活動基盤としての健康
去年の大きな気づきのひとつとして、心の余裕を得るためには4つの自由が必要という話を書きました。
それはすなわち、健康・金銭・社会参加・時間が過不足なく確保できていることを言います(#07454 / 2024年05月14日)。
承認欲求問題について考えていると、社会とのつながりが十分かどうかについて考えることが多いですが、
実はより基本的な「健康」、すなわち身体的自由を安定させることは意外と難しく、
これが自分の活動を阻害している側面も多くあるのではないかと最近感じるようになってきました。
特に最近は首こり・肩こりがどんどん深刻になってくる一方で、
平日はともかく休日はQOLを明らかに下げています(#07823 / 2025年05月17日)。
この対策として上半身ストレッチ、いわゆる「肩甲骨はがし」をしたらかなりスッキリしたので
意識的にストレッチをすることでなんとか抗っているところです。
そのおかげか最近はわりと改善傾向にありますが、04月中旬〜05月中旬は肩こりやその他諸々の問題があり、
「身体的自由」を獲得していたとは言い難い期間だったと思います。
そしてこれからも加齢によって身体が衰えていくにつれてこの問題はより深刻度を増していくでしょう。
正直言うと最近も体力の無さゆえに「なんとなくしんどくて」作業が手につかないことも増えてきました。
これは個人としてはかなり危機的な状況なのかもしれません。
活動が捗らない根本原因は体力低下である可能性も否定できない。
社会的意義とか承認欲求とか、そんなことを考えている場合ではないのかもしれません。
こういうことを考えていると思うのは、自分がやっているネット活動はあくまで生活に必須ではない付加価値であり、
「やらなかったらマイナス」ではなく「やったらプラス」になるものであるということです。
自分はネット活動をダラダラと20年以上も続けていて、
あまりにもその存在が当たり前なのでこういう視点は持ちにくいんですが、
実は実生活を維持した上でネット活動も成り立たせるのは結構難しいのではと思います。
活動が他者と結びつけばその継続には責任が伴うようになり、
「やらなかったらマイナス」になる側面があることは否めません。
ただ、それが無償で見返りが無いのであれば活動の継続可否は自分で決めていいとは思いますが。
要は、生活の基本はあくまでも健康の維持と仕事であって、趣味は余力でやるものだということです。
趣味を維持するために生活がないがしろにしていては根っこから破綻するのは目に見えているわけで、
生活が不安定ならまずはその安定化に努めなければなりません。
そこで趣味が滞ろうと本来誰にも咎められないはずなのですが、従来の自分はそういう認識が無かったと思います。
まぁ、だからこそネット活動に責任を持ち込んで一定のところまでいけたのかもしれませんが、
少なくとも言えるのは昨今の自分にそんな「架空の責任」を持ち出して負荷を高めるような余力は無いということです。
インセンティブが無ければできないし、あるならやる。
ただ、こういう考え方でネット活動をしていても行き詰まるだけのような気もしているし、
だからこそここ数年の活動は迷走しているのかもしれませんが……。
とにかくこんな悩みを吹き飛ばすくらい盤石な健康と体力は維持しておきたいものです。
先日健康診断がありましたが、
2023年度(フルテレワーク)と比較して2024年度(週2出社)はやや改善傾向にありました。
自主トレーニングなんて一人暮らしでできるはずがないこの環境では、
やはり鍵になるのは出社頻度のようです。
いま、自主的に週2出社していてこれ以上はオフィスの占有率の都合でちょっと難しいのですが、
出社時間や就業場所を工夫するなどしてどうにか週3出社に持って行った方がいいのかも……。