アイデンティティーを支えるもの
熊代亨 『何者かになりたい』 (2021年、イーストプレス)を読みました。
この本は「何者かになりたい」「何者にもなれない」という悩みを「何者問題」と呼び、
それに対する著者の考えを展開する本です(本質的な意味での「何者問題の処方箋」ではありません)。
ネットレビューでは「結局何が言いたいのか分からない」等とやや低評価で、
個人的にも熊代先生の本は3冊目ですが(前回→#05529 / 2019年02月09日)、
確かに前回よりは内容がぼんやりしていたような印象を受けます。
しかし、それでも大切な箇所が皆無ではないのでメモ程度に感想を書き残すとします。
本書の「何者問題(=何者かになりたい)」は「アイデンティティを獲得していない問題」と同義であり、
全体としてアイデンティティの獲得は容易ではないという意見が展開されています。
たとえば東大合格という大きなアチーブメントを達成して東大に入ったとしても何者問題はすぐ解決するわけではない。
なぜなら合格して東大に行けば同じアチーブメントを持つ人が無数にいるからです。
同じようにSNSのフォロワー数や現実の肩書きなどは、それ自体がアイデンティティを保証してくれるわけではなく、
それどころか肩書きに依存すると自分が何者かを見失いやすい危険性があると著者は言います。
ひとつの肩書きに依存するのではなく、
寄木細工のように小さな肩書きを集めて「これこそが自分だ」と言えるのが理想だと。
また、何者問題を解決するとしたらそれは自分にとって「代替不可能な何か」だと著者は主張します。
たとえば恋愛・結婚などのパートナーシップに何者問題の解決を求める場合。
マッチングアプリで出会った段階やパパ活のような関係においては、
「この人がダメなら乗り換えればいい」という考えが念頭にある以上、何者問題の解決になり得ません。
しかし一方、責任感のある親にとってのパートナーや子どもは「代替不可能」であり、
そういう存在はアイデンティティの確立に寄与します。
これは肉親や伴侶だけではなく、十分に信頼関係を築いた相手や文化などについても同様のことが言えるでしょう。
それが失われたらもう代わりは存在しないと言えるものが、我々の「何者問題」を解決しうるわけです。
しかし補論で著者が言うとおり、そういう存在はあまりにも当たり前すぎて我々は軽視しがちです。
すでに何者かになっているのにそれに満足せず、さらに別の「何者か」になろうとするとき、
私たちは代替不可能なそれを安易に切り捨ててしまいがちです(「負のアイデンティティ」)。
日本にはもともとお中元や年賀状といった習慣によって「当たり前」になった縁を折に触れて思い返して感謝していました。
それらが廃れたいまは、SNSの「いいね」なども代替になりうるのではないかと著者は言います。
以上がざっくり本書の中身です。
著者は仕事もプライベートも充実した所帯持ちということもあり、
精神科医としての視点はありつつも、必ずしも本書のテーマを渇望し悩んできた経緯を持っていない「勝ち組」です。
そのため、本当にアイデンティティを獲得できずに切迫しているような人の気持ちを代弁しているとは言いがたく、
それゆえにどこか言葉が軽く、それが本書の低評価につながっているようにも見受けられます。
こういうテーマは恵まれない出自で人生に苦労し、
本当に「何者かになりたい」と渇望してきた人でないと説得力を生みにくいのではないかと改めて思いました。