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意欲の問題

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#8138

計画遂行に必要な意志力

えー、もう2026年の4分の1が終わろうとしている現実に半ば絶望しているわけですが。
この第1四半期最大の反省点は、
「作業をするにあたり阻害要因が全部取り除かれるのを待っていたら、永遠に着手する機会は来ない」ということです。
この3ヶ月間は思い起こせば一見して「年間計画を進めるどころではない」状況がメドレーのように続きました。
年始実家帰省の生活リズム崩壊(〜01月15日)→草コインを起因とする仮想通貨の含み損抱え(〜02月28日)、
例年とは比べ物にならないレベルの花粉症悪化(〜03月19日)という感じですね。
そして春の実家帰省でweb制作系の作業は多少挽回しましたが、
その5日間にほとんどブログを書けなかったことにより03月末はブログの執筆に追われているという感じです。
花粉症は半ばどうにもならなかったですが、他はブログを含め自己責任と言えるでしょう。
まあ仮想通貨に関しては結果的に25万円の含み益が出たので結果オーライではあるんですが……。


これらの経験から、年間計画はもっと強い意志で推進しないとあっさり破綻するという危機感があります。
多少の逆風が吹いていてもゴリ押しで進めるくらいの意識があっても良いのかもしれない。
確かに逆風が吹いていない状況の方が作業が捗りやすそうな気はしますが、
だからといって好機を待つのは単に時間の損失であって、やらない理由を絞り出しているだけなんですよね。
第2四半期は仕事場の変更という大きな変化が待ち受けているため、
趣味活動にとって大きな逆風が吹く可能性は大いにあります。
だからといって第2四半期も停滞してしまうと、もう1年の半分を消費してしまうことになる。


とはいえ実は去年末に立てた年間計画はこうなることをそれなりに織り込んでいて、
期間限定ランキング制作が若干遅延していること以外はおおむね想定通りだったりします。
web制作方面では春季アプデはいちおう実施できたし、イベントもコンスタントに開催できている。
読書についてはむしろ想定よりかなりハイペースで進んでいるので、
「年間4冊」という低い目標は今月だけでほとんど達成できそうな勢いです。
まぁ、低い目標に沿ったところで達成感も実績も生み出せなければ意味はないので、
低い目標そのものの存在意義がやや怪しいところではありますが……。


とにかく、第2四半期は作業遅延の原因を自分から作るような愚行は意識的に避け、
また逆風がある程度吹いてもできる範囲で少しずつ進めていくような執念を心に宿していきたいところです。


#8120

スマホ依存深刻化

今日の出来事意欲の問題

人はどんなに不調で生産的な活動ができなくなっても、与えられた時間は消化しなければなりません。
しかし、多くの場合基本的な欲求を満たすためにはなんらかのコストがかかったり、
睡眠のようにいつでもできるわけではなかったり、いずれも万能ではありません。
そして退屈であることへの対抗手段が減れば減るほど精神もすり減っていくわけですが、
現代人は、……というとちょっと主語が大きすぎるので少なくとも自分は、
ネットの主な無料コンテンツを浴びるように摂取することがこれに対する有力な対抗手段になっています。
一言で言えば、SNS依存です。


直近の自分の場合、年初からの不調を経て、回復期に差し掛かったところでそれに本格的に手を出してしまいました。
従前から当然それなりにSNS(旧Twitter)は見ていたわけですが、
新たに読書・自己啓発・哲学系のサブアカのキュレーションをパーソナライズすることに成功したことにより、
各アカウントのオススメを一通り読んで読み終わったら別のアカウント……
という無限ループが確立したことで依存度がさらに進んでしまった感じです。


TwitterのおすすめTL依存はメンヘラ期を乗り越えたと実感した2023年以降、サブアカを作ったことで確立し、
サブアカでの活動が定着するにつれて徐々に生活に占める割合が大きくなってきた経緯があります。
それ以前は基本的にフォロワーの投稿しか読んでいなかったのでこうした泥沼感はありませんでした。
まあ、メンヘラ以前のメインアカは1000アカウント以上フォローしていたこともあって、
あれもあれでまあまあなTwitter依存を形成する要因にはなっていたと思いますが。
しかしフォローのみのTLは最新まで読み切ってしまえばいったん枯渇するのでそこまで泥沼感はありません。
おすすめTLが本当に危険だと思うのはコンテンツが無限にあるのでキリが無いということです。
ここに、スマホという「いつでも手に取れる」という物理特性を加えると依存の条件が整うわけですね。


自分がコンシューマーゲームをやらなくなったことについて、
実家を出たから一緒にやる相手がいなくなったとか加齢でゲームが下手くそになったからとか、
得られるものが無いからとか過去にさまざまな理由を考えてきましたが、
結局のところスマホ×Twitterという「ゲームより強い娯楽」が登場したからというだけのような気はしています。
なのでパッと始められてサッとやめられるタイプのゲームはいまでも条件が揃えばハマったりする。
去年末のあつ森とかですね。一方、腰を据えてやるビッグタイトルは本当にできなくなってしまった。
タイムパフォーマンスの観点で言うとどうしても直感的にTwitterの頻繁で豊富な刺激には劣るからです。
このことから、興味の強さよりも着手のしやすさの方が重要なのではないかという仮説が浮かび上がります。


いま、『ぽこあポケモン』を買おうかどうか非常に迷っているわけですが、
それもスマホ依存で結局やらないだろうということが念頭にあります。
これに加えて去年は任天堂系のビッグタイトルを特に考えずに順番に買った結果
半数は未クリアに終わるという失態を犯しているので、その反動で迂闊に買いたくないというのもある。
まぁでも、もしスマホ依存がゲーム衰退の原因でゲームを代替にしたいという思惑があるのなら、
スマホの代わりにSwitchを手元に置くというのは有効なのかもしれない。


いよいよとなったら機能の制限されたサブスマホも検討に値するかもしれませんが、
サブスマホでもなんらかのSNS的なアプリを入れてしまったら元の木阿弥なのでいまのところ有効打にはならなさそう。
ほぼガラケーに近いほど機能が制限されていないと役割を果たさなそうですが、
そこまで制限が強い端末が必要なのかと言われると微妙ではある。


#8038

泡沫的な興味関心

今日の出来事意欲の問題

2026年に活かしたい教訓に、「自分の興味関心の勢いは約2週間しかもたない」というものがあります。
何か新しいコンテンツを見つけてそれに強い興味を抱いたとしても、
おおむね2週間後にはもう飽きているということです。


少し前の自分なら、これについては「2週間しかもたない飽き性な性格こそが絶対悪」と考えていたことでしょう。
つまり飽き性が根本原因であり、持続的な活動をしたいならそれを矯正するべきだと。
そうしないかぎりすべてが泡沫的で成果が積み上がっていかないという焦りは確かにありました。
しかし現実には、2週間以上もたせるのはまず無理といっていいでしょう。
この壁を明確に越えられているのは内発的動機づけ以外の動機があるか、習慣になっているだけです。
前者なら何らかのコミュニティに所属しているとかで一緒に共有する相手がいる場合、
後者の場合はソシャゲのログボ、あつ森などのように1回のプレイにかかるコストが極小な場合などですね。
ちょっとした思いつきや巡り合わせで始めたコンテンツに対する興味関心を、
外発的動機づけや習慣以外の方法でもたせるのはかなり難しい。
これは自分の内心にあるものですが、もはや意識ではコントロールできないものだからです。
仮想通貨取引は近年巡り合ったものの中では最大のコンテンツですが、
これですら、少なくない金銭という特大のリターンがあるにもかかわらず2週間以上はなかなかもたない。


そこで、発想を転換して自分は2週間で意欲が減衰するということを受け入れて、
2週間以内に完結するような計画を立てる方が合理的なのではないかと最近思い始めています。
2週間経過したらいったん終わりで、しばらくは次の何かに目を向ける。
そして他が一区切りついたところでまた戻ってきて第2ラウンドを始める、といった具合です。


ただ、このスタイルは一部の例外を除いて
アクションゲームなどフィジカル面のスキルが要求されるコンテンツとの相性がよくありません。
覚えておかねばならないことが多い、頭を使うような活動ともやや相性が悪い気がします。
いずれも、活動を続けていくと積み上がっていく肌感覚というものがあり、
その感覚はしばらく活動から離れていると失われてしまうからです。
失われたらまたその感覚を取り戻すところから始める……というのではあまりにも効率が悪い。
そういうコンテンツは今後金輪際触れちゃダメというようなことを言うつもりはありませんが、
なおさら「2週間以内でなんらかの成果を出すこと」が重要になってくると思うんですよね。
興味が湧いたからといってとてもその枠に収まらないコンテンツに手を出して、
なにも成果が出ないまま興味も失せてフェードアウトするというのは端的に言って時間の無駄です。


2週間という枠組みは感覚でしかないのでそこに厳密さは求めないものの、
いずれにしろ何かに興味が湧いたなら2〜3週間程度で目指せるゴールを設定することは重要なのかなと。
そして「そこまでしてやりたいかどうか」を自問して、やりたいと思ったらやり遂げる意志が大事なのだと思います。
こういうことをしていないかぎり、余暇は永遠に有意義に過ごせないのではないかと。
この辺にも2025年の無気力さの原因がありそうな気はしています。


そういう意味では現在やっているあつ森は短中期的な見通しは立っていないので、
いずれフェードアウトするとは思います。これはまあ乗り掛かった船なのでこのままでよしとして、
次に何か興味を持つときは2週間で飽きるという前提のもとで何をするかをしっかり考えたいところ。


#8025

言語化できない体調不良

今日の出来事意欲の問題

以前、やる気は存在しないという言説について自分なりの意見を書いたことがありました(#07611 / 2024年10月18日)。
ある人いわく、やる気というのは結果であって「行動を起こす要因」ではない。
つまり、やってみて「もう少しやろうかな……」というエネルギーがやる気であって、
「やる気が出たらやる」という文脈における「やる気」はできない人が造り出した言い訳の方便であると。
自分はそれに対して、「やる気が出たらやる」というのは言外の期待に応えるつもりはないという意思表示で、
要するに主体的にはもともとそれをやりたくないと思っているにすぎないのではないか
(つまり社会的外圧と本人の欲求のズレがあることが本質的な原因なのでは)……という意見を書きました。


一方、「行動を起こす要因」や、逆に「行動を起こさせない要因」というのは確実にあって、
それこそがいわゆるやる気なのではないかとも思います。
特定の人を振り向かせたい、期待に応えたい、注目されたい、追い越したい、思い通りにさせたくない。
こうした対人関係において生まれるエネルギーというのは確実にあり、
やる気(意欲)は他人に与えられるものだ(#05971 / 2020年04月25日)という気づきはだいぶ前からあります。
これは心理学的には外発的動機づけと呼ばれるもので、
根底には承認欲求、所属欲求などといった社会的欲求があります。
外発的動機づけには他にもお金がもらえるから、といった報酬によっても刺激されます。
基本的に仕事は外発的動機づけに基づいた活動というわけですね。


それに対して、他者や報酬とは関係なくそれをやりたいと思うことがあります。
単に自己満足としてやる、興味関心があるからやる、楽しいからやる、といった行動。
その根底には、自分らしさとの関連性、「自分ならそれをできそうだから」という有能感などがありますが、
まあ一般的には「好き」という気持ちに対する率直な行動、と考えるのがしっくりくると思います。


個人的には、これら外発的動機づけと内発的動機づけは、
適切なバランス感覚で行使できる人が社会において成果を生み出せているような印象があります。
外発的動機づけだけでは、他人に見られていないと行動が継続しないのでなかなか成果につながらない。
内発的動機づけが強すぎても、外発的動機づけが伴わなかったらそれを他人に評価される機会を得られない。
自分は外発的動機づけがかなり強い人間であることを自覚しています。
だから「意欲は他人に与えられるもの」という気づきは当時それなりにクリティカルな発想として認識していました。
イメージとしては外発的動機づけはあくまでもメインの動力となる巨大な歯車で、
内発的動機づけはそれをサポートする小さな歯車といった感じです。
この構造を否定できない以上、他者との関係性が自分に与える影響というのは計り知れないし、
自分の人生というのは実は他者との関わり合いによって形成されているといっても過言ではない。


ただ、内発的動機づけのサポートを意識しつつ、外発的動機づけに基づいて行動しようと思っても、
どうもうまく身体が動かないことがあります。
つまり、あるタスクが自分らしさに直結した「興味関心のある好きなこと」の範囲内にあることを確認した上で、
しかもそれをすることによって他人の信認や報酬を得られることが明らかであるにも関わらず行動できない場合。
そこには第3の要因が絡んでいるように思います。
いわば、「なんとなくやる気が出ない」というような状態。


これについてはさまざまな要因があると思いますが、
少なくとも「言語化できない程度の体調不良」が絡んでいるのではないかと見ています。
ハッキリ体調不良と言い切れるほどパフォーマンスが悪いわけではないけれども、
身体のどこかに無意識的に気になるボトルネックがあって、目の前の活動に集中できない。
先延ばしにできるタスクは、頭のどこかでなるべくなら先延ばしにしたいと待ち構えています。
そうした怠惰心と身体の些細な不調が噛み合うと、
それらを否定してでも活動をするためにはそれなりに強い意思が必要になる。
このとき必要な意思決定リソースというのが、本人が思っているよりも多いのではないかと思った次第です。
その活動が自身にとって有用であると思えばこそ、
都度意思決定リソースを消費してやる・やらないを決めなくていいように習慣化することが大事だというわけですね。


冒頭の「やる気が出たらやる」というのは、
「言語化できないが体調が万全ではない気がする」という意味での引っ掛かりがあるというケースもあり得ると思います。
そして、体調が万全でないとできない=先延ばしの誘惑に非常に弱いという状態に対しては、
やる気の有無はともかく「意志が弱い」という批判はできそうです。
冒頭リンク先で自分は「社会的責任やアイデンティティなどを根拠にした『やる気』は存在する」と書いていますが、
そこでいうやる気はどちらかというと「意志力」なのかもしれません。


#7886

サブスマホの限界と終焉

今日の出来事意欲の問題

総合すると「11代目」、サブスマホとしては2代目の「UMIDIGI A9 Pro」というAndroidスマホが、
特に床に落とした等のトラブルもなくいつの間にか画面が割れてしまっていました。
さすがにそろそろ寿命かなと思っています。
履歴を遡ると購入したのは2021年08月19日で、
当時余りまくっていたクレカのポイントを使って21,000円のところ9,000円で購入しています。
ちなみに初代サブスマホ(総合では9代目)は2018年に購入し3年で買い替えているため、
2代目サブスマホはある意味メインスマホと同じく機種変のタイミングを逸して使われ続けていたことになります。


とはいえ、「3代目サブスマホ」はいまのところ必要無いという認識です。
確かにサブスマホというポジションにもニーズが無いわけではないんですが、
それならメインが型落ちしたときにいまメインとして使っているiPhoneをサブとして使う方がはるかにお得なはず。
5年前の端末とはいえiPhone 12はまだまだ格安スマホには負けないでしょう。
少なくともサポートが継続するかぎりはサブスマホとして使えるんじゃないかと見ています。
サポートが切れたら前にもチラッと書いたようにiPad miniに乗り換えるのが妥当かなと。
いずれにしろ、サブスマホもAppleファミリーで統一してしまおうという方針です。
いろいろなシーンを想定してもAndroidにする理由は見当たらない。
見出すとしたらスマホ好きとしてAndroidも持っておきたい、というようなこだわりくらいのものでしょうか。


メインの方の機種変方針は「iPhone 17が登場したらあえてiPhone 16を買う」といった戦略も検討していましたが、
いまのところ正攻法で最新のiPhone 17を2025年末〜年度末の辺りで買うという方針です。
iPhone 17をあえて見送る理由の筆頭として、
ダサくなると噂されていたカメラユニットの変化も実物はそうでもなさそうな雰囲気。
であればSoCが最先端のiPhone 17の方が長期的にもお得だろうという目論見です。
できればダイナミックアイランドがもう少し小さくなってくれると最高なんですけどね。


メインスマホに関しては現行機が強すぎて「機種変する理由を見出せない」と散々躊躇してきましたが、
さすがに現行機もレガシー感が漂ってきたので5年が限界だろうと思っています。
もともとはApple Intelligenceに期待してiPhone 16にする予定だったのですが、
いまのところChatGPTアプリでできること以上の活躍ができるというような話は全然耳にしないため、
見送ってiPhone 17まで待ったのは正解だったかなと。結果論ですけどね。


#7882

映画のような立ち位置

今日の出来事意欲の問題

一昨日紹介したモンハンワイルズの批判動画(#07880 / 2025年07月13日)で紹介しきれなかった部分に、
「SNS以前のゲームはコンテンツの王様だった。しかしいまはそうではない」
という主張があり、これもかなり頷ける部分だったので紹介します。


要するに、スマホの普及・発展によって現代はあまりにも手軽に刺激を得ることができるようになった。
その結果、フルプライスのゲームなどコストのかかるものに挑戦するハードルがめちゃくちゃ上がった、ということです。
手軽なコンテンツの具体例はTikTokやYouTubeのショート動画、アマプラ・Netflixなどのサブスク系動画サービス、
膨大な数の無料コミックが読める各種漫画アプリなどといったものですね。
これらはサブスク料金を除けばコンテンツ自体に料金はかからない。全部が無料。
しかも常に身につけているスマホをサッと取り出して秒でコンテンツを摂取できる。
そしてなによりも、コンテンツはキュレーションされるため選び取る必要が無く「選択の意思」すら必要無い。


この点、CSゲームは「コンテンツにお金がかかる」「ゲーム機を起動する必要がある」「能動的に選ばなければならない」
といった性質を持っており、基本的にとっつきやすさでスマホに勝てません。
しかもゲームという娯楽は「摂取して秒で快楽を得る」といった性質のものではなく、
レベリングやアクションの試行錯誤などといったストレス要素を乗り越えて初めてドーパミンが出るものです。
そのため、即効性という点でもショート動画などには勝てそうにありません。
こう考えると、ゲーム業界はひそかに苦境に立たされていると言われても頷けます。
この問題、あんまり表沙汰にはなっていない気がしますが……。


自分はアマプラやショート動画はほぼ見ていませんが、SNS(主にサブアカ)やYouTubeは依存している自覚があります。
そしてナカイドさんの指摘する「スマホ依存によるゲームの衰退」という構図が、
まさに自分自身のゲームの衰退とスマホ時間の利用増加にすっぽり当てはまるんですよね。
『Balatro』やポケポケのようなスマホゲームは特に抵抗無くできるのに、
コンシューマーゲームはかなり重い腰を上げないと着手できないのも辻褄が合います。


これに持論を加えるなら、ゲーム自体も「なるべく早く快楽を得る」方向にシフトしている気がします。
クリアするのに根気が要るようなゲームは大衆に選ばれにくくなり(とはいえ配信需要はある)、
どちらかというと手っ取り早く楽しいゲームが好まれるようになってきた。
いわゆるローグライクが新たなスタンダードと言ってもいいくらい根強い人気があるのも、
そうしたユーザーが求める体験が変化してきたことが一因としてあるのではないでしょうか。
いま『ファンタシースターゼロ』のエターナルタワーを登れと言われたら狂気の沙汰としか思えないですからね。
そう考えるとスマホ以前からコンテンツの消費スピードというのはずっと上がり続けていたのかもしれない。
ゲームの供給(というより自分自身のモチベーション)がもはやそれに追いつかなくなったと。
自分の場合それはここ数年とかそういう話ではなくて、もう10年以上前からそうなのではないかと思っています。
ゲーム購入一覧を確認すると、ちょうど社会人になる前後がその境目だったような気がする。
社会人1年目から露骨に積みゲーが増え始めていて、
具体的には『ポケットモンスター オメガルビー』が最初の契機と言えそうです。
やはり自分のゲーマー人生は『ピクミン3』辺りが最後だったのかも……。


その後もゲームをプレイすること自体は継続してきましたが、社会人以降は少なからず積みゲーも増えていきました。
その勢いがさらに加速したのが2019年で、上京以降は加速度的にひどくなっていました。
この惨状にやっと自覚的になり「自分はもはやゲーマーではない」と思えるようになったのは去年からですね。
上京以降は本当に一握りのビッグタイトルにハマったくらいで、
体験としては年1〜2回映画館で映画を観るようなものに近いんじゃないかと思っています。
それはもはや「映画が趣味」とは言えないし、ゲームも同じようなことが言えます。


そういうわけで、自分の場合はゲームの消費スピードは学生時代の終わりと同時にとっくに飽和を迎えていて、
ゲームは映画を観るように特別な体験で日常の動線に存在しないものになっていたのだと思います。
それはスマホ依存を脱却すれば云々、というような話でもありません。
じゃあどうするかという話ですが、特にこの現状は変えるべきものではないと思っています。
つまりゲームは日常の動線に無く、非日常の体験をもたらす映画のようなものとしてこれからも楽しむというわけですね。
趣味と言えるほど高頻度ではないかもしれませんが、そこでちゃんと楽しめるなら文化として十分。
「ゲーマーを自称しないという矜持」がこれからは大切になるんじゃないかと思っています。


明後日に控える『ドンキーコングバナンザ』は、いわば映画のような立ち位置のタイトルです。
自分はもうゲーマーではないしスマホ依存にも抗えないですが、
それはそれとして映画を観るような気持ちで新作を楽しめたらと改めて思います。


#7881

活動の力点と所属欲求

今日の出来事意欲の問題

自分の活動の力点をどこに置くかを改めて考えると、いずれは仮想通貨に戻りそうな予感がしています。
現在ビットコインは史上最高値である12万ドルをマークしてフィーバー中。
ですが損したばかりの自分はもちろんまだ復帰予定はありません。
仮想通貨にのめり込んでいると明確に他がなおざりになり、さまざまな計画に支障が出てくるからです。


今年を振り返ったときに「及第点」にするための条件は2つあり、
1つは11月公開予定の創作作品をそれなりのレベルで無事に完成させること。
もうひとつは現在進行中であるもののやはりモチベが伸び悩んでいるピクチャレ大会の大型イベントを開催すること。
これらさえクリアすれば、足踏み感が否めなかった2024年を明確に越えたと胸を張って言えるでしょう。
そのためにはどう考えても仮想通貨は心理的障害にしかならないので、いまは控えるしかありません。
一方で、自分が本当に本気になれる文化って実はもう諸々含めて仮想通貨しかないんだろうなという気持ちもあります。


ある活動に対して本気になれるのは、その対象が本気で好きか、
本気になるに値する「安定性」や「深み」を有していることが必須条件になると思います。
自分にとってネット活動は社会活動の一環であり、所属欲求が満たされるかどうかを重視せざるを得ないわけで、
「所属している」という実感を得るためにはコミュニティの安定性や深みが必要だということになります。
対象とする社会が縮退していることが明らかで、
それゆえに長期の活動に対して見返りが増える見通しが無いなら、その意味での本気にはとてもなれない。
事業をどんどん縮小する会社に所属し続けて果たして仕事のやる気が溢れてくるのかという話です。


そういう点で、前々から書いているようにピクミン活動はもうかなり限界が近いという認識です。
特に2025年春で定期イベントが一区切りとなってから、
自分が観測するかぎりボイチャ利用頻度も明らかに減ってきていていよいよ衰退してきてしまった感がある。
ある意味踏ん張りどころではあるのですが、こういう状況下でモチベを絞り出すのは並大抵のことではありません。
活動に対するレスポンスの不確実性が強すぎるからです。仮に何かを率先してやっても、誰もついてこないかもしれない。
縮退する運命に抗えないなら、そもそも大型イベントも本当にやる意味があるのかという疑問は拭えません。
この計画自体が去年のリベンジですが、今年ダメならもう諦めるのが妥当だろうなとは思っています。


自分にとってピクミン活動はこれまでかなり精神的割合を多く占めていた活動でした。
いま、その安定性が揺らいでいて個人としても活動過渡期に差し掛かっています。
そしてここ数年渡り歩いた感じだと、「個別のゲーム」という括りで安定したコミュニティに属するのはかなり難しい。
自分自身がやり込みプレイヤーになれるような気概がもう無いからです。
もちろんゲームが好きだという気持ちは別にあるので、たとえばいまもマイブームの『Balatro』は継続しています。
しかしそれらはあくまでエンジョイ勢止まりで、そういうものがある日突然ピクミンの代替になるようなことは無い。
ここはこれまでずっと一縷の望みを見ていたところですが、もう無理なんだろうなと察しました。
よっぽど自分が特定のゲームにハマってRTAをするようになり、しかも上位に行くとかでなければ難しいでしょう。
ピクミンが潰れてしまったらゲーマーとしての自分は浮かんでは消えるものを食い潰すだけの放浪者にならざるを得ません。


しかし、仮想通貨界はそういった物差しでは測れないところにあるわけです。
つまり、お金を賭けてリターンを目論む以上、
コミュニティの安定性があろうがなかろうが個人は本気で取り組まざるを得ない。
安定的でないどころか資産を脅かされるリスクがあるという点でむしろあまりにも不安定ですが、
だからこそ真剣にやらざるを得ず、継続的・集中的に活動を持続できるというわけです。
結局のところ、ある程度の年齢までに社会的責任のある地盤を手にすることができなかった人間は、
こうしてギャンブルに堕ちていくんだろうなと改めて思います。
このことはすでに書いている通り、今後中年期に向かって何度も自戒することになりそうな予感がしています。


自分にとって、いま画策している大型イベントの開発案件はいわば従来型のネット活動としての「最後の賭け」であり、
これがコケたらもう自分は来年以降、ひたすら仮想通貨にのめり込む人間になるだろうと予想しています。
年間計画も3本柱の基本原則は棚に上げて「今年は純益50万円!」みたいな数値目標になるでしょう。
なぜならその方が短期的には刺激的で楽しいし、中長期的にも「本気でやるメリット」が明確だからです。
このシナリオを避けられる未来はいまのところ見えません。
金融庁が本気を出して仮想通貨取引を全面的にシャットアウトでもしないかぎり止まらないだろうし、
もしそうなったらそうなったで株に移行するだけのような気がします。


しかしこれは、ある意味幼少期からやってきた活動を全否定するものです。
ゲームとの出会いから連綿と続いてきた二十数年のネット活動はいったいなんだったのかと。
いま自分がやろうとしているのは、それに対するケジメのようなものなのかもしれません。


#7879

意欲統制のための予備タスク

今日の出来事意欲の問題

意欲には波があり、おそらくその波を左右(上下?)させるもののひとつは情報収集である。
そして行動は基本的に意欲には逆らえないというのがこれまでの経験則です(#07730 / 2025年02月14日)。
これまで、このことをあまり深く考えてこなかったので「締め切り」は単に心理的負荷でしかありませんでした。
たとえばAという活動とBという活動の意欲の波が交互に来ているような状態で、
Aが盛り上がっているのに直近でBに関する締め切りを設定すると意欲に真正面から逆らわなければならない。
こういうことをすると結果的にAもBも共倒れすることが多かったので、
近年の自分は安易に締め切りを設定することに対してかなり身構えているところがあると思います。
その結果、何かに挑戦することがめっきり減って保守的になってしまいました。


自分にとって、これの代表例と言っても過言ではないのがこのブログでしょう。
ブログは波に関わらず毎日書かなくてはならない。しかし、意欲がブログに向かない日もどうしてもある。
実は、ここ1ヶ月ほどはブログに関しては波はかなり「低い」状態であり、筆の乗りは悪いです。
しかし2024年の4代目移転以来、超低空飛行でも継続できるようになったので書くだけならできなくもない。
ただ、それでも100日に1本書く「キリ番記事」はさすがに波が低い状態では厳しそうです。
キリ番記事は自動的に締め切りが来るため、波が低い状態でぶつかってしまうと大変なことになります。
この記事で下2桁が79なのでそろそろ意識していきたい。


こういうときに今後なるべく意識していきたいのは、意欲そのものをどうにかしようとしたり、
それが変わるのを待つのではなく、意欲を左右する原因にアプローチしてみるということですね。
つまり、情報収集をある程度統制することを心がける。
ブログに関しては、前にも書きましたが「過去記事を読む」というのが
モチベーションを起こすための具体的なアプローチとして有効であることが分かっています。
新規事業と違って過去実績があるのなら、それをしかるべきタイミングで予備タスクとして入れてしまう。
キリ番記事であれば下2桁が85〜90くらいになったら予備タスクを入れるべきでしょう。
こういうことが「意欲の波」に対する実践的な抵抗になりうるという発見はもっと重視してもいいのかもしれません。
もちろんそれは、まったくの新規でやる物事が着手しがたいことを裏付けることにもなるのですが。


予備タスクもなく漠然とキュレーションされた情報を食っているような状態が、
いわゆる「興味散漫」な状態だと言えるのかもしれません。
であれば、もっと意図的に予備タスクを作ってそれに従って行動してみるというのも重要のような気はする。
たとえばイラスト制作のモチベを上げたいなら2代目本家ブログ時代の過去絵を見てみるとか。
いま、その必要性はやや薄いのでしませんが……。


ちなみに、ゲーム制作のように大型かつ未経験のタスクはどうしても予備タスクを作るのも難しいですが、
ことゲーム制作に関しては「桜井政博さんのYouTubeチャンネルを見る」
というアプローチがこれまでに存在しなかったショートカットとして機能する予感がしています。
こういうコンテンツを作ってくれる人は間違いなく偉大ですが、
これにかぎらず同業者の活動はモチベをくれる可能性のあるものとしてもっと前向きに捉えたいものです。


#7704

両輪の低迷

今日の出来事意欲の問題

毎年、プレッシャーのせいなのか実家帰省のせいなのか調子が悪いことの多い01月。
今年はかなり良い出足かと思っていたのですが、後半に突入してから失速感を感じています。
では何を根拠に失速感を感じているのか。
それは、近年の自分では「両輪作戦」(#07500 / 2024年06月29日)が機能していない場合に実感することが多いです。


両輪作戦とは、複数の活動に首を突っ込んでおき片方が失速したらもう片方に注力するという方針のこと。
いまの自分は、比較的モチベーションのあるフェーズでは開発・創作系作業を、
そうでないフェーズではブログを進めることでバランスを取っているような節があります。
なので、開発系作業が滞ってもブログさえとりあえず追いついていれば失速感は感じられません。
しかしブログも滞るとその日一日で残したものが皆無になってしまうため、一気に非充実感が湧き出てきます。


「両輪」という名目ですが、ブログが滞った状態で開発作業が捗ることはあまりありません。
やはり日課としてのブログの方が心理的な優先度が高く、こちらを放置して他の作業はできないからです。
かといって、書けない状態ではとことん書けないので行き詰まってしまう。
ブログ歴21年でいまだこんなことを言っているのは本当に情けないかぎりですが、
執筆モチベをいかに絞り出すかというのは特にキリ番記事前後に関してはまだまだ高い壁として存在しています。
キリ番以外であればさほどではないかもしれません。
思い返せば、ブログの低迷を感じるのはたいてい記事番号の2桁目が0の期間である気がする……。


キリ番記事、すなわちより真剣な随筆を書くという古い慣習を維持することについては、
7500番台くらいから「ブログ維持に関わる最後のハードル」として認識するようになりました。
7600番台は比較的楽に突破できたのですが、ここに来てまたハードルの高さを感じています。
これは伝統的にキリ番記事には「悩み」を書いてきたため、
比較的ネガティブな気持ちでないと書けないというネックがあるためだと思っています。
その時期が来たからといって、意図的に心をネガティブにできるわけではありません。
かといって下書きを溜めることは自分にとって借金を負うようなもので、それもなるべくなら避けたい。
こうした慣習による束縛が活動を停滞させているんだろうなと。
ブログフェーズがある意味での助走期間になっているからこそ他活動を維持できている、
という側面は否定できないので、両輪作戦自体は間違っていないと思うのですが……。
ブログはいまやあくまでもサブ活動にすぎないので負荷はもっと減らしたい気持ちはあります。


なのでキリ番記事=悩みを書くという慣習自体を考え直したいのですが……なかなか良い案も浮かびません。
キリ番記事というのは100日に1回必ず来るものなので、一発屋ではダメなんですよね。
あらゆる文化に触れては遠ざかる気分屋になってしまったいま、持続性のある企画を考えるのはかなり難しい。


なんというか、全体的に一歩踏み出せば活路が開けるのにそのためのエネルギーを持ち合わせていないような、
非常にもどかしい感じのする今日この頃です。


#7674

作業別やる気のスイッチ

今日の出来事意欲の問題

昨日の記事で、週間計画を立てることそのもののスランプに陥ると、
それに依存している活動自体が低迷するというような気づきを書きました(#07673 / 2024年12月19日)。
それでふと思ったのですが、
週間計画のように活動のトリガー(後押し)となっているものは活動によって異なり、
それを意識的に実行することで低迷しにくくすることができるんじゃないかと。
ここでのトリガーは、いわゆる「儀式」とか「ルーティン」とかと読み替えてもいいかもしれません。


週間計画(タスクとしてやるべきことを書き起こすこと)をトリガーとしている活動は多く、
日常的なタスクはもちろんですが、web制作系の活動はこれに当てはまりそうです。
web制作にかぎらず、それなりの規模で細分化した方が着手しやすい類の活動については軒並み当てはまるかも。
あと同様に共通のトリガーとして音楽を聴くこと、カフェに行くことも当てはまりそうです。
どちらも同じ店、同じ音楽ばかりでマンネリ化すると効果が薄くなってきますが……。


また、ブログについては「アーカイブを読む」というのも少なからず後押しになります。
4代目移転以降はスマホでの閲覧環境がまだ定まっていないため、
アーカイブを読むということを抵抗なくできるとは言い難い状況です。
そのためブログ自体は昨今ややマンネリ感が否定できません。この辺は今後の課題かなと。
過去の実績を自分で再確認することがモチベになるという点では、web制作など他の活動にも当てはまります。
なので、過去実績を手に取りやすいようにするというのは意外と大事なのかもしれません。
「手に取りやすい」というのは、突き詰めるとスマホ環境を整えるということになると思います。
ブログもPC版Obsidianなら閲覧環境もこれ以上無いほど整っていますが、
スマホ依存が進んでいる昨今ではPCを開かなければならない手間は無視できないハードルなんですよね……。


そういうわけで過去実績を再確認することとタスクリストを整理することは活動の入り口としてやはり重要で、
逆に言えば活動が低迷していることはこれらを疎かにしている面が否めないのではないかと。
やはり週間計画が大事なのは言うまでもないことですが、
過去実績をいつでも手に取れるようにしておくことも折りに触れて整備しておきたいですね。


ちなみに過去実績が無いような新規の活動は、同レベルの他人の実績がモチベになると思います。
心が狭いとそこで得られるエネルギーというのはどうしても嫉妬になりやすいのですが、
それは比較対象の人選を誤っているからでしょう。
これからやりたいと思っている創作に関しては、
うんとレベルの低い活動者を探してみるというのはひとつのとっかかりになると思います。
検索してすぐ出てくるようなトップレベルの人を参考にしても何も良いことはありません。


タスクリスト作成自体のスランプの対策については明瞭な答えはまだ出ていませんが……。
タスクリストを作るという所作が発想や言語化によるものだとしたら、
「とりあえず思い浮かぶ悩みをChatGPTに投げてみる」というのは可能性としてあり得るのかなと。
ChatGPTはまったく未知の分野のとっかかりとしても大いに使えるため、
とにかく活用するに越したことのない良いツール、というか自分にとってはもはやメンターです。


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