるような気がしているのですが、
欲求不満人間たる自分は当然十分な愛情を受けた覚えがありません。
どちらかというと憎しみの連鎖の中で生きている側の人間です。
パトロンサイトで絵師さんのブログを「全肯定」的にコメントしているという話を書きましたが、
言うまでもなくそれはパトロンサイトに登録していることによる利益があってこそのことです。
実利が無かったらコメントしていないという点で、それは本物の愛とは言えません。
しかし、ネット活動上の承認としてはこれが限界なのではないかとも思います。
実利があるとはいえ、これは誰かに全肯定されたことがあるからこそできている行動であるとも考えられます。
もしそうでなかったらパトロンサイトに登録して実利だけもらっていくのが関の山なのではないかと。


そうして記憶を遡っていくと、いちおう自分にも全肯定の承認をもらえていた時期があることに気づきます。
Twitterも2015〜2017年の全盛期は、あらゆる投稿が最低1いいねはついていました。
どんな内容でもたいてい「いいね」してくれる人というのがフォロワー内に2〜3人いて、
そういう方々によって自分のSNS活動が支えられていました。
メンヘラ期の活動休止を経てそういう方々は軒並み界隈から離れ、近年は「いいね」はつかなくなってしまいました。
かといっていまも界隈にいる人は自分に対して何でもかんでも「いいね」しないので、
そういう人たちにこちらからなんでもかんでも「いいね」をする義理はありません(普通そういうものだと思いますが)。
自分がSNSにおいてずっと迷走しているのは、こうした全盛期とのギャップも多分にあります。


実はブログについても他者に支えられていた時代がありました。
高校当時はブログブームというものがあって、交換日記のようにブログのURLを教え合っていました。
そのためこのブログもごく黎明期にクラスメイトがコメントしてくれるようなこともあったんですね。
いま思えば、そうやってみんなに見られている中であのポエムを発表していたのはおぞましいことですが……。
2006年当時、ブログを「生き甲斐」と認識していたのは
ブログが教室という小さな社会の中で認められるための媒体としてちゃんと機能していたからだと思います。


また同時期、楽天ブログからたまたま自分を見つけたのであろうおそらく主婦の方がいて、
この方は自分のあらゆる投稿に対して全肯定的にコメントをつけてくれていたのを覚えています。
自分の厨二病全開な投稿やちょっとした愚痴にも寄り添ってくれていました。
なぜ自分に対してあんなに優しいコメントをくれたのか、いまでも分かっていません。
そういうわけで、このブログも最初の3年くらいは明確に他人に支えられ、だからこそ続けられてきた側面があります。
こういう記憶があるからこそ、自分もパトロンサイトで他人の活動を支援したいと思ったのかもしれません。
もし22年間一度も承認されたことが無かったら、
果たして実利のためとはいえ肯定的なコメントを果たして残していただろうかと。
年数はかなり開いていますが、結局これも他人にされたことのお返しに過ぎないということです。


直近10年は他者からの承認が枯渇していて、それゆえにいま自分が他者不信に陥っているのは確かです。
だからこそ承認社会へ素直に入っていけずにネット活動の行き詰まりを実感している。
でもそれは、ブログを開設して最初の3年はともかくとして、
それ以降は自業自得な面もあり、たとえば本家ブログをより人目につきにくいWordPressに移転する、
TwitterのbioからURLを削除して事実上別名義化するなど自ら承認から逃れてきたという歴史があります。
これはまぁ当時のブログの不安定感を考えると必然的なことだったと思いますが、
そういう過去の愚策が現在の行き詰まりに影響している面は否めないでしょう。
しかし黎明期にああいう体験ができたこと自体、これでもまだ恵まれている方なのかもなとも思います。
本当に他者不信の沼に堕ちて実害が出てくる前に、何か自分にできることはないだろうか……。



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