護身用の反論
旧Twitterでこんなツイートが万バズしていました。
いいかい、学生さん。
微妙に失礼なことを言われてモヤッとしたら 「それってどういう意味ですか?」 と聞くんだよ。
適当に流されそうになったら 「本当に分からないんですけど、どういう意味なんです?」 と追撃するんだ。
誤解ならそれで良し、ナメてくる輩には小さな反撃で自分を守るんだよ。
(@jelly_fish003)
さすがにこれは間違っているだろうと思い引用RTしたくなりましたが、
フォロワーに失望されるのも嫌なので陰で叩くとします。
それにしてもリプライが賛同の嵐でびっくりしました。引用RTに若干批判的な意見があるくらい。
システム上否定的な意見は見えなくなっているのか分かりませんが、これが世間の生の声だとしたらかなりの驚きです。
結論から言えばこの「それってどういう意味ですか?」という言葉自体が「微妙に失礼」であり、
後続の主張は一方的に正当化しているに過ぎない、と自分は考えています。
また、これに賛同すること自体人間関係に恵まれていないと言えるでしょう。
賛同できない自分はあくまで当事者ではない立場からの意見であり、
そういうポジションから何か言える時点で現状はかなり恵まれているのかもと気付かされました。
ポスト主は、他人の発言で心が傷ついたような場合は
「それってどういう意味ですか?」と率直に相手へその悪意の有無を問うことがささやかな反撃になると言います。
これは、自分に非が無く相手に100%悪意があると読み取れるような状況でしか正当性がありません。
それ以外の場合でこれを言うと自分の読解力の無さを棚に上げて相手に説明を迫る面倒くさい人でしかなく、
職場でこんなことを言えばすぐに腫れ物扱いされるでしょう。
もちろん、相手に明確な悪意がある状況で有効な反撃になることに異論はありません。
相手が生半可な覚悟でそれを言っていたなら「こいつに嫌味は言わない方がいい」と思わせる契機になるかもしれません。
ただ、そういうケースは結構限られるのではないでしょうか。
ニュアンス的にこれは主に職場の人間関係にフォーカスした議論だと思っているのですが、
そういう文脈で悪意のにじんだ言葉を投げかけるケースは
そもそも受け手側が十分な仕事をしていないというパターンが往々にしてあります。
そうでない状況でこんなことを言う必要性はどこにも無いわけで。
仕事ができない人に改善してほしいから、勉強ができない子どもに勉強してほしいから、
要は周囲の期待に応えられない人が悪意を受け取るケースが非常に多いのではないかと。
だからこそこれはそもそもの能力が低い弱者側の処世術なのではないかと思うわけです。
健全な職場環境で普通に仕事ができていればこんなことを考える必要性は皆無でしょう。
相手に責任を負わせるような言い分は、どこかでその人自身の後ろめたさを覆い隠そうとしているのではないかと。
もちろん、ブラックな職場環境などでは「他人の期待」が過剰で自分のキャパシティを超えるケースもあり、
そういう場合はどんなに頑張っても及ばないケースはあると思います。
ただ職場環境というのは基本的に代替可能であり、そういう場合は何も言わずにオサラバすればいい話。
そもそも分不相応ならいるべきではありません。
「それってどういう意味ですか?」なんて角の立つことをわざわざ言えばより敵対関係が明確になるだけです。
自分が100%勝てる正当性があり、かつケンカになっても構わない(信頼関係の構築は不要)という覚悟があり、
そしてケンカになった後の見通しもしっかり立っている場合にかぎってはこの言葉は使ってよいと思います。
しかし、そうでないなら使わない方がいい。
基本的に「使わないで済むならそれに越したことのない」類の言葉であり、
護身用のスタンガンのようなものでしょう。
それを学生に推奨する旨の投稿に5万いいねが付くということ自体、なんだかいろいろ考えさせられます。
世の中ってそんなに悪意に満ちているのかと。あるいは無能が多いことの裏返しなのか。
それといまの自分の職場環境に少なくないギャップがあったので、結構恵まれている方なのかも……と思った次第です。
地方時代なら意見は180度変わっていたかも。
と、こんなことをツイッタランドで言えばやれマウントだなんだと揚げ足を取られかねないので
やっぱりこういうことはブログでコソコソと書くのが一番ですね。