承認に関する社会の潮流
200日ぶりの「独り言」ではネット活動の本質的な不毛さについて論じたわけですが(#08100 / 2026年02月18日)、
キリ番記事を書かねばというプレッシャーに押されて短期間で書いたこともあって
一番言いたいことが埋もれてしまっている「独り言」独特の文章、言うなれば「独り語」になってしまっているので、
ここでは書いてから諸々頭が整理されてきたあとの所感を書いておくことにします。
キリ番記事でネット社会の不毛さを論じたのは、少なくともネット社会にツバを吐くことが本懐ではありません。
あの記事では要するに外発的動機づけはリアル社会(仕事)で満たし、
内発的動機づけはネット社会(趣味)で満たすのがもっとも筋が通っているのではないか、
ということを言いたかったような気がします。
少なくとも外発的動機づけの目的(社会的欲求=他者承認)をネット活動で得ようとするのは不毛なのではないかと。
それはどちらかというとリアル社会に求めた方が合理的なのではなかろうかと。
リアル社会は外発的動機づけの目的であるところの名誉や承認、金銭を得るための仕組みが確立しています。
しかも匿名活動ではないので、自分という人間がそのまま地続きになって他者とつながることができる。
基本的には頑張れば頑張るほど社会に感謝され、報酬は増え、地位も向上していく。
少なくともネット社会でそれを求めるよりハードルは明確に低い。
ネット社会の(真面目な)実績だけで最低時給相当の年収を得たいと思ったら並大抵のことでは達成できませんが、
リアル社会ならコンビニバイトでも達成できます。
そしてそれは他者承認についても(多くの社会人は実感が無いかもしれませんが)同じことが言えるでしょう。
ただし、リアル社会における仕事では「好きなこと」だけで報酬をもらい続けるのは多くの人にとって困難です。
もし好きなことを仕事にできているのなら、それはあくまでも副産物として捉えるべきでしょう。
好きなことだけを仕事にする=正しい、では世の中は回らないからです。
一方、ネット社会は自分とは物理的に切り離された社会なので承認欲求を満たすのには向いていませんが、
内発的動機づけを発露するプラットフォームとしてはうってつけです。
内発的動機づけ、つまり自分の個人的な興味関心、好奇心、情熱、こだわり。
ネットは好きなことを突き詰めようと思えば無限に情報があるし、それについて何かしようと思ったらいくらでもできます。
webサイト、ブログ、動画、配信、SNSなど、「好き」を発信する手段はたくさんある。
その代わり、ここで名誉や承認や金銭を得ようとする、つまり仕事にするのはかなり難しい。
ネット社会では承認リソースが有限である以上は運が良い人やより情熱がある人に報酬が偏らざるを得ません。
ここで外発的動機づけ、つまり他人に認められたいというだけの動機で勝負するのはそもそも不利だということです。
たまに承認をもらえることがあるかもしれませんが、それはあくまでも副産物として捉えるべきでしょう。
常にそれを求めて一喜一憂するようになると、ネット活動がギャンブルになってしまうからです。
あくまでも好きなことを仕事にしたいという人もいるし、
ネットで承認、名誉、金銭を得たいと思って馬の目を抜こうと躍起になっている人もいますが、
自分が観測しているかぎり、いずれのケースも母数に対してあまり成果は芳しくないという認識です。
それは世の中の潮流に逆らっているようなものなのでしょう。
なので、これからは金銭や社会的欲求は仕事で追い求めることにして、
ネット活動は好きなことを好きなようにやるだけと割り切っていくのが健全なのではないか、
ということを言いたかったのでした。
自分は幼少期からwebサイト管理人(仕事人)としてネット社会の成熟を見守ってきたという経歴から、
ネットに外発的動機づけの報酬(仕事としての成果)を求めては承認不足にうんざりしてきた側面があり、
その「報われなさ」の正体はなんなのかとずっと前から思っていました。
そしてそれはもしかすると、自分の内にある内発的動機づけを蔑ろにしてきたことに原因があるのかもしれません。
ずっと社会の潮流に逆らってきたからこそ報われないし、疲弊してきたのではないかと。
リアル社会にはリアル社会の、ネット社会にはネット社会の適切な立ち回り方がある。
それに対する認識がずっと甘かったからこそのこの現状なのではないか、と改めて思うわけです。
なのでまあ、いまの自分の何が一番ボトルネックになっているのかと言われると、
それはおそらくwebクリエイターとして上京したのにほとんどweb制作に関われていないという仕事面の事情なのでしょう。
しかしこれはもう年齢的・時代的にいかんともしがたいところがあり、悩ましいところです。