自己批判が捗る周期
最近実感していることとして、考えることが楽しい周期に入ったのかなと。
より具体的には……ブログで「自己批判」することにそれなりの充実感を感じるというか。
たとえば、昔の黒歴史や昔から抱えている自分の欠陥を批判的に捉えてみるというような営みです。
それも、上京前以前の自分なら触れられなかったような深いレベルの欠陥を叩いてみることに意義を感じる。
自尊心はどうでもいいからちゃんと納得感のある結論が欲しい……といった欲求でしょうか。
いままでは自尊心の手前叩けなかったことも、加齢で自尊心の影響力が下がって叩けるようになったと言うべきか。
直近の記事では「タコウインナー問題」「趣味の浮気性」「恋愛観」を改めて本音ベースで自己批判しました。
自己批判が楽しいなんて書くと変な人かと思われるかもしれませんが……
まあ今更ですが19年もブログをやっているような人がマトモなわけないですよね、という。
これは2つの意味で有意義だと思っています。
1つは言うまでもなく、自分の欠陥を根本から捉え直すことによって自己理解をさらに進めることができる点。
特に今回はObsidian移行によって全文検索が爆速になったことで大量にある過去記事も横断的にチェックでき、
「昔の自分の考えを前提としたまったく新しい考え」を効率的に産出する下地ができたと言う意味では
これまでの頭の中の記憶を頼りにした思考法とは一線を画するやり方が実現できていると思っています。
そういう意味において、ブログをさらに1ランク上に押し上げたと言っても過言ではないかも。
過去記事の参照が手軽で早くなったからこそ、それを叩く余地があるというもの。
これだけ過去記事が膨大にあれば、検索ワードさえ思いつけば叩く材料はほぼ無数にあると思います。
もうひとつ、ブログのコンセプトが自己批判にシフトするということは
相対的に他者批判の機会が減るということでもあります(多分)。
過去記事を漁って自分自身の主張を批判したりテーマに関する自分の考えを更新するかぎりにおいて、
わざわざ他者批判をする必要性は薄いですからね。
他責的な結論に持っていったところでそれは反省にならないという意味においても。
自分で自分を叩くことに関してはコンプライアンス的な問題は生じにくいので、
2020年秋に問題になったように他者批判をしてプチ炎上するといったリスクは必然的に下がることになります。
そういう記事ばかり書いている間はブログを公開してもまあまあセーフティと言えなくもない。
そもそも今秋開設予定の4代目を既存の活動領域の人たちに見えるようにしていいのかどうかについては
正直まだ迷っているところはあります。
まあ以前書いた通り記事検査をした上で直近2年分くらいならなんら問題ないと思っていますが、
メンをヘラるとなかなかコンプラ維持も難しく、しかも客観視できないという危険性は常にありますからね。
この辺は基本的に意識改革で自制していくしかないと思っていますが、
今回の流れで他者批判によりブレーキがかかるようになってくれればその点でも進歩と言えそうです。