Chrononglyph

ブログの執筆方針

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#8153

遅延掲載スタイル

久々にweb開発が捗り、起床してからほぼ一日中取り組んでいました。
いろいろとやらねばならないことはありますが、こういうことができる日を1日は用意したいですね。
通常、日曜日はブログ更新日ということでブログの加筆修正に追われていることが多いですが、
今週はそのタスクを土曜日までにほとんど消化していたため日曜は別作業に集中できた感じです。
かなり理想的な動きができたと思っていますが、これを毎週できるとは思っていません。


そのブログについて、今日のアプデでわりと大きな変更があったのでお知らせを。
というのも、これまでは日曜日にその週の始まりから1週間分をまとめて掲載するという建て付けになっていました。
「毎日必ずブログを完成させる」というルールは仕事との兼ね合いなど生活実態と全然噛み合わないので、
1日1本ではなく7日7本書く、つまり1週間以内に辻褄を合わせられればそれでよいというのが
このブログの4代目以降のルールです。
日記系ブログとは言っているものの今日起きたことだけを書くという趣向は はるか昔に廃れているし、
このルールの方がブログ以外の活動に支障をきたさないのでこれで行かせてもらっています。


ただ、そうするとwebサイトとしての更新頻度が週1回になってしまうのが問題でした。
訪問者の視点からすると次の日曜日まではずっと同じ記事がトップに表示されているということになり、
いつ来ても同じ(たいていは最後の日曜日に書いた)記事が表示されることになり、
訪問者の再訪問率を上げたいという観点からも、日曜の記事が良くも悪くも不当に目立つという観点からも微妙でした。
そこでこれらの問題を緩和するために少しルールを変えることにしました。


簡単に言うと、掲載は現在時刻を基準に7日遅延するというのが新しい方針です。
たとえば今日この記事を書き上げたら7本アップしますが、明日04月13日に閲覧できるのは7日前の04月06日分まで。
内部には残り6日分の記事が「公開待ち」としてストックされ、毎日00時に1本ずつ解禁されるという方式です。
これなら執筆側は従来通り日曜日にまとめてアップするという体裁を保ちつつ、
webサイトとして見ると1日1本新しい記事が更新される高頻度更新のブログとして成り立つということです。
短期的に頑張って7日分未来の記事をストックしておけば事実上当日の記事を当日に公開できますが、
そうすると記事の日付と執筆日が乖離して日付が形骸化してしまう気がするので、いったんこれで行かせてください。


ところでブログ改修の方は順調でしたが、ピクチャレ大会の改修の方は大変な難工事になっています。
というのも、DBとして使っているPrisma ORMというデータベースの定義ファイルでIDEが警告を出していたので、
これを消したいと思ってCodexに働いてもらおうとしたんですね。
すると、その警告はPrisma 7.xとそれ以前の仕様変更によるものということが発覚。
しかも前バージョンは新しい記法をサポートしていないので、警告を消すには7.xにアップグレードするしかない。
しかしPrisma 7.xを入れるにはそれが依存するさまざまなソフトもそれなりに新しくないといけないらしく、
芋蔓式にソフトのバージョンアップをすることになったという次第です。
そして無事にアップグレードが終わってコンテナを動かしてみると、致命的なエラーが出るわ出るわ。
Codexがやってくれるからと軽率に初めてしまったアップグレード改修ですが、まだまだ続きそうです。
最悪の場合は警告を放置して旧バージョンのまま運用するという選択肢も留保していますが、
それはいつでも決断できるのでひとまず掘り下げられるだけ掘り下げるつもり。


#7760

生成AIと執筆方針

以前、このブログで優越感について考察したときにChatGPTのチカラを少し借りました(#07746 / 2025年03月02日)。
現在のモデル(GPT-4o)はChatGPT登場当初のGPT3シリーズより精度がかなり高く、
日本語の回答として不自然な割合が相当減っています。
AIを懐疑的に見る向きも少なくない世の中ですが、自分個人としてはGPT4になってからはもはや生活の一部ですね。
Google検索をするのと同じような感覚で日々いろんなシーンで使っています。


実にさまざまな応用ができるChatGPTですが、ブログ執筆で役に立つのは「掘り下げ」と「言語化」です。
ChatGPTは、明らかに論理的な間違い、事実誤認などを除いて人間側の意見を基本的に正しいものとして認識します。
そのため、違う立場から反論してほしい場合はそのように明記する必要があり、
そうでない場合は自分が言っていることを単に補足しているに過ぎないことが間々あります。
しかしこの「補足」というのが、抽象的なことをしっかり言語化してくれるので大変助かるんですよね。


上記リンク先で優越感について書いていますが、これは当初「自分はなぜ斜に構える傾向が強いのか」
という悩みについて掘り下げるつもりでした。
しかし当初はまだその掘り下げが不十分だったので、その過程をChatGPTにやってもらおうと考えたんですね。
そうしたら「斜に構える傾向の矯正方法」として5点のアドバイスがなされ、
そのうちのひとつが「優越感の危うさを理解すること」とあったのでそれをさらに掘り下げたという感じです。
そしてChatGPTの対話の中で頭を整理して、その上でブログを書いた結果がアレです。
こういうプロセスをフォローするには、ChatGPTは反則級に便利なツールです。


自分が考えていることに対して言葉を割り当ててくれるので、言語化もすごく捗ります。
ChatGPTを使うようになってからブログのモチベが多少なり改善しているとともに、
言葉を覚えるというプロセスが簡単かつ効率的になったので語彙を増やすこと自体を楽しめている実感があります。


そんなわけですでにブログのアシスタントになりつつあるChatGPTくんですが、
基本方針としてはChatGPTを含むLLMの回答は部分引用にとどめ、文章をそのままブログに載せないようにしています。
ChatGPTの回答に著作権は発生しないので、別に丸々引用したところで法的な問題は発生しません。
しかし当ブログはあくまでも自分が書いた文章を載せるという鉄則によってここまできており、
LLMだろうと他人だろうと、代筆は認められないというスタンスです。
よって、現時点ではChatGPTの回答を自分が書いたものとしてブログに載せるのは無し、という方向でいきたいなと。
まぁ、仮にそれを許すと「〇〇というテーマでこういう文体で1,000文字書いて」と指示するだけでブログが完成するし、
それが許されるならもはや人力で書く意味がなくなりますからね。


ただ、このルールはあくまでも「ChatGPT(などの汎用的なLLM)の回答」のコピペを禁ずるだけです。
たとえばこのブログの全文1300万文字を全部学習して高度にパーソナライズされた専用LLMができた場合、
それがほぼ自分と同じようにブログ記事を出力できるなら、
自分が年老いて文筆活動がままならなくなったときに代筆してもらうのはアリかも。
それが可能なら、サーバー代さえ払えれば自分が死んでもなおブログの運営を続けることができてしまいます。
SFチックな話に聞こえますが、実はこれは相当の手間を払えばもう実現できる段階に来ています。恐ろしいですね。


#7735

ブログへの追記

このブログデータベースに、一言自由に書き残しておける「記事未満単位の何か」の必要性を感じているため、
言語化するためにそれについてつらつらと書いてみることにします。


それは、直感的にはセルフコメント機能です。
これは近年(いつから?)の記事が原則として1記事につき話題1つという原則で書くようになったことと、
最近(いつから?)はまだ検討中で行動以前の話題を書くことも多くなってきたことによる弊害として、
検討中の話題の後日談を書きにくくなった、という事情があります。
後日談も1本分の記事として成立するくらいの量があるなら記事として書けばいいのですが、
往々にしてそういう話題は1本分に満たない。
かといって、放置して年数が経てば「この記事はこの後どうなったんだっけ?」となりかねない。
現状の執筆スタイルだと1つの話題についての顛末を書き切らないことがあり、漏れてしまっているわけですね。


これは改善する必要があるのですが、方向性としては2つあります。
1つは、中途半端に止まっている記事の末尾に直接追記するというやり方。
手軽で着手しやすく、境界線を決まった形にすれば当時の文章との境界も明らかにできる。
ただ、「記事内のパラグラフ」という単位ではそれ単独で管理できません。
これは後々、AIに解析してもらうなどの過去記事分析が本格化した際に支障となる可能性はあります。
そのためなるべくなら記事と追記は別管理にしたい。
そういったニーズを考慮した際に思いつくのが、いわゆるブログのコメント欄として残すというもの。
しかしコメントの追加はWordPress時代ならいざ知らず、現在はObsidian管理なので少々手を打つ必要があります。


これについてざっと調べてみると、Obsidianにはコメントに相当する機能は無さそうです。
最近のメモアプリにはたいていあるので意外でしたが、まあObsidianは厳密には メモアプリではないですからね。
となると残る手段は2つ。ひとつは各記事のプロパティに補足欄を設けてそこに書くという方法。
各記事の「記事でない部分」に書き残せ、
かつ各記事との紐付けが容易ですがコメント自体の検索が面倒でそもそも読みにくそうという弊害もあります。
もうひとつはコメント専用のMarkdown格納フォルダを作成し、
必ず関連記事にリンクを貼る等のテンプレートにしたがって記事と同じ形式でファイルを作成する方法。
これならタイムスタンプなどのメタデータも自由に設定できてスケーラブル。
ただしこれだと元記事からコメントを見たい場合、いちいちバックリンクから辿る必要があります。


こうしていろいろ言語化してみると、当初の直接追記方式が良いような気がしてきた……。
完成した過去記事の直接編集はやや心理的抵抗があるのですが、
未完成記事は長期放置することも間々あるのに何を今更という話ではある。
いままでも追記はまったくしてこなかったわけではないですしね。


今日の記事はここ最近消化不良になっていた話題を順に供養していこうかと思い立ったのですが、
まとめて書いたところで後で辿れないし、どうにかできないものか……という思考の流れをそのまま書きました。
とりあえず、現時点では直接追記方式ということで改めてルール整備を進めていけたらと。
まぁ、過去記事の追記なんて何行も書かないのでそこまでカッチリやる必要もないのかもしれませんけどね。


#7577

ブログは完了形で書くべき?

少し前のTwitterに「『〇〇する』とつぶやくのではなく、『〇〇した』とつぶやく方が生活の進捗は良くなる」
という趣旨の投稿がプチバズっていました。
実はこれ、ブログに置き換えると自分にとっても近々の課題に通じるところがあります。


これは長年の運営歴で自覚していることですが、
このブログも意欲的な低迷期には「〇〇する(したい)」という形で物事を書き残すことが多いです。
これは、これからしたいことなどの各種欲求やまだ行動していない計画以前の妄想などが当てはまります。
しかも、こういうことはたいてい実現しない。机上の空論だけで終わってしまいがちです。
まあ長い長い目で見れば数年後に唐突に思い出して着手することはありますが。


一方、「〇〇した」というのはすでに起きた出来事を書き残すことを目的としています。
基本的に日記というものは本来こっちを書き残すもので、
「〇〇した」形式の割合を増やすことが望ましいというのは言うまでもありません。
ただ、現実問題としてコンプラや自尊心、執筆ルールの都合で書ける話題というのは意外と限られていて、
毎日毎日それに該当するような出来事が起きているわけでもありません。
特に社会人以降は守秘義務などの都合で仕事のことは基本的に書けないので、
さすがに当日内に起きた出来事のみを書く、という縛りは現実的ではないと思っています。
純粋な日記を続けている人は尊敬します。


「〇〇する」形式は、基本的に他者から見た需要を見出すのはかなり厳しいところがあります。
確かに、この形式ではなくなるべく「〇〇した」形式で書けるように意識するのは大事だし、
有言実行を促すという意味では日々を充実させられるというのはその通りだと思います。
「〇〇する」形式は結局何もしなくても書けてしまうので、
むしろ行動しない理由づけのためにダラダラと書き、より行動しない状態を持続させる要因にすらなり得ます。


しかし、だからと言ってこの妄想の類は別の意味できわめて有用なため、
一概に書いてはいけないと結論づけるのも早計だと思っています。
その理由は単純で、書いている本人にとっては妄想形式で文章を書くことは頭の整理になるんですね。
いわゆる思考の客観視ができるという点でメンタルケアの観点から明らかに有用なんです。
まあ、それをインターネットに公開する必要が無いというのはぐうの音も出ない正論なのですが……。
この辺は公開運営復帰の際に悩んだポイントでもあります。
ただ、少なくともこのブログに関しては直近2年の投稿に関しては、
妄想系の記事も「〇〇したい」という欲求を書くに留まっているので許容範囲には収まっていると思います。


というわけで「〇〇する」形式のエントリーにもごく個人的には意味があるという言い訳はありますが、
まあでも冒頭の通り「〇〇した」と書き残すことを意識すれば必然的に行動力への後押しになるため、
そういう視点でブログを捉えてみるのは有意義かもしれないと改めて思いました。


#7566

日記記入率

4代目開設前後は大波乱でしたが、やはり追われて作るモノにクオリティは望めないらしく、
かなりのボロが出ているので今月は引き続き改修作業となりそうです。
08月25日までアーカイブ整理していたのはいくらなんでも悪手だったと。結果的に開設はできたけど……。


その波乱の中で過去の遺物の整理もしていて、その作業でもけっこう時間を取られていました。
実は3代目開設と同時に全削除する予定だった初代と2代目(楽天ブログ)はまだネット上に残っていたので、
固定ページを全部ダウンロードした上で完全削除。
初代に関してはとっくにサ終したHotmailでサインアップしていたためパスワードを忘れたら詰んでいましたが、
どうにか思い出すことができ削除できました。
にしても放置運営が恥ずかしいからと現行のブログを非公開運営していたのに、
それよりもはるかに濃い黒歴史である2003〜2014年の記事が公開したままだったというのはなかなかの醜態です。
頭隠して尻隠さずとはまさにこのこと。


そしてその作業の中でブログの運営コンセプトに関してとても重要なことを思い出したので書き残しておきます。
それは、このブログはいまもなお楽天ブログ管理画面にある「日記記入率」に大きく影響を受けているということ。
日記記入率とは、開設日から当日までの各日のうち記事投稿を1回以上行った日の割合を言います。
あくまで日にち単位なので全日投稿した上で2本以上投稿した日があっても100%を超えません。
また、当日内に投稿しなかった日も遡って投稿することによって日記記入率を増やすことができます。
ただし、楽天ブログの(当時の)ルールとして前々月以前の日付で投稿することはできません。
2代目ブログは、移転当時この日記記入率を100%にするというコンセプトというか目標がありました。
それが4代目である現在にも引き継がれているというわけですね。


初代ブログ(2003年08月01日〜2004年08月31日)も、当初は日記記入率100%を目指していました。
しかし当時はPCが共用で弟が2ちゃんねるのブラクラを踏んで起動しなくなったとかで故障し、
長期で使えなくなるということがありました。
それであっさり日記記入率100%は諦め、諦めたついでに黒歴史すぎる記事は自主的に削除してしまいました。
当時はローカルにバックアップも取っていなかったため削除した記事は完全に失われています。
そこへ追い打ちをかけるように2004年の夏休み、祖父母家から帰ってきたらコメント欄がガッツリ荒らされており、
数百件の荒らしコメントを削除するのも面倒ということで心機一転も兼ねて移転を決意。
そこで夏休み明け、つまり2学期始業日である09月01日に2代目ブログを開設したというわけです。


当時は今度こそ日記記入率100%を維持してやろうという意気込みがありました。
以来20年間、99.9%を100%にするために幾度となく苦しんできたというわけです。
ただしWordPressへ移転した3代目以降、日記記入率などというものは当然表示されなくなったため、
この苦しみのルーツがどこにあるのかをすっかり忘れていました。
表示されないからこそ純度100%の自己満足になってしまい、それゆえにいくらでも誤魔化しが効き、
そしてそれが2ヶ月以上の長期化などといった泥沼へハマるきっかけになっていきました。
楽天ブログ時代末期辺りからは「とりあえず一言でも書いて投稿しておけば前々月になっても後で書ける」
ということに気づいてしまったため、
それ以降で後日投稿といえば基本的に一言ネタを記事の形に仕上げる作業のことを言っています。


この20年間で、日記記入率100%の維持のために苦しんだことは数え切れません。
もはや見えないスタータスのために今後も苦しみ続けるのはあまりにも割に合わないと言えるでしょう。
しかし一方で、だからこそ ここまでブログを続けることができたのだと言うこともできると思います。
楽しく書き続けられるのはせいぜい半分くらいで、日課として維持するためには苦しみも不可欠なのでしょう。
しかも、長年やっていれば何も考えなくても改善するというものでもないらしい。
非公開運営の直前がまさにそうでしたが、むしろ近年の方が深刻化しやすい傾向にあります。


しかし「苦しみたくないから、苦しみの伴う活動はしないべき」などと言っていては何もできずに人生が終わります。
ブログ運営に関しても今後少なくない苦しみがあると思いますが、
少なくとも過去の苦しみに学ぶことはできるはず。
WordPress時代はその視点が抜けていた……というか苦しみのルーツさえ忘れていたくらいなので、
4代目の時代はそういう何も考えていない運営からの脱却をまず図りたいところです。


#7485

自己批判が捗る周期

最近実感していることとして、考えることが楽しい周期に入ったのかなと。
より具体的には……ブログで「自己批判」することにそれなりの充実感を感じるというか。
たとえば、昔の黒歴史や昔から抱えている自分の欠陥を批判的に捉えてみるというような営みです。
それも、上京前以前の自分なら触れられなかったような深いレベルの欠陥を叩いてみることに意義を感じる。
自尊心はどうでもいいからちゃんと納得感のある結論が欲しい……といった欲求でしょうか。
いままでは自尊心の手前叩けなかったことも、加齢で自尊心の影響力が下がって叩けるようになったと言うべきか。
直近の記事では「タコウインナー問題」「趣味の浮気性」「恋愛観」を改めて本音ベースで自己批判しました。
自己批判が楽しいなんて書くと変な人かと思われるかもしれませんが……
まあ今更ですが19年もブログをやっているような人がマトモなわけないですよね、という。


これは2つの意味で有意義だと思っています。
1つは言うまでもなく、自分の欠陥を根本から捉え直すことによって自己理解をさらに進めることができる点。
特に今回はObsidian移行によって全文検索が爆速になったことで大量にある過去記事も横断的にチェックでき、
「昔の自分の考えを前提としたまったく新しい考え」を効率的に産出する下地ができたと言う意味では
これまでの頭の中の記憶を頼りにした思考法とは一線を画するやり方が実現できていると思っています。
そういう意味において、ブログをさらに1ランク上に押し上げたと言っても過言ではないかも。
過去記事の参照が手軽で早くなったからこそ、それを叩く余地があるというもの。
これだけ過去記事が膨大にあれば、検索ワードさえ思いつけば叩く材料はほぼ無数にあると思います。


もうひとつ、ブログのコンセプトが自己批判にシフトするということは
相対的に他者批判の機会が減るということでもあります(多分)。
過去記事を漁って自分自身の主張を批判したりテーマに関する自分の考えを更新するかぎりにおいて、
わざわざ他者批判をする必要性は薄いですからね。
他責的な結論に持っていったところでそれは反省にならないという意味においても。
自分で自分を叩くことに関してはコンプライアンス的な問題は生じにくいので、
2020年秋に問題になったように他者批判をしてプチ炎上するといったリスクは必然的に下がることになります。
そういう記事ばかり書いている間はブログを公開してもまあまあセーフティと言えなくもない。


そもそも今秋開設予定の4代目を既存の活動領域の人たちに見えるようにしていいのかどうかについては
正直まだ迷っているところはあります。
まあ以前書いた通り記事検査をした上で直近2年分くらいならなんら問題ないと思っていますが、
メンをヘラるとなかなかコンプラ維持も難しく、しかも客観視できないという危険性は常にありますからね。
この辺は基本的に意識改革で自制していくしかないと思っていますが、
今回の流れで他者批判によりブレーキがかかるようになってくれればその点でも進歩と言えそうです。


#7206

ブログの新執筆ルール

もし復帰&移転するなら20周年の日をタイムリミットとしているこのブログ。
先日19周年を迎えたのでリミットは残り1年を切りました。
ブログ復帰のための課題は大きく分けて2つあります。
ひとつは、運営の手間を極限までカットしたヘッドレスCMSとしてサイトを作ること。
もうひとつは、19年でついに破綻した
「毎日1本書く」という開設当初の執筆ルールに変わる新ルールを考えること。


前者はweb制作としてのタスクであり、ピクチャレ大会と競合するいまは着手不可能です。
これは早くとも来春以降と考えています。
ピクチャレ大会開発をきっかけに習得したNext.jsをそのまま流用することができるので、
技術的なハードルはそれほど高くないと思っています。
問題はピクチャレ大会もまだまだやることてんこ盛りのこの状況で時間が捻出できないこと。
なので、まずはピクチャレ大会をある程度のところまで開発しきってしまうのが先決かと。


問題はもうひとつの課題である新ルールの樹立です。
新ルールは、当然のことながら旧ルールの欠点を確実に克服する必要があります。
しかもそれは、2004年当時にとっての2023年現在のような遠い将来にわたって破綻しないほど
強固で汎用性に優れたルールである必要があります。
そのためには、自分はなぜ書くのか、どうするとモチベが上がるのか、
なぜブログに時間を捻出するのか、あるいはどうやったら捻出できるのか……
などというような、自分にとってのブログ論を今一度洗い出さなければなりません。
その上で、新しいアイデアがブログ執筆にかかる負荷などをうまく受け流せる必要がある。


これまでその新ルールに関するアイデアとして再三言及してきたのが
ストック記事を作るというものです。ただこれはやろうとしても結局実践できていない上に、
本質的に1日1本書かなければならないという制約に変わりはありません。
ただこれは、ブログを書く上で筆が乗る日もあればそうでない日もある、
あるいは忙しくて書く余裕が無い日もあれば時間が余って2本以上書ける日もあるという、
毎日が必ずしも安定して1本かけるわけではないという生活上の事情をうまく取り込んでいます。
そもそもそれこそがブログが不安定になる根源的な問題でもあったので、
ストック制はそれなりに合理的だと思っています。


最近ふと思いついたのは、これに加えて「そもそも当日分の記事は7日後に公開する」というもの。
たとえば09月09日であれば、執筆期限は09月09日だけど公開するのは09月16日。
その間の7日間は校正したり書き足したり、最悪書けていない場合の猶予期間として機能します。
まあちょっと自分に甘いルールのような気がしますが、
これならリアルタイムで書いた当日分もあとで改めて読み返してから公開する余地があるため、
下手に批判記事を書いて反感を買うようなことも未然に防げる効果もあると思います。
まあ、一度閉鎖したいまとなっては読者を想定するのも無駄なのかもしれませんが。
むしろ想定読者が存在しない方が重要な問題のような気がしないでもない。
ただ単に「復帰できる目処が立ったので復帰しまーす」では何の意味もないわけです。
閉鎖によって失った読者はさすがにもう戻ってくるとは思えないし、
かといって無策では広いネットの中から見つけてもらうのは困難。
かといって既存のコミュニティメンバーに読んでほしいかと言われるとそれも違う……。
「誰のために書くのか」がずっと不在だからこそここまで堕ちてしまったのかなーとも思いつつ。
昔からそれについては「自分自身のためだ」と言い張っていましたが、
冷静に考えればそれもなかなか無理がありますからね。まあでも日記とは本来そういうものですが。


#7104

ブログの修行期間

ブログ非公開化を決断したことで執筆環境も大きく変わりました。
昨日の記事では再公開するための条件を整理しましたが、
この記事では非公開中の執筆方針についてまとめておくことにします。


と言っても、それはベースとしては以前からの執筆ルールをそのまま継承し、大きく変える予定はありません。
たとえば「どうせ非公開なのだからプライバシーに配慮する必要は無い」みたいな考えはしないということです。
それは、もし目標達成して再公開できるとなったときにアーカイブを公開する余地を残すためです。
まあ、現代のコンプラ的に本当に昔の記事を再公開していいのかどうかについては別の問題がありますが、
仮に20周年の2024年09月01日に再公開するとして、そこから遡って2年くらいは読めるようにしたい。
ということは、この記事も公開されることを想定しなければならないということです。
なので、コンプラやネットリテラシー周りの執筆ルールも特に変えません。


一方で、すべてが非公開である現状が続くかぎり、執筆期限については原則設けないことにします。
1日1本という大原則は守りつつも、当日分をその日のうちに書き切らないといけない、
という縛りは設けないということですね。
これは、このブログが個人ブログという立ち位置でありつつも
「日記」という形態は黎明期から徐々に脱してきており、
19年目の現在すでに日記としての体裁は残っていないという実感が書き手としてあるからです。
これは日記か、と言われたら日記ではありません、ブログという個人メディアですと答えます。
もちろん日付ベースなのでその日何かあったか日記のように読むこともできる。
ただ、内容も日付ベースにすると1記事内にさまざまな話題が入り乱れ、
記事単独で読みものとして成立しないというデメリットがあります。
なので近年は原則1記事につき話題は1つという制限が課され、これは1日1本に並ぶ原則となっています。
まあ、ある意味でこれが近年ブログ運営を難しくしていた原因なのかもしれませんが……。


とにかく、名目上の1日1本は守りつつも1記事1話題の原則を守っていき、
その上で安定的に書き続けることができるかどうかというのがいま復帰のために問われているところです。
なので、この2原則を守るためにあえて1記事の執筆期限を「当日内」にしないでみる。
とにかく復帰までに全記事書き切ればOKというスタンスで行ってみたいと思います。
ちなみに、当然ですが記事に割り振られる日付の時点で起きていないような出来事を書くのはNGです。
ただそれ以外で日記という体裁を保つ必要はなく、それはもう建前上のものだけでいいのかなと。


非公開にするもののプライバシー等の一般ルールは引き続き守る。記事の体裁としてのルールもそのまま。
ただし、再公開までに全記事書き切れば個々の締め切りは設けない。
これで20周年までにどこまで行けるかによって、ブログの今後を判断していこうかなと思います。
たとえばこのルールで一方的に下書きだけ溜まって消化が追いつかないようならもう無理と判断できるし、
追いついてストック記事を書く余裕を生み出せるまで行けば再公開に踏み切ることができると。
あとは生活や他の活動の負担になるかどうかも見極めたいところです。
とにかくこれから1年ちょいの期間がブログにとってのある意味での修行期間ということになりそう。


#7089

過眠による副作用

実はこのブログの当日内投稿を復帰してから昨日までの10日間はストック記事がありました。
つまり、当日分の記事はすでに昨日以前に執筆済みでその日に書く分は翌日以降の分。
未来の分まで書き溜めておくというのは本家ブログ史上ほとんど実践できたことはないのですが、
この10日間はそれを実践できていたことになります。


これにより、もしも当日内に1本も書けなかったとしても当日内投稿が途切れません。
これまでのブログ衰退はなんらかのやむをえない理由で当日内投稿ができなかった場合に、
翌日に前日分を含む2本の記事を書ききれなくて延々借金を背負い続ける……
というパターンが少なからずあったため、
記事のストックはそのきっかけを防止するだけでもかなり有用だと思います。
あと、記事執筆済みだと投稿作業自体はスマホで完結するので、
帰ったら即寝たいような日でも布団の中で作業ができるのは心強いです。


今回は昨日やたら体調が悪かったのでストックが尽きてしまいましたが、
今後もできるかぎりストック記事1本を維持できるようにしていきたいところです。
ストックが1本あるかどうかでブログ執筆の姿勢もかなり変わってきそうな気がする。
ストック0本だと当日内にとにかく1本書き上げないといけないプレッシャーがあり、
それは昨日みたいに体調不良に陥った場合にどうにもならないという事情があります。
そうでなくても、どうしても話題を掘り起こせないような日もあるでしょう。


ストック1本以上がある状態だと好きなことを書けばいい、最悪書けなくてもいい、
というスタンスで執筆ができるので窮屈感からある程度解放される気がします。
その代わり日記系ブログのリアルタイム性としての特徴が多少犠牲になりますが……。
まあでも、それも当日内投稿できずに下書きを延々抱えるよりは全然マシかと。


ちなみに昨日の体調不良ですが、どうも二日酔いのような症状があって本当に参りました。
一昨日、半年ぶりに我が家に集まってゲーム会を開催し、半日かけてスマブラをやっていたんです。
そして解散後にそのままスーパー銭湯に行ってガッツリ癒されてきて、
満身創痍の状態で帰宅して布団に入ったんですね。
月〜金は出勤日なので当然朝は起きなければならず、土曜もゲーム会の関係で早起きだったので、
一昨日の夜は無制限に眠れる今週唯一の日だったわけです。
で、勢い余って15時間寝てしまいました。


過剰な睡眠は二日酔いに相当する体調不良を引き起こすことがあるそうで、昨日はまさにそれでした。
長時間睡眠で身体を動かしていなかったためか右腕になんとも言えず気だるさを感じ、
最近利用を再開したコワーキングスペースに行ってもまったくもって集中できない。
完全に日曜日を犠牲にしてしまいました。


こういう病人みたいな一日を過ごすことは大学時代からたまにありますが、
過剰睡眠のせいだとするなら納得できます。
確かに思い返してみれば無制限に眠れるような休日にこういう症状に陥りがち。
過剰睡眠によって疲労するとその日は実質風邪を引いたような感じで何もできない、
かといって寝過ぎているので夜はすんなり眠れるわけでもない。
そう考えると過剰睡眠も睡眠不足並みに危険な行動なのかもしれないと改めて思います。


体感では休日睡眠の理想は8時間、頑張らなくても起きようと思えば起きられるのが10時間、
いわゆる惰眠の範疇が11時間以上といった感じ。13時間までは過眠による支障は感じません。
ただ今回は15時間だったのでいくらなんでもアウトだったのでしょう。
最近休日はアラームを設定しないのが習慣化していましたが、
休日の睡眠時間がここまで健康を害するのならアラーム再開も検討しようかなと思っています。


#7062

自己欺瞞の掃き溜め

近年ブログがなかなか捗らない問題について、ひとつ仮説を思いつきました。
それは、ブログが捗っていた時代は「自己正当化したい」という欲求があったからこそ
その捌け口としてのブログ執筆が捗り、結果として習慣化していたのではないかと。


ここで自己正当化とは、〇〇できていないのは××のせいだから自分は悪くないという主張です。
できていないこと、とは言い換えればやらなければならないと自覚していることで、
それをやらないことは自分の主義や立場に反するような場合が当てはまります。
それは簡単なタスクであることもあればとても実現不可能な理想に過ぎないこともある。
それでも、それを「やるべき」と確信してやらなかったら自己欺瞞に陥ります。
そこで、やらなかったことの正当な理由(××のせい)を挙げることによって、
本当にそれを「やるべき」なのかどうかを再確認しているわけです。
再確認の作業は、単なる現実逃避であることもあれば筋が通った論理であることもありますが、
まあ大筋としては単なる言い訳であることに変わりはありません。


概ね上京以前の自分は、まず理想があってそこに向かっていくことで現実の諸問題を乗り越えていく、
というような人生観があったと思います。
だから常にその理想が妥当であるかどうかをチェックする必要があって、
それが先述のようなプロセスによってブログで行われていた節があるのではないかと思います。
だからこそブログは生活において非常に重要な地位を占めていたわけです。


上京以後の自分は、どちらかというとその逆の考え方をするようになったように思います。
現実で何かをすれば、それが将来の何某かに影響を与えるんだというような考え方。
まず理想を据えるやり方は往々にして現実的な自分の能力を度外視してしまう傾向にあるため、
理想と現実のズレを矯正していく中で自分の能力の低さに幻滅してしまい、
結局大きな下方修正になってしまいがちです。それはもうそろそろうんざり。
年齢的にもそろそろ夢を見るような段階ではなくなってきているわけで、
こういう風に人生観が大きく転換したのは年齢的な意味でも自然なことなのではないかと思います。


ただ、そうするとブログで何を書けばいいんだろうという話になってくる。
いままではいわば理想を下方修正するための機能としてブログ執筆という行為があったのに、
それがすっぽり抜け落ちてしまったとなるとこのブログは「ただの日記」になるわけです。
元々がそういう目的で設立したのでそういう意味では本意だし、
延々言い訳を垂れ流したところでブログとして有意義だとは思えません。
ただ一方で、日々の出来事、話題、その他考えたことを文章化するという作業は、
言い訳をしたいという動機が無いとなかなか後押ししてくれる欲求が無いのだと改めて感じます。
近年のブログがなかなか安定しない理由はその辺にあるのではないかと、ふと思いました。


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