直近のキリ番記事では「ニーズに対して貢献しようとする意志の無い活動は無責任であり、不毛である」
というような利己的活動に対する批判を展開しました(#07900 / 2025年08月02日)。
承認欲求を求めるような「結果的に認められるかどうかわからない活動」は単なるギャンブルであり、
ニーズについて考慮しないような活動は「誰にも求められていない」という側面を否定できないのだと。
だからこそ、しっかり社会的需要を把握してそのために責任ある活動をすべしという方針です。
これは「自分さえ良ければ」という方針で
自分のシマで自分にしか分からないコンテンツを展開してきた従来(2003〜2012年ごろ)のネット活動を
ほとんど全否定する言説であり、
そういう意味では半ば自虐的なエッセイと言うこともできます。
ただ、だからこそ今後20年の活動方針を見定めようとする意志を強く反映したつもりでもあります。
キリ番記事はその時点の思想のスナップショットとしての意味合いが強くありますが、
たいてい1本書き上げるとそこから新たなツッコミどころがたくさん出てきます。
そのため、テーマとしては1本で完全に完結することはなく、後続の記事で補足することになる場合がほとんどです。
特にここ1〜2年はそういう傾向が強いと思っています。
未完成で出しているというよりは、あるテーマについて一通り考えると新たな扉に行き着く感じですね。
さて、今回はどういう新しい扉が見つかるのか。
ひとつの可能性として提示できるのは、「ニーズの範囲」です。
つまり、昔の自分はニーズ(誰に見せるか)を考慮していなかったので
「誰にも求められていない」という側面を否定できず、
だからこそ責任も生まれないし、責任が生まれないからモチベーションも続かなかった。
ネット社会も現実社会と同じように責任の上で活動すべきという考えに基づくと、それは確かに不毛だと言えます。
他人との関係性をいっさい持たなかったら、どんなに有能な仕事をしても意味はありません。
フリーランスもアルバイトも正社員も、想定する「お客さん」あっての仕事です。
これはネット活動も同じで、web制作活動をするなら訪問者を想定する必要があるはずです。
では、ここでいうニーズとはどの程度のことを言うのか?
「ネット社会全体」に対してニーズが無いからダメというのはいささか乱暴な気がします。
たとえばSNSをやっているからといってバズらなかったら価値が無いというのは暴論だということです。
つまり「いいねの数」などのように数で数えるようなものではない。
そこには必ず人間関係があり、要するに大小様々なコミュニティが形成されていると考えることができます。
必ずしも言語コミュニケーションが発生するとは限りませんが、確かにそこには人間関係がある。
こう考えると、「従来型活動」をしていた自分の不毛さの正体というのは、
ピクミン活動以外はすべて「コミュニティに属していない」というのがその原因だったと指摘できます。
「好きなゲームの特集サイトを作る」系の企画が当てはまりますね。
要するに、部員1人で活動していた。だから不毛だし報われないし、社会的意義も見出せなかった。
ネットですらコミュ障ムーブをしていたのがそもそもダメだったということです。
ブログも3代目中期までは訪問者がいるという自覚は持てていました。
しかし3代目末期の非公開運営でこれも断ち切れたので実質これも部員1人と言えるでしょう
(現に4代目以降、アクセス数は激減しています)。
また、やはりブログを見ていると公言していた人と絶縁してしまったのがこの点では致命的になったのだと思います。
だからこそ活動21年目になってこういう問題が頭をもたげてきたのかもしれない。
わずか1人増えて2人になるだけでもそこに小さな社会が形成され、ニーズが発生する余地が生まれるわけです。
もし1人だけだったら自己満足以外にニーズの発生しようがない。
それが従来型活動を続けてきた自分の虚無感を拭えない根底的な原因なのではないかと。
なかなか残酷な結論で、我ながらここまでストレートに書くと心に来るものがありますが……。
もし、これが答えなら直近の言説はひっくり返ります。
ピクミン活動は規模縮小傾向にありインセンティブを十分にもらえないのでもう不毛だと嘆いていましたが、
自分にとってみれば(ブログと違って)それこそが社会的充足感を得られる唯一の可能性でもある。
インセンティブをもらえる・もらえない以前の問題だということです。
少なくとも、ブログ内特集みたいな形で自己満足コンテンツを展開するよりは絶対にそっちに注力した方がいい。
ブログについても、4代目黎明期のいま、ネットの片隅で書き続けると割り切るのではなく、
たった1人でもいいからファンを得られるような立ち回りが求められているのは確かでしょう。
その辺は2026年の課題になると思います。
こういう結論に辿り着くと、自分はやはりどこまで行ってもコミュ障なんだなということを改めて実感します。
社会人になって長い月日が経ち、もうそんな自覚は吹き飛んでいましたが根底はずっと変わっていないんだなと。
そして昨今の悩みは結局意欲の問題に行き着き、
ここで書いたことを鑑みるに2020年の結論(#05971 / 2020年04月25日)がこの悩みの答えなのかもと思います。
こう考えると、この6年間自分は堂々巡りを繰り返していただけだったのか……?