不安定な所属
メンヘラ期はさすがに脱出したと言えそうな近年ですが、かといってポジティブになりきれたわけでもなく、
気分はいろいろなレンジで波のように上下運動を繰り返しています。
下向いているときは不安や焦燥感に苛まれながらもそれを表に出さないように踏ん張るというフェーズで、
上向いているときはそういうことは意識することもなく目下の文化的活動に集中するというフェーズです。
数年前まではこの意味で上向くことがほとんど無かったので、そういう意味では着実に進歩はしています。
ただ、その歩みがあまりにも遅いことは認めざるを得ません。
このままだと、ものすごく中途半端なままに青年期の終わりを自覚せざるをえなくなり、
何も心の準備ができないまま中年期に突入して今度はその年代にちゃんと適応する前に老年期が見えてきて、
あらゆることがとっ散らかったまま人生の終幕が見えてくるのではないか、という焦りがあります。
そして現時点でこの焦燥感の主な要因は、仕事に対する不満であると考えています。
自分は新卒相当〜5年目満期までは地元の超ブラック企業を耐え抜き、
6年目以降は上京して表向きはwebエンジニアとして働いていることになっていますが、
実態としては会社とパイプのある客先企業に常駐する、いわゆるSES社員として会社に籍を置いています。
SESそのものはかなり評判が悪いのは事実で、正社員待遇の派遣社員と言われてもまあ否定はできません。
プロジェクトごとに現場が変わるのは大企業で言うところの部署異動のようなものと割り切っています。
ただ、1点咀嚼しきれない悩みがあるとすれば、この働き方は帰属意識がまったく育たないことです。
自社社員としては同僚との交流が皆無だし、一方で客先社員としても所属会社の違いで線を引かれてしまう現実があり、
どこまで行っても「自分はここに居ていいんだ」という安心感を得られません。
地方時代の自分にとって、働くことの意義は「仕事はしたいからするものだ」というものでした(#05575 / 2019年03月27日)。
これが賛否あるのは理解しています。世の中のすべての職種に当てはまるとは思えない。
一方、仕事というのは人と関わる中で社会的欲求を満たす手っ取り早い方法でもあり、
それを趣味で満たすのは困難だということは直近の考えにも通じています(#08106 / 2026年02月24日)。
社会的欲求を満たしたいという観点で諸活動を考えたとき、少なくともネット活動より仕事の方が合理的だろうと。
しかしこれは明確に椅子を与えられ、「社会は自分を必要としている」という実感があればこその話です。
あらゆる仕事は必要性があって存在しているというのは前提としてありますが、
意志を必要としない機械的な仕事など、自分の人格に結びつかない仕事はそうした実感をなかなか得られません。
SESは技術を買われて出向しているわけですが、どうしても使い捨ての戦力という側面を否めません。
短期的には必要とされているからこうして仕事があるわけですが、
いずれは契約が終わって切られる日が来ると思うと、必要とされていると心から信じるのは難しい部分があります。
そして、社会からの信用を信じ切ることができなければ、自分もまた社会を信じ切ることができません。
それは少なからず仕事のモチベーションにも関わってくると思います。
つまり仕事を心から信用できれば、その活動と自尊心が結びつくのではないかと。
それなら「自分ならこうする」「ここまでやり切らないと納得できない」という熱量が生まれる可能性がありますが、
逆にそうでなければ自分なりの努力を発露するのは困難で、指示されたことをするだけのロボットになるしかありません。
この差はかなり大きいと思います。
「仕事は楽な方がいい」と言う人がたまに(周囲にも)いますが、自分はそうは思いません。
楽な方がいいというのは、仕事で得られるのは給与だけだという前提が念頭にあるのだと思いますが、
実際のところ、週40時間拘束されるというのは並大抵の給与では割に合わないと思います。
仕事は社会で役割を得られるという利点があってこそやるもので、ある意味それは給与以上に重要なことです。
それがあって初めて、人はプライドのある社会人として地に足のついた人生を歩むことができるのではないかと。
もし楽な仕事にだけ従事していたら、
「自分は本来こうではないはず」という本音を押し殺しながら働き続けることになるのではないかと思うわけです。
これらのことを考えると、いまの会社に居続けることについては慎重に考えた方がいいのかもしれません。
40代に突入したら再転職という可能性もあるかも……?