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#7746

優越感について

以前、それほど「優先度」が高くない推しのサインをどうでもいい人に自慢(?)された結果、
微妙にモヤモヤするという心理傾向について自己分析しました(#07736 / 2025年02月20日)。
それはいわゆる同担拒否的な気持ちというより、
好意的な気持ちがあるわけでもないのに日常的なつぶやきを覗き見ている表面的なつながりに対して、
「人として興味が無いのに距離が近すぎる」ことに対する副作用なのだと分析しました。


その後日、最近は社会的自由が足りておらず、
特に心の闇の部分を表に出していないのでストレスが溜まっているのかもしれないと内省しました(#07743 / 2025年02月27日)。
そのときは自分の闇を他者に理解してもらうためには合理的に考えて自分も他者の闇を受容できなければならず、
これまでそれができていなかったので深い人間関係を築けなかったのではないかと結びました。


これらを踏まえて昨今の自分を客観視してみると、
他者を見下したいという闇の部分が強くなっているように感じられました。
「見下している」というとまるで悪人のような印象を持たれるかもしれませんが、
要するに他者の関係に対して優越感を求めやすい傾向にあるということですね。
道徳的、社会的、あるいはさまざまな尺度で自分より劣っている人に対して、
「なんでこんなことをしているんだろう」と憤慨したり、殊更に否定したくなったりする。要するに侮っている。
今回特筆すべきだと思っているのは、他者が好きだと暗黙的に表明しているものこそをディスりたくなる心の動きです。
これは明らかに合理的ではないと考えられますが、こう考えてしまう要因はどこにあるのか。
昨今は「表面的な交流」が増加傾向にあるため、それを維持・発展させていくためにこの感情は明らかに障害になります。
事故を起こしてしまう前にどうにかできないだろうか。


まず、なぜ優越感を求めるために殊更に他者の成果や興味関心を否定したくなるのか。
それは自分を見てほしいという欲求(他者承認)が満たされていないということと、
自分はこれさえやっていればいいと言えるようなアイデンティティーが確立していないことが原因であると思われます。
そしてこの2つの不満を解消するためには、自分が「成果」を出し他人に認められれば良い。
つまり昨今の自分は成果を出せていないことが他者否定的な思考に陥っている原因なのではないかと。
他人の成果を否定することで相対的に自分の価値を補強しようとしているわけですね。


こうなると「成果を出す」ことが解決策のように思われますが、それは次の3つの観点から不適切と考えられます。
まず、現状としては当然成果を出したいが出せないことに思い悩んでいる側面もあるため、
そういう状況に対して「それでもどうにか成果を出さなければ解決できない」はただのゴリ押し感情論でしかありません。
また、そもそも成果を出したところで他者が期待通りに承認してくれるともかぎりません。
そこが不明瞭である以上、成果を出せば救われると信じることにはリスクがあると言わざるを得ないでしょう。
さらに、成果を出せば優越感を求めすぎる傾向が解消されるともかぎりません。
むしろ成果を出したことで成果を出せていない人に対して見下しマインドが増強する可能性さえあります。
それでは表面的な交流を破綻させないという当初の目的は達成できません。


そこでもう一歩踏み込んで2つの解決策を考えます。
まず、自分自身が成果を生み出し他者に承認されるというプロセスは常にうまくいくとはかぎらないので、
逆に他者の成果に対して自分が承認するというプロセスを確立しようというアイデア。
つまり、他人を褒めることによって「価値あるものを承認する自分」を肯定的に捉えようという営みです。
これは成果を出してそれを認められるほど欲求が充足するわけではないけれども、
欲求を確実に埋めつつ、しかも他者否定的な思考を断ち切るという点では
今回の悩みに対してかなり効果的なアプローチであると考えられます。
ただし、「他者を褒めている自分は偉い」というような思考に陥ってしまうと元の木阿弥なので気をつけたいところ。


2つ目は、そもそも「成果を出す」という表面的な結論はそれを完成させるという暗黙的な条件がありますが、
他者否定的な思考に陥らないために求められているのは本質的には物事の完成ではなく、
「自分がここまではやるべき」と考えている信念に対して誠実に行為できたかどうかなのではないかという視点。
つまり、「誠実である」と納得できるのであれば、それが完成していなくても心理的充足感は感じられるはず。
それを得られないということは、信念に対して誠実さを欠いているのではないかと。


どの程度の活動をすれば「誠実」であると言えるのか。
これは所属しているコミュニティの数や自分自身の性格にも依ると思いますが、
たとえば自分個人が絶対譲れないボーダーラインはブログ記事1本だと思っています。
これをもすっぽかして1日を終えてしまうと、明らかに怠惰が勝り誠実さから遠ざかっている感覚がある。
ただ、ブログを書く・書かないは完全に個人の問題であり、他者否定的な思考とはおそらく関係ありません。
ある人に対して殊更に否定的な感情を抱くときは、その人と自分が共通するコミュニティや属性において、
自分がするべきことをしていないという事実が念頭にあるのではないかと。
つまりコミュニティにおける活動状態が「不甲斐ない」状態であると自覚しているということですね。
何もしていないのに承認欲求を満たしたいだけでコミュニティに参加していると鬱憤が溜まる一方なのでしょう。
ただし、それは「自分はこのコミュニティ内で特別な地位にいたい・いるべきだ」
というような所属欲求があってこそであるとも言え、
こういう欲求が無ければそもそもこうした問題は起こり得ないのかもしれません。


いずれにしろ、これは自分の自尊心と「どこまでなら頑張れるか」という意欲の問題であり、
他者に認められるか否か以前に自己解決できる問題なのではないかと思っています。
この知見を念頭に所属するそれぞれのコミュニティについてひとつずつ考えてみる時間を作ってもいいのかも……。


余談ですが、今回考えたことは「承認欲求に対する不信」という切り口で、
過去にかなり似たような考察に行き着いた記事を書いていました(#06388 / 2021年06月13日)。
何かに悩んだとき、過去記事には少なからずヒントが落ちている可能性が高いということはもっと意識してもいいのかも。



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