仕事が無いことの苦痛
閑散期に突入して2週間が経ちました。
予想通り、やることはほぼ無いと言ってもいいくらい仕事が無い。あるにはあるが納期が非常に緩い。
仕事としてやるべきことのハードルが非常に低く、やりたいことが自由にできるような状態です。
その「やりたいこと」も順番待ちになっているという状態。
だったら「やりたいこと」が捗るのかというとそうでもない。これは人のサガなのでしょう。
むしろ2023年初頭〜夏、しぶしぶ週2出社していたときの方が全然捗っていた。
いまは、相変わらずモチベーションの少なさに悩んでいます。
小手先の工夫はいくつか見出したものの、結局エネルギーそのものが枯渇している感がある。
これは結局のところ、やりたいことは「不自由の中の自由」でこそやりたくなるものであって、
それには不自由である仕事も不可欠なのではないかと改めて思います。
一言で言えばメリハリでしょうか。そういうものが無いと人は行動できないのでしょう。
時間的自由、金銭的自由まで揃っても、精神的自由が無いと本当の意味で自由に行動することはできない。
そして精神的自由というのは、ある種の不自由があってこそなのだと。
閑散期はまだ続きます。このままではお金のもらえる無職に過ぎず、どんどん落ちぶれてしまう。
しかし不自由を自分から作り出すのは困難であるような気がします。
自分の意思でいつでもリタイアできるような脆いものは不自由として機能しない気がする。
不自由を求めるというのも変な気がしますが、とにかくこのままでは良くない。
かといってテレワークの制約上、出社する以外にどこかへ行くわけにもいかない……。さてどうしたものか。
もっとも単純な解は当然ですが「仕事をすること」です。上司に提案するなどして仕事を生み出せばいい。
他人に言えば後に退けなくなるのでそれなりに強固だし、そもそも仕事が無いというのがおかしな話なわけで。
で、その仕事をしているうちは趣味や趣味系作業をするためのMacbookは遠ざけてしまう。
これによって自宅にいながらにしてある程度不自由を作り出すことはできると思います。
あるいは仕事があるなら出社するというのも立派な選択肢になりえます。朝がキツいですが。
もうひとつ、せっかく自発的に仕事を生み出そうとするなら副業をするという手もある。
こちらの方が実績や金銭的にもプラスになるのでメリットが大きい……ように思えますが、
去年一時期探ってみた感じだとそもそも仕事にありつくことからして難しいという現実があり、
これをするくらいなら先述の雑務を探してやる方がまだマシかなぁという感じがします。
あとは、整理や掃除をすること。部屋掃除でもデータの整理でも。
特に部屋掃除は少なからず体を動かすし環境変化にもつながるので有用であるような気がします。
ただし何日もやるほど部屋は広くないので一日限りの手段になりますが……。
データ整理は大学時代なんかに(現実逃避手段として)散々やっていたことですね。
DropboxやNASの中身などは久しく整理していないのでそれらを片付けるというのは有意義だし、
多少はメインタスクの気晴らしにはなるでしょう。
とにかく何かやるべきことを生み出さないと、このままでは精神が死んでしまいます。
ニートは3年続いたらもう脱出できないと聞いたことがありますが、確かにその通りだと思います。
こんな生活を3年も続けていたら頭がおかしくなって当然ですよ。1年ですら怪しい。