プライドの整理
自分が個人的に30代最大の年代特有の課題と考えている「プライド」の問題。
しかしこの言葉に対する自分の理解があいまいなせいで、ブログで取り扱っている話題が多岐にわたり、
同じ言葉なのにさまざまな意味が混在してしまっているように見受けられます。
そこで、問題解決の前段としてまずは言葉の意味とそれに対する現時点の認識を整理したいと思います。
まず、辞書的意味は以下のとおりです。
【プライド(pride)】
自分の才能や個性、また、業績などに自信を持ち、他の人によって、自分の優越性・能力が正当に評価されることを求める気持。また、そのために品位ある態度をくずすまいとすること。誇り。自尊心。自負心。矜持(きょうじ)。(精選版日本国語大辞典)
【自尊心(じそんしん)】
自尊の気持。自分を尊び他からの干渉をうけないで、品位を保とうとする心理や態度。プライド。(同上)
一般に「プライド」と言ったときはこのような肯定的なニュアンスを含む意味になりますが、
一方で「傲慢である」という否定的なニュアンスを含むこともあります。
いちおう「傲慢」についても辞書を引くと以下のとおりです。
【傲慢(ごうまん)】
おごりたかぶって、人をあなどること。人をみくだして礼儀を欠くこと。また、そのさま。(同上)
ブログを遡ると、まず10〜20代の自分はプライドを「客観的に見て不合理なこだわり」という意味で使っています。
「ゲームの〇〇を(あえて)解禁していなかったがプライドを捨てて解禁した」という感じですね。
自分は昔からゲームの一部分のコンテンツなどの「とっておき」を
あえて着手しないことで神聖視してコンテンツ全体の価値を高めようとする癖がありました。
この意味のプライドを捨てられないがためにクリエイティブな行動が抑制される問題については、
このブログでは「タコウインナー問題」と名付けて考察してきました(#07454 / 2024年05月14日)。
タコウインナー問題では、好きだからこそ着手できないという心理に立ち向かっています。
ただ、これは辞書的意味のプライドとはちょっと毛色が違います。
一方、タコウインナー問題に似て行動抑制に関する問題として、
「やるからにはここまでやらなければならないというハードルの高さによって着手を阻まれる」という心理もあり、
これも当ブログではプライドと呼んでいます(#07960 / 2025年10月01日)。
ただし、これは辞書的意味がいうところの「才能や個性、業績」といった客観的に提示できる事実とは関係なく、
どちらかというと「自分はこうでありたい」という自己像が不当に高すぎるという問題であり、
これもまたいわゆるプライドとはちょっと違う話です。
この問題は「この年齢ならこうあるべき」といった外圧の影響もあって深刻さを増していることを自覚しているので、
30代で解決を見たいということは以前も書いています(#07756 / 2025年03月12日)。
自己像との乖離による行動抑制はそれはそれで大きな問題であり、
最近は不当に上がりすぎた理想を引き摺り下ろそうとする「無能主義」的思想が台頭してきました(#07600 / 2024年10月07日)。
が、それは2025年の1年間を通じて破綻したことを実感しています。
できて当然のことをやるだけの人生に意味を見出すのは難しいというのがその理由。
とはいえ、だからといって理想が高ければ良いというわけではないと考えています。
しかしプライドの問題で本当に重要なのはそこではありません。
自分の実績が「他人に正当に評価されているかどうか」が問題であって、それ自体は理想の高さは関係ないわけです。
これまで悩んできたタコウインナー問題や無能問題というのはいわば「行動できない」という悩みであり、
それは実績を積み上げて誰かに評価してもらう以前の問題です。
つまり、(理想との対比で)手元にある実績があまりにも貧弱であることは認めざるを得ないところがある。
それが近年深刻化する他者に対する負の感情、
特に格下だと思っている相手に対して高慢な態度を拭えないという事態につながっているのではないかと。
こう考えると理想が不当に高いことそのものが問題というより、
それとの相対で実績がしょぼく見えるので卑屈になりやすいことが問題なのかも?
ただ、いずれにしろ自己承認だけでは解決できないと思っていて、
他者承認を求めるプロセスからは逃れられないと思っています。
そのためにはまず、自分の実績を正直ベースで認識することが重要なのかもしれません。