Chrononglyph

#7960

文化の享受を阻害するプライド

これは特に根拠もなく漠然と思っていたことですが、
30代になったらプライドも鳴りを潜めてやりたいことを変に考えすぎずにできるようになると思っていました。
少なくとも10代や20代は真逆で、プライドの言いなりだったと思います。
しかし現実には30代もそこそこの年数を重ねてきているのにそうはなっていない。
いまだにプライド(=自尊心)はそれなりに権力を持っていて、
「やりたいことをやる」というシンプルな行動原理を実践できずにいるという実感があります。
このプライドとどう折り合いをつけていくか、というのは次の大きなテーマになりそうな気はする。
ここ最近、おそらく07月以降はブログもずっと深入りしない低空飛行を続けていますが、
そろそろこういう混み行ったことを考えていくフェーズに入りたいものです。


直感的には、「やりたいことをやる」という行動原理を阻害するものは完璧主義だと思っています。
そしてなぜ完璧主義がのさばっているのかというと、
成功体験の不足、自己肯定感の低さなどから来る劣等感が自分の底に横たわっているからではないかと。
そしてこの図式は加齢に伴って緩和するどころかより盤石になってきているように思います。
直近の自分の思想として、実利主義的な考え方が台頭していることからもそれが伺えます。


たとえば何か暇つぶしになるような新しい文化に触れたいと思ったとき。
ゲームでもその他の趣味でもなんでもいいと思いますが、
着手することそのものは本来そこまでハードルは低くないはずなのに、
「やるからには〇〇までは行かないと意味はない」と考えて結局やめてしまうんですよね。
これはまさにプライドによる行動阻害と考えられるし、また完璧主義の現れとも言えます。
そして〇〇に当てはまるのはたいてい、他人から認められるとか、金銭が得られるといったインセンティブです。
それらが得られないならやる意味は無いと考えているわけですね。


こういう考え方は、その文化を楽しむという姿勢がごっそり抜け落ちています。
本来は趣味は楽しいからやるのであって、楽しければ実利は追い求めないことこそが趣味とも言えます。
実利を追い求めてナンボの世界はそれは趣味というより仕事でしょう。
趣味に対して仕事のような何かを追い求めてしまう原因は、先述のように劣等感も多分にあると思いますが、
SNSで全世界的な競争社会にさらされていることも関係しているのかもしれません。
ただ職に就くだけでは不十分で、趣味面でも実利が得られるレベルの地位に就きたいという焦りがある。


この考え方が全部悪いとは言わないし、むしろ場合によってはとても重要な考え方だとは思います。
しかし一方で、目の前の物事を楽しむという視点が抜け落ちたまま生活をエンジョイできるとは思えません。
焦燥感を原動力にした生活は徐々に磨耗していって、いずれメンタルに深刻な打撃を与えそうな予感がします。
なので、「今回はこれを楽しむだけ」というような視点も、今後はできるだけ意識的に取り入れたいところではある。
それがつまるところ実践的なプライドとの折り合いの付け方になるんじゃないかと予感しています。



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