個人主義が行き着く壁
養老孟司『人生の壁』(新潮新書、2024年)を読みました。
養老さんは『バカの壁』(#05847 / 2019年12月22日)で有名な解剖学者兼エッセイストですが、
自分にとっては実は去年他界した祖父と同い年の有名人でもあります。
養老さんも去年肺がんにかかり、もうさすがに長くないと観念しているそうです。
そして『遺言』に続き刊行された、人生をざっくばらんに振り返ったエッセイがこちらの著作。
全体の要約は作りませんが、気になった点を2点ピックアップしてみます。
たとえばアフガニスタンの復興に人生を捧げた中村哲さん は、
もともとは虫が好きで蝶を求めてアフガニスタンに行ったことで、現地と縁ができました。
その後、医者として同国に赴任し、調べていくうちに、
問題は個々の患者ではなく、インフラなど現地の環境にあると気づく。
そして見捨てられた農地をよみがらせるためには、水を引かなければと考えて、実行に移すわけです。
結果として、中村さんがやったことは立派な偉業です。
しかし彼自身は、偉業を成し遂げようとしていたわけではない(…)はずです。
本人が日々、やらなければならないこと、目の前にあることを片付けていくうちに、
到達したのがそこだったということです。
(中略)
仕事の本質は、目の前の穴を埋めることです。(…)ここを理解していない人がとても多いのです。
仕事というのはあらかじめ存在しているものだというのは勘ちがいです。
そういう勘ちがいをする人はともすれば、上司や会社に「私の仕事を定義してください」
などと求めることになる。
まず存在しているのは「穴」の方です。需要と言ってもいいでしょう。
自分のやりたいことが先にあるのではなく、求められることが先にある。(pp.34-35)
ドイツの若い哲学者でトーマス・メッツィンガーという人がいます。
彼は著書の中で、自己とはトンネルである、と述べています(『エゴ・トンネル 心の科学と「わたし」という謎』)。
(…)要は、自分なんて空っぽだというのです。面白いのは、この考えが老子と共通している点です。
現代人、とくに若い人は、おそらくトンネルの中身があると、よく考えないで信じ込んでしまっているのではないか、
と思います。その中身のほうを「自分」と呼んで、実体があると思い込んでいる。(…)
確固とした「個性」があり、それこそが自分の本質だと考えている。でも、実はそうではなくてあるのは壁だけ、
確実にあるのは身体のほうです。
(中略)
(京都アニメーション放火事件の)被告は一心に自分の存在を主張していたように見えます。
自分はここにちゃんと存在していて、やろうと思えばこんなに大きなことができるのだ、と。
自分の重みを必死にアピールしているのです。前提には、自分には何らかの重みがあるはずだ、
あるべきだという考えがあるのでしょう。(…)
他人と接点を持つのは煩わしいことですが、そのおかげで自然と自分の重みを感じることができるのです。
お祭りの時に「お前が抜けると、神輿を担ぐときに他の人が重くて仕方ないだろう」と言われる。
つまり他人と付き合えば、自分の存在には自然と重みを与えられる。
しかし他人との関係が希薄になればなるほど、自分で勝手に重みを作りたがってしまう。(pp.63-67)
この本が一貫して重視しているのは、1947年の民法改正によって「家制度」が廃止されたことが、
平和憲法よりも日本人の生き様に強い影響(主には悪影響)を与えたのではないか、という意見です。
つまり家という最小の共同体が否定される社会になり、
過剰な個人主義になったことで日本という国の歯車がどこか狂ってきているのではないか、と。
そして養老さんは最終的に「家は持った方が良い」と締めています。
家の中でも分かり合えないことはあるが、他者の無理解はいまに始まったことではない。
そもそも人と人は分かり合えないわけで、
それでも共同体さえあればその中で自分の役割(重み)を確かに持つことができる。
完全に個人として生きると、そういったものも持つことができない。
家制度が廃止されたこの世の中において、
社会が(家の代わりに)何かを与えてくれるものと期待することがそもそも大きな勘違いだということです。
それは中村哲さんの話もそうだし、放火事件の話もそう。
戦中世代の養老さんは、幼少期に終戦を迎え、昨日まで正しいことを言っていると思っていた先生が
今日から突然教科書に墨を塗れと言い出すなど、価値観の大転換を目の当たりにしてきました。
それゆえに、夢(将来の見通し)がなければならないというような風潮が理解できないと言います。
南海トラフ大地震や世界情勢の悪化で価値観の大転換が起きれば、そんな夢想は泡と消えます。
そういうことがいつ起こるか分からない世の中になってきている。
政治や世論は、そういった「いつ起こるか分からない危機」にもう少し目を向けてもいいのではないかと。
こういった戦中世代の話はとても貴重で、いまの価値観を全体的に俯瞰する良い機会になります。
思えば、祖父とそういう話が全然できなかったのは孫として大きな損失だったと言えるのかもしれません。