Chrononglyph

作業計画の問題

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#8138

計画遂行に必要な意志力

えー、もう2026年の4分の1が終わろうとしている現実に半ば絶望しているわけですが。
この第1四半期最大の反省点は、
「作業をするにあたり阻害要因が全部取り除かれるのを待っていたら、永遠に着手する機会は来ない」ということです。
この3ヶ月間は思い起こせば一見して「年間計画を進めるどころではない」状況がメドレーのように続きました。
年始実家帰省の生活リズム崩壊(〜01月15日)→草コインを起因とする仮想通貨の含み損抱え(〜02月28日)、
例年とは比べ物にならないレベルの花粉症悪化(〜03月19日)という感じですね。
そして春の実家帰省でweb制作系の作業は多少挽回しましたが、
その5日間にほとんどブログを書けなかったことにより03月末はブログの執筆に追われているという感じです。
花粉症は半ばどうにもならなかったですが、他はブログを含め自己責任と言えるでしょう。
まあ仮想通貨に関しては結果的に25万円の含み益が出たので結果オーライではあるんですが……。


これらの経験から、年間計画はもっと強い意志で推進しないとあっさり破綻するという危機感があります。
多少の逆風が吹いていてもゴリ押しで進めるくらいの意識があっても良いのかもしれない。
確かに逆風が吹いていない状況の方が作業が捗りやすそうな気はしますが、
だからといって好機を待つのは単に時間の損失であって、やらない理由を絞り出しているだけなんですよね。
第2四半期は仕事場の変更という大きな変化が待ち受けているため、
趣味活動にとって大きな逆風が吹く可能性は大いにあります。
だからといって第2四半期も停滞してしまうと、もう1年の半分を消費してしまうことになる。


とはいえ実は去年末に立てた年間計画はこうなることをそれなりに織り込んでいて、
期間限定ランキング制作が若干遅延していること以外はおおむね想定通りだったりします。
web制作方面では春季アプデはいちおう実施できたし、イベントもコンスタントに開催できている。
読書についてはむしろ想定よりかなりハイペースで進んでいるので、
「年間4冊」という低い目標は今月だけでほとんど達成できそうな勢いです。
まぁ、低い目標に沿ったところで達成感も実績も生み出せなければ意味はないので、
低い目標そのものの存在意義がやや怪しいところではありますが……。


とにかく、第2四半期は作業遅延の原因を自分から作るような愚行は意識的に避け、
また逆風がある程度吹いてもできる範囲で少しずつ進めていくような執念を心に宿していきたいところです。


#7999

自助努力の足跡

次のエントリーで当ブログは合計記事数8000本の大台に乗せます。
「ブログ以前(出生〜中学時代)に生きてきた日数」に運営期間が追いついたのが2020年、
ちょうど6000本に乗った翌日のことだったので、それからさらに2000日の歳月を費やしたことになります。
これまで1000の倍数の記事は7本書いているわけですが、
高校時代が1本、大学時代が1本、大学院時代が1本、地方社会人時代が2本、上京以降が2本となります。
以前も書きましたが、このうち「それなりのボリュームで書けた」のは大学院時代のみであり、
あとは1000の倍数というプレッシャーに押しつぶされてしまってごく短い文章で終わっています。
さて明日の掲載分はどうなるでしょうか。


前の7000番前後(2023年02月)はブログの非公開運営を決意する直前のタイミングということもあり、
当時のエントリーを読み返すと「ここで辞めるかどうか瀬戸際」とも書いています。
2025年現在、実感としては当時よりは相対的にかなり持ち直したようには思っています。
2023年当時はブログに関しては「もうダメだろう」と半ば諦めていました。
当時の自分にとって、ブログというのは自由を束縛する古い習慣が煮詰まった過去の遺物というようなイメージ。
実際、2023年05月にWordPress上の運営に終止符を打ちそのままフェードアウトするつもりでいたわけですが、
「1日1本」という縛りさえ解ければ意外と維持できることを知り、
2024年の20周年を機に「7日7本」というルールに変更していまに至ります。
1分の1も7分の7も総量は変わらないじゃないかと思われるかもしれませんが、
「毎日締め切りがある」のと「週末にのみ締め切りがある」のはかなり大きな差があると思っています。
基本的には、7日7本ルールが許されるならブログは他の活動に大きな支障を来たすことなく継続できそう。


日記系ブログは、他人にとっては無価値でしょう。それは否定できません。
自分がもっと人として成熟すれば「誰かにとっての一助(#07759 / 2025年03月15日)」になり得るかもしれませんが、
いまのところそれを期待できるようなフェーズには入っていないという認識です。
しかし、それはそれとして自分にとって価値あるコンテンツであることは確か。
自分はいまでも、直近の記事は結構自分で読み返しています。
それ自体が、実は自分で自分を支える活動、ひいては自己肯定感を助けるのにかなり効果を発揮しているようにも思う。
体感では本当に何もやる気がない下り坂フェーズでは(読む気力自体が無いので)ブログも役に立ちませんが、
そこから立ち直ってゴールデンクロスを形成し、「何かやりたいな」と思えるようなフェーズに入ったとき、
過去の自分がブログに書いたことというのはさまざまな面で自分を援護する言葉になり得ます。


いまの自分にとっては、ブログは過去の遺物というよりは「未来への先行投資」のようなものと言えます。
1日1本相当書いているのは、要するに積み立てNISAのような感覚。
日記というのは今日という日を大切にするために書くものというようなイメージがありますが、
自分の場合はその境地からはもう半分抜け出して、
将来にわたって自分自身を支えるために教訓や反省などを書き残すためのプラットフォーム、
という趣に変化したように思います。
であればこそ、今度こそ道半ばでこれを辞める理由はありません。


あと2001日で、記事総数は5桁に到達します。
さすがにブログ開設当初はそこまで続くとはまったく想定していませんでしたが、
ここまで来れたらもう現実になるだろうなという気がしています。
そういう未来のために書いているという意識もまた、書き続けるという活動の一助になるのかもしれません。
いずれにしろこのバランス感覚を大事にしながら今後も継続していきたいところです。


#7992

怠惰と戦うという意識

今週、何気にポテンシャルの高い一週間でした。
予定していた音楽アルバムのフィジカル在庫確認作業はしっかり最後までできたし、
それどころか余力で全アルバムのレーベル名整理までできた。
また平日は出社日を除いていずれの日もweb開発系作業が着実に進んでいるというのも非常に大きいです。
この作業は着手するための心理的ハードルがかなり高く、
これまでは週1回ちょっと進んだら上出来でした。しかし、どうやらひとつハードルを乗り越えられた感がある。


こうやってハードルを乗り越えてみてやはり感じるのは目標設定の大切さもそうですが、
いかに前回から時間を空けないかというのが大事かということを痛感します。
昨日着手して途中のものは、今日ならかなり着手しやすいんですよね。
これを、今日放置して「明日でいいか」と思って明日を迎えるとめちゃくちゃ着手ハードルが上がっている。
一度時間を開けると、何をやっていたのかを思い出したり状況を整理したりすることに大きなリソースが食われ、
その段階で「面倒臭いなぁ……」と思ってしまうからなんでしょう。
昨日細部まで着手していてその記憶がまだ新鮮であれば、思い出すためにリソースを消費する必要がない。
これは読書なんかでもよくあることです。だから読書は短期集中でやるべきなんですよね。
このことは近年何度も気づき直していることですが、なかなか活動に組み込めていない感があります。


あと、タスク(目標)設定において、達成できて当たり前と思える設定に意味は無いと改めて思います。
先述の「ひとつハードルを乗り越えられた」という実感は、
頑張らなかったらできなかったであろうことを実現できたという実感です。
その実感を得るためにはやはりどこかで「面倒臭いなぁ……」という感情を打破する必要があり、
つまり本質的にはタスクは面倒臭いものであるべきなんですよね。
面倒くさくないようなタスクを羅列して完了チェックをしたところで、なんの意味もない。


自分の計画管理はその意味での「目標」と、牛乳を買いに行くといったような「リマインド」が混在していて、
得てして不調なときは後者ばかりになりがちです。
ただ、今回好調な感覚を取り戻してここには「目標」を入れてもいいんだということを改めて思い出しました。
そういうタスクを入れることで怠惰と戦う図式を明確にできるわけですね。


当然そこにはそれなりの心理的負担もあり、長続きしないことはわかっています。
毎回できそうでできない、でも少し頑張ればできるかもというタスクを設定するのはきわめて難しい。
ただ、近年の自分は「怠惰と戦う」という意識があまりにも抜け落ちていて自分に優しすぎた観があり、
だからこそ保守的になりすぎて本当に必要最低限のことしかできていないという感じがするので、
この辺は今後意識改革の必要があるんじゃないかなと思っています。


#7617

直線的な目標設定の否定

自分はここ最近(特にChatGPT登場以降)、
web制作におけるプログラミングをやや軽視しているような姿勢がありました。
つまりweb制作で大事なのは「何を作るか」であってプログラミングそのものの知識ではない。
プログラミングそのものを好きでも、「何を作るか」が明確でないならそのスキルは役に立たないわけです。
なので、どちらかといえば「何を作るか」の方が本質的であり、
プログラミングはそこへ行くための手段でしかないと。
手段と目的を混同してはならないというのは、まあその通りだと思います。


しかし最近改めて実感するのは、
その道のりもやはりプログラミング自体にもある程度の興味がないと進めないということ。
プログラミングそのものが好きであることも、それはそれで重要だということです。
自分の場合、プログラミングをしていて「こんなこともできるんだ!」というような発見や好奇心が
開発モチベ全体を支えているような節があるのではないかと最近考えています。
そういう意味ではフレームワーク選定はものすごい大事なことなのかもしれません。


去年からはChatGPTがある程度コーディングの肩代わりをしてくれるようになりました。
これ自体は開発環境の大いなる進歩と捉えていて、いまはプロンプトエンジニアとしても歩み始めた段階です。
しかしChatGPTに全部お任せですべてが順調に行くのかというと、決してそういうこともない。
自分の直近の作業では、ChatGPT以前から改修を続けてきた部分でReactの機能を使うと大幅に合理化できることを知り、
それでちょっとモチベが上がるというようなことがありました。
これは教えてくれたのはChatGPTで書いたのは自分です。こういう二人三脚方針だとモチベも生まれやすい。
あくまで自分が主体で進めているからでしょうか。


一方、最近だと不定期開催している「ダンドリバトル大会」の戦績表はほとんどChatGPTに書いてもらったし、
4代目ブログのフロントエンドも同様です。
これらは締切ありきだったため爆速で完成させたものの、メンテナンス性が非常に悪いという共通点があります。
自分で書いたコードではないのでそもそも改修したいというモチベが出てこない。
これはChatGPTに限らないことですが、他人のコードはあんまり読みたくないものです。
当然、そんな段階で手をこまねいているような状況で新発想など生まれるわけもない。
要するにLLMありきというのはプログラミング作業に対して多少雑に対応しているようなもので、
そんな姿勢で長年やっていけるのかと言われると甚だ疑問です。
プロンプトエンジニアリングはあくまでも補助的なものだということは戒めていくべきかと。


最近思うのは、目標を設定したらあとはそこに向かって走るだけでは人間なかなか行動できなくて、
結局その途中経過を楽しめるかどうかが肝要なのではないかということです。
ゲームでこのスコアを出すことを目標にしたいと思いその妥当性をしっかり吟味したとしても、
結局そのゲーム自体が好きでなければ達成は困難でしょう。
これはゲームにかぎらずいろいろなタスク管理にも言えるのではないでしょうか。
ある意味では「直線的な目標設定の否定」とも言えるこの仮説は、これからの人生で検証していくことになると思います。
ただ、少なくともweb制作に関してはわりと当てはまるのではないかなと。


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