嫌いな人に関する処世術
これは若干アルゴリズムによる偏りの影響もあるかもしれませんが、
近年のTwitterでは「嫌いな人は『いなかったことにする』のが精神的安定の近道である」などのように、
嫌いな人に関する処世術をよく見ます。
嫌いな人への憎悪はドーパミンが出るので、嫌いな人を追いかけていると中毒になってしまう。
なので精神的健康のために嫌いな人はなるべく遠ざけた方が良い、というのはSNS特有の共通認識としてありそうです。
今日も「母親には『嫌いな人にも良いところがあるんだから、その良いところを見つけてあげなさい』
と言われたが、実際にはその母親は大人になって振り返るとかなり嫌な人で、
その人は母親の嫌な部分を見せつけられるたびに(良いところを見つけられない)自分はダメな子だと思っていたが、
大人になってあの言葉は毒親が娘にかけた呪いで、大人になってそれは解けたのだった」
というエピソード が紹介されていました。
「嫌いな人にも良いところがある」。確かにそれ自体は間違っていないように思います。
しかしそれは嫌われている側が言うとあたかも「自分の負の側面は見るな。良いところだけ見ろ」という強要、
あるいは加害や不道徳の正当化にもなりかねない。
ということはつまり、「嫌いな人にも良いところがある」というのは嫌われている可能性のある人はおいそれと言えない、
かなり人を選ぶ価値主張なのではないかと感じました。
メンヘラ全盛期の7年前の自分は人を嫌う3条件に「自分が遵守している道徳やポリシーを守らない人」
「自分が望む期待を裏切ってくる人」「自分の希望を先に叶えた格下の人」を挙げています(#05536 / 2019年02月16日)。
このうち3つ目は単なる嫉妬ですが、当時のボキャブラリーではなぜか嫉妬という言葉を使っていません。
いずれにしろ嫉妬はより個人的なもので、別に嫌いな人に社会的に不誠実な部分があるとはかぎりません。
まあ、制度上の抜け穴を使って社会的地位を上げているので嫉妬する、みたいなケースはありえますが。
1〜2つ目の条件は、社会規範やルールをどう守るかという意識のギャップのようにも思います。
物事に対して誠実に対応しようとする人ほど、杜撰な人を嫌いになりやすい。
「自分はちゃんとルールを守っているのに、あいつはそれを守っていない!」という感情が憎悪になるわけですね。
これは暴論だと思いますが、バカはルールを守れないと思います。ルールを守れないからバカとも言う。
ここでいうルールとは社会規範、法律、規律、道徳、作法、コミュニティルール、暗黙の了解などを指します。
この意味のバカは、欲求不満が強い、精神的に自立していない、単にスキルが不足しているなどの理由から、
ルールよりも自己都合を優先してしまうわけですね。
そして、えてしてこの意味のバカはどこへ行ってもルールを守れないので嫌われやすい。
ルールを逸脱しても周囲の人は基本的に指摘しないので、そもそも自覚が無いことも多いでしょう。
また、ルールというのはきわめて複雑で個人が全部遵守するのはとうてい不可能なので、
そういう意味ではどんな人でもルールを逸脱しうるし、つまり誰もが誰かに嫌われる可能性があります。
突き詰めればルールをどこまで重く見るかという価値観の違いでもあると思います。
この世の中には「社会人なら最低これくらいのルールは遵守するべき」という暗黙の了解が確かにある。
逆に言えば、「ここを逸脱したら叩かれてもしょうがない」というボーダーラインがある。
SNSでは、そのボーダーラインを越えてしまった人が毎日のように炎上しています。
ここでいうルールは客観的公共性がないと炎上も単なるイジメでしかないのですが、それはまた別の話。
個人にとってこのルールの「重さ」はどの程度が妥当なのかという話はまた別の機会にするとして、
とにかく自分が遵守しているルールを守らない他人は嫌いになりやすいという傾向はあると思います。
では嫌いな人とどう向き合えばいいのかというと、人間関係の距離感によってさまざまな答えがあると思いますが、
さしあたりSNSのつながり程度の関係性であれば、冒頭に書いた通り「いないことにする」のが妥当かなと思っています。
憎悪に依存してしまうリスクを考えると、SNSにおいて嫌いな人とつながっているのは普通に高リスクです。
「なんだこいつ」と思ったらさっさとミュートないしブロックしてしまうことが望ましい。
そういう意味でもSNSで脳死で意見を垂れ流すことはそれだけでリスクの高いことをしていると思います。
リアルの関係性における「嫌いな人」も、離れられるならそれが一番良いと思います。
ルールを守ってもらうのが一番合理的のように思うのですが、
自分が直感的に嫌いな人というのはえてして相手もこちらのことをうっすら嫌っていることが多いので
(なんらかの事情でルールを守れない人は、ルールを守っている人に嫌悪を感じるものなのかもしれない)、
「価値観を変えてもらう」という段階に至るまでのハードルが非常に高いんですよね。
ただちに縁を切ることが難しいような場合は、やんわりと距離を取るのが妥当だと思っています。
つまり相手を「認識」はするが「承認」は基本的に与えない。当然その人に期待もしない。
ただ、これを徹底すると自分が別のまともな人に「承認」されなかったときに「あれ? この人に嫌われているのかな?」
と思いがちで、嫌いな人にした行為はすべて自分に跳ね返ってくることを覚悟しなければなりません。
それもそれで息苦しいときがある。
そこで、「嫌いな人が守っていないルールは自分も守る必要がない」という考え方もあります。
つまり自分がルールに対して従順すぎるので、その程度を少し落としてみることで解決することもあり得る。
夫婦でルールに関する価値観の食い違いでうまくいかないときなんかは有効のようにも思えますが、
もちろん道徳を守らなくていいわけではないので、ルールを軽くするのにも限度はあります。
「嫌いな人」というのはネガティブな感情をもたらす存在ですが、実は学べることも多いと自分は思います。
少なくとも自分の自己批判の歴史では、嫌いな人に気づかさせてもらった部分が少なくありません。
実は人生において、反面教師こそが最高の先生なのではないかと思う今日この頃です。